才能とは(続き)

2012-04-04 07:33

といっても新しいことを書く訳じゃないよ。前回の補足。

「才能とは持続する意思のことである」

と書いた訳だが、それからいくつかにたような文言を見かけたのでまとめておく。

才能とは「繰り返し現れる思考、感情および行動パターンであり、何かを生み出す力をもつ資質」である。

さあ才能に目覚めよう p36



さすがに金をとるだけあって、こちらのほうが正確な定義である。持続する意思であっても「何も生み出さない」ものは才能とは呼ばんわな。

松浦:(質問が)もう一個、私、自分で作詞をまだ一度もしたことがなくって やっぱり、近い将来は自分で作詞というものを、やっていきたいなと。 今はつんく♂さんだったり、いろいろな方からいただいたものを 自分なりに消化をして、理解をし、納得をして歌っているんですけど なんかやっぱりこう、自分の思う気持ちっていうものを歌いたいなぁと思っているんですが。 松任谷:いやぁ、厳しいこと言うようだけど、妙にしない方がいいよ、作詞とか。 松浦:えぇ、そうなんですか? 松任谷:うん、その方がカッコいい。人が書いてきたものを、自分のものにしちゃって歌えるっていう方が素晴らしいと思う。 松浦:えー、そうですか? 松任谷:悪いけどなんか、あとで詞を書き出したんです、みたいな、で「アーティスト」みたいなふうに言われてる人のろくな詞ないもん。 松浦:(笑) 松任谷:だから、曲とか詞を書くっていうのは、もう生活、生理、いっしょだから、食事したり歩いたりすることと。 言われる前から書いてるのよ、人が止めようと、勧めようが、勧めまいが。自分の欲求として、もう幼い頃から作っちゃっている。 もちろん、ある日突然、書きたくなって、自分で書いたものを、自分の言葉を歌いたくなって ひらめいちゃって、ってことはあるかもしれないけど 書いて歌うようになりたいんです、って言っているようだったら、書かない方がいいと思う。

「近い将来」なんて言葉がつくものにろくな物はない。「近い将来」は永遠にやってこないのだ。

尤もこれには「現実からのフィードバックを受け止める」力がどうしても必要になる。自分にどれだけ「持続する意思」があろうと、フィードバックを受け止める力がなければ迷惑になるだけ。はっ、これは自分のことか。

「雇う」側からすれば「この人は才能を持った人なのか、才能を持っていると勘違いしている人なのか」を採用段階で見分けることが必要になる。

人の才能は永続的なものである。ということは、適切な人材を確保するには、かなりの時間と資金を費やしてでも最初の採用の段階で厳選しなければならないということだ。

さあ才能に目覚めよう p304

というわけで一番重要なのは採用ではないか、と思う今日この頃だ。採用をおざなりにし、教育に金をかける企業はとっても間違っている。

というかそういう企業が存在すること自体私にはとても不思議に思えるのだ。既婚者であれば、

「人間の質は変わりようがない」

ことは身を以て知っているはず。なのになぜ相手が「配偶者」ではなく「社員」だと教育で変えることができる、と錯覚するのだろう。などとあまり書いていると死にたくなるのでやめておこう。