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日付:1998/4/22


健康診断その1+願書提出

さて願書を書き終えた私はアパートに戻り、天井を見ながら考え事をしていた(別の表現をすると、「ねっころがってぼーっとしていた」)

願書は4/30日NASDA必着である。まあ投函してから着くまでが5日かかるとしても、4/25にだせばたぶん間に合うだろう。まだ10日ある。体調のいいときのほうが、視力の神様はほほえんでくれるかもしれない(このときはまだ視力のことばかり心配していた)おまけに「面倒なことは意味もなく後回し」という大変問題のある習慣をもつ私としては、「まあ体調を整えて、来週の頭くらいに健康診断でも」と考え始めていた。

そのときある考えが頭の中にうかんだ「健康診断の結果はその日のうちにもらえるのだろうか?」

考えてみれば会社で受けた健康診断は、結果をもらうまでに結構時間がかかったではないか。律速段階は血液検査であり、今回の健康診断の項目にも血液検査はちゃんと含まれているのである。

さて私はここでイヤな予感におびえだした。もし「検査の結果は一週間後にまた取りに来てください」とかいわれたらどうなるのだろう?その場合には私がはじきだした「余裕の期間」は全部パーとなり、かつ間に合わないことだってありえるではないか。どちらにしても落ちるとしても、手続きの不備で落ちるのだけは願い下げだ。

というわけで私は翌日さっそく病院に向かうこととした。歩いて10分くらいのところにある大きな病院だ。なんだかしらないが、大きな病院にはいろいろな科があって、たいていのことはやってくれるだろう。


さて翌4月16日。朝てけてけと病院に向かった。前日診療時間が朝9時から、ということだけは確認しておいたので、9時5分位につくように家をでた。外は快晴である。

さてさっそく受付に行ってみると、すでに病院の中は大変な混みようである。受付のあたりも多くの人で-カウンターのこちら側もあちら側も-ごったがえしている。なぜ開店時間から5分しかたっていないのにこんなに混んでいるんだ?とあっけにとられながらも、なんとか受付のお兄さんをつかまえて「あのー。こちらでこういう健康診断(NASDAの健康診断の用紙をみせながら)ってやっていただけるんでしょうか?」と聞いた。

相手はとても丁寧に「ああ。できますよ」と言って、「これ書いてください」といって、受付標のようなものを渡した。さらさらと記入して、健康保険証と提出すると相手は「健康診断は保険が利かないんですよ」と言った。

ふーんと思いながら、私はちょっと緊張していた。NASDAの健康診断用紙には「この健康診断は宇宙飛行士の選抜に使用する物で。。。」とかなんとかいう「但し書き」がそこら中に書かれているのである。私の意識としては「就職活動の一環」なのであるが、相手がその但し書きに目をとめて、「ふーん。宇宙飛行士に応募するんですか。。。」と多少皮肉な視線をあびせたとしても、あまり文句が言えない。きっと「宇宙飛行士」という言葉から連想する人物像と私の外見とはあまり近くにあるとは言えないだろうから。

 

しかし幸か不幸か相手はそうした但し書きに目を留めるにはあまりにも忙しすぎたようだ。「では隣の部屋でお待ちください」と言って、書類をあっさりファイルに入れた。「どもども」といいながら私は「隣の部屋」に向かった。

待合室には人があふれていた。そしていつも病院にくると思うことだが、35歳のちゃんと歩いている男性、というのはこの待合室の中では少数派なのである。

病院にくると病気になる、とかなんとかいう言葉を聞いたことがあるような気がする。なんとか席を見つけて座っている間にそんなことを考えていた。周りの平均年齢は高く、、そして当然のことながらあまり元気がない。確かにこの環境にあまり長くいると、本当に病気になってしまうかもしれない。

しかし一見元気がないように見える人たちであっても、よく耳を澄ますと、活発なコミュニケーションを交わしていることに気がつくのである。

後ろのたぶん私の父と同じくらいの年であろう二人は、「インターネットの接続はそんなに難しくない」とかなんとかそういう会話を楽しげに交わしていた。また別の一団はまるで飲み屋で知っている人に会ったときのように挨拶を交わしていた。きっと彼らにとってはこの待合室もコミュニケーションの場の一つなのだろう。

次には患者(というか顧客というか)ではなくて、病院側の人々を観察してみる。これがたぶん30代くらいのなかなか素敵な女性で、忙しくカルテの山をひっくりかえしたり、呼び出しをしたり働いている。彼女たちはカウンターの裏側で働いているのではなく、部屋のほぼ真ん中におかれた小さな机の上でとても忙しそうに働いている。その姿を見ながら、これは結構良いアイディアかもしれない、と思い始めた。

なぜ病院の待ち時間が長くなるかはとりあえず脇に置いておく。待ち時間が長くなってしまう状況下で、どうしたら顧客の不満を抑えることができるだろう?

その問題に対する一つの回答を見たような気がした。「待たせている」相手がいかに忙しくまじめに働いているか見せることだ。誰でも待たされるのはいやなものだが、「待たせている」相手がサボっている、あるいは何をしているかわからない場合にはその不満は倍増する。「何をやってるんだ。責任者を出せ」というやつである。

部屋の中で働いている女性達はとても一生懸命に働いているように見える。大抵の人は心の中に不満を持っていても、なかなか彼女たちに文句を付けにいく勇気はあるまい。(私の隣にいた年輩夫婦の奥様は、10分ほどのろいの言葉をはいたあげく、ずてずてと文句をつけに行っていたが)

私はと言えば多少長い待ち時間も全く苦にならない。ノモンハンという本を読んでいたし、しばらくは周りの人々の観察に熱中していたからだ。

 

そうこうしているうちに私の名前が呼ばれた。

 

採尿をさらっと終わらせると、次は久しぶりの「身長、体重」測定である。もう一生身長なんぞはかることもないだろう、と思ってから何度目の身長測定だろう。かかとをこころもち浮き気味にして、177cmという結果がでた。体重計を前にちょっとびびったが、77kgという「妥当」な値がでた。ここ数週間のダイエットの成果が出たというやつだろうか。

次には血圧測定及び採血である。この瞬間私はイヤなことに気がついた。

今まで視力のことばかり気にしていたが、血液中の中性脂肪にも問題があったのだった。そういえば今回の健康診断の項目にも(どれが中性脂肪だかわからないが)ちゃんと項目があるではないか。うーん。やっぱり年をとるといろいろと問題がでてくるなぁ。若い頃は「異常」なんていう言葉とは全く無縁だったが。体重は少しは減ったとはいえ。。

ふと気がつくと看護婦さんはこちらの妙な懸念とは無関係にてきぱきと血圧の測定を行っている。

一度はかったお姉さんは「あら。高いですねー」と言った。そして私はもう一つの懸念事項を思い出した。私は血圧も高くなっていたんだった。会社で健康診断をしてくれたお医者さんの弁によれば「体重が多すぎるわね。だから中性脂肪も多いし、血圧も高いのよ。体重をへらせば全部解決よ」ということだった。最近確かに体重は減ってきてはいるが、まだ「やや肥満」と「肥満」のボーダーラインにいることだけは間違いない。従って中性脂肪を気にするのだったら高血圧も気にするべきだったのだ。

そうはいってもここに至ってできることはほとんどない。ただ深呼吸をして、気持ちを落ち着け、虚無の心に至るしかない。しかし「ああ。血圧は大丈夫だろうか」という懸念をふりさることができないが、その懸念はきっと血圧を上昇させる働きがあるだろう。

「虚無」と「懸念」の戦いの結果がどうでたか。お姉さんがさらさらっと書いた値を見れば「最高140,最低80」である。募集要項に血圧の制限もあり、「最高140以下、最低90以下」なのである。「以下」と言ったときはその値も含まれる、というのは小学校の算数で習うことだ。まだいくつか関門があるが、とりあえず血圧の神様は私にほほえんでくれたようだ。

ほっとするとともに一層の体重減少を心に誓って部屋をでた。またしばらく待たなくてはいけないようだ。

ふと気がつくと、待合室は結構こんできている。いすの数がたりなくなりそうだ。こうなるとそりゃ少しは健康上の懸念もあるかもしれないが、病気もせず定職にもついていない35の男がいすに座っているわけにはいかない。つったったままなんとか人のじゃまにならないように隅で小さくなっていた。

ふと机の上を見ると、いくつか健康上の注意点を書いたパンフレットが置いてある。一つを手に取ってみれば、まさしく私のためにかかれたような「やさしい高脂血症のおはなし」という題名である。中を開ければ「外食は多くても一日一回に押さえよう。毎日継続して運動しよう」などという文字が並んでいる。私にとって、外食を一日一回に押さえるというのは、一日一食で暮らす、というのと同義語なのだが。

まあしかし全体的には最近私が苦闘しているダイエットと方向は同じわけだ。従ってこれから「ご苦労様でした」通知を受け取る前の間、私はもうひとつダイエットを推進する上でのMotivationを得ることができるわけである。

 

さてそんなことを考えながらぼんやり突っ立っていると。。「大坪五郎さん」とまた名前が呼ばれた。今度は最大の懸案事項視力検査である。

2階にふらふらとあがっていくと、眼科の部屋が見つかった。中に腰掛けて順番を待つ。すでに視線はあちこちをさまよっている。とりあえず遠くを見てみたり、部屋の中に座っている人を見たり。遠くにある視力の検査版を見ると、ここからでは一番大きな印さえ見えない。しかし不安に駆られたところで事態が改善されるわけでもない。

ほどなく順番がきて、まずわけのわからない機械の前に座らされた。眼鏡をのぞくと中に滑走路に飛行機が止まっている絵が映し出されて、それがぼやけたりはっきり見えたりする。あれは何かの検査なのだろうが未だに何かわからない。

次にはお待ちかねの視力検査である。その前にお姉さんが「ちょっと眼鏡を拝借」と言って、眼鏡の度を調べたようだ。

お姉さんが来るまでの間、一生懸命視力検査版の一番上の○の位置を覚えていた。きっとあれが0.1に違いない。あれさえ見えればいいのだが、なぜか両眼で見てもちょっときびしい状態だ。本当に大丈夫だろうか?

 

ほどなくしてお姉さんが登場した。型どおり片目づつ覆って検査をする。最初に指し示されたのは一生懸命覚えた一番上の○ではなく、2番目の○である。これでさっきの努力は全てパーだ。

がびーんと思っていたが、実際の検査の時には視力検査版の後ろにバックライトがつくのが幸いした。かなりきびしい状態だったが、なんとか両眼とも2列目を読みとることができた(とはいってもぼやっっとどちらが切れているか見えるだけなのだが)もっとも2列目が0.1だったらぎりぎりセーフなのだが。

眼鏡をかけた状態での検査も終了して、お姉さんが「裸眼で0.2、強制視力で1.2ね」と言った。私はほっと安堵のため息をもらした。この眼鏡を作ってから結構時間がたっていて、度が進んでいると恐れていたのだが、なんとかクリアできたようだ。

最後に色盲の検査があった。昔ながらの「はい。この数字は?」というやつである。小学校のころは「いったいこの検査はなんだろう?」と思った物だが。一枚だけ6か8か区別に苦しむ絵があったのをのぞけば問題なかった。年をとって高血圧になっても、いきなり色弱になることもあるまい。

はればれとした気分で最後の内科の診断に向かった。高血圧にはちょっと泡を食ったが、低空飛行だがとりあえず要求はクリアーだ。

ゆったりした気分で本なぞ読んでいたら、名前を呼ばれた。

部屋に入ってみると、年の頃は40後半のごま塩頭の先生が座っている。異様に腰が低い。まず願書を見ながら「これは会社かなにかですか?」と聞く。「願書です」と聞くと、「はあそうですか」といって、がりがり書き出した。例によって「宇宙飛行士云々」のところは別に気にしていないようだ。

次に血液検査のところで、「診断を行った病院の基準値を記入ください」とあることに関して、彼はぶつぶついいだした。「なんでこんなことをかかせるんですかねえ。。いやあなたの場合、問題ないからいいんだけど、うちの病院の基準値結構きびしいんですよねえ」とかなんとかである。私は「いやー。相手がお役所ですからねえ。どうせ自分たちで検査するのだろうけど」とかなんとか相づちを打っていた覚えがある。

実際この健康診断の目的はなんなのだろうか?と私は考えていた。高血圧も、高脂血症も、改善が可能な項目である。実際に宇宙ステーションに搭乗するのは遠い先の話なのだから、今の時点ではしにも棒にもかからない状態でなければ良い、というふうに柔軟に判断してもらえるものだろうか?それともその人がいかにすばらしい資質(The Right Stuff)を持っていたとしても、血圧が141だったら機械的に振り落とすのだろうか?逆にいま視力が0.2あっても、搭乗までその視力がキープできる保証はないだろうに。

などという私の妙な考えをよそに、診断は終了した。このお医者さんはいままでにみたなかで最高に腰が低い医者だったと思う。もっとも彼が心の底から腰が低い人間だったかどうかは私の知るところではない。

さて後は診断書にはんこをおしてもらって、お金を払えばおしまいだ。やれやれ、これで最初の問題はなんとかクリアできた感じだ。とはいってもあと願書提出までにはいくつか面倒な関門があるのだが。。。東京に行って卒業証明をとってこなくてはならないし、修士の証明書は、あやしげなDiplomaをコピーするしか手がない。おまけにそのDiplomaがどこにあるかも定かではない。まあいいや。いざとなったら願書を没にしても。とそんなことを考えていた。

またもや名前を呼ばれて、会計に行った。「7450円です。」という言葉を聞いて腰を抜かしそうになった。収入があったころならばそんなに大した値段ではないかもしれないが、収入が皆無になった身に7450円はあまりにも厳しい。

くらくらしながら診断書を受け取った。今思えば毎年実施される社員の健康診断も結構お金がかかっていることだったんだなあ、、さすがに大企業というのはいいわい、とななんとか考えながら。

明るい日差しを浴びながら病院をでた。外は気持ちがいい季節だ。しかし私の心の中は「7450」という数字でいっぱいだった。こうなったらなんとしても願書を提出して、いけるところまで行ってやる。既に「いやー。ちょっと応募しようかと思ったんだよ」というレベルは超えてしまっている。私にとって全くuncomfortableな7450円という出費のために。

 

結局願書を送付したのは4月23日になった。この日大学に卒業証明を取りに行って、そのまま大学前の郵便局から投函したのである。卒業証明を取りに行くのは数年ぶりで、、事務所の場所が変わっていればまたあわてるところだったし、一瞬「卒業証明はその場でくれるものだろうか?もしかしたらまた取りに来なくてはならないのでは?」という強迫観念にとらわれたが、あっさりと入手できた。私が卒論でお世話になった先生が工学部長になっていることを発見して驚いたが、別に願書提出に支障があったわけではない。

ここまでの出費はおよそ3万円にのぼっている。問題がなければ5月の20日過ぎには英語の試験を受けることになるはずだが、はたしてNASDAは「無職で高血圧の男」を英語の試験をうけさせる価値があると見なすだろうか?まあ仮にそこまでいきつかなかったとしても、私は自分のホームページに新たにドキュメンタリーを付け加えることができた、という自己満足に浸ることができるのである。それが3万円の価値があるかどうかわからないが、使ってしまった金は返ってこないのだから、「それだけの価値がある」と断言するほうが精神衛生上よろしい。

 

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注釈

待合室もコミュニケーションの場:病院の待合室で「あれ。今日○○さん来てないね。どっか悪いんじゃないの?」という会話が交わされていた、というのは古典的なギャグだが。本文に戻る

 

ノモンハン:参考文献一覧)4巻物で、一冊はけっこううすく、かつ内容が非常に濃いので、あちこち持ち歩いて読むのに大変適している。内容のすばらしさは別として。本文に戻る

 

お姉さん:こう書いたが、たぶん彼女は私より年下だと思う。かといって「女の子」という感じの年ではなさそうだし。。。本文に戻る

 

血圧の神様:トピック一覧へ)日本には八百万の神様がいるだから、血圧の神様くらいいてもおかしくなかろう。本文に戻る