日付:2000/11/5
Good Day | Bloody Day
献血について -Good Day (2000/11/5)街をあるいていると、必ずといっていいほど
「献血をお願いいたします」
という声に出会うと思うのは何故だろう。そうした場合、大抵私はよれよれと歩いているので
「こちらが輸血してほしいくらいだわい」
などと不遜な事を考え足早にその声の脇を通り過ぎる。しかし自分でも理解できないのだが、数年に一度
「では一発」
と言う気になる。
2000年11月の5日は見事な晴れだった。3連休だから学園祭などというものをやる人たちもたくさんいて、その人たちには「これ以上はない」くらいの好天ではなかろうか。おまけに気温は実に快適でシャツ一枚で暑くもなく、寒くもない。
そんな日に私が何をしているかと言えば、ハードディスクの購入である。実を言えば、
「この連休は、新しくリリースされたOSで遊ぶぞー」
と気合いをいれていたのだ。そのための新しいハードディスクの購入なのである。
あっさりと目的のディスクを購入すると考える。さてどうしたものやら。まだ時間は11時。家に帰るには早すぎる。というかこの天気の元で暗い洞窟のような部屋に閉じこもるというのはいかがなものか。
では映画を観てみようかと思うが、暗い部屋で閉じこもっていることに関しては映画もパソコンオタクも変わるところはない。それに今ひとつ興味をかき立てる映画は上映されていない。数度チケット売場の前を往復したあげく、私は窓際にたって空を見上げる。抜けるような青空とはこのことだ。私は映画を観ることを断念した。
さて、どうするかということになるのだが、別段いい考えが浮かぶわけでもない。とにかくご飯をたべようと思い、回転寿司にはいる。
あなたは回転寿司というとどのような光景を思い浮かべるだろうか。ベルトコンベアの上にあれやこれやの皿が(もちろんすしを載せてだが)回転しているところを考えないだろうか。しかし考えて観れば当然のことなのだが、開店直後には何も回っていない。
店には10人ばかりの人が居ただろうか。からのベルトコンベアを前に皆おとなしくすわっている。しかしいつまで座っていてもすしが回ってくる気配もない。そのうち
「いかとマグロ」
とか注文が飛び交いだした。この注文のタイミングをとる、ということはなかなか難しい。相手の耳に届くくらいの音量で、しかも他の人の注文にかぶらないように発声しなければならない。世の中にはでまかせでもぽっと決断出来る人と、そうでない人がいる。こうした場では後者の人は実に損だ。何かを注文して
「あ。それ今日きれてるんですよ」
と言われたときに間髪をいれず次の注文をいれなければ、せっかく得たタイミングは他の人のものとなってしまうのだ。
私はといえば、ショウガをがりがり食べてご機嫌になっていた。いつからかわからないが、寿司屋に行くと大量にショウガを食べるようになったのである。そしてこのショウガなるものは無料で回ってくるのをまたずとも大量に食べることができる。ショウガの神様に感謝である。しかしいつまでもショウガばかり食べているわけにもいかないので皆の注文が一通りで終わったところで、
「しめさばとマヨネーズサラダ」
と言った。だって両方とも100円なんだもん。
800円払うとその店をでた。頭上には素晴らしい青空が。さて、何をしよう、という深遠な問題はまだ全く解決していないのである。実はハードディスクを買う前に
「献血にご協力お願いします」
という声には気がついていたのである。しかしまだ先にやることがあるときには
「では一発」
という気分になりにくい。しかし献血の人もさるもの、ちゃんとこう叫ぶのである。
「朝早い時間ですから、皆様先をお急ぎのことでしょう。午前のうけつけは11時半まで、午後の受付は12時○○分(忘れた)からとなっております。どうぞお帰りにでも献血にご協力ください」
ここまで言われれば
「なるほど。では帰りによってみようか」
という気にもなるではないか。これが寒かったり雨がふったりしていれば話は別だが、今日は早く家に帰ってしまうのがもったいなくなるほどの好天だ。この際
「好天の日に献血をすることの意味」
については問わないことにしよう。
そう思いふらふらと献血バスの方に向かう。先ほどあれこれ叫んでいた人は、なぜか静かになっているし、受付とおぼしき机の上は妙にきれいになっている。どうやらもう午前の店じまいをしてしまったのだろうか、と思いながらも
「あの。やってますか?」
と聞く。相手はにっこり笑って
「どうぞどうぞ」
と椅子を勧めてくれた。
さっそく出された紙にあれこれ書く。「今日は献血手帖をお持ちですか」と聞かれるがきっぱりない、と答える。この献血手帖なるものは、献血の度にもらっている。そして財布に放り込んでおくのだがいつのまにか消えている。そして消えたころになると次の献血をしたくなるわけだ。
だから今まで何度献血をしたか知らないし、これでまたその回数もリセットだな、と思っていたが、時代は確実に進歩しているのであった。私が生年月日、名前、血液型を記入すると、相手の人はその紙をもってパソコンの方に向かいだした。
観るとあれこれ入力する画面がでており、パソコンに接続されたケーブルの先にはきっちりと携帯電話がつながれている。Oh! this is IT 革命ね。大坪五郎なる人間は、電話帳に名前をのせている愛知県在住の人だけで数人居る。しかし昭和38年3月12日うまれでO型の大坪五郎さんはそうたくさんいるまい。プリンタからするすると出力された紙には、以前私が住んでいた場所の住所が記入されていた。
自分がその関係の仕事をしていたこともあり、この献血顧客管理システムに関心していたのだが、係りの人はそんなことはおかまいなしにあれこれ指示をしてくれる。その紙の裏面には「はい」「いいえ」で答える質問がいくつか並んでいる。
たとえば米国に入国するときの書類なんてのは
「ナチスのユダヤ人虐待に荷担したことがありますか」
なんて条項が並んでいるが、基本的に「いいえ」だけにチェックしていけばよい。しかしこの献血の質問にはそんなに機械的に答えるわけにはいかない。
あれやこれやの病名が並んでいることに気がつく。また病気によっては本人ではなく、家族がかかってもいけないようだ。肝炎とかそうした病気は私でも聞いたことがあるが、ほっぺたがリンゴのようになる病気もいけないらしい。
そして人によっては迷うと考えられるのが次の質問だ
「不特定の異性と性的接触をもった」
この「不特定の異性」ってのはどういうことか。なんとなく聞きたいことは考えつくのだが、この漢字がたくさん並んだ質問には人をして額に汗をうかばせるものがある。世の中には「一穴主義」なる言葉がある。もしこの言葉を生まれてこのかた正確に実践している人であれば、この質問を観ても動揺することはない。しかしそうでない人はどうすればいいのだろうか。複数と不特定とは何が違うのだろうか。そして「性的接触」とは何を意味するのだろうか。どっかの国の大統領と同じように
"I don't know what you mean by SEX"
とでも言ってみようか。
いや、ここはそんなことを考えている場合ではない。私が勝手に想像した設問者の意図を考えれば私が「いいえ」をつけても誰も非難することはできまい。私は次の質問に移った。
するとこのような設問が(妙にスペースをとって)待っている。
「HIV検査目的の献血ですか?」
この質問はバスの横にもはってあるし、あちこちで目にする。すぐ輸血に使われる血液なのだから、検査をしようと思う=心にやましい点があるなので、献血をしてもらっては困る、ということなのだろう。ふと
「この質問にはい、と答える人はいるのだろうか。もしいたらこの人たちはどのように反応するのだろうか」
と思ってみていた。
記入が終わるとさっそく提出である。相手はいまにして思えば、私が記入している最中に、その答えをチェックしていたのだろうか。ろくにみもせずにうけとった。
「お荷物をあずかりましょうか」
という言葉に甘えて買ったばかりのハードディスクやらなにやらをあずける。2−3人の人がいるのだが、皆顔に笑顔が浮かんでいる。これは愛想をよくしよう、というだけの理由とも思えない。献血をしてくれる人がきてうれしかったのか、あるいは午前が終わってご飯が食べられるのがうれしかったのか。いずれにしても気持ちのよい笑顔である。
バスの中に乗り込むと年輩の男性がいて「座ってください」と言われた。あれこれ聞かれるとともに血圧の測定である。
私はこの血圧測定というものに大変な心理的トラウマを持っている。とにかく宇宙飛行士だろうが、毎年の健康診断だろうが私の健康に対する不安をかきたててくれるのがこの血圧と中性脂肪なのだ。一回目の測定は(彼が紙にかきつけたものを信じれば)138/83だった。宇宙飛行士の選定にはぎりぎりで通る値である。彼は
「もう一度はかりましょうか」
といった。どうやら高すぎたらしい。
長年(といってもたかだか3年のことだが)にわたる高血圧との戦いを通じて、私は一つの解決策を見いだした。緊張すると血圧が高くなる、ということは、この血圧はある程度意志でコントロールが可能だと言うことだ。私と同じ時に宇宙飛行士の選抜を受験した男は、大変な低血圧で、おまけにやたらとまたされている間に居眠りしてしまい、寝起き状態で血圧を測定したときは、高い方が100を切っていたという。かといってここで彼にならっていきなり居眠り状態にはいれるわけではない。まず深呼吸をする。そして心に思い浮かべるのは次のような光景だ。
私は大けがが何かをして床に座っている。周りで看護してくれる人が必死に呼びかけるが心拍は弱くなり、血圧は低下していく。やがて避けることができない運命が訪れる。血圧がなくなるのだ。心臓はしずかに鼓動をとめ、そして圧力がなくなった今、もう血液が流れ出ることもない。そして月日はすぎさり、私は同じ場所で葬るものもなくただ朽ち果てる運命に身をまかせている。おもえらくこの場所は大変乾燥しており、虫も腐敗菌もその生息を許されなかったようだ。私は天然のミイラになった。もちろんミイラに血圧などという言葉は無用。廃墟になった建物の窓-もちろんガラスなどはなくなっている-から少し傾いた日が差し込む。その中私はただ座っている。
まもなく
「ああ。今度はいいですね」
と言った。彼が紙にかきつけた数字は111/63。意志の勝利とはこのことだ。
彼は次に
「イソジンといううがい薬を使ったことはありますか」
と聞いた。後で気がつけば私は使ったことがあるのだが、このときは反射的に
「ありません」
と答えた。この質問の意味が分かったのは数分後である。続いて
「アメリカにはどれくらいましたか?」
と聞く
「1997年一年です」
と答える。
「仕事だね」
と聞くから
「そうです」
と答える。留学でカリフォルニアに2年行っていたなどと言ったら身の潔白を証明するためにさらにさらに言葉をつがなければならなかったのだろうか。
さて、おじさんの質問が終わると次はとなりに座っている女性の前で血液の検査だ。私はどうも皮下脂肪が厚いせいか、昔からこの
「どっちの腕で採血するか」
ということになると相手をなやませてしまう。右腕だして、左腕だして、右ださないで左ださない、ということで採血は左からとなった。右腕にちょこっとさしてなにかをやっているがそれが何を意味しているのかは全くわからない。
この女性はなかなかきれいな人であり、私は例のごとくハナの下を伸ばして見とれていた。そのうち相手がその不気味な視線をさけようと思ったのかあるいは純粋な好奇心かはしらないのだが
「アメリカに一年いっているとぺらぺらになりますか?」
と聞いた。私は
「いやいや。それが聞くも涙、語るも涙の話でして、それはそれは苦労をしたのです」
と言った。そこからしばらく英語の話なんぞをして、相手はこう聞いた
「でも使わないと忘れちゃうっていいませんか?」
私はなんと答えるべきだったのだろうか。しゃべる方はもともとおかしいから退化はしているのだろうが、大したことはない。聞く方は幸か不幸か私の身代わりにデトロイト幽閉の憂き目にあった男からTVを録画したテープを送ってもらい、そればかり観ているからそれほどひどくなっていないようだ。私は
「それがね。未だにちょこちょこ妙な理由で使うんですよ」
と言った。本当の事を言えば今の会社ではさんざん
「嗚呼。英語が解らなければ、上役がこんな馬鹿な事を言っていると知ることもなく、こんな惨めな気持ちにはならなかったものを」
という場面にでくわした。しかしまあ世のため人のため役にたったこともちゃんとある。最近、オフィスで隣にいる広報部に英国の雑誌記者から電話での問い合わせがあり、「ほれほれ」と対応した。少なくともわけのわからない英語の電話を撃退したのだから、広報部の人には感謝され、私は
「にかっ」
と笑った。見栄っ張りの私は他人にいい格好をするのが大好きだ。しかし正直言えば答えた内容はデタラメだったのだが、まあそんなことは誰にもわかるまい。地球のほぼ裏側でうちの会社がどのようなコメントともに書かれているかは神と英国人の読者のみ知るところであり、私の知ったことではない。
さて、そんな楽しい会話もおしまいのようだ。彼女は必要なだけ私の血液をしぼりとったらしい。
「ではあちらで献血をお願いします」
と言われてみれば、ちょっと寝そべるような椅子があり、これまた担当の人が左手から採血する私用にマットの位置を移している。
注釈