題名:映画評

五郎の入り口に戻る

日付:1998/3/8

修正:1999/5/15

1800円

1080円

950円

560円

-1800円

題名一覧


1080円

Matrix マトリックス(1999/10/8)

米国の上質なエンタティメント映画を観た気がする。

いろいろな要素がこの映画にはつまっている。カンフーアクション、コンピュータに管理される社会。それに反抗する人間。予言者に、救世主。ときどき米国の映画などでみかける、どこか東洋じみた(これは彼らが思う東洋だが)セリフ。たとえばスプーン曲げをしている少年がこう告げる。「スプーンを曲げようと思っても曲がらない。スプーンはないんだ。曲がっているのは君自身だ」それにLots of lots of Computer Graphics.

ちょっと考えると途中で破綻を来すか、安易な結論に落ち込んでしまう気がする。一番最後のところでちょっとその危うさが顔をのぞかせるが、最後まで緊張感をきらさずに見ることができた。この腕前は見事なものだ。主演の3人は最後まで徹底的にかっこよく演じてくれる。

この映画の値段を1800円にしようかとも思ったが、制作がアナウンスされている続編を見て決めることにした。ここまで豊富な内容を破綻なしに一本の映画にした腕でもって、難しい「2匹目のドジョウ」も見事に作ってくれたらそのときは、その作品を1800円のカテゴリーにいれることにしよう。いまから次作が楽しみだ。名前だけでてきて画面には登場しないZionが描かれるのか。

あるいはこんなことを考えたりもする。次作で仮に人間対コンピューターの戦いがあるとしよう。その場合、果たして人々は真実を知らされて、「本物」の世界ではあるが、恐ろしい状況のReal Worldに目覚めようとするだろうか?それともこの映画にでてきた男のように心地よい幻想の世界に生きようとするだろうか?

この一年のことだが、コンピュータの力を借りるまでもなく、自分が描いた幻想を現実として生きていける人間がたくさん居ることを知った。いや、おそらくそれは私がこの1年に出会った人だけではあるまい。自由と厳しさがある現実に直面することを避け、籠の中の自由と偽りの幻想の中に生きようとする人間はとても多いのかもしれない。

 

最後に内容には関係ない話を少し。

私は米国にいる知り合いから普通のTV番組を録画して送ってもらっている。その中のCMで知った。

"Unfortunately no one can be told what the MATRIX is. You have to see it for yourself."

という決めの文句が、うめぬめと飛んでくる銃弾をよけるキアヌ・リーブスが写ったあとの黒い画面に流れる。それは大変印象的で「絶対この映画をみるぞ」と思った。

さてそれから月日は流れ、日本でもこの映画は公開前から評判となっていた。しかしながら、日本語に訳すときに誰かが「マトリックス」と訳したのである。米語の発音は「メイトリックス」だ。この発音にこだわるのにはわけがある。ちょっとした思い出があるからだ。

Stanfordでコンピューターのヘルプデスクに座っていたときのこと。(何を説明しようとしていたか覚えていないが)私は何度「マトリックス」と言っても通じずに、困り果てていた。そして相手が最後に、"Oh, Matrix"(メイトリックス)と言ったのだ。私は「うむ。米語ではそう発音するのか」とうなった。

かように私にはこの題名の発音に思い入れがある。そうは言っても入場券を買うとき、相手の事を思えば「マトリックス」(トにアクセント)と発音すべきだ。しかし、私の思い入れをそんなに簡単に捨てていいものだろうか?列に並んでいる間もんもんと迷っていたが最終的に口から出てきた発音は「メイトリックス」(エイにアクセント)だった。相手はそんなことを気にもとめず下を向いたまま「1800円です」と言ってチケットをくれたが。

 

Major League 3 (1998/6/26)

実は私は1も2も観たことがない。この作品については、石橋貴明がでているということくらいしか知らずにほとんど期待せずに見に行った。

こういう映画ならばとにかく各下が勝つに決まっている。しかしそんなことを除いてとても楽しんで観られれた。

今回の舞台はマイナーリーグである。そしてそのマイナーリーグの地元の球団を、これまたのんびり応援している観客が気に入ったのかもしれない。あるいは、そうしたちょっとプレーのレベルは落ちるかもしれないが、それでも懸命にがんばる選手の姿(もちろんコメディになってはいるが)が気に入ったのかもしれない。

最後のテロップと共に音楽が流れる。そしてその歌詞はいう。

「うちの地元には野球の球団がある。マイナーだけど、一応3Aだぜ」

2AのBUZZがMajorのTwinsに挑戦するのが公表される。そのあと2Aの監督がレストランに入っていく。

誰もが彼に声援を送る。ウェイターは「レストラン一同、BuZZの勝利を祈ってます」といい、監督が退場するときには拍手さえ起こるのだ。これは日本の判官贔屓とはちょっと違う、"Challenge spirit"をたたえる伝統なのかもしれない。あるいは単にTwinsのあまりのふがいなさにフラストレーションがたまっている人達を表しているのかもしれない。

2Aの専属アナウンサーも見事だ。これは何も映画で脚本が用意されているから、というわけではない。実際のラジオの解説でもあれほど見事なよどみのないユーモアを含んだ解説を聞くことができる。ときどき日米の解説の質の差を考えるとき「日本語は解説に向いていないのではないか」と考えてしまうことがある。

この映画で石橋はなんとなくSpecial Guestの感が強い。ギャグはあまりおもしろくないし、英語はとても不思議な英語をしゃべっている。いわゆるJapanese Englishとは違う、もし彼が何物か知らなかったら、Chinese Englishと思うような英語である。

なんだかハッピーな気分になって映画館を出ることができた。1800円はつけがたいが、1080円の価値は十分にあると思う。

 

Blues Brothers 2000(1998/6/4)

ただしこの映画を1080円のカテゴリーにいれるのは、いくつか条件付きである。まず

1)前作(Blues Brothers) を見たことがあり、かつ気に入っていること

2)音楽(別にR&Bに限らないが)が好きなこと

これがなければ多分この映画の価値は560円だろう。

ご存じBlues Brothersの18年後の続編。前作が作成されてからおそらく3人が帰らぬ人となった。

前作を見ている人にとっては、笑えるしかけが満載である。また音楽は今回のほうが遙かにすばらしい気がする。最後のコンテストでものすごいメンバーの(多分そうだと思う。実はEric Claptonしかしらないのだが)セッションがあるが、これは本当にすばらしい。「何でも極めれば芸になる」というのは私の信条だが、その信条をまた一つ証明するように日頃あまりR&Bなど聞かない私にもその音楽のすばらしさは伝わってきた。また途中から改心する(あるいは洗脳されるとも言うが)刑事部長の歌もまたすばらしい。

ただし他のストーリー等はあまりおもしろくないかもしれない。前作に比べ特に後半平板だし、落ちもよくない。車もたくさん壊れるけど、これもどこかつけたし、という感じだ。またボーカルの人数が増えてしまった分だけ、一人一人の書き方はとても薄くなってしまった。

この映画を見ていて歌の点で学ぶところが多々あった。ただ前作を見ていない人にはすすめないと思う。

 

タイタニック:(1998/3/8)人との話題に活用できる点を買って1080円。本来なら950円($7.5)(参考文献のページへ

アメリカにいればこの映画はおそらく3ヶ月以上前に観ていたのかもしれない。日本に帰ってきてから全く映画を見る気がなくなってしまって、今日までずるずると観ないできた。

映画館はすごい混みようである。ほどなく映画が始まった。

以前に観た予告編でだいたいの構成はわかっている。また時を同じくしてアメリカでは「タイタニック沈没の謎」のようなTV番組が放映されていた。実際に沈没した船体を調べてどのように沈没していったかを解説するものである。映画の中で示されるCGなどによる解説はそのTV番組とほとんど同内容である。

さて見終わって。。。今まで世間で評判が高く、実際に観て「何だこれ」と思った映画の筆頭は「ゴースト」であった。この映画はそれに次ぐ物かもしれない。

アカデミーにかなりの数ノミネートされているようだ。しかし「脚本賞」にはノミネートすらされていない。これがすべてを物語っている。全編「愛」に満ちあふれているこの映画はさぞかし日本の女性にアピールすることだろう。またその制作費にも示されるとおり豪華なセットとCGは多くの人にアピールすることだろう。しかし私の目から見るとその愛の描き方は平板で、なぜこれが今時多くの女性の涙をしぼりとるのが理解が。。。できないこともない。いつの時代もわかりやすいラブストーリーには皆が共感する物なのだろうが。

映画の後半を観ながら思ったことであるが、ヒロインがおとなしくボートに乗っていれば、彼は助かるチャンスがもっと大きかったのではないだろうか。。あの板の上に乗って助けをまっていたのはヒロインではなく、彼だったかもしれないのである。

 

しかし彼女にとってはおとなしくボートに乗った場合よりも、ボートから飛び降りて、「彼の凍死」を乗り越えて助かったほうが、その後の人生に対して「彼に助けられた」という意味は大きかっただろう。だからめちゃくちゃな論理を使うと「彼女は彼の生命の犠牲上に、より大きな”助け”を得た」と言えるかもしれない。

彼がしたことは、彼女の中で消えかかっていた炎を守ってより大きく燃やしたことだ。彼が点火したわけではない。また燃料がないところに炎が燃えるわけもない。映画の中の彼女はとてもたくましい(精神的にも物理的にも)結局最後に(助けは得たものの)自力で勝つのは女性だったわけだ。(あたりまえか)

しかしおそらく多くの女性は、彼女は「彼の力を得て強くなった」と思うことだろう。そして自分にその燃料があるか、炎があるかにかかわらず、いつの日かだれかが自分に炎をともしてくれるだろう、と思い続けることだろう。

またいろいろなことを考えた。こういったワンショットの愛というのはまま経験することもある。しかし状況が変わってもう一度会ってみると幻滅することがほとんどだ。ディカプリオちゃんは死ぬことによって、彼女にとってより「大きな存在」になったのかもしれない。(最近話題になっているマラソンの有森もホモで食い逃げ常習犯の夫の正体が分かる前に、旦那が死んでいれば、彼女のなかで彼の姿はいつまでも「永遠の愛の象徴」だったかもしれない。)

ちなみに脚本と演技をのぞいたほかの部分はすばらしい。特に気に入ったのは音楽だ。(残念ながら服装だ、大道具だのには、もともと興味がない)全編に流れるスクリーンミュージックは雰囲気を高めるのにとても効果的だ。とはいってもいかに映画のなかで音楽が気に入っても、サントラだけ切り離して聞いてみるとがっかりするのがほとんである、、、と知りながらサントラを買ってしまった。それほどこの音楽はすばらしい(サントラにはやっぱり失望したのであるが)

 第70回アカデミー賞の受賞結果を追記しておく。この映画が14部門にノミネートされるとは、世の中おかしくなったかと思ったがそうでもないようだ。「11部門受賞」とスポーツ新聞の記事は踊るが、メジャーな賞は「作品賞」「監督賞」だけ。あとは映像効果、撮影、音楽に関するものだ。(しかしよくよく考えるとこういった分野での部門数は多すぎるのではないだろうか)Actor, Actress,Scenarioはいずれも受賞していない。それこそがこの映画に関する正当な評価というものだろう。興行収入の記録を塗り替え、かつSFでもコメディでもないのだから作品賞とそれを造った監督に賞が行くわけだ。

 

George of the Jungle:(1997/8/?)

ジャングルにすてられた孤児が動物に育てられ、そして文明社会との再会を果たす、、、というありきたりの題材をベースにしているが、なかなかどうして、映画はとてもおもしろい。

日本でこれがうけるかどうかわからない。しかし結構気に入ってしまった。たとえばこんなシーンがある。

目もくらむような渓谷の吊り橋を渡る一行、馬鹿な白人のおかげで、ガイドの一人が、悲鳴とともに落下していく。

そこにいきなりナレーション「大丈夫だよ。この映画では誰も死なないよ」

次のシーンで、さっきのガイドが絆創膏二つ張った顔ででてくる。

全編こういった類のギャグで満ちている。ちなみに主人公は結構たくましい2枚目半であるが、米国のラジオを聞いていたら、彼は中年女性に妙なもてかたをしたらしい。この映画を見た子供は子供らしく喜び、子供達のつきそいのつもりで観た母親は「彼はHotね」といって、にんまりする、という図柄が結構あったようだ。

何でも極めれば芸になる」といのは信条の一つであるが、ありふれたストーリーのベースと、あまり高尚でないギャグでも極めれば1080円分の価値を生み出すことができる、と感じ入った次第である。

 

 

アイコ一六歳(1983?) (参考文献へ

私が誰よりも愛する富田靖子のデビュー作である。確かオーディションで選ばれた彼女の写真は田舎もんまるだしの高校生だったように覚えているが。その後の彼女の活躍はご存じの通り。

この映画の舞台である名古屋は私の出身地でもある。従って「なるほど。あのへんを映画でとるとこう見えるのか」と感心してみていた覚えがある。

高校生の頃や、大学生の頃が良い時だったか、と言われれば未だにちょっと首を傾げる。確かに時間はあったが、あの時はあの時の悩みがあり、苦しみがあった。この映画を観ているときそんなことを思い出した。それでも離れて振り返ってみればそれなりに青く光っているように見えるのかも知れない、とも思えたのだが。

こんな感想を抱いたのは、この映画が良いことも悪いことも素直に描いていたからだと思う。「今時の高校生を描くんだー」と妙に力んだりせずに。サザンオールスターズの音楽もぴったりと合い、とてもご機嫌になって映画館をでた。

その後この映画の原作を読んだ。すると最後のセリフは同じだが、雰囲気が全く異なっていることに気が付いた。映画では富田靖子が笑顔で屋根の上でぴょんぴょんはねているのだが、原作の方では「天までとどけ」という言葉は主人公が悩みと怒りからふりしぼった言葉のように思える。原作者も「映画のアイコは完璧にかわいくなちゃった」と書いているのは本当かもしれない。もしこの映画を観ることがあれば、原作も合わせて読まれることをおすすめします。

1800円-Part2へ


注釈

ヘルプデスクに座っていた:何故こんなことをしたかについては「私のMacintosh-Quadra700-Part2」参照のこと。本文に戻る

のんびり応援している観客:時あたかもWorld cupたけなわであり、狂気のように応援しているサポーターの姿-別に日本に限らないが-がいたるところで映し出されていた。どちらがいいというわけではない。しかしこうした応援風景を見ていると、米国のスポーツ観戦のスタイルはどこか根本的に違うのではないかと思う。どこか「余裕」が感じられるのであろうか。私は米国のスポーツ観戦の仕方が性にあっているようである。本文に戻る

 

タイタニック:名古屋弁でこの題名を「てゃーたにっく」と発音する、というのは私が開発した真っ赤な嘘である。本文に戻る

 

マラソンの有森も:アトランタオリンピック、女子マラソンの銅メダリスト。ちょっと暑苦しいが整った容姿と、「初めて自分をほめたいと思います」というゴール後の名セリフによって、その後の人生を切り開いたはずだったのだが。。。

語学留学と称して渡った米国でいきなり米国人男性と結婚したところからけちがつきはじめた。結婚して1年もたたないうちに旦那が元ホモで、しかも食い逃げ、家賃踏み倒しなどで訴訟をおこされている身分であることが発覚した。どうせ結婚詐欺にひっかかるならもっと大物にひっかかればいいものを、彼がふみたおした金額は数千円から最高50万円である。

夕刊ゲンダイというあまり感心しない新聞に載っていた情報があるいは一番的を得ているのかもしれない。「白人男性との国際結婚大好き女(トピック一覧)と、貧乏詐欺師のカップルは以外とお似合い」

結婚するときはあまり衝動的に決めない方が良い、という教訓を多くの人にこのエピソードは教えているような気がする。。しかしおそらくその教訓を必要とする人たちは、「他人の失敗から学ぶ」ということをあまりしない人達だろう。(「自分の失敗から学ぶ人」(トピック一覧参照)だって世の中には滅多にいない)

ただここで強調しておきたいのは私は「白人男性と国際結婚をする人」が「軽はずみだ」と言っているのではない。「軽はずみなところがある人」には「白人男性との国際結婚にむやみにあこがれる」傾向があるのではないか、と言っているのである。ベン図を書くとわかるが、この二つのセンテンスは全く意味が異なる。

しかしそれまでの「国民的ヒロイン」から「軽はずみな女」への世間への評価の転落はいかに早かったことか。彼女の本質がそんなに短期間に極端に変わったわけではあるまい。世間の評価など所詮この程度のことである。 本文に戻る

 

部門数は多すぎる:私が愛している"Naked Gun"シリーズの第3作、Naked Gun 331/3はアカデミー授賞式をふっとばそうとするテロリストと、警察との戦いを描いた映画である。

そのなかで、テロリストは各部門の受賞者を記載した紙がはいっている封筒に爆弾を隠すのである。レスリーニールセン演じる警部は、その爆弾を発見しようとして、膨大な量の封筒の山に驚く

「いつの間にこんなに部門が増えたんだ?」

「今年は75部門新設したそうよ」

たぶん部門が多すぎると思うのは私だけではないだろう。本文に戻る

 

何でも極めれば芸になる(トピック一覧):この信条にはその裏があって「何事も極めなくては芸にならない」とも言えるのである。世の中にはこの「極めない芸らしきもの」しかもっていない芸人がとてもたくさんいる。本文に戻る

 

離れて振り返ってみればそれなりに青く光っているように見える:荘子(参考文献一覧)の冒頭の言葉を意識している。「空の青い色は、本当の色なのだろうか、それとも遠くてわけへだてなく見えるから青く見えるのだろうか。鵬が高い空から地上を観るとき、やはり青く光っているに違いない」この部分が高校の教科書に載っていた。それから諸子百家の本をいろいろ読み出した気がする。本文に戻る