題名:2001年のゴールデンウィーク

五郎の入り口に戻る

日付:2000/5/22

夜行列車 | 江田島 | 旧海軍兵学校 | 四国にて | 旅の終わり


夜行列車

今年もゴールデウィークが巡ってくる。しかも9連休だ。これは一発どこかへ行ってみるかと言う気が起きても良いのだが、4月に入ってからというもの私はよれよれになっていた。

この衰弱の原因が何であったのかは未だに解らない。しかし確かな事は何もない週末であれば、いや何かあってもそれをキャンセルして寝込むほど体調が衰えていたという事実である。ちょうどこの頃は、中2階とでも言うべきロフトから階下に寝床を移した時期でもあった。本来であれば電話機も下に設置するべきなのだが、それをやる気力が起きない。布団の上でくたばっていると電話機がなる。しかし階段をかけのぼりそれに答える気などさらさら起きない。

かくのごとき状況であるから、来るべき9連休に何をしよう、などと積極的な事は何も考えつかなかった。これだけ長い休みであれば、海外に-たとえばまだ言ったことのない韓国とか-に足を延ばしてもよかったのに。

連休前の週末はなによりも大切なPolypus & JMSの練習をさぼってまでアパートで寝ていた。実はこのときは私の持病、腰痛も併発していたのである。席替えにともにない机の配置を換え、少し腰をひねったような状態で仕事をしていたのがいけなかったのか、とにかく腰痛なのである。幸いにも動けないほどではないが、どこかにでかけようなどと思いも寄らない。幸か不幸か曇り空の下とても寒い二日間。私はひたすら眠り続けた。

月曜日になるとさすがに体調ももどったようである。腰痛もだいぶおさまった。それまで

「ゴールデンウィークは9日間引きこもり」

とか放言していた私であるが、さすがにそれはもったいないと思い始める。

4月の29日に東京で用事があるから出発できるのは30日だ。さて、どこに行こう。去年の秋休みに寝台特急の旅をして大変楽しかった。もう一度あれをやってみるというのはいかがであろう。そうだそうしよう。さて、問題は行き先である。

最初は北の方に行こうかと思っていた。電車の中のつり広告でカシオペア号とかいう北海道に行く豪華寝台特急の事を知る。をを。これはいいではないか。しかしそのうちこうした豪華設備は一人で使うべき物ではないのではなかろうかと思い出した。そして私はいつも一人旅である。隣の部屋から複数の人間の楽しそうな声など聞こえてきたら疾走する列車の窓から身をなげてしまうかもしれない。

ではどこに行こうか。そんなことを考えながら本を読んでいるとある記述に目がとまった。それは四国の高松に関するものだ。それを読み少し考える。四国に行ったのはずいぶん前のことだ。これは一発行ってみるかと。さてそう決めると列車をあれこれ探し出す。高松につく夜行列車もあるのだが、時間が今ひとつである。どうしようかなと思っていると下関行きの列車がある。下関まで行っては行きすぎだから途中で下車し、そして四国に渡る事にするか。そうと決めるとさっそくチケットを買いにいく。問題はこの「途中」をどこにするかであった。私はなんの根拠もなく「徳山」にした。朝の8時過ぎに停車するから時間がいいのと、

「徳山って名前を聞いたことはあるけど行ったこと無いから」

というのが理由である。さて、家に帰ると徳山に何があるのかインターネットで調査だ。まずはオーソドックスに徳山市役所のWeb Siteから出発である。市のマスコットキャラクターとおぼしき象がでてくる。なんで象なんだ。まあ理由はあるのだろうか、あまり聞きたいとも思わない。ちょこまかでてくる水色の象。そもそも何故水色なのだ。ピンクの象よりは私の弱った神経を刺激しないとはいえ。いや、そんなことにかかわっている場合ではない。そう思い先に進む。しかしその結果解った事は

「徳山には見る物がほとんどない」

という事実である。観光名所があれば真っ先にアピールすべき市役所がこの始末である。これは期待しない方がよさそうだ。どうしたものか。

そんな事を考えているうちに、私はある場所に行きたいと思い出していた。江田島にある旧海軍兵学校である。何度か行こうとしたことがあるのだが、結構離れたところにあるので手が出なかった場所だ。ひとつ行ってみるか。江田島には広島からいくことになる。そう思い徳山広島間の運賃をしらべてみると3000円以上もし、時間は1時間半もかかる。わざわざ遠くまでいって、回れ右して戻り、かつ金と時間を使うというのはあまり賢明なこととは思えない。ああ、おれはなんて馬鹿なんだ。こうやって無為に3000円あまりを無駄にするのか。私の馬鹿馬鹿馬鹿と自己嫌悪に陥ること数分。ふと

「行き先の変更というのは不可能なのだろうか」

と思いついた。よく解らないのだが、とりあえず試みてみよう。少なくともこうやって一人自己嫌悪に陥っているよりはましそうだ。 

さて、あければ4月30日。午前にMacの部品の部品を買った後横浜駅の緑の窓口に向かう。大変混んでいる。というか列はそれほど長くないのだが順番とりの争いが熾烈だ。ある女性は自分は列に並び、離れたテーブルで夫に指定券の購入用紙をかかせていた。彼女の順番が来たが、まだ夫は書き終えていない。

「お父さん。まだなの」

とか一瞬その列を離れた空きに同じくらいの年の女性が割って入った。少したって夫は用紙を書き終えたようだが、割り込んだ女性はそのまま係員とやりとりを続けている。中年の女性というものは畏れをしらない。遠慮も無ければ謙譲も無しだ。まあなかなかすがすがしい態度とも言えるのだが。自分が当事者でなければ。

さて、そんな様子を見ていると私の番である。行き先を変更したいのですが、というと相手は

「同じ車両で空きがあればいいんですけどね」

と言っている。何も遠くまで行こうというのではなく、本来行くところより少し早く降りるのだから、余分に席が空いていなければならない、という理屈には承伏しかねるが、まあそこは気にしないことにしよう。幸運にもまだ空きはあったようで、行き先変更は問題なくできた。ところが特急券の料金は変わらず、乗車券は600円あまり安くなっただけである。この値段であれば、別に行き先の変更などしなくても良かったといえるかもしれないが、もししなければ私は旅行の間中

「ああ。なんという無駄な事を。ああ。なんという無駄な事を」

という強迫観念にさいなまれたであろう事を思えば、この600円は値千金というやつである。

さて、あれこれの用事が終わると終わると眠くなった。まだ時間はたっぷりあるから寝ることにする。とにかく私はお昼寝が大好きだ。日産にきたゴーンとかいうおじさんは

「昼寝をするのは次の人生でだ」

とかいったそうだが、私なら日産の社長にしてやると言われても昼寝を諦めるのはご免である。もっとも本当の所は彼は3度の昼寝よりも仕事が好きなのだと思うのだが。

目覚めると5時だ。あれこれ準備をするとのこのこでかける。そこからしばらく横浜駅の中をさまよう。まずは晩飯。何を食べようかと思って歩いていると、去年の秋、寝台車に乗る前にさまよっていた場所と全く同じコースをさまよっていることに気がつく。あの日は確か迷った末にカレーを食べたと思うのだが、今日はちょっと雰囲気を変える。私にとっては禁断のコレステロールの固まり、豚カツである。まあたまーに食べる文には問題なかろうと思ったが、そういえば数日前にメンチカツを食べた気もする。しかしどうも旅行となると気が大きくなるというか妙な事を考え出すから困りものだ。所謂

「旅の恥はかきすて」

という感情の延長戦上にある事なのかもしれないが、この豚カツは「かきすて」とするわけにはいかない。その偉大なカロリーは血となり肉となりなによりも素直に脂肪となって私を苦しめることになるのだ。

などと考えながら綺麗に豚カツをたいらげてしまった。久しぶりのせいもあるだろうが、大変おいしい。難を言えばつけああせにでてきた「大根下ろし+うずらの卵」をどうやって食べたらいいかわからなかったことくらい。勘定をするときに貼り紙を見れば

「消化の助けになります。しょうゆでお召し上がりください」

とのこと。しかしそうとは知らない私はそれを豚カツにかけてしまった。この二つはかなりの水分を含んでおり、消化の助けにはなったと思うのだが、豚カツ自体が水っぽくなってしまった。

それから本屋に行ったり、珈琲屋に行ったりと全く同じパターンを繰り返してホームに向かう。家路につく人たちにまじって大きな荷物を持ち、いかにも旅行に行きますといった感じの人たちがちらほら見える。彼らはきっとこの電車に乗るのだろう。まもなく入線してきた。例によって先頭車両は偉大な機械がつまったとおぼしき車両である。

乗り込むと秋に使った物よりずいぶん設備が充実していることに気がつく。部屋の中には小さなTVもある。とはいっても放映されているTV番組がうつるわけではない。延々と流されるビデオが映るだけだ。お客様が持ち込んだビデオもご鑑賞できます、と書いてあるが、そんなことを知らなければ誰がかさばるビデオなど持ち込むものか。つけてみるとなんだか日本映画をやっている。興味がないから消してしまった。音楽も聴けるらしいが、今の私にとっては単調な列車の音の方がありがたい。

さて、鍵はどこだろうと思いこの前あったとおぼしき場所を探してみるが何もない。とりあえず鍵が手に入るまではココを動くことはできないから、しばらくMacintoshなど触っている。この前は電源の調子が悪く、いつバッテリが切れるかひやひやものだったが、今は実に快調。窓辺に座ってキーなど叩きながら外を眺める。部屋の中は快適な個室、外はいつも通勤電車で眺める風景。ちょっと不思議な気がする。いつもよれよれしながら立っている駅のホームをこうしてベッドの上に座って眺めている。そのうち車掌さんが来た。

どうやらこの車両は「カードキー」で開け閉めをするらしい。私が初めてだというと実演をして使い方を教えてくれた。それとともにタオルだ、歯ブラシだのセットを持ってきてくれ、この車両についているシャワー室の券までもらえた。至れり尽くせりである。

さっそく施錠するとちょっと見物に出かける。車内販売はしていないということだが、隣の車両はラウンジのようになっており、何人かが掛けて新聞を読んだり、弁当を食べたりしている。TVではさっきのビデオが流れている。ふと不思議な感じがした。この場所は外の時間の流れとは切り離されている。映っているのは録画されたビデオであり、リアルタイムの騒がしい放送ではないのだ。

今や携帯電話のおかげでこういう時間というのは少なくなってしまった。どこにいても音声やらメールやらが届いてくる。しかしこのラウンジは実にのんびりだ。誰一人携帯の画面に向かって忙しく親指を動かしたりしていない。しばらく新聞を立ち読みしたり、時刻表を眺め明日のプランを考える。隣では男女数人のグループが仲良く弁当など食べている。女性が

「時間があるときはこうしたゆっくりの旅がいいね」

という。

私は部屋に戻った。では一発シャワーでも体験してみようかと思うが、部屋の中についている「シャワー使用中」のランプは点灯したままだ。しばし部屋の電気を消して外を眺める。鉄道添いに立っている家の明かりが見える。カーテンが閉まっていなければふと部屋の中が見えたりする。覗き趣味とかではなく、私はそうした部屋を見るとふと考える。あの部屋にはどんな人が居るのだろう。どんな生活を送っているのだろう。空には半月がでている。こうして明かりを消すと月というものが存外明るい物であることに気がつく。またいくつかのホームを通り過ぎる。

などとぼーっとしていたのだが、やはり退屈なので、ダウンロードしておいたあちこちのサイトの文章などを読み出す。けけけけと笑うこと数分。シャワー室の試用中を示すランプは消えたようだ。そそくさとたちあがるとさっき車掌さんが持ってきてくれたアメニティセットをつかむとシャワー室に向かう。

トイレの向かいにあるのがシャワー室である。開けてみると注意書きが書いてあり、カードをつっこむと6分シャワーが使えるとのこと。6分か。短いなと思ってみたがまあよかろう。すっぽんぽんになるとさっそくシャワーを浴びる。最初に適温になるまでも6分にカウントされたらやだなと思っていたが、すぐに暖かいお湯が出始めた。

実はここに至るまでに私はあれこれ考えていたのである。さっきもらったアメニティセットに確かにシャンプーは入っている。さて、今日髪の毛をあらうべきでしょうか。私は二日か三日に一度髪の毛を洗う人なのであるが、その後にとっとと布団にはいって寝ないとかなりの確率で風邪をひいてしまう。もっともこれはドライヤーという文明の利器を使わないからだという説もある。そしてこのシャワー室には幸いな事にドライヤーがついている。おまけになんだかさっきから頭がかゆい。このまま頭を洗わないと明日一日頭をぼりぼりと掻きながら、洗髪することだけを考えて一日過ごすことになる。それはいやだ。

そう思うといっきに頭を洗いにかかった。もっとも使うのはシャンプーではなく、石鹸である。ごしごしと洗うとなかなか爽快。泡立ちもよろしい。いつもの私の基準からすると結構丁寧に体も洗ってふとシャワーのそばについている時間計を見れば、残りは4分55秒である。なんと。まだ1分ちょっとしか使っていないのだ。

せっかく6分使えるのだから、もうちょっと粘ろうと思うのだが、何をしたらいいか思いつかない。黙ってお湯を浴びていてもいいのだが、なんとなくばからしい。しょうがないから残り時間4分30秒でシャワーはお終いにした。

「シャワー室使用中」のランプがついていた時間からすると私の前にシャワーを使っていた人はずいぶん長い間この部屋にいたらしい。しかしお湯がでるのは6分ではないか。いったい何をしていたのだろう、という疑問はしばらくして氷解した。おそらくその人は髪の毛を乾かしていたのである。ここについているドライヤーはなんだか風量が少なく、おまけにその温度もぬるい。これではなかなか髪の毛は乾くまい。もっと大きな問題はホースが短い事である。根本はかなり下の方についているから、私が使おうと思うとちょっと腰をかがめなければならない。これは腰痛を考えたとき最も悪い姿勢である。しかしここで中途半端に乾かせば明日風邪をひいてブルーな気分ですごす、もしくは鼻水の海の溺れそうになるのは必定だ。私は腰痛の恐怖にさいなまれながら髪の毛をやたらとぱさぱさする。ドライヤーの口からは相変わらず生ぬるい温風がふうーふうーと流れ出ている。

そのうちどうにか風邪を引かない程度(と私が勝手に思った)に乾いたようだ。また外などぼんやり眺めているうちに列車は静岡に到着した。風呂上がりでいいかげんな恰好をし、布団に半分入り込んだ私と、仕事の帰りだろうか、疲れた様子で鞄など抱え駅のホームに立っている人の姿はガラス一枚隔てただけなのにあまりにあまりにもかけ離れている。

そんなことを考えているうちに寝てしまった。夜中に何度か起きてトイレに行ったが、翌朝は5時半に目覚めた。ちょうど尾道を過ぎた辺りだ。あの坂に広がる街並みが見たかったが少し遅かったようだ。ここまでくれば広島まであと少しである。 

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注釈