日付:1998/8/15
次の週私はかなり上機嫌であった。
さて月曜日はCと話す機会があったので、土曜日の合コンの一部始終を話した。私はK鳥ともう一度会ってみたいと言い、KBはK江が良いと言っていた。Cの口からは次のような言葉が語られた。
「IZはK江をタクシーで常滑まで送っていって(ちなみに彼の家は全然方向が違う)おまけに名刺をもらった」
もしCの言葉に間違いがなければ、K江をめぐってIZとKBが競合することになる。おまけにまずいことに幹事であるK野は一人残ってしまう。私は将来になんとなく不安を覚えたのである。
日曜日にK橋にお礼の電話をした。そして月曜日、彼女たちの会社にKBの電話番号をFAXで知らせた。ーそしてこの話はここで停滞してしまった。
これはまことに不思議なことだが事実としてみとめなくてはならない。土曜日KBと寮で留守電にはいっていた彼女たちの声を聞いたときは、私は自分の消極性(つまり相手の電話番号を聞かなかったこと)を棚に上げてこの話はきっと続くと考えたのである。しかしながら恐らくは酔いが覚めるに従って少なくとも女の子の側はまさに「素面に」もどったのであろう。
さてその日は日本晴れであった。
昼過ぎにCとの電子メールでの会話。(かなり脚色)
C:「今日のYJは気合いが入っていますよ。 一見の価値ありです。」
私:「ごよぴー が考える今日気合いの入っている人達1)YJ2)YD3)KW4)Mr.K5)IZ6)KN7)あと知らない」
C:「IZとMr.Kははずれる。Mr.Kはこれから病院だし、IZは進展が無いようだし」
私:「(Mr.Kの病状についての会話は省略)Mr.Kはうまくいっていないの?」
C:「あまり電話もしていないみたいですよ。」
私:「年末に向けていろいろうまく行き始めたと思って喜んでいたのにな。。。。それより自分のことが先か」
C:「そうですよ。がんばってください。」
私:「そちらもな」
C:「なんのことでしょう。私はスキーに命を懸ける青年。俗世間のことなどとんと関心にありません。ほほほほほほ。」
私:「まるでかつての誰かのようなエセの悟りをえたようなセリフをはくんじゃない。そういえばおれはいつからエセの悟りを得たようなセリフをはかなくなったのだろう」
C;「そうですね(途中省略)11月じゃないでしょうか」
YDがいつかの鍋の集金に来た。よっぽど「今晩のご予定は」と聞いてやろうかと思ったが、風邪で鼻水がとまらずに、やむおえず服用した風邪薬でラリっていたので結局黙っていた。
その日名古屋港では夜に花火が行われるのであった。7時頃の名古屋港方面の地下鉄を待つ栄のホームは異様に混んでいた。-アベックの群で。彼らは一様にもうできあがっているように見えた。もし私が今日だれか(女)と名古屋港の花火に向かうとしたらやはりああいうふやけたような笑顔を浮かべているのかなと少し考えた。まだああいう笑顔をうかべることができるのだろうか。昔は確かによくああいう風に笑っていたような気がする。いやきっと今だって結構だらしなく笑えるに違いない。
遅れてはならないと思って一生懸命早足で歩いた。この日この時間に早足で待ち合わせ場所に歩いている男は多かったことだろう。しかし私の表情は硬かった。にやける理由は一つもない。固い顔をして少し殺気立って早足で歩いている男の数はそれほど多く無かったかもしれない。
泡を食って日産ギャラリに向かうとすでにCとKBは来ていた。会社をでるのが遅くなったので、30分も遅刻するかと思ったが、5分だけですんだ。もっとも残りの一人であるところのN2号は1時間ほど遅刻してきたが。幸いにもN2号の大幅な遅刻を事前に知ることのできた我々は、彼をとりあえず見捨てて白札屋に向かった。日産ギャラリはいつもの通りの混み具合であった。
白札屋で男4人でキムチ鍋をかこんで大騒ぎをした。いろいろな話が聞けたが結局進んでいるのはHRとYDくらいのようだった
それからカラオケに行った。KN大学合コンの2次会(HappyDays16章参照)で行ったというところである。英語の曲がたくさんあるのを見て私は驚喜した。
私が歌ったのはQueenの"We are the champions"という名曲である。最後まで戦っている私たちはチャンピオン。足を止めてはいけない。少なくともしばらくの間は。
また別の日本の曲の歌詞はこう言っていた。
「宇宙中がX'masを迎える準備に追われている」
ふーん。ずいぶん大変なイベントなんだねぇ。
3時間後大騒ぎのあげく男の4人は家路についた。私は文句なしに幸せであった。カラオケにきて全開で歌ったのは3年ぶりくらいである。日本に帰ってきてから、男の歌の歌詞が軟弱に聞こえてしょうがない私は、以前のように全開で歌うことは無くなっていたのである。風邪をひいて喉が痛かったが、そんなことはどうでもよかった。飲み会にまぜてくれたC、KB、N2号に感謝した。
タクシーを降りた。ふと時計を見るともう12月25日になっていた。
考えてみると私はこの日に何をしていたかを高校2年の時にまでさかのぼって覚えている。高校2年の時は男3人で大曽根の町でふらふらしていた。高校3年のときはただ勉強していた。大学一年のときは部屋で一人で飲んでいた。大学2年から4年の間はRC-SUCCEESSIONのコンサートに行っていた。会社にはいって一年目は先輩の代打でいきなり合コンに出席であった。もっともこの合コンでは「名古屋の女の子はなにかもりあがりかたが違うのかもしれない。」と将来に不安を覚えたのであるが。2年目は覚えていない。3年目は早く寮に帰って新妻や婚約者に電話をしたそうな同じグループの人間を叱咤激励しながら研修の課題にとりくんでいた。4年目はあてがはずれて、腹いせに一人で姫路にむかってドライブしていた。5年目は意図的に一人で寮で寝ていた。6年目はフロリダのディズニーランドにいた。そして男2二人と女一人でクリスマスディナーを作って食べていた。7年目は香港青年とふたりでアリゾナの田舎町でごはんを食べていた。8年目は雪が降ってきたので早めに帰宅して寝ていた。
今日のことだってきっと記憶に残るに違いない。そして今年は楽しかった。
12月29日は会社が最後の日なのである。そしてその日私、KB、C、STは会社の近くの某寿司屋で飲んでいた。
さて12月18日の合コンは男側の参加者全員が気に入った女の子がいたということで、CとSTの関心を引いていた。そして当然その次は?という質問がでた。そこで私が現在手詰まり状態にあることを述べた。この事態を打開するために私は二つのオプションを考えていた。
1)大本の幹事であるK橋に電話をして彼女をまぜてリターンマッチを企画する
2)K鳥とK野の会社に電話をする。(我々は名刺をもらっていたのである)
さてもうひとりの参加者であるところのKBに意見をうかがったところ彼は即座に「2)おまけに私が電話しましょう」ということになった。しかしなぜか場所の手配は私がすることになった。もし話がまとまればそれくらいはお安いご用だ。
さて参加メンバは話がまとまる前からいきなり決まって、ここで飲んでいる4人となった。「IZは?」という私の質問に対して、Cは「彼は少しおあずけ」と言った。彼にしてみればせっかく中山美穂との中をとりもってやったのに、(しかも最初に希望をだしたのはIZのほうである)優柔不断な態度に終始し、おまけにこの前の合コンではK江に手を出そうとするなど確かにCがおあずけというのも無理はない。
STとCに彼女たちの雰囲気を聞かれたので、私は「YD合コン(YD合コン参照)の対極に位置する」と説明した。彼女たちはよく食べるしよく飲むし、会話もきどらないし。YD合コンの上品さはないものの、それとは違う雰囲気もよいのではないかと言った。
さてSTは私が珍しく「おもしろいと思った」女の子K鳥がどんな女の子か知りたがった。KBはその質問に対して扇子を振り回すまねをしてジュリアナぽい曲を口づさんだ。私も異論はない。私は以前から富田靖子が好きだといっていたので、その趣味に合わないではないかと言われた。私は自分の好みにはいくつかの非常に相反するタイプがあり、実は山本リンダも好きなのだと行った。 彼女は当然後者の方に属するわけである。
さて次の話題はYDであった。KBは寮で彼の隣の部屋にいるのである。そして彼の証言によれば「25日YDは朝から晩までギターを引いていた」そうである。このことからYDは行き詰まりになっているのではないかという観測が語られた。しかしこれは結局部外者の観察である。だいたいその事実は12月24日の晩に彼が何をしたかについて何も語っていないではないかと言った。しかしKBの意見によれば最近24日に何かするのはあまりにもありふれているので、できていれば25日に何かするはずだと言うのである。これではあまりに情報が少なすぎる。とはいいながら、私は前から段ボールがいいと言っていたSTをけしかけていた。
そこからCとSTと私は非常に女の子の好みがうるさいという話をした。数々の合コンシリーズで多少なりともCが気に入ったのは大阪合コン(第一次)の彼がいうところの「森高似娘」とKN合コンの幼稚園の保母さんだけである。STにいたってはYD合コンの段ボールだけだ。私?私は自分を棚にあげるのが大変得意である。
さてそのあと男の子たちはカラオケに行って騒いだ。この宴会にKNもきたかったのである。Cは「9時までは飲み屋にいるから」とKNに言っていたらしいのだが、私たちが飲み屋を後にしたのは8時であった。飲み屋をでてからKNが来たがっていたはなしを聞いたが、もう後のまつりであった。8時から9時まで1時間の差をどう考えたか?不思議なことに「1時間早くきりあげることなんてよくあるよな」と自分で納得していたのである。しかし当然店に伝言が何かを残しておくべきであった。これに関しては全く私自身としても弁解の余地はない。したがって寮に帰ってKNの「大坪さん。どこにいってるんですか」という留守電のメッセージを聞いて私はうなされてベッドにつくことになったのである。というわけで平成5年はひどい自己嫌悪とともにくれることになった。
さて12月30日の夜に部屋の電話のベルが鳴った。でてみればYDである。彼は「大坪さんは年末年始どこにいくんですか?」と聞いた。私はどこかでぶらぶらしていると告げた。彼は初詣プロジェクトを考えたようだったが残念ながら私は不参加だ。いきなり電話は女の子の声になった。「私は誰でしょう?」こんなしゃべり方をするのは、状況から考えれば一人しかいない。しばらく彼女と話した後、またYDにかわった。
「こんな時間にそんなところで彼女と何をしているんだね?」
「いや。そのうち詳しくお話しますから」
そしてお互いに「今年はどうもお世話になりました。来年もよろしく」と言った。
さて私はある日ある女性-古い友達である-と話をしていた。
今までにみた映画で感動したものの話になった。そして私は大好きなCinema Paradiso をあげた。彼女はみたことはあるが、全く内容を覚えていないと言った。
「映画館が火事になるんだよねえ」
と無邪気に言った。
自分が感動した映画が、たんなる映画館の火事物語で終わらされてはたまらない。そこで私は私の好きな"You are young. The world is yours"の話をした。
彼女はふーんという顔をしていた。これは関心したのではなくて、たんにふーんと言ったのである。
彼女の関心がひけないと悟った私は、次に
「女の子だったらPretty Womanとか好きかな。あの金持ちの男が女の子にクレジットカード渡して”何でも買いな”って言うところとかやっぱりいいと思う?」
と聞いた。彼女の答えは
「The world is yoursってそういうことなんじゃない?」
前から気づいていたことだが、男と女の間には深くて長い溝がある。彼女たちにとってThe world is yoursとは無制限に買い物のできるクレジットカードを手に入れることなのである。いかんこんなことで動揺しては。
12月24日にCとの電子メールでの会話で自分がCに向かって書いた言葉を思い出すべきなのだ。なんと言おうがホモに転向しようと思わない限り、女性とつきあうしかないのだよ。
女性に関してもう一つ印象的な映画のシーンがある。マタンゴという映画の中で、脇役の男がこういうセリフをはく。
「なぜ女を船にのせちゃいけないか知っているかい?海の神様がやきもちをやくなんてのは嘘で、男が女にいいかっこみせようと思って変になっちゃうからさ」
そう。たとえ船と命を危険にさらすような状況でも男は女性にいいとこをみせて関心を引こうとするようにできているのである。
もうひとつ私の好きなセリフ。私の好きなアメリカのコメディ番組、"Cheers"の超プレイボーイ"Sam"役の俳優が、スペシャル番組で”Samの信条は?”と聞かれた。答えは"Service for the Queen Bee. "である。女にもてるだもてないだといっても要するに女王蜂へのサービスなわけだ。そして男の子はそれに血道をあげるようにできてる。
さて年があけてしまった。今年もがんばってService for the Queen beeとfind out what "The world" menas to me に精進するか。
1月3日の晩、さっさと私がねていると、部屋にHRが来た。そして妹の手作りだといってまさしくすばらしいチョコレートケーキをおいていってくれた。
「うまくいっているよ」
と彼は言った。ここまで来ればしめたものだ。あとは時間の問題だと言ってしまおう。しかしHRはまだ慎重な態度を変えないに違いない。私の母は
「合コンばっかりやってないで、少しはまじめに相手をさがしなさい」
と私に言う。別に無駄に合コンやっているわけじゃない。HRには彼女ができたし。なんたってこのチョコレートケーキは信じられないくらいおいしいのである。
1月4日。大須のアメ横を歩いていた私は、小さな神社を見つけた。迷った末におみくじをひいた。「アルバイトだぞー」と顔に書いてあるような女の子がくれたおみくじは、正月スペシャルとでもいうようなものだった。曰く10くらいのカテゴリーにわたって、「総てうまくいく」と書いてあった。
私はそれを丸めてすてた。こんなものを信じるわけにはいかない。
YJは気合いが入っています:Cの主張及び本人が認めたところによると彼女(YJ)はときどき化粧とか態度とかが妙に明るくなっていることがあるのである。多分その日はデートがあるのだろうというのが我々の意見である。その状態を「気合いが入っている」と称する。本文に戻る
ごよぴー:私のこと。姉のところの次女は私をこうよぶのである。ごっぴーとも言う。本文に戻る
Mr.Kはうまくいっていないの:ここらへんのいきさつについてはHappyDays15章参照のこと本文に戻る
歌詞が軟弱:牧原なんとかとか、とにかくなぐりたくなるような男の歌詞である。本文に戻る
12月25日:(トピック一覧)このころはまだ気にすることは気にしていたのである。本文に戻る
優柔不断な態度:後に判明したことであるが、優柔不断だったのはIZよりは中山美穂のほうっだったようである。彼の名誉の為に付記しておく。本文に戻る
Cinema Paradiso;(参考文献一覧)日本での題名は「ニューシネマパラダイス」本文に戻る
なんと言おうがホモに転向しようと思わない限り、女性とつきあうしかないのだよ:(トピック一覧)女性に失望して本当にホモに走った男性がいるかどうかは定かではない。本文に戻る
命をを危険にさらすような状況でも男は女性にいいとこをみせて関心を引こうとする:(トピック一覧)種の保存を考えるとこの本能はちょっと行き過ぎかもしれない。本文に戻る
Cheers:(参考文献一覧)こうしてホームページを作っていると本当によくCheersから引用していることに気が付く。本文に戻る