五
郎の
入り口に戻る
話は6年半前にさかのぼる。(もうそんなにたってしまったのだ)雲 龍寺に行く途中JRの高尾駅のホームに降りる。見上げるとなにやら妙な建物が目に入る。
なんだこれは。派手な色と奇妙な外観からすればきっと新興宗教の施設ではなかろうか。そう考えただけでその日は次の電車に乗っ た。しかしその異様な姿はずっと記憶の中に残っていた。
それから月日は流れ幾星霜。他の人があの施設にいった文章を読む。すると、そこは新興宗教の施設などではなく、とてもまともな場所であ る ということを知る。これはいかなくては。しかしいかんせん今の私には自由時間が、と思っているとまたしても奇跡のように自由時間が訪れる。なんとその日は 半日以上自由にしてよいというのだ。
まずは映画を見に行くことにする。あわよくばさらにもう一本映画を見るつもりである。しかし出がけにあの施設が何駅の近辺にあり、そこ までど の程度時間がかかるかを確認する。
仮にその日観た映画がものすごく感動を呼ぶものであれば、ああ、もう今日はこの映画を見たので満足だ。あとは軽い映画でも観よう、と 思ったかもしれぬ。しかし幸か不幸かそうはならなかった。
”これほど緊迫した題材を扱いながらなぜこんなに平和なんだ”
と観ている間中考え続ける。映画が終わり外に出るとどうにもすっきりしない。ええい、これはもう向かってしまう他ないではないか、と 電車に乗る。
いつも使う地下鉄を反対方向にのり終点まで行く。そこからJRに乗りかえこれまた終点まで。八王子という駅で乗り換えるとすぐ目的の高 尾駅に着く。ホームからみればまたあの金色の姿が見える。これだけ見えているのだからまあ道は間違えないだろう。そう思いホームからおりたところで
”さて、何口にでればよいのか”
と迷う事になる。案内板をみてこちらだ、と思った方に歩き出す。
駅をでても、目的地は目に入らない。高い建物がたくさんある。とはいってもこちらに違いないと決めつけ歩いていく。いかにも霊園で ございます、といった雰囲気のほうに歩いていくと目的地が見えてきた。
霊園のなかを歩いていくと、中から人がでてくるのとすれ違う。家族連れのようだから、お参り(というかその類い)に来た人たちなのだろ う。入り口付近はこのようになっている。落ち着いた空間がそこにある。
入り口とおぼしきところを開けようとすると、鍵がしまっている。これはどうしたことか、と3歩下がれば、”入り口”の看板が別の場所に ある。中にはいると女性が3名ほどおり、
”お参りですか。(何か)の会員ですか。違うのですか。それでは申し訳ありませんが200円です”
と大変丁寧に告げてくれる。200円を払う。少し進むと机の上になにやら広報誌のようなものがおいてある。眺めていると先ほど の女性の一人が
”年に一回発行しています。どうぞお持ちください”
という。私は礼を言って一部受け取る。
館内は撮影禁止なのでここから先写真はない。エレベーターがあり、行ける一番上の階、9階まで行く。この上、11階には拝 殿が、10階には展望室があるはずなの だが、階段には
”工事中”
とかなんとか書かれた紙が貼られた椅子がおいてある。しかたがない。
その階をぐるっと回ってみる。すると仏教、神道、キリスト教それぞれの祭壇が放射状に並んでいるようだ。仏教のそれはおそらく宗派に よって数種類存在したのではなかろうか。
その下の階には、位牌か何かをおさめたロッカーのようなものが並んでいる。2Fは普通の休憩所。そこからしばし外 を眺める。すると小高い丘の上になにやら銅像があることを知る。後で行ってみよう。
と いったところでここの見学はおしまい。出口のところで女性達に”おつかれさまでした”と声をかけられる。この”おつかれさま”という言葉は仕事での慣用句 となっているようで、元の意味が何であったかもよくわからない。扉を出たところで別の女性に会ったが彼女も”お疲れまでした”と声をかけてくれる。もちろん”は?私は疲れていませんが”などと言ってはいけない。
たらたら坂を下っていくと、この塔を観るちょうど良い位置になにやら広場がある事を知る。そこから写真を一枚。
もう少しするとここは桜でいっぱいになる事だろう。薄い紅色の桜と金色に輝く塔。しまった。さっきの女性達に”なぜここはこん なシュールな形をしているのですか”と聞けばよかった。