五郎の 入り口に戻る
というわけで正月。思いもかけず二日自由な時間が持てることになった。さてどこに行きましょう。箱根駅伝を横目でみながらあれこれ調査をする。すると愛知県に興味深い場所があることを知る。さらに調べてみれば、なんと実家から地下鉄一本でいけるところではないか。これはすばらしい、というか何故こんな近くにあるところに気がつかない。己の不明を恥じよ、と某漫画の台詞を自分に投げつける。
というわけで、家をで、てくてく歩き地下鉄に乗る。普段とは反対方向の電車にのるとしばしのんびりである。路線図を確認すると終点から二つ手前の駅とのこと。ひたすら乗って行けばいいのだが、あまりに気を緩めて乗り過ごしても困る。ちらちら駅名をみているうち目的の駅に到着する。
地上にでてみると、結構店舗とかがある場所だ。ネットでみた情報では、結構広いお寺のようだったのだが、こんなところにそんな広大な寺が存在できるものだろうか。とにかくGoogle Mapのお告げに従って歩き出す。しばらく広い道にそって歩いていたが、やがて少し山のほうに進路をとれとお告げがある。
最初に気がつくのはこの駐車場である。あれこれ読むとどうやら葬儀会館があるらしい。行く所はお墓ではなく、寺のはずだが、まあ両者が近くにあってもおかしくあるまい。この先の道は思ったより長く続いており、足下に目をやれば舗装とはいいながら手作り感あふれるものであることがわかる。
多分この道で正しいのだろう、と歩き続ける。すると目に入ってきたのがこれである。
ここが霊園というかお墓がはいっている建物。円周状にお墓が並んでおり、かつ宗派をとわないとのことでバラエティに富んだ名前が並んでいる。とはいってもこの建物の中にさらにお墓を増築する余裕はなさそうだが、まだ分譲していていいのだろうか。
そこをすぎると次に目にはいるのはこの塔である。
一見して日本であまりみない形であることがわかる。手前にある看板をみるとベトナムで制作したものとのこと。姿は見えないが、塔の上のほうから、日本語ではないどこかの言葉の会話が聞こえる。塔はあとでゆっくりみることにして本殿に目を向ける。
チベットによくある小さな布のようなものがはためいている、といくつかのサイトにでていたのだが、そうしたものは存在しない。しかし周りをみれば一部にそれが残っていることがわかる。
本殿の軒先にも何かがぶら下がっていることがわかるが、これがどのようなものかは私にはわからない。
傍らには看板があり、いろいろな張り紙がある。それを観ながらさて裏に何があるのだろうか、というところで声をかけられた。話を聞けばスリランカ出身の男性との事。案内してくれるというのでお言葉に甘えることにする。ここはいろいろな目的に使うスペースとの事。
その先にはこんなものがある。
さっきみた張り紙の内容を信じれば、ここには太陽光発電パネルが設置されているはず。下の円筒状のものが何かはわからない。。その先にはこんな建物がある。
ここは現在ボランティアの手によって建設中。土をこね、藁を混ぜ、日本古来の製法で作っているとのこと。できあがれば所得の少ない人達に住んでもらうとか。
その先は、広大な空き地になっている。端のほうにバスケットのゴールが一つだけあるが、正直地下鉄駅のすぐ側にこんな広大な空き地があるとは思いもしなかった。説明によるとその先にあるこの建物が和尚さんの住居なのだそうな。
ネパールで10年修行し、ネパール語がペラペラとのことだが、どんな人なのだろうか。そしてこの「宿坊」ができたらどんな人達がここにすみ、どんなコミュニティができるのだろうか。
ここで再び塔の前に戻る。
階段があり、かつスロープがある。しかしスロープの片方にはロープがはられ、かつ工事中のコーンがおいてある。登ってみますか?と言われるのでスロープ登れますかと聞くと問題ない、と答えが返ってくる。
一番上まで昇るが、そこから鐘のところには通路が通じていない。つまりこれは純粋なスロープであり、鐘を見物する為の物であった。この鐘は朝の6時と午後6時に鳴らされるとの事。
礼をいってその場を後にする。案内してくれたスリランカ人も用事があるとかで地下鉄までいっしょに歩く。相生山駅からきたのだが、そちらより別の駅が近いと言われた。確かにそのとおりだった。通行量の多い道にそって歩きながら、こんな便利な場所になぜあんな広大な土地があるのか、ここはこれからどうなっていくのか、とかあれこれ考える。