五 郎の 入り口に戻る
私は湯河原という場所で呆然と空を見上げている。なぜここにいるか聞かないでほしい。とにかく来てしまったのだ。
しかしこの事態を予測していなかったわけではない。「珍スポット、湯河原」で検索をかける。最近単にトラフィックを集めるためとおぼし き空ページが多くて困る。何度かそうしたページを眺めた後、「首大仏」なる記述につきあたる。なんと、以前から何度か「行こうかな、でも これだけの為にいくのは」とためらった場所が近くにあるではないか。これは何かが私に
「行きなさい」
と命じているに違いない。そう勝手に決めるつけるとてくてく歩き出す。
おおよその道はチェックしてある。山間の温泉街ということで、太い道は一本しかなく、まず迷いようが無い。てくてくてくしているうちに 目的とするバス停が見えてきた。「泉入口」というところを右に曲がれば良い筈だ。
しばらく行くと川がある。橋を渡ったところにこんな看板がある。
やれうれしや。この道で正しいようだ。後ろをふり返るとこんなものが見える。
どうやらつぶれた何からしい。後でよる事にし、今は大仏を目指す。趣のある石垣に茅葺き屋根があるから、そこかと思えば「そば屋」ら しい。でもまあさっきの看板があったから間違いはあるまい。しばらく進むとこんなものが見える。
やれうれしや、というわけでてくてく坂を上る。すると目に入るのは(私にとって)珍しい立派な茅葺き屋根の本堂だ。
本堂だけでなく、多くの建物が茅葺き屋根である。さて、本堂に感動している場合ではない。この写真のなかで目的の大仏はどこにいるで しょう。
私も少し迷ったが、すぐ見つけることができた。近づいて写真を撮る。
首だけの大仏である。近くにこの大仏の説明がある。なんでも尾張の殿様がぷらぷらしていた。とはいえ、当時だから平民は控え、控えーな のだろう。しかしその声にもかかわらず行水を続けている老婆がいる。耳が遠いのだ。これはまずい、と誰もが思ったその瞬間タライごとどこ かに運んで行った娘がいたのだそうな。
能天気な殿様は「苦しゅう無い。近うよれ」とその娘を側におく。するとあら不思議、子供ができてしまいました。しかしその「娘」は
「下賎の身でありながら、お世継ぎを股から産む等できません。」
と腹をかっさばいて子を産み、そして息絶えたのだそうな。産まれた子供はすくすく育ち2代目殿様になった。そして自分の母親の話を聞 き、この大仏を作ったと。
なるほど、、と思うとともに
「真実はそんな美しい話ではなかったのだろうな」
とも思う。お腹の中の子供を傷つけず切腹などそう簡単にできるわけがない。そもそもお世継ぎより偉い殿様の大事な部分はどこから入った というのか。お世継ぎ(になるかもしれない子供)が無事産まれました。しかし妾が世継ぎの母として権 力を持つ事を恐れた何者かが
「腹を切れ」
と強要したか。そう言ったのは殿様かあるいは家老が黙ってやったことか。2代目はそうした事情を知っていたのか。そんなことをしばらく 考え続ける。もちろん私の妄想だが多分何割かはあたっているのではなかろうか。
最初この首大仏の写真を見たときは「どこか滑稽な顔立ちだなあ」と思った。今こうして実物を前にし、背後にあったであろう物語に思いを 馳せていると、この顔がとても人間的に見えてくる。それはどこか優しそうであり、寂しそうでもある。
ふと耳の中を観ると、草が生えていることに気がつく。遠い昔命を落とした女性と命をつないでいく草。
この大仏はもともと名古屋城内にあったそうだが、「故あって」ここに来たそうだ。「故」とはなんだったのか。そして胴体は名古屋城のどこかに埋まったままだとか。どこにあるのだろう。
そんなことを考えながらその場を後にする。橋を渡ると先ほど目に入ったつぶれた何かに向かう。
多分水商売の何かだったのだろう。やたらと衛星放送受信用のアンテナがあるが、どうしてこんなにたくさん必要だったのか。
ふと気がつくと「西村京太郎記念館 200m」という看板が目に入る。湯河原について調べているうち、そうした記念館があることは知っていたのだが、そんな近くにあるとは知らなかった。 200mならちょっと行ってみるか。
追記:2015/10
この首大仏について、こんな記述がある。
お詫びと訂正
本書35ページに記載してあります「伊豆湯河原・福泉寺の首の大仏」につきましては、そのあと取材したところ、どうやら寺の住職が中国製の首だけの大仏を骨董商からだまされて購入し、寺の境内に据えたもののようです。
したがって、光友公の命で作られ、戦前まで名古屋城内にあったというくだりは、骨董商の巧みな作り話であったようです。中国内には、骨董類の贋物をつくる大工場があるとのことで、ここから仕入れた骨董商があまりの大きさにもてあまし、光友公の孝養話のひとつとして売り込んだと推測されます。
以上、謹んで訂正いたします。
藤澤茂弘
私はどちらの説が正しいか判断する立場にはない。しかし「中国製の紛い物」と言われれば確かにそうも見えてくる。