日付:1999/9/30
上編1999年9月の26日(日本時間で言えば27日というべきか)私はSan FransiscoからLos Angels経由で日本に向かっていた。
プータローだった去年とは違い、今年は一応勤め人の身だ。「一応」と書いたのは自分が何をしているのかさっぱりわからないからだ。今回は出張であり、ある企業を訪問した。ミーティングは1日だったが、何故かアメリカには2日半もいた。そして一日半かけて、(二日目には夜の10時までオフィスにいたのだが)準備と称して作り上げたのは20個ばかりの質問がならんだ紙だけである。
何故彼らはここまで仕事を愛しているのだろう?3分でできる仕事に3時間かけるのだろう?明日までに終わらせなくてはいけない仕事が残り5分となったところで、無関係でかつ急ぎでない仕事を何故突然始めるのだろう?
彼らはまだ仕事を続けている。私は黙って考える。私が知る限り私ほど仕事が嫌いな人間はいない。だからとにかくとっとと仕事を終わらせ(質にはかまわずに)さっさと家に帰る。後は野となれ山となれだ。しかしながら、彼らはまるで仕事から去りがたいかのように仕事を進めていく。
ひょっとすると彼らは仕事に深い愛情を感じており、それが終わってしまうなど考えたくもないのではないか?遠い昔私が女性を好きになったとき、彼女を地下鉄の入り口まで送っていくとき、離れ難くわざわざゆっくり歩を進めたことがあった。私の目の前展開されているのはあれと同じ現象ではないか?だから彼らは3秒でできることに3時間かけるのではないだろうか。
ここまで書いてふと、7行ほど前に自分が「3分でできることを3時間」と書いた事を思い出した。それが「3秒が3時間」になっている。いけない。かなり私はいらだっているようだ。とはいっても彼らは腰をあげる気配がない。実際この会社の人たちは大変腰が重い。会議の時間になっても悠然と腰をおろしていて、出席者を待たせることなど朝飯前だ。席についているのも、会議にでるのも同じ仕事のはず。となると「仕事に対する愛情」だけではこの現象を説明できない。彼らは自分の椅子に愛情を感じている、という理論もありそうだが、一旦会議が始まるとだらだらと長く続くところを見るとその説は正しくないようである。まさか一旦座ると今度は会議実の椅子に愛情を感じる、などというわけでもあるまい。
この現象を説明するためには、、、、私は黙って考え続ける。彼らは相変わらず何かやっているから時間はたっぷりある。特殊相対性理論はどうだろう?お互いが高速で接近、または離れていくとき、相手の時計の進み方は遅く見える。たぶん彼らと私の間には大きな相対速度が存在するのだ(それを観察することはできないけども)。だから私から観察すると彼らの動きは(時計の進みは)とてもゆっくりにみえる。
いやこのアナロジーは正しくない。なぜならこれでは彼らから見ても私の仕事がノロマに見えるからだ。やはりここは一般相対性理論を持ち出すべきだ。地上にいる人の時計は、上空にいる人間からみるとゆっくり進むように見える。それぞれの位置での重力の強さが異なるからだ。この場合、遙か上空に離れた位置にいる人間から地上にいる人間をみた場合、スローモーションで動いているように見える(むちゃくちゃ誇張した言い方だが)。逆に見れば早送りに見える。となれば彼らは体内に巨大な重力源をかかえていているのではないか。では何故その重力場は関知できないのだろう?そこから発せられる力は距離の自乗ではなく18乗くらいに反比例して働くのかもしれない。
この一年間、こうしただらだらした職場での拘束時間の間にこんな理論を5つばかり考案した。こうしたくだらない理論であっても考えるためにはそれなりに知恵をしぼる。眉間にしわを寄せていれば誰も全く別の事を考えているとは思わないだろう。何事にも良い面というのはある。最近それと気づかれずに暇をつぶすのは確かに上手になった気がする。
しかしながらここで私が考案した理論が特殊相対論に基づいていようが、一般だろうが、あるいは他に考えついたいかなる理論だろうが、共通に確かなことがある。それぞれの人間は自分の時計が狂っている-遅れているとか、ゆっくり進んでいるとか-とは絶対思わないことだ。自分の時計は何もおかしくない。おかしいのはあいつのほうだ。これは正邪の問題ではない。すべては相対的に決められ、そしてこの場合基準となる時間-職場の時間の進み方-を決めているのは会社であり、私ではない。こうした「会社の時計の進み方は私から見ると一桁違う」現象は1年前にこの会社に来てから私を悩ませ続けている。
翌日はミーティングである。こちらのサイドは一日中会社のお偉いさん方がしゃべりまくっていたから私のような下っ端は全くでるまくがない。よく日本企業と米国企業がミーティングをすると、日本側からは何をしにきているのかわからない人間がぞろぞろでてくる、と言われるが私はまさにその「何をしにきているのかわからない人間」であったわけだ。
たぶん私ができる唯一の貢献というのは、英語の会議になると何故かつまらないことで、けたたましい笑い声をあげる人たちにつきあって、げらげらと笑うことだっただろう。これは英語で話さなくてはならない、という心理的プレッシャから逃れるためなのだろうか?たとえば
「一日空いているから”ゴルフ”ができるね」
と言うだけでお偉いさん達は
「あはははっはははは」「ぎゃははははっはは」「うはははは」
と競い合うように笑い声を上げる。私には何がおかしいか全く理解できないし、相手をしている米国人にとってもそうだろう。しかし何一つ仕事をしていない私はせめて彼らにつきあって笑い声を上げるべきだったのかもしれない。。。
正直言えば私は「おかしければ笑う。私はおかしくないときに笑わない」という信条を持っている。いやいや、私とて由緒正しい日本のサラリーマン、自分がどんな信条を持っていようが、仮に彼らが日本語で話していれば「それ、いいですねえ」といって顔をゆがめ、「はははっは」と発音することくらいはできる。しかし英語の場で彼らの甲高い笑い声を聞いているとどうも不気味さが先にたってしまいそれすらできなくなるのだが。
その仕事(?)も今日はおしまいである。土曜日の朝、車で空港に向かった。ハンドルを握っているのは私のBossである。彼は「Palo Altoは何度も来てよく知っているけど、こんなに天気が悪いのは初めてだ」と言いながら、2度反対方向に走り、空港の入り口ではもう少しで追突or中央分離帯に激突、という運転をやってのけ、最後には出発ロビーではなく、バスの停留所で私たちをおろした。その間私は後部座席で小さくなっていることしかできなかった。仕事も同じ様なものだ。上役が「俺は何でも知っている。すばらしい経験を持っている」と信じていれば、それが間違った道だろうが、事故につながるような危険なものであっても下っ端はおとなしく従ってついていくことしかできない。
空港に着いたとき私は暗澹たる気持ちだった。こんなに何もしなかった海外出張は生まれて初めてだ。しかし今はこれをやって金をもらっている身だからとは言い聞かせてみる。確かにそうだ。お金をもらうというのは大変なことだ。しかし何度自分に言い聞かせても一つだけ乗り越えることのできない悲しみが存在していた。
あと数時間後にはStanfordでFootballの試合が行われるはずだったのである。相手は強豪のUCLAだが、今年のStanfordは絶好調であった。もしかしたら勝てるかもしれない。そのExcitingなゲームが行われるというのにその数時間前に私はSan Fransiscoを離れなくてはいけないのである。私が一日帰るのをおくらせたところで業務には何の支障もない(実際何も仕事をしていないのだから)なのに帰らなければならない。去年はたまたまでくわしたNorth Carolina戦を観れてとても幸せだったのになあ。。。
私はちょっと悲しい気持ちになっていたが、また開放感も感じていた。親愛なるBossはビジネスクラスでSan Fransiscoから成田までひとっとび。しかるに我々平民はEconomyの空席がないために、Los Angels経由で帰ることになっていたからである。もう一人いた同僚はMilageがたまって特別待遇だとか言って、短い列に並んでいた。私はひとり荷物をかかえて長い長い列の一番最後に立った。ようやく自分の意志で自分の行動を決められる(とても短い間だが)立場になったのだ。
Los Angelsにつき、最初にしたことは、空港ロビーにあるSports BarでCollege Footballの中継を見ることである。ダイエットペプシを片手に"Wao!"とか一人で叫びながら見てみる。この数日間自由な時間は全くなかったからこれだけでも今の私には全く幸せだ。
やがて搭乗時刻になる。Los Angels発成田行きだと、San Fransisco発に比べて、アジア人の比率は圧倒的に多くなる。そこらかしこでは日本語、韓国語、それに中国語が飛び交っている。
チケットを渡し、てれてれと通路を歩く。これでまた日本だ。しかしまだしばらくは自由な一人の時間だ。本を読もうか、それともコンピューターで何か書いてみるか。エコノミーの窮屈な座席であるが、自由という物は何者にも代え難い。
座席番号は40Kである。ぷらぷらと座席番号をみながら歩いていく。私はとてもトイレが近い人間だから、どちらかといえば通路側のほうがありがたい。他人がトイレに行こうと言うときに起こされるのは全く苦にならないが、自分が他人を起こしてしまうのはなんとなく気が引ける。さてどちらかな、、と思えばどうやら一番窓際のようだ。やれやれ。
40番目の列に到着してみると、通路側にはすでにアジア人の女性が座っている。彼女は日本人のように見えた。しかしここは一発用心してかからねばならない。わかっていることは彼女がアジア人だということだけで国籍はどこでもあり得るではないか。私は
"Excue me ?"
と言った。すると彼女は"Oh, Sure!"とかなんとか言って席を立って私を中にいれてくれた。しかしこの時点にあっても私は彼女が何人か知っているのに十分な情報を得たわけではない。私だって相手が日本語訛の英語であっても"Excuse me?"と言えば、きっと"Sure"と言うであろう。
さて、物事にはすべからく良い面と悪い面がある。通路側に座れずがっかりした私だが、窓際の席というのは壁にもたれかかれば結構寝やすい。離陸の時はコンピュータは使えないから、本などよもうとした私だが、疲れがたまっていたのだろう。そのうち壁に枕をあてがってくーくー寝だした。これも良い面、悪い面の一例だ。今度の出張では何もしなかったのに妙に疲れた。しかしそのおかげでこうやって寝れるではないか。それでなければフライトの時間というのは時としてとてもとても長いものである。
ふと目を覚ますと飛行機はとっくに安定飛行に入り、空中飯盛人ことスチュワーデス、スチュワード達が食事の用意にとりかかっている。私はしばらくきょろきょろした後、トレイをおろして準備した。
そうこうしていると、時々(幸いなことに3列座席の真ん中は空いていた)かの女性と目が合う。すると彼女が何かをぺらぺらっと英語でしゃべる。それはとても早口で私には何を言っているかわからない。しかしとにかく「大変よね」とかなんとか同意を求めているらしいことはわかるので私は"Ya"とかなんとか言ってちょっと肩をすくめたりはする。
どうもこうしてみると彼女は日本語をしゃべる人ではないようだ。年のころは私と同じくらいか、あるいはもう少し上であろうか。そんなことを考えながら、ちらちらと彼女の方を見る。私は彼女のある特徴に気がついていた。これはさっき座席に座るときに少し気がついていたことなのだが。
彼女の左手は義手であった。
じろじろ見るのは失礼と思いながらも、どうしても視線はそこに向かってしまう。最初は鍵爪でもついているのかと思ったが、どうやら先の金属は二つに割れていて、何かをつかめるようにもできているようだ。最初は「もっと人間の形に近い義手のほうがいいのでは」と思ったりもしたが、みていると実に巧みにその「手」を使って何でもこなしていく。とても自然にだ。
まもなく食事は終わり、トレイを返す時になった。私の座席は通路から離れているから、普通は通路側の人に中継してもらう。しかしそれを彼女に頼んでいいものであろうか?私は一瞬ためらった。しかしそんな私の迷いをよそに彼女は自分から手をさしのべてきた。
私は彼女にトレイを渡した。彼女はとても自然にそのトレイを受け取り、そしてスチュワーデスに渡した。
そのとき私は思った。彼女は普通にできることは自分でしたいのだと。確かに彼女の左手は普通のひとより少し不便かもしれない。しかしだからといってできることまで他人に頼る必要はない。
彼女とは他の人と同じように接しよう。相手が助けを求めて居るようであれば助け、そうでなければ彼女がしたいようにしてもらおう。
それからしばらくの間私は起きてぼっとしていた。一応それまで寝ていたのですぐにまた寝るわけには行かないが、どうも難しい本を読んだり、コンピュータをいじるなんてのはできそうにもない頭の状態である。間抜け顔をさらして座っていると何かの拍子に彼女が話しかけてきた。
"Are you going home or going to business or something ? "
その英語は私が知る限りNative Speakerのそれであった。私は「家に帰るんだよ」と言った。
そこから彼女との会話が始まった。彼女はUCLAで歴史を教えているという。そして日系人の歴史について講演だか何かをするために日本に招かれたのだそうだ。
何を話すの?と聞くと日系人の歴史。2世か3世が生み出した文学(これはちょっと不確か)、それに大戦中に強制収容所に集められていたときに収容所内で生まれた美術などについて話す、と言った。それらのトピックスを聞いていると時間さえあれば私も聞きに行きたいと思ったほどだ。彼女は自分の講演内容が日本人にどう受け取られるかを大変気にしていたから、私は「そういうトピックだったら、みんな興味を持つと思うよ」と言った。しかし彼女は言葉の壁も心配しているようだった。美術を紹介すれば、言葉がわからなくてもみんなに気持ちは伝わると思うけど、、と。
次には私の話になった。私は一応ソフトウェア関係の企業で働いていてね。でも今回のBusiness Tripはなんだかさっぱりわからなかったなあ。。となんとか答えた。米国にいたことがあるの?という質問から、お互いStanfordでGraduateコースにいた身だということがわかった。世の中が狭いとはこのことだ。彼女はどうもFootballにあまり興味がありそうではなかったので、「今頃UCLA at Stanfordだね。。」などという話題は持ち出さなかった。
そうして色々なことに話題が飛び始めた。彼女は日本に行くのは初めてだという。日本滞在中のスケジュールは確定していないが、時間があったら是非観光をしてみたい。どこか推薦する場所は?と聞かれた。なんでも今回の準備に忙しくて、とても観光の下調べなどする余裕はなかったのだそうな。
私はこの質問に対してしばらくの間沈黙して考えなければならなかった。東京エリアで観光に行く場所というのはどこだろう?私はまず皇居を推薦した。実際皇居には何もないが、そのこと自体がたぶん他の国とは異なっていると思うからだ。彼女にそのことを言うと「バッキンガム宮殿に行ったことがあって、仰々しく門番がいたけど、ああいうのはいないのね」と言った。私は「その通り、比較すると面白いと思うよ」と答えた。
次には、、、としばらく考えていたのだろうか。普通の人が何をしているか見たい、と言われたので(愚かにも)新宿なんかいいかもよ、と答えてしまった。実は新宿はもう何年も行ったことはないのだが、それでも普通の人間がたくさん集まるところとしてはいいかもしれない、と。
すると彼女はたぶんその答えに満足しなかったのだろう。「歴史に興味があるから、そうした古いものが或場所は」と具体的に聞いてきた。そこで私はふと頭に浮かんだ「鎌倉が良いと思うよ。ちょっと時間がかかるけど、数百年前には政府があったところだから」と言った。
実は彼女はこの面でも多少調査をしてきたらしい。「浅草が良いって聞いたけど」と言ってきた。実は私は浅草をちゃんと回ったことがない。しかし写真や話を聞いたことがあるので「それはいいね。たぶんあまり時間もかからないと思う」と答えた。
彼女との会話はあるいはこうして文字になおしてみると実に他愛もないものだったかもしれない。しかしその間に気がついたことが一つある。会話が進むにつれ、彼女の左手が義手であることが全くきにならなくなったことだ。彼女は時々左手で頭をかくというか、髪をかきあげるようなしぐさをする。最初の一回だけは「あんな金属の鍵爪で頭をかいて、痛くないのだろうか」などと思ったのだが、その後は全く自然な動作としてうつった。
彼女とあれこれ話しながら、そして自分のそうした心持ちを考えながら私は荘子の中のある一節を思い出していた。
「ごつごつした大きなこぶだらけの男が、斉の桓公に道を説いたところ、桓公はすっかり気に入って、それからやはり五体満足のふつうの人を見ると、その首が細くて弱々しくみえるようになった。してみると、内面の徳がすぐれていると、外の形などは忘れられるものである。」
彼女の義手は私にとってまさにその「こぶ」のようなものになっていたのかもしれない。
そう。彼女との会話は楽しかった。英語を使うのはしばらくぶりだから、しゃべるほうはなかなかスムースに行かなかったが。こうした「自分の考えを自由に発言でき、かつちゃんと成立する会話」、というのは少なくとも過去数日間私には縁がなかったものなのだ。あるいはもっと長い間を考えてもそう滅多にあるものではないのかもしれない。
さて、そうした楽しい会話もちょっとネタ切れかな、と思ったときにちょうどというべきかなんというべきか映画の時間になった。そこで一旦会話をうち切り、私はヘッドホンをつけてスクリーンを見つめだした。しかし一本目の映画が終わったところで寝てしまった。彼女も最初映画を観ていたが、そのうちノートパッドを取り出してなにやら書いていた。
星の中心に近い位置にいる人の時計:実際問題、飛行機に乗せた時計と地上の時計でもずれは生じる。飛行機で旅行ばかりしている人は少し早く年をとるはずである。もっと極端な例で言えば、ブラックホールに落ち込もうとしている人間を離れたところから見ていると、彼の時計はブラックホールの縁では止まったように見えるはずである。本文に戻る
げらげらと笑う:この様子は時々海外の映画でもちょっと誇張して取り上げられる。すぐに思いつく例は、007シリーズのLicense to killの中ででてきた麻薬買い付けの商談におとずれた日本人の集団であるが。本文に戻る
勝てるかもしれない:実際この試合はStanfordの勝利に終わった。本文に戻る
North Carolina戦:この模様については、「夏の終わり11章」を参照のこと。本文に戻る
空中飯盛人:(トピック一覧)私が何故こんな呼び方をしているかについては、トピック一覧他の文章を参照してください。本文に戻る