日付:2007/7/2
さて、先ほどの岩 城修弘霊場から少し進むとまた何かが有ることに気がつく。駐車場のような場所があるので車を止める。てくてく歩いていくとまずこんな ものがある。ただの石にしか見えないが、 実際ただの石らしい。説明書きにはこうある。「平成の霊石」
この巨石は平成五年一月十七日の夜山 頂(80m)から参道入口まで落下してきたもので、重さ三十三トンあり県由利土木事務所のはからいでここに安置された。この石は俗称「フモト石」といわれ 崩れ易く治山関係者の話では山全体が、「ネグサレ」という現象を起こしており崩落の危険があると予想され国の治山事業でこの霊山を保存することにした。 (以下略)
いや、ひょっとすると(以下略)の後ろにこれが「霊石」たる所以が書いて あったのかもしれないが、なんせ35度の気温にやられていたのでそんなことには気づかない。いずれにしろ、単に落ちてきた石を置いてあるような気もしない で もない。しかも平成だし。
その先にはこんなものがある。ちゃんとお供え物がされ ている。そもそもここの全体像はどうなっているのか、と見ればこんな看板がある。というわけで上のほうに歩 いていくとあれこれありそうなのだが、今私は「徒歩15分」はおろか「徒歩6分」という文字を見ただけで倒れそうである。というわけで徒歩1分くらいで行 けそうなところだけ見ようと心に誓う。この説明書に曰く。「折 渡地蔵尊」と いうわけで作られた時期自体は古いらしいのだが、そこらへん地蔵だらけになったのは平成の世になってからということらしい。確かにその上には地蔵がぞろぞ ろ並んでいる。
今から約200年前是山和尚(赤田大仏開祖)が延命地蔵尊として建立さたもので、現在では通行人の安全と子守地蔵として知 られている。別名イボトリ地蔵 として有名である。平成元年から2年間で中国福建省で作られた千体地蔵が、全国の寄進者により全山に建てられ、地蔵霊山となる。地蔵の足下にはそれぞれ字が置いてあり、ある いはそれを並べていくと何かになるのかもしれん。なんだかそうした説明の板があったような気もするが、なんせ暑さの為に倒れそうになったので覚えていな い。道の向かい側には休憩所兼土産物屋のようなものがあり、おばさんが二人何か話している。私は会釈してその前を通る。トイレを借りようとしているのだ。 2階にあがるとなにやら説明があったような気もするがとにかくトイレのことしか考えていない。それらしき場所があるが鎖でふさがれている。下に降りると外 にもトイレがあり事なきを得る。
といったところでその場を後にする。今から考えれば何か買っておばさん達に話を聞けばよかったと思う のだが、今思い出せるのは路上の気温計に「34℃」とか「35℃」という文字が表示されていたことだけである。
と いうわけで再び車を 走らせる。そこまで目標としてきた羽後岩谷駅をすぎ、反対側に登っていく。その途中で一つの事がとても明確になる。すなわち仮に今日の目的地が一カ所に固 まっていたとしても、この日差しの中2km歩けば間違いなく行き倒れになったであろう、ということだ。それに比べれば今は冷房の効いた空間の中で手と足を 適当に動かしていればすぐに数km移動できる。ああ、文明の進歩って素敵。
などと自分に言い聞かせているのはここでかなり道にまよっ たからだ。これを徒歩でやれば間違いなく日射病にかかり、そこらへんで珍スポットの藻くずと化しているころだっただろう。