五
郎の
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というわけでひたすら電車に乗り、両国というところでおりる。両国と言えば、お相撲。その地名は横綱ではなく、横網で ある。
しかしながら今日の目的地はお相撲とは関係ない(たぶん)両国国技館と江戸東京博物館の間を通り歩き続ける。実はこの江戸東京博物館と いうのも今日の目的地候補だったのだが、外からみるに隙がない。つまりどうみても立派な博物館に見えるのだ。というわけでパス。
な どと考えながらてくてくしていると、水色の作業着をきたおじさんたちがうろうろしていることに気がつく。なんだろう、と思えば無料の下水道関係見学会を やっているのだそうな。これって予約制かしら、と張られている紙を眺める。するとおじさんに声をかけられ「見学会やってますからお時間あればどうぞ」と言 われる。私は「あそこに行ってから帰りによらせてもらいます」と答える。最近下水道づいている私としては見学会にも心ひかれるのだが、今は目の前にそびえ ている光景が気になってしょうがないのだ。
これが今日の目的地、東京都慰霊堂、三重塔である。この塔は写す角度によっては普通の塔に見えるのだが、この角度からみるとなんともい えず「銅閣寺」を思わせる姿である。
なぜかと言えば両建築とも設計者は伊東忠太氏なのであった。氏が設計した建物を巡る、というのも楽しい企画かもしれないが、まずは目前 の建物を探訪する。てくてく歩いて正面からみるとこんな姿。
本堂に続く三重塔がなんともいえぬ形を見せている。本堂の入り口にはこのように糸が下がっているが、鳩がはいるのを防止するためであ り、自由にはいってよいとのこと。中に入る。
中はこんな調子である。和風とも洋風ともつかない作りだ。入り口の上にはこんなのがいる。伊東氏は妖怪好きだったとのこと。あるサイト によれば、銅閣寺のなかにもこのような妖怪がいるのだそうな。
天井からぶらさがっている明かり?をみているとUFOを思い出す。柱をみていると「仮面の忍者赤影」を思い出す。なぜだと言われてもし らん。記憶の関連などというものはこのようによくわからないものだ。
こ の場所は、元は関東大震災の際に犠牲となった人達の慰霊記念堂であった。永遠の平和を祈念し、「備えよ常に」と唱えていたところ、今度は東京大空襲に見舞 われる。昭和20年3月10日には一晩で7万7千人余が死亡したという。ここには犠牲となった方々の遺骨が納められているとのこと。
片側の壁 には、関東大震災の様子を描いた絵がかかっている。それをみながら正面にいく。少し厳粛な気持ちになっている私は賽銭をほうりこもうとする。財布をあけて みると、50円玉と100円玉しかない。ええい、と50円玉を放り込む。正面右側にいる像は、これまたどことなく和洋折衷の姿をしている。
反 対側の壁にかかっている写真をみながら出口に向かう。こちらにあるのは東京大空襲の写真。「敵国」の一般市民を大量に殺戮することが当然とされていた時代 だ。幼い頃にみた大空襲の写真もショックだったが、年をとってみると、山積みになった黒こげの死体が一人一人の人間だったことに思いを馳せ暗い気持ちにな る。
といったところで出口にたどり着く。少しあたりを歩くと、屋根の上にいる鳥もどこかユニークであることに気がつく。
こうしてみると、向かって左側に何かがぶつかり破壊されたのではないか、という気もしてくる。「野球禁止」と書かれた札を何度かみかけ たが、このせいであろうか。
などと考えながらあたりを見回す。近くの保育園の園児が遊びにきているようだ。こうして平和裏に散歩していられることがどれだけありが たいことか、と再確認する。
さて、次の目的地を目指して歩かなければならない。果たして順番を後にした判断はただしかったのだろうか。さっきとうってかわって混み 合ったりしていないだろうか。