五
郎の
入り口に戻る
12/4、私はよれよれになりながら実家に帰り着く。もういやだ。しかしこの先状況は悪くなるばかり。もうどこか遠くへ行くしかない。でも遠くとはどこだ。
いや、とりあえず明日は一日空いているではないか。何かをしよう。何をすればいいのか。候補は二つ。珍スポットか映画だ。あわよくば両方共思うが、とりあえずその日は寝る。
疲 労を回復させるためには基本的に寝るしかない。睡眠の効果は偉大だ。翌日目覚めると失踪の前に、とりあえず珍スポットに行こうかという気になっている。朝 ごはんをたべ車を出す。今日行く場所は車でなければ行けない場所なのだ。昨日おおよその所要時間を調べておいた。約2時間とのこと。
ぶいんぶいんと走り続ける。名古屋の道を走るのは久しぶりなので勝手を忘れている。22号線を北北西に向かう。そのうちいかにも
”太い国道沿いの郊外”
の 風景が見えてくる。少し前なら見飽きた光景だったのが、今は妙に斬新に見える。看板がやたらと大きくケバイ。一宮というところを通る。ここはどういう理由 か知らないが特殊宿泊施設が密集しているところだ。それ関連のショップとかなんとかごろごろ出てくる。ずっと国道の行き先に表示されていたのが一宮だったが、今やそこを通りこした。目的地に近づいたかと思う。地図をみればそれが幻想であることがわかる。
しばらく走ると岐阜にたどり着く。最初に 失業していたのはもう11年前になるのか。そのころあれやこれやでここらへんをよく通っていた。通りの印象はその時とあまり変わらない。さらに くねくねと道を辿る。持ってきたのは広域の地図とiPhone。広域地図だけでは自分がどこにいるのか、どこで曲がるのかわからないので、iPhoneの 地図機能がうれしい。もちろん止まっているときしか使えないが。
そのうちようやく大野というところにたどり着いた。さて、ここからが問 題だ。もはや広域地図は役に立たない。時々停車し、iPhoneの地図を確かめる。目指すのは県道266号なのだが、それはどこだ。運動公園のほうだ、と 書いてあるのでそのまま進んでいったら確かに運動公園にはついた。しかしそこで行き止まりである。もどらなくちゃ。
途中から雨が降り出し た。今回は心の準備をちゃんとしていなかったので傘を持ってきていない。しかしここまでですでに2時間以上経過している。雨がなんだというのだ。かといっ てむやみに前進すればよいわけではない。266号に乗るにはどうすればよいのか。ここに違いない、と思った道を進む。細いので不安になるが、結果は大正解 だった。
あるサイトで、この看板がある場所を左に行けばいい、ということは知っていたのである。しかしこの
”関係者以外の立ち入りを禁止します”
という看板はどのように受けとればいいのか。文字通り受けとれば左には関係者以外行くな、とも読めるのだが気にしないことにする。
さ て、そこから”大谷スカイライン”を進むわけだが、道幅が異様に狭い。対向車が来たらどうする。心配になるが幸か不幸か他の車の気配が全くない。 春には桜並木が綺麗だというが、12月になると誰も使わないようだ。道には落ち葉が降り積もっており、冗談抜きに雨+落ち葉が滑るのではないかと心 配になる。
道の両脇に生えている木にも折れたものが散見される。ここまできて倒木で道が塞がれていたなんてのはいやですよ。仮に脱輪とかし ても誰も助けにきてくれなさそうだなあ。という心配と”対向車がきたらどうする”とカーブミラーを凝視するのは矛盾した行為と思うが、人間というのは矛盾 した存在なのである。
などと考えているうち、道の左側になにやら建物が、正確にいえば建物の跡のようなものが見えてくる。倉庫のようだが、半ば崩壊している。
ようやく人の痕跡らしきものが見えたかと思いながら急なカーブを曲がる。するとそれは突然でてくる。
足元に二体、というか二つの赤く塗られた像をひきつれた聖徳太子像である。
像の近くに駐車場と思しきスペースがあるので、そこに車を停める。書かれた四角い先からははみ出しているから仮に誰かがきたら文句をいわれるかもしれぬ。全く人気のない場所でそんなことを心配するのは馬鹿げているが、人間というものは(以下同文)
さて、ここまできたら雨がどうのこうのと言っていられない。ドアを開けて外に出る。
こうやって雨がふらない室内で静止画を見ると、なかなか立派な面構をされていることに気がつく。しかしその時私は空から降ってくる雨にたたかれ、よれよれの状態で有る。しかしせっかくここまで来たのだ。とにかくシャッターを押しまくる。
私がなぜこの場所を知ったかといえば、例によって珍寺大道道場の記述に よるのだが、小嶋氏が訪問したときからいくつか変化があったようだ。像の周りには黄色いロープが張られ、”危険ですのでロープ内立ち入り禁止”との立て札 がある。これに気がついたのは、帰って写真を整理してからのことである。だって文字読みにくいんだもん。雨に打たれながら読むのは無理です。聖徳太子の足 元には小型の像が存在している。
こうやってみると、実に精巧に作られていることがわかる。実際の像はとても小さい。最初はあることに気がつかなかったほどだ。
珍寺大道場の取材がなされたころ、このミニチュア像はひとつにつながっていた(その時から顔はなかったようだが)つまり誰かが二つに像を折り、上半身をここに置いたのである。
土台になっている部分にもおそらく以前は何かがはめ込まれていたのだろうが、いまあるのは四角い窪みだけである。
雨は厳しく降り続き、ゆっくり感慨にふけることもできない。雨宿りもかねて隣にある建物に向かう。
寺とも普通の民家ともつかない建物であるが、ここには確かに人の手が入っていると思う。このぴかぴか光る芝刈り機がなによりの証拠。
玄関には、雨がふったことを考慮してか、毛布がしかれている。しかしこれが電気毛布らしい、というのがどこか不安をさそう。
右上の角に見えるのは、ケーブルをつないだり、温度調節をしたりする口だと思うのだが。
近くにはのぼりが何本か立っている。今こうしてみれば”野区自治会”と書いている、ということはここはなんらかの自治会が公認した場所ということであろうか。
しかし観世音菩薩と書かれても、まさか聖徳太子がそれだというわけでもあるまいし、肝心の像に”危ないからはいるな”と書いていたのもの野区自治会だし。謎は深まるばかりでございます。
な どと考えていられるのは私がいま暖かく雨が吹きこまない部屋で書いているからだ。その時の私は降りしきる雨に、いつかデジカメが故障するのではないかとい う恐怖に怯え、体温の低下を感じながらよれよれと動き回っていたにすぎない。天候がよければ、道の反対側にある展望台のような場所からの景色を楽しむこと もできただろうが、もう限界だ。車にとって戻りエンジンを掛ける。
急なヘアピンカーブをまわると、3体の像を斜め後ろから眺めることができる。
それと同時に、あの建物にいくつも窓があることにも気がつく。この建物はいったいなんなのだろう。外観から想像されるより、多くの部屋が存在しているようだが。
い や、今は前を向かなくてはならない。家までまた2時間のドライブだ。名古屋を南北に縦断する41号線という国道がある。ちょっと前まで(10年以上だが) 通勤につかっていたのだが、ひさしぶりに通るとすっかり様子が変わっている。頭上を高速道路が通り、道の両脇にある建物もすっかり様子が変わってしまっ た。同じ道路を通っているのか自信がなくなるほどだ。
追記:この文章をまとめていて知ったのだが、山道でやたら木が倒れているなあと思っていたが、どうやら手彫りの像だったらしい。ううむ。そうと知っていれば写真をとりまくったものを。。