五
郎の
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JFE 東日本製鉄所 千葉地区 第5高炉: 千葉県(2009/2/15)
インターネットをふらふらしているうちあるサ イトにたどり着く。そこには解体が始まった高炉の写真が掲載されていた。
一目みて”行きたい”と思う。行くなら今しかない。解体作業が進行中ということは、しばらくたてばこの高炉は跡形もなくなってしまう ということでもある。
しかし
次の瞬間、私はブラウザの”戻る”ボタンを押す。そう。僕にとって普通の週末に珍スポットを巡る、なんてのは果たされない夢なのさ。土曜日の午後は どうし ても観たかった映画を見た。二日の休みのうち、半日自由時間をもらえるだけで満足せねばならない。日曜日は、家族でどこかにでかけましょう、と言わ れる。私は”喜んで”と答える。
日曜日の朝、私は出かける準備をして奥様の様子をみる。するとあろうことかあるまいことか、パジャマを着 たままでミシンに向かわれている。これはどうしたことか。聞いてみれば作成途中のお裁縫を仕上げたいというご要望。だって、昨日は家族ででかけようって 言ったじゃないか、などという考えは私の頭をかすめもしない。わかりました。では私が、私だけが子供をつれて外に行ってきましょう。
外はとても暖かい。今は一番寒い時期のはずだが、昨日の最高気温は25度。今日も昨日ほどではないが暖かい。公園に子供をつれて いきあれこれ遊ぶ。帰ってくると
”午後は自由にしてよろしい”
と思いもかけない許可がおりる。
どうしよう。可能性その1。昼寝。しかしこんな暖かい日に外にでかけなくてどうするのか。可能性その2、映画。インターネットであれこ れ検索する。どうしてもみたい、という映画があるわけではない。となれば迷う事はない。いくのだ。
実は昨日こっそり行き方だけは調べていた。時間はそれなりにかかるが、片道1時間半。であれば今からいって十分夕飯までには帰ってこら れる。ではお父さんはでかけます、とだけ言い残し家を出る。
最 寄りの駅から地下鉄にのり、別の鉄道に乗り換える。これはいつも通勤で使っているのと同じ経路だが、途中から別の路線に入る。幸いにもすいてくるので座っ てうとうとする。さらに京葉線という路線に乗り換える。幕張メッセで展示会がある時とか、デニーズランドに行く時のる路線だ。しかし今日は終点までいくの である。
かたことゆられながらふと考える。例えば私が目的地近くで不慮の事故にあったとしよう。免許書をみて警察は家族に連絡をする。そして
”何故そんなところに”
と誰もが首をひねる。映画にでも行ったと思っていましたがなぜ千葉に。私が昨日ブラウザで何を見たかなど誰も知らぬ。そして大坪家に 末代まで語り継がれるミステリーが生まれるのであった。
とか考えているうち、眠ってしまったようだ。ふと気がつくと列車の中に誰もいない。終点の蘇我駅についている。慌てて電車を降りる。西口をでれ ばすぐこのような光景が広がっている。
目 的地は見えているのだから間違えようがない。てくてく歩いていく。すると高炉に近づくにつれ、大きな商業施設、それにスタジアムがある事に気がつく。帰っ て確認したのだが、やはりこの広大な施設は”高炉の廃止にともなう合理化”によっ て空いた土地にたてられたのだ。目の前にある高炉の一帯は死にかかっているが、商業施設は生まれたばかり。フットサルの練習が行われている場 所からは活気があふれてくる。この対比はなかなか興味深い。
スタジアムをすぎたあたりから”関係者以外立ち入り禁止”となんどか立て看板がでてくる。しかしどう考えても普通の道路なのでそのまま 進む。スタジアムの周りにあるフェンスのところで行き止まりになる。
解体工事に使われているのであろうクレーン車が何台も見える。この工場は一見稼働しているようであるが、工場の形にくりぬかれた壁がお そらくそうではないことを示している。
高炉に目を移す。手前側から解体しているようで、何か大きな物体が見えている。私にはこれが何かわからないが、あるいは転炉と呼ばれるものなのか もしれない。これが傾けられ赤く光る鉄が流れ出てくる場面を勝手に想像する。あるいはジブリ映画にでてくる巨大機械とも見える。
そしてあることを思い出す。多分私は大学生のとき、ここに来ている。当時川崎製鉄だったこの工場に。宴会では相手の偉い人が
”ここを世界最強の製鉄所にしようとがばっています”
と挨拶した。具体的に何をしているんですか?と誰かが聞く。それに対して偉い人は
”いろいろやってるんです”
と 答える。より若い社員の人は
”いや、実はここ工場内の線路が世界一長いんです”
とかなんとか言っていた。裏を返せばそれだけ構内の移動にコストがかかると いうことでもある。その前に観た新日鉄君津製鉄所と比較してどうですか、と聞いたとき相手がなんと答えたかは覚えていない。
その世界最強の製鉄所は今や合理化の波にさらされている。もちろん古くなった高炉を廃止する事が最強への道かもしれない。部外者の 私にわかる事ではない。
などと考えながらあれこれ写真を撮る。おそらくは私と同じようなことを考えている人がもう一人おり、その人の邪魔にならないよう、あち こち移動しながら。
もうよいか、と思ったところで高炉を背に駅に向かう。見える風景は新しい町のそれだ。こうして蘇我は新しい姿になろうとしている のだろう。
帰ってから知ったのだが、この日私が去った後ここの写真を撮りにきてサイトにアップロードした人が二人はいるようだ。ああ、高炉はなぜ これほどまでに人々を引きつけるのだろう。
■速報ダム日和「解体中の高炉見に行ったらココロ社さんとニアミスしてたらしい」