立花隆という人

2006-12-22 08:42



ロッキード裁判のドキュメンタリーはすばらしいと思ったのだよね。1、2巻を偶然購入。そのあまりのおもしろさに3,4を買おうとしたらすでに絶版になっていた。しかたがないから高い金だしてAmazonで古本を購入した。


でもって最近Nikkeiのサイトでよく名前を見るのだけど、その論旨はただひとつ


「小泉はダメだ」


に尽きる。最初は読んでいたけど、そのうちあまりに偏った意見という気がして読まなくなった。


おかしいなあ。あれほど面白い文章と思えたものを書いた人が。ひょっとするとあのロッキード事件に関する本もトンデモだったのだろうか。あるいは年月と環境が人をダメにしたのか。はてまた自分が無能ということを自覚しないフィールドに足を踏み入れてしまったのか。


などという疑問を頭の片隅に持っていたのだが、このたび結論がでることになった。


ソニーはどこへ向かうのか PS3の可能性と不透明な未来 (2006/12/21)


最初は立花氏の文章ということを知らずに読み始めた。ふむふむと読みながら読んでいると途中で何かがおかしいことに気がつく。



そのプレステ3がマーケットに出て、その評価はどうかというと、「すごい」の一語につきるようだ。これまで久夛良木氏はプレステ3がどれほどすごいマシンになるか、機会さえあれば、口を酸っぱくして語ってきた。しかしそれはしばしばハッタリととられていた。しかし、「あれがウソでもハッタリでもなく、ほんとだったんだ」というのが、ネットでうかがえるほんもののプレステ3を手にした業界人たちの本音のようだ。



この人はどこの情報を見ているのだろう?確かに「すごい」という声は聞こえてくる。しかしそれは「電源がすごい」「冷却機構がすごい」という声であり、CELL、あるいはそれが達成した処理能力について「すごい」という声はよほどの盲目的Sonyシンパからしか聞こえてこないのだが。ひょっとしてわかっていないのでは、、と思うと次のページから暴走が始まる。


プレステ3は他のゲームマシンとは全くちがうレベルのマシンである。一言でいうなら、これはスーパーコンピュータそのものなのである。


という言葉の後、数ページに渡ってスーパーコンピュータ礼賛が続く。


プレステ3をゲーム機としてしか認識していない大多数の人々には、それがどんなに大変なことを意味しているか、いくら説明してもすぐにはわかってもらいないだろうが、社会はこれから、あらゆる領域にスパコンパワーが入りこんでくることで、大激変を起こしていく。


チップになったスパコンを使いこなせるかどうかで、これからの時代、個人も組織も大化けする人と沈む一方の人が出てくる。国家の国力全体がそういう人がどれだけ出てくるかによって左右される時代がやってくるのである。


あのさ。。仮にCELLがスーパーコンピュータだという主張に同意したとしよう。問題はね、それをどう使うか。「国家の国力全体を左右する」使い道を見出し、そのためのソフトウェアを作り上げられるかにかかってるんだよ。あなたが無責任に


高性能コンピュータは、使い方ひとつで、どのような応用も可能になる。


と言い放つ「どのような応用」が重要なのであって高性能CPUを裸でいくら作っても何もおこらないんだよ。


これがうまく展開していくと、ソニーは21世紀の電子産業界で、20世紀にインテルが果たしたような役割を果たすウルトラ級の巨大電子産業になってしまうかもしれない。


この言葉はまるで久夛良木のそれを聞いているかのようだ。


しかし、ソニーの未来に関して、ちょっと心配なのは、中鉢社長にそういう方面の話をぶつけると、「私、スーパーコンピュータのほうはぜんぜんわかりませんので」と、ぜんぜん話に乗ってこないことだ。そういう可能性を知らないのか、知らないふりをしているのか。巨大企業の社長たるもの、あまり最先端の夢のような話に乗って、行け行けドンドンで先頭に立って暴走したりしないほうがよいのだろうか。


これを読むと中鉢氏は立花や久夛良木ほど狂っていないことがわかる。「そういう可能性を知らないのか、知らないふりをしているのか。」じゃなくて、立花氏が聞いている内容が馬鹿げているというかナンセンスなんだよ。「あなたは馬鹿ですか?」という言葉を大人が表現すると「私、スーパーコンピュータのほうはぜんぜんわかりませんので」になるんだよ。


立花氏はそうした可能性にも全く考えがおよんでいないようだ。というか立花氏に正直哀れみさえ覚える。誰かいってやれよ。人前で恥をさらしている、ということを。




最強の空手

2006-12-19 08:18



少し前の話だが、ドーハで行われているアジアなんちゃらの空手で日本がメダルをとったとかどうだとか。


これは私がやっていたころの話だから、数十年たっている。今は状況が違うかもしれないけど昔話を書いてみる。


空手というのは流派によってルールが全く異なる。ある流派では一本勝ちになるものが、別の流派では反則負けになる。


愉快なのは、その流派での戦い方がルールをもろに反映した物になる点だ。一番普通の人の目にふれるのは極真だと思うが、彼らは顔面への攻撃を許容していない。(検索してみたら最近変更の動きがあるようだが)だから、至近距離で中段以下をどつきあう、不思議な試合スタイルになることがある。最大の急所である顔面がらあきでね。


他のマイナーな流派にしても同じ事が言える。つまりルールは戦い方を規定するのだ(こう書くとあたりまえだな)


いや、スポーツだからそれはあたりまえ、と思うがそこでやめておけばいいのに「我々の流派こそ最強」と言ったりする。となるとつい笑いたくもなる。テニスと野球ほどルールが違うのに最強もなにもないものだ。では最強とは何かといえばそれは定義によるだろう。アジア大会で採用されるルールを使っている流派が政治的には最強、といえるのかもしれない。


空手ほど明確ではないが企業とか団体にもそこだけのルールが存在する。こちらは共通の試合場(市場)で競ったりするから優劣がつきやすいけど。


とは言っても「我々こそ最強」式の笑える勘違いはあちこちで観る事ができる。私のようなひねくれものはルールの違いを斜めに見て笑っているのが好きなのだが。しかしこのルールにはいいかげんうんざりだな。。




こういうことを本当に言える人と

2006-12-11 09:57



戦うのはしんどいことだろうなあ。。


任天堂 岩田聡社長インタビュー(3)あえてロードマップから外れたWiiの設計より。



竹田(竹田玄洋氏、任天堂専務)にその(案の)話をした時、「それは(テクノロジ)ロードマップから外れろってことですよね」と言うんです。私は「はい、ロードマップから外れましょう」と答えて(笑)。


 次に、ロードマップから外れるという、とんでもない話を、今度は開発パートナーのIBMさんやNECさんやATIさんにするわけです。みなさん、最初はまず固まるんですよ(笑)。



会社向けの資料でよく「他社動向」とか「ロードマップ」を載せる。というか親会社のフォーマットにのっとった「ロードマップ」がないと、それだけで拒絶されるくらいだ。


しかしそうした「ロードマップ」は私の意見では「思考停止」と「無意味な安心」のための道具でしかない。そして彼らもそこまで馬鹿ではない。意味がないことにうすうす感づいてはいるのだが、それでも「ロードマップはどこだ」と文句をつけるのだ。


たいていの人間にはそうしたことしかできない。しかしこの任天堂社長の言葉はどうだろう。堂々と「はい、外れます」と言ってのける。この人には(それが商業的な成功に結びつくかどうかは別として)自分が目指したい世界が見えているのだろう。そしてそれを実現するためにはどのような技術が必要かをきちんと整理して物を作り上げる。個々の技術の知識だけで、結局何を目指すか分からないまま(コンピュータエンタテイメント、という空虚な言葉がそれを示している)作り上げたPS3とは180度違うものの作り方だ。



【Q】 コンピュータ業界から見ると、Microsoftやソニー・コンピューターエンタテインメント(SCEI)の動き方は分かりやすい。コンピュータ業界のテクノロジロードマップに沿っていますから。任天堂は、逆にコンピュータの世界からはわかりにくい。それは、発想の原点が異なるからですね。


【岩田氏】 彼らはとても、PC的だと思います。私も、技術者としてはそのアプローチはわかるんです。でも、うちはお客さんに驚いてもらってナンボですから、こういう方法になっていますね。



そして岩田氏は、MS,SCEIの考え方を理解したうえで、それとは違う方法をとっている。これが自分の考えしか世の中に存在しないと思っている彼らと異なるところだ。


先週行った学会の夜の宴会で、みなでWiiを楽しんでいた。いや、これ


楽しいよ。そして何より驚くのはこうした製品を本当に作り上げ、売り出してしまう力だ。