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願書作成

健康診断その1+願書提出

英語試験まで

英語の試験-開始まで

英語の試験と終わった後

Tuesday Afternoon

筑波へ

第一選抜-健康診断

第一次選抜-一般教養

第一次選抜-二日目

夏の日々

2次選抜について

日付:1998/7/8


第一次選抜-健康診断

その日私は敗北の予感と共に目覚めた。

英語試験を一緒に受けた仲間達から、書類選考結果判明の段階でいろいろとメールが回ってきていた。通過したのは私とNX号だけであるから、あとの3名は落ちしまったわけだ。彼らのメールの題名は「敗退」となっていた。

ベッドの上で目覚めると何故かその文字が目の前にちらつく。そして、

「どうせ初日の健康診断で何かひっかかる(多分視力だろうが)から、あとの一日半はむなしいだけだな」

などと朝から考えていた。

などと朝からうだうだ考えている場合ではない。とりあえずこの敗北感に根拠はないのである。それがどれほど確からしいものであろうとも。

今日は7月の4日だ。昨日一昨日は面接の連続だった。気象庁の意見によればまだ梅雨明けしていないのであるが、異常に暑い。昨日名古屋で某社の面接を終わった後ひとりでひたすら筑波に向かった。

その昔社内報に米国出張の様子を書いた時「ここ(出張に来ている米国Alabama州Hutsville)は筑波のようなところだ」と書いた。昨日はその記述が正しかったことを身をもって知ることになった。道は広く、建物の間隔は広く、そして通りを人が歩いていない。せいぜい自転車だ。その中を荷物をかかえてバス停からおよそ20分の道は酷暑の中、とてもつらかった。

同じホテルに泊まっているNX号と一緒に夕食を食べて-本来この夕食は「8時までにとること」という注釈がついているのだが、彼が食べたのは8時過ぎだった-安らかな眠りについてから、何も口にしていない。当日の朝は「朝食、水、お茶、タバコはご遠慮ください」ということだからだ。だから体はからからだ。妙ないやな予感だけに支配されてもとりあえずでかけなくてはならない。

NX号と一緒にホテルを出た。最初はバスで行くつもりだったが結局歩くことになった。ふときがつくと前に似たような年格好の男性が歩いている。きっとあの男の目的地は一緒に違いない、としゃべっているうちに目的地に着くことになった。

最初建物を観たときは、誰も来ていないか、と思ったが、内部には結構な人が集まっている。みんなラフな格好で-ときどきまじめにネクタイなどしめている人間もいるが-なんとなく所在なげにしている。そこかしこで交わされる会話に聞き耳をたててみると「いつ戻ったんですか?」とかいう会話も聞こえる。これは後で気が付いたことであるが、米国在住中であり、この試験のために(何か理由をこじつけて)帰国している人間の数は少なくないようである。私はNX号とあほな会話でもしてようか、と思ったがお互いに結構緊張気味である。周りの会話を交わしている人間もこれまた雰囲気が固く、とてもうちとけて「けけけっけ」といった雰囲気ではない。

さて8時になりうけつけがはじまった。どれどれと検便の結果を抱えてそそくさと受付をすませると2階に上がった。てれてれと進んでいくとロッカー部屋で着替えろという。あわただしく着替えを始めて、必要と思われるものをポケットに詰め込みだした。わざわざもってこいと書いてあった健康保健書(結局出番がなかったが)、眼鏡×2(通常使っているのと度の強いの)各種書類、等々。あれこればたばたやっているとどうも地に足がついていないというか、手つきがおぼつかないことに気が付いた。あまり本人は意識していなかったが結構緊張しているようだ。

さてまずは変な検査着に身を包んだ男が100人あまり座ってオリエンテーションである。説明が始まるまでの間ぼんやりと人間の山をみながら考えた。確率からいけば、この100人のうち合格するのは一人だけなのだ。倍率が100倍なのは書類選考の結果を見たときから知っていたことであり、別にここで驚くことではない。しかし具体的にこの山のような人間を観ているととうてい自分があたるなんてことがあり得ないことのような気がしてくる。

もう一つ、本日ここには1班と区分された人間がいるのだが、全て男性であることにも気が付いていた。女性はおよそ20名いるはずなのだが、すべて2班にまとめたようだ。もし1班と2班の日程が全く1日目、2日目逆にしてあるとすれば、どんな女性が応募しているのだろう、という私の好奇心は満たされないまま終わるのかもしれない。

などとたわけたことを考えている間に説明は淡々と進んでいった。その中でNASDAの人は「今回の検査はなるべく多くの人に受けてもらおうと思いまして。。。」と言った。合格率22%だが彼らから見れば甘く選抜した結果らしいのである。余談だが、これからの選抜を全て合格率20%程度にしていくと、最後には2名程度が残ることにはなるのである。

さて説明が終わり検査となった。まずは3階に上がるらしい。このとき「血圧の測定に影響があるといけないので、エレベータで移動してください」ということだった。なるほど精密な測定となるとずいぶん気を使う物だな、と感動したのは事実だ。しかし実際上この考慮は全く無意味だった。血圧の測定が行われたのはそれから1時間以上後であったから。

 

さてまず最初の項目は胸のX線撮影だ。これはなんてこともない。次には2階に降りて採血、採尿である。採血は試験管のようなもの4本にとっていた。隣の人間によると「こんなにたくさんとられのたは初めてだ」だそうである。私は今まで何本撮られたかなんて覚えていない。そして3階にまた上がるときに「結果は教えてもらえるんですかねえ」としゃべっていた。

私も思いだした。もともとこの募集に応募してみよう、と思ったきっかけは、「とりあえず書類選考に残れば、費用向こうもちで健康診断をやってもらえる」だった。思えば当時の私はあまりにも浅はかだったのである。健康診断の費用は確かにかからないが、交通費、及び宿泊費はこちらもちだ。おまけに詳細な診断結果を教えてもらえる、なんてのはどこにも書いていないのである。

さてそれから順番に検査をこなしていった。100人近い男×数種類の検査をさばいているのは3人ばかりの職員の女性である。この女性たるや血圧の検査結果に影響をあたえること、階段の数倍というほどの美人ぞろいであった。私の姉の旦那は筑波大卒であり、彼にいわせると「筑波にいる女はがまと人間のハーフだ」なのだそうであるが、もし彼の説が正しいとすると、筑波には人間の基準でみてとんでもない美形のがまが生息していることになる。さて検査がおわることに彼女たちのところにいって、

「何番、なんとか終わりました」

と言うと彼女たちは「じゃあ待っててください」とか「どこそこに行ってください」とか指示を出す。

次にあったのは、なんだかわからないが超音波探査を使ってのお腹の検査であった。部屋にはいると、薄暗いベッドの脇に男性がにっこりと笑っている。腹を出して寝ろ、と言われるのでおとなしく腹を出すと、何かを塗った。なんだかぬるぬるする。次にその男性はなんだかこれまたわからない機器をお腹に押し当てた。そして「はーい息をすってー。はい止めてー。はい吐いてー」とか繰り返す。そうしている間にも彼はあちらこちらと機械の場所をかえてごりごりやっている。そのうち退屈になるので、その機器から出力された画像が写っているTVを見だす。多分これは赤ちゃんの様子をしらべるのと似たような機器だろう(実際に私が結婚して、奥さんに子供ができて、検診に立ち会うまでこの仮説を立証することはできないが)しかし写っている画像というのは素人である私にとってはなんのことかさっぱりわからない代物である。なんだか機器が押しつけられると漠然とした輪がわっと広がる。とは言っても別に内蔵の形が分かるわけではない。機器を離すとその輪が縮まる。それの繰り返しである。

しかし何か異常があれば、きっとこの技師は多少なりとも緊張した面もちか何かを示すであろう。しかし彼は淡々と検査を進めている。(実際のところ進んでいるのかいないのかも定かではないのだが)とりあえず私の内蔵の状態はごきげんだ、ということにしておこう。

さて次には聴音である。部屋に入っていくと、いすが壁際にいくつか並んで、その上に妙な検査着を着た男性が5人ばかり座っている。その列の先には部屋が二つある。

今回の検査では全ての被検査者にカードがわたされている。それを機械に放り込んで、かちゃかちゃやると、データが自動的に処理される(多分)という仕組みなのだと思う。一人検査技師がいて、カードを放り込む、かちゃかちゃやる、部屋に座らせる、ちょっとInstructionを行う、を繰り返している。

実際結構この部屋の回転率はよく、このおじさんはしょっちゅう何かやっている。少し彼が瞑想にふけるとたちまちコンピュータはがたがた言って計測結果のデータを吐き出してくれる。ということは壁際の席に座っている人間もしょっちゅう腰をあげて一つずつ移動して行くわけだ。最初はなんだか順番が前に進むので嬉しかったが、そのうちなんとなくばからしくなってきた。まるでいすを使った健康体操をやっているような状況だ。しかし動かないと順番がわかんないしなあ、、などと思っている間に自分の番になった。

小部屋に入ってみると前にはヘッドフォンがある。こてこてとかぶるとInstructionが始まった。ようするに音が聞こえ始めたらボタンを押し、聞こえなくなったらボタンを離す、とそんだけである。

やたら緊張しながら音を待つと、右耳と左耳で高い音から低い音までいろんな音がする。最初は「これは早押しゲームか」と思ってやたら音がなったら早くボタンを押すことに専念したが、今から考えてみればこれは反応時間のゲームではないのである。もうちょっとリラックスして押せば良かった、、、というのは今から若干の後悔と共に思い出されることだ。とりあえず聴音は何の困難もなく終わった(はずだ。何も聞こえない時があったのかもしれないが、それを私が知ることは永遠にないだろう)

次は心電図である。これに関しては特筆事項は何もない。要するに心電図である。検査のお姉さんに「はいもっとリラックスしてー」などと言われながらも無事に終わった。(はずだ)心電図と言えば高校時代に計測したときに「左心室優性像?」とかなって再検査をくったことがある。若い頃というのはけっこう愚かな妄想を抱く物で(別に愚かな妄想を抱くのは若い頃の専売特許ではないが)その一つに「不治の病」に妙にあこがれる、というのがある。(と思う)少年少女向けの物語にどっちかが不治の病にかかってその死を感動的に扱うやつがあるためだと思うのだが。そしてそんなものにあこがれることができるのは幸運にもたたいても切っても死なないような健康な奴ばかりだ。

私も再検査をくったときに「おっと?」と思った物である。これは何かあるのかしら、と。そして再検査の結果が「異常なし」と出たときにはちょっとだけ失望した物だ。明日も学校にこなくちゃ。

当時今日の健康診断を受けていればなんの心配もすることはなかっただろう。視力だろうが血圧だろうが血液検査だろうがなんでもこいである。それからおよそ20年がたち、私の健康状況には多々心配な点がでてきた。そして、「不治の病へあこがれるようなたわけた気持ちはさっぱりきれいに無くなり、、、その時にもっとも厳しい健康基準をクリアする必要に迫られるようになるとは。まあだいたい世の中こういう風にできているのである。

さてここまで終わったところでちょっと一休みとなった。残りの血圧、視力、肺活量に身長体重の測定はひとまとめに行われるのである。これらの検査機器にはなんとMacintosh Color Classic IIが制御用としてついている。何年前に導入したか知らないが医療機器メーカーがこのコンピュータを押していたのだろう。考えてみれば今でもこんなコンパクトにまとまったコンピュータというのはあまり数は多くないかもしれない。一体型はあるが最近は画面が大きいコンピュータばかりだ。確かにそのほうが文章作成なんかには使いやすいが。。

待っている間あまり暇だったので、よっぽどこのコンピュータをいじってやろうかと思ったが、何か問題が起こるといやなのでやめた。結果が出るまではおとなしくしているにこしたことはない。おまけに私はこの待ち時間の間、自分の視力を健全に保つことしか念頭になかった。

過去2週間ほど何を一番気にしたといって視力ほど気にしたものはない。そして今日健康診断にきて集まった面々をみてみると、名古屋で英語の試験を受けたときとは一つ大きな違いがあることに気が付いた。眼鏡をかけているやつが少ないのである。あるいは本来は眼鏡をかける必要があるのに、裸眼をならすためにかけていないやつが多いのかもしれない。私のように。

いずれにせよここ数週間の努力を水の泡にすることはできない。私は待ち時間の間窓の外の遠い風景ばかりみていた。多分このほうが目の健康にはいいだろう。待ち時間は結構長く、そこらへんには暇をつぶすための本とか雑誌が置いてある。視力を気にしなくてよい幸せな人達はそういった本を読んでいるが私はしばらくおあづけだ。視力の検査さえ終わればばりばり読んでやるぞ、と思いながら今は外を眺めているしかないのである。

 

廊下をぶらぶら歩いていたらNX号とすれ違った。彼は小声で「大坪さん。ばっちりです」とかなんとか言った。「何だ。もう結果がでたのか?」と聞いたら(これまた当たり前の話だが)そうではない。彼は今回の基準をパスするためには視力検査で死力を尽くす必要があるのである。そして天は彼にほほえんだのだ。今回の視力検査は自分で計る類のものである。コンピュータが制御する機器をのぞき込んで、上下左右を入力するだけだ。そのときのこちらがどんなしかめっ面をしていようが病院側が関知するところではない。彼は視力検査で人知を付くす決意を固めていたのであろう。

さて廊下でぼけーっとNX号と並んで座っていると、そのうち遠くから

「はい。思いっきりはいてー、、はいてー、最後まではいてー」

という声が響いてきた。どうも肺活量の検査をやっているらしい。その声の調子たるや爆笑物である。NX号が「あれはなんですかね」というので、私は一生懸命自分が高校時代にやった肺活量検査装置の構造を説明しようと試みた。曰く

「なんだか円柱を1/3に切ったようなやつが、水のなかにはいっていて、息を吹き込むとこの円柱がぐるーっとまわって肺活量の値を示すんだ」というやつである。しかしこの説明は隣に座っていた見ず知らずの人の失笑を買っただけだった。

さてそうこうしているうちに自分の番号が呼ばれた。

検査をするのは先ほど説明したMacintosh Color classic IIがやたらならんでいる部屋である。受付番号を言うと「はい。では血圧の測定から」と言われた。

血圧の測定器はそこらへんのプールとか公民館においてあるやつと変わらない。ただとなりにMacintoshがおいてあるだけである。最近血圧の神様の顔がちょとしかめっつらになっているのに気が付いた私はいくつかの対策をこうじていたのである。去年会社でやった健康診断の時に血圧は150近くあった。医者の話では「体重が重い。体重さえへらせば中性脂肪も血圧も解決よ」ということだったので、当時からみれば5kg近く体重を減らしたし、運動もした。おまけに塩分の固まりといわれている漬け物を控える意味から、行きつけの定食屋でサービスでついてくる漬け物を最近は諦めていたのである。さらに血圧計測機械に対する不安感を持つと血圧が上昇するだろう、と思った私は血圧計測機械さえみれば血圧をはかり、自分を機械に慣れらさせるように努力していたのである。値はいつも120〜130の間だった。

さて目を閉じて精神を集中して大きく深呼吸、、、、と思って目をひらいてみれば、既に表示は「最低血圧」のほうに移っている。おまけに表示は160台だ。何?

頭をがーんと殴られたような気分になりながら測定結果を聞くと「あら。高いですね。。。。」と言われた。最低血圧はOKだが最高血圧は今までに見たこともないような値である。くらくらとしながらもここで「もう一度やらせてください」と言えるのが年の功というやつだろう。測定の女性は「今やっても同じ結果になりますから、視力測定の後で」と言った。そして私は血圧の神様のあっかんべーを横目で見ながら、今度は同じくしかめっつらをしている視力の神様に相対することになったのである。

 

さて視力の測定器械は、被検査者がのぞき込むタイプである。従って列の後ろに並んでいるときに表を覚える、という技は使えない。しかしNX号がいみじくも指摘したとおり顔をいくらしかめようが自由である。

ほどなく私の番になった。機械を覗くと次々に一部が欠けた○が表示される。欠けている方向をジョイスティックで入力して一丁上がりである。

片目づつ検査が行われているのだろうが、こちらにはよくわからない。ピッと音がして○が表示される。調子としては結構快調である。私は○が表示されたらすぐ入力しなくてはいけないか、と思って泡くってやっていたが、実は結構遅く入力してもいいのだそうである。○の大きさは刻々と変化する。あまり小さい○になるとピッとなっても○が表示されたのかすらわからない。そうこうしているうちに裸眼の検査は終わった。検査の女性が来て「裸眼は両方とも0.2ですね」と言った。ここ数週間の訓練の成果があったのかなかったのかわからないが、とにかく4月に自費で健康診断をしたときと視力は同じなのである。まあ0.1を超えていれば万々歳である。

次は矯正視力である。(今回の測定では「矯正視力と裸眼視力を計りますから、眼鏡をもってきてください」とはくどいくらいに書いてあったり言われたりしたことばだ。これにたいし「眼鏡を持っていない人も矯正視力を計るんですか」というぼけた質問をした奴がいたが)これは楽勝であった。去年私はアメリカの会社の内部ではたらいていたが、そこは「洞窟」と呼ばれるほど暗い場所であった。西洋人は太陽の光をこわがる性質があるのではないか、と思ったほど彼らは日の光をこわがる。ディスプレイに光が写り込むのがいやだ、という理由らしいが職場は真っ暗である。そこで数ヶ月働かされた私はそれこそ失明状態になった。このとき作った眼鏡があったのである。今では強力すぎる眼鏡だが、これを使っても文句はあるまい。少なくともこれ以上失格項目を増やすのはごめんだ。結果は両眼1.5だった。昔は眼鏡なんかなしでこれくらい見えたのだな。。

などと感慨に浸っているひまはない。再度の血圧測定が待っている。

再び機械に座る。大きく深呼吸、、をしない間に最高血圧の測定は終わってしまった。またもやとんでもない値だ。検査の女性は「前のほうがよかったですね。。いつもこんな値ですか。。。緊張するんですかね。。すいませんが測定は2回までということなんで、、」となぐさめてくれたが、これで私のTrialは終わったも同然だ。どうも緊張して血圧が高くなる奴は多いようで、私の後ろでも誰かが一生懸命説明をしていた。「2-3日前から血圧があがりだしたんですよ」気持ちはわかるが、この女性が最終的な判定をするのではない以上、いくら説明しても時間の無駄というやつだ。

頭を数回横にふったが、なんともならない。今まで数多くの神様にほほえんでもらったが、それもここまでのようだ。今だかって見たこともない血圧がここ大一番にでてくるのも天命という奴だろう。(正確に言えば天命よりも私が小心者のせいかもしれないが)

ぜーんぶ放り出して帰りたい気持ちにもなったが、まだ検査は続く。次は先ほどの愉快なお姉さんが検査官の肺活量である。なんだかわからないがホースの先に段ボールのマウスピースがついた機械を加えさせられる。そしてお姉さんの言葉に会わせて思いっきり空気をすって、肺がしわくちゃにしぼむまで(本当にそういうふうになるかどうかしらないが、お姉さんの言葉をそのまま実行すれば少なくともイメージ的にはそう思えるのである)息を吐き出す。するとお姉さんが

「はーい。結構でーす。十分ですね」

と言ってくれる。もっともディスプレイに表示されているのはちょっとつぶれた形の円形グラフであり、これのどこが十分なのかこちらにはさっぱりわからないが。

最後の測定項目は身長、体重である。これは一見普通の形の身長計にのると、全部測定してくれるらしい。おまけに足の裏には電極まででていて、体脂肪率もはかれるようになっている。もっとも結果は教えてくれないので自分の体脂肪率がどれくらいかは分からなかった。

 

さてこれで計測が全部終わったので着替えて2階で待機である。がらんとしたロッカールームで着替えた時の落ち込んだ気持ちは今でも覚えている。私にしろ誰にしろこの募集に応募した人間で「いやー。受かる分けないよ」とかなんとか言いながら、心のそこから受かりたくない、と思っている奴など一人もいないと思う。誰でも何かの間違いで選ばれないか、あるいは選ばれなくても残念賞くらいもらえないか、と思っているのである。

私が血圧の値を目にして落ち込んだ、ということは私も心のどこかでそう思っていたということだ。そしてその「何かの間違い」は消えてしまった。そしてボタンを閉めている私は、ようやく頭に登っていた血が降りてくるのを感じていた。この血があと数分早く降りてきてくれればこんな気分になることもなかったものを。これが理不尽な独り言であるのは知っているが、私の考えることなど大抵の場合理不尽なのである。

 

内心しょんぼりとしながら、年をとると背筋だけは伸ばして歩くことを覚えるようになる。2階におりて、最初にInstructionを受けた待機エリアに行くとNX号が座っていた。彼は感情を表に出す男ではないが、

「大坪さん。ばっちりです」と言った。

彼は最大の懸案事項視力検査で、「死力」を尽くしてなんと眼鏡屋で測定された値の10倍の視力を達成したのである。後に私は彼の眼鏡を貸してもらったが、その眼鏡を通しては私は何も見ることができなかった。彼の話によると、彼が目をこらしてなかなか入力しないと、機械は自動的に一段階大きい○を表示するらしい。それでも入力しないと「これでも見えませんか?」という音声のメッセージがでるそうだ。なるほど。何事においても最善を尽くさなくてはいけない。視力検査のときに「目をしかめないでください」とは言われていないわけだから目をしかめようが逆立ちをしようがこちらの自由なわけだ。

「大坪さんはどうですか」と言われて、私は自分が血圧の神様にあっかんべーを食らった話をした。NX号は役にも立たないなぐさめをいう男ではないし、私もそんな慰めなど聞きたくない。「大坪さん。今夜は飲むしかないですね」と彼は言った。

 

さて人数がそろうとバスに詰め込まれて筑波宇宙センターに向かう。外はきれいに晴れていた。私はただその空を見上げていた。いつかこんな気分で空を見たことがあったようななかったような。いずれにせよこれでTrialはOutだ。

 

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注釈

美人ぞろい:これは別にここにお世辞を書いておくと、何かのきっかけでそれがNASDAの目に留まり、選考に有利に働くだろう、などという妙な計算によった記述ではない。周りの人間の意見も一致しているのである。本文に戻る