題名:35歳

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日付:1999/5/25

トシちゃん25歳 釈迦 曹操 チャーチル ヒトラー 芥川龍之介 イーゴリ・A・ブリタノフ


芥川龍之介:自殺したのが35歳の時(世界の名言ー「臨終の言葉」;参考文献参照

彼は35歳の時に「何か僕の将来に対する唯ぼんやりとした不安」のために自殺した。ヴェロナールという睡眠薬を飲んだのである。

私は彼の作品の多くを読んだわけではない。少年・少女文学全集に載っていた鼻、蜘蛛の糸などを読んだのは私が小さかった頃だ。その後高校の時に河童、或阿呆の一生、それに歯車等を読んだ。これらはいずれも死からそう遠くない時期に書かれたものと思う。

その中でも特に「歯車」は高校生の私にとってとても衝撃的な作品だった。この作品に書かれている通りの光景が彼に見えたとすれば、「将来に対する唯ぼんやりとした不安」のために自殺しても無理はない。私には精神病の用語はわからないが、被害妄想、神経衰弱、脳疲労、そうしたものに悩まされている作者の姿は当時の私にとってなんとなく自分の身にも重なって思えたものである。

この作品が傑作として世に読み次がれていることを思えば、おそらくこの作者の体験を人ごとと思えない人間は私が思うよりも多いのかもしれない。感受性が強く、神経がむきだしになっているような少年時代は誰もが多かれ少なかれこうした感情を経験するものだろうか。

さてそれから年月はたって、現在の私である。筆記式の健康診断をやれば「心身症、神経症、抑鬱症」と診断される身の上だ。しかし高校時代に経験したような不安定な精神状態を再び感じることはない。よくもわるくも神経が鈍ってしまったのだろう。疲れたり「俺はカスだ」"I'm nothing"と思えば、基本的には布団をかぶってねる。体力も衰えたから、しばらく不眠症に悩まされてもいつかは眠れる。自分の自殺の仕方をあれこれ考えるような思考能力が残っている気もしない。視界に歯車が浮かんだとしても、それを回すだけの力も残っていない。頭の中がぼんやりとかすんだようになっている。これが凡人というものか。まあ死後に自分の名前のついた文学賞ができても本人は死んでしまっているのだからなんとかなるわけでもない。Life is not so bad so far. Ya, I could say so.

 

イーゴリ・A・ブリタノフ:(ソ連ミサイル潜水艦艦長。36歳の時指揮していた潜水艦K-219が米国沖で事故のため沈没:参考文献「敵対水域」)

時々軍隊の指揮官が、会社生活の常識から考えると若くして非常に大勢の指揮を任されると言うことに驚かされる事がある。

指揮官は部下の文字通り生命を握っていることになる。そのなかでも潜水艦の艦長の責任は限りなく重い。潜水艦の艦長というのはおそらく軍隊の指揮官のなかでも最高に独自の判断と指揮を必要とされるポジションではなかろうか。一度潜行すれば、通信の授受すら困難になる。上位にどのような指揮構造があろうが、あれやこれやと細かく指揮することはやろうと思っても出来ない。

独自に正しく決断し、行動する。そしてその責任を忘れない。そうしたことができる人間だけがこの職責に堪えられるのかもしれない。潜水艦の乗組員でない軍人からの以下に示す感想はそうした人たちに向けられたもの、と考えれば理解できるのではないか。

「潜水艦乗りは、何もかも自分たちで仕切ろうとするんです。彼らは何でも知っているし、何でも楽々とやってのける人たちですから。その仲間でない人間には立ち入る余地など全然ありません。まったくのカヤの外なんです」-アメリカ海軍 ゲイル・ロビンソン少佐

 

振り返って36歳の大企業での会社員を考えてみよう。ほとんどの場合120名の人命の責任を持たされることもない。独自の判断、行動が求められることもほとんどない。逆にそんなことをすればたちまち「あいつはわがままな奴だ」として「カヤの外」に追いやられることであろう。私が36の時は、心ならずもお役所企業の派遣社員として働いていた。部下は形の上では3人。しかも私の上にいる人間が彼らを自由に使っていたからまあ私の仕事としてはコピーをとったり、人が書いた資料を読んだり、とそんなところだった。

たいていの企業では人の上にたつための最低限の年齢が決まっている。(それが明示されていなくても)それがどういう意味を持つかといえば、文化だから別に意味などないのだと思う。優秀な人間で適当な訓練と経験を経れば36歳で潜水艦の艦長を務めることができる。しかし仮に同じ人間が会社つとめをしていれば(転職するときの面接相手が、現実を把握できない人間であり、あなたがそのことに気がつかなかったとすれば)コピーをとるくらいしか仕事はないかもしれない。しかしその場合にあなたが改善を要望したとしても「君はまだ若すぎる」とか「経験が足りない」と言われるだろう。長年の観察の結果、こういう言葉を吐いている人は自分が口にしている言葉の意味を理解していない、という結論に達した。彼らはただ彼らの文化に沿って反射的に反応をしているだけだと。しかしそれが文化であれば文句を言ってもしょうがない。身の置き場所というのは慎重に選ばなくてはならないということか。

 

さて、この艦長も潜水艦の中に居る間は自分の文化にそって行動ができるが、一旦潜水艦に火災が発生し、沈没の危機に瀕すると彼の上位にある組織の「文化」とのギャップに直面することとなる。彼の上位にあるのはお役所-しかもその国の成り立ちが最初から現実を無視したスローガンによっている国のお役所なのだ。潜水艦司令部は以下の結論に達する。

「ブリタノフは乗組員の安全に配慮しすぎていて、艦の救済への配慮がたりなかった。指揮官たる者は、戦いに勝利するために時として人命を犠牲にせねばならないものなのだ。ソヴィエト国民はブリタノフの指揮官としての能力に信を置いてきた。我が国最高の科学者、設計者があの潜水艦とミサイルを作れるように、血の汗を注いできた。それでブリタノフは何をした。沈みかけた潜水艦をワインのコルクのように海にぽんと浮かべただけではないか」

「K-219の生存者はただちに潜水艦に戻れ。本日午後投下されたOBAユニットを使用の上、艦を救助し、任務に復帰させるべく全力を傾注せよ」

OBAとは酸素供給ユニットのことである。艦内は化学反応により生じた毒物と放射能で恐ろしい状況だ。そのなかで活動するには(放射能の障害を無視したとしても)酸素供給ユニットが必要である。追加のユニットは空中より投下されていたが、それらには何ら保護がされていなかったため、着水の衝撃ですべて壊れていた。(そして命令を下した方はそれを知っていた)

つまりお役所は彼らの文化に従い、乗組員に救助されるのではなく、沈没しかかっている潜水艦とともに沈め、と命令したのである。彼らの(当時の)文化では、それが「正しい、勇気ある」行動なのだ。あるいは実利的な意味では、彼らは「彼らにとって打てる手はすべて打った」といいわけをする必要があった。そのためであれば結局潜水艦が沈没するにせよ、それとともに乗組員がすべて死亡してくれたほうがありがたいのである。

この命令が実際に通達される時には次の命令が付属していた。

「万一、K-219乗組員を戻すことにブリタノフ艦長が反論・抵抗したり、あるいはその作業を故意に遅らせようとしたときには、ブリタノフの指揮権を剥奪する権限をプシェニーニチ保安士官に与えるものとする」

 

この命令が伝えられたとき、乗組員はまずその内容が理解できなかった。たった一人艦に残った艦長とこの命令を巡るやりとりをしている間にモスクワの高級将官が直接艦長に命令を下そうとした。そのとき潜水艦は沈没した。この本には艦長が直接手を下したとは明示的には書いていない。しかし艦長は(私が妙な本の読み方をしているのではない限り)明らかに艦を自沈させて、乗組員の命を救ったのだ。艦が沈んでしまえばいかにモスクワの命令であっても乗組員に戻らせることはできない。

彼らがソ連に戻った後、艦長ともう一人は党員証を剥奪され、モスクワに向かうように命令された。その前夜艦長はあえて乗組員達に挨拶をしなかった。彼がそれを少し悔やみながら車に向かう。

そのとき乗組員が全員(生き残ってかつ動ける者だが)が整列し「ウーラー、ブリタノフ!」と何度も叫び声をあげた。艦長は車の中でこう考える。

「ブリタノフの上司が彼を艦長として不適格と断じても、乗組員は認めてくれた。そのことを彼は何より名誉に思った。やはり自分は正しいことをしたのだとブリタノフは思った。自分は部下達の忠誠に応えた。それだけで十分なのだ」

 

この後艦長ともう一人の処罰指令書は国防相のサインを待つばかりになっていたが、ここで思わぬ事件が発生する。ドイツの青年が操縦するセスナが赤の広場に着陸したのだ。国防相は更迭され、後任の国防相は、こう考えた。

「この男は少なくとも世界の目から見れば一種の英雄ではないか。それにゴルバチョフの信奉する「新思考」をまさに体現している人物と見ることができる。」

彼は現実を見るのではなく、その所属する体制の「文化」に沿って考えるという点では前任者と変わるところはなかった。しかしゴルバチョフの新しい政策により、この時には役所の「文化」に変化が生じていたのである。結局艦長ともう一人は無罪放免となる。新しい文化によれば、それこそがとるべき道だったわけだ。彼は党員証剥奪を取り消すことはできなかったが、いずれにせよ党員証の価値などはその後まもなく無に帰してしまうことになる。それからしばらく艦長は沈黙を守っていたが、10年後に乗組員と再会することになる。そのとき乗組員の間から再び「ウーラー、ブリタノフ!」の声がわき上がる。

 

組織というのは、必ず或程度非人間的であり(そうでなければ組織として成立しないからだ)、また必ず現実と程度の差こそあれ遊離した文化を持っている。この文化と現実の遊離があるポイント(これを定量的に示すことなどできそうにないが)を越えて、なおかつ組織が安定したもの-硬直化したもの、とも言えるが-であればその組織は崩壊する。

しかしその組織が存在している間は、その文化と同じ文化を持っているか、その文化を受け入れることができるか、あるいは少なくとも反抗的と取られない程度に無視できる人間がその組織にとって受け入れられる。たまたま個人が持っている文化がその組織とあえば、妙に組織に受けてしまうかもしれない。あるいは合わなければ、必要以上に冷淡にされるかもしれない。

しかしながらその組織とはあくまでも人間によって構成されている。そして人の感情というものは、組織が掲げる文化(あるいはスローガン)ほどに現実と乖離することはそうそうない。ソ連-組織-は彼を組織の文化に反した、という理由で処刑しようとしたが、乗組員は彼を「ウーラー」の声で迎えたのだ。組織は現実から目をそらし自分達の妄想の中で生きることができるが、その構成員は常に現実と向かい合わなくてはならないからだろうか。

かといってその組織を構成する人間がいつも現実的な判断を示すとは限らない。逆にとんでもなく軽薄で非現実的な判断をくだすことだってあり得るのだ。マキアヴェッリも言っている

「まったく、歴史上の彼らの行動を見れば、民衆が誰かを死刑にしたのに、同じ民衆がその直後に後悔して涙を流す、という場面に終始出会う」

 

私は常に現実からのフィードバックを受け入れる事ができる人間でありたいと願っている。仮にそれが好ましくないものであっても、フィードバックを受け入れることは現実から乖離することを防ぐ唯一の方法だと思っているからだ。そしてその結果として現実に直面している組織の構成員から喝采を浴び、逆に現実から乖離した組織から冷淡に扱われようと(後者はいつものことだが。)あるいは逆の状況に直面しようとも、私としてはその信条を変えるつもりはない。

組織と個人の文化が合えばそれは両者にとってハッピーだ。しかしながらそうでないことも多々ある。組織の文化というものは簡単に変わったりしない(だからこそ経営者はあれだけ声高に「企業文化の変革」を口にするのだ)かと思うとソ連のように思いもしない形でころっとかわったりもする。たいていの場合私は現実を直視しすぎ、組織の文化に対して受けが悪いが、何かの風向きで組織の文化のほうがころっと変わるかもしれない。

その結果として組織の私に対する受けがよくなることがあるかもしれない。相手が誰であれ、ほめられればうれしいし、けなされればうれしくない、というのも私の信条だ。そうなればたぶん私はご機嫌になるだおう。逆の場合は私は不機嫌になるだろう。

しかし、それは自分が偉くなったせいでも成長したせいでもなく、あるいは一夜にして能なしになったわけでもない。たまたま東風が西風に変わったためだ。また東風が吹き始めれば元の能なしと呼ばれるだけだ、ということを忘れないでいられる人間でありたい、と思っている。何が周りで吹いている風なのか、何が自分が持っている物なのか勘違いや間違いをしつつもいつも知ろうとする人間でありたいと。

 

 

 


注釈

歯車:(参考文献参照)まだ私には歯車は見えないが。本文に戻る 

文化であれば文句を言ってもしょうがない:(トピック一覧)相手に異文化を尊重する気がないときはなおさらである。本文に戻る

乖離することはそうそうない:逆にそうした乖離が起こってしまう時はたいていの場合恐ろしいことが起こる。第2次大戦の時のドイツや日本を考えてみよう。しかしそうした場合であっても現実に引き戻されるのは常に構成する人間が組織よりも先である。本文に戻る

 

マキアヴェッリも言っている:「マキアヴェッリ語録」(参考文献)より。第2部国家篇第34の一部。本文に戻る

 

相手が誰であれ、ほめられればうれしいし、けなされればうれしくない:(トピック一覧)仮にどんなに相手を嫌っている場合でもである。本文に戻る