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日付:1998/5/24


英語の試験と終わった後

さて試験が始まった。Listeningが60分Readingが60分の計2時間。3時半にはここから解放されるはずなのだが。

はるかかなたからのテープの音はずいぶん明瞭に聞き取れた。まずはこれで一安心である。問題の前半の傾向はおそらくは今までにうけたTOEICやTOEFLとあまりかわらないのだろう(結局それらのテストでは私は”傾向がどうのこうの”というほど聞き取れなかったから正確に比較することはできないが)問題文が読まれます。答えを一つ選びなさい、とか会話が聞こえた後に問題が読まれます、答えを選びなさいとかである。

問題文を聞きながら、私は3年近くときどき泣くような思いをしながら米国で暮らしていたことは無駄ではなかったと、実感した。まがりなりにも大抵の文章は聞き取れるのである。思えば昔英語のテストを受けていた頃は、「おっとすべった。ああ。もう聞き取れない」とずいぶんフラストレーションを感じたな、などと懐かしく思い出しながら。

多少の余裕をもって問題文を聞いてみると、それらが実に巧妙に作られていることに気がつく。私が昔やったように「聞き取れた単語だけを元に、文意を推定する」と必ず間違えるようにできている。そういえば一度だけ眺めた「TOEFL攻略本」にもこんなことが書いてあったなあ、、

しかしそのうち私はそう簡単にことは進まないことに気がつきだした。特に「会話を聞いてから問題に答えなさい」式の問いに関しては、英語力のみならず短期記憶の容量もためされているようなものである。「おお。すごい。聞き取れた」などと感慨にふけっていると、「さて兄弟の仲で一番若いのは誰でしょう?」などと質問され、「あれっ」と自分の記憶力のなさを痛感することにもなる。

これではいけない、と今度は回答の選択肢を全てざっと読んでから問題文を聞くようにした。回答の傾向がわかれば、質問がどんなものかだいたい推定がつくだろう、という魂胆である。ところがここでも問題を推定することは諸刃の剣なのである。山があたれば見事に回答できるが、山がはずれたときには目も当てられない。「がびーん」などと思っている間に問題文はどんどん先に行ってしまう。

一例を挙げるとこうである。まず回答の選択肢を見る。"1 hour , 2 hours, ,,,,12 hours"などと選択肢が並んでいる。そして問題文にこういうくだりがある「当プールの開場時間は午前8時、閉場時間は午後8時です」ここまで聞いて「そうだ。きっと”何時間営業しているでしょう”という問題に違いない。答えは12 hoursだ」などと喜んでみる。

ところが本当の問題は「最終入場が可能な時間から閉場時間までは何時間なのでしょう?」なのである。そう言われてみれば確かに入場可能最終時間を言っていたような気がしたが、、途中で根拠もなく喜んでしまっているとその時間は大抵聞き落としてしまうのである。

 

などと言っている暇もなく問題は後半に突入していた。ここからはなんとなく傾向が変わるのである。ここからは筆記が必要される。まず「イラストを見なさい、次に問題が読まれます。この問題に対する完全な回答を書きなさい」という問題がでる。この「完全な」というのが問題で"Yes"とか"One"とかでは多分答えにならないのである。従ってまたもや短期記憶の量も試験されることになるわけだ。

さてそうこうしながら、Listeningの間は妙な充実感と、記憶力のなさに対する失望感を味わいながら一問一問片づけていった。緊張が解けてきたのはおよそ半分すぎてからのことである。そして最後まで「あと何問残っている。早く終わってほしい」とそればかり考えていた。とにかく「次は何がでるか。大丈夫か」という強迫観念から逃れることはできなかったのである。

さてListening部門最後のシリーズは「回答が読まれます。これに対する質問を書きなさい」というこれまた結構な問題である。さほど短期記憶は必要としないもののこれも優しいとは言えない。おまけにふと気がつけば気がはやるあまり、私は象形文字を書いている。そういえば昔の英語の試験ではrがvの区別がつかない、とかで×を食らったこともあったよな、、今回の採点がそれくらいの厳しさで行われたら0点かもしれん、、、などと考えながらなんとか問題を片づけていった。そしてようやく前半戦のListeningは終了したのである。

 

やれやれこれでようやく自分のペースでのんびりと問題に取り組めるわい、とちょっと(またもや)リラックスして後半のReadingに取りかかった。

出題の傾向は最後の一問を除いてTOEIC,TOEFLに似ているのだろう。下線を引いた部分があっているか間違っているか示しなさいから始まって、意味が同じ単語を選びなさい、長文を読んで質問に答えなさい、といったところである。長文を読んで云々はほとんど現代国語の試験に近いかもしれない。わーい、文が読めたーと思っても最後の選択のところで妙な答えを選べばアウトである。

問題をときながらふと考えた。昔現代国語で、「この文章で言っている意味にもっとも近い物を選びなさい」みたいな問題があって、よく存在意義がわからなかったものだが、実生活をしていると「なるほどあれは意味があったのだな」と思う場面によくでくわす。

「そんなことはいってねえだろう。この文章のどこをどうよめばそんな馬鹿な質問がでてくるんだ」

という憤りを感じるのはそんなにまれなことではない。あるいは一生懸命話した後に相手から「ではあなたはこう言いたいわけですね」と見当違いの事を言われて

「あんた、人の話聞いてる?」

ってなところだろうか。

学校の勉強を侮ってはいけないなあ、、などと妙な事に感心している場合ではない。最後の問題はこういうものだった。

「一連の絵を見て、想像力を利用して文章を作ってください」

実はこの問題の説明を最初に読んだとき「どんなけったいな絵がならんでいるんだろう?」と期待したのである。おまけに文章を書く欄はずいぶんたくさんある。これはきっと凝ったストーリーが書けるにちがないと。

ところが絵は簡単なものであり、あまり人の興味をかきたてるようなものではなかった。おっさんが多分出張で飛行機を予約し、空港に行って飛行機に乗る、とただそれだけである。考えてみればこれは英語の試験であり「おもしろい話をひねり出すのに十分な想像力」があるかどうかの試験ではないのである。。。。しかし今から考えればあの一連のイラストから、「十分な根拠を持って」如何に異様なストーリーをひねり出せるか、というのは結構おもしろい課題だったかもしれない。奇妙きてれつななストーリーをただ付属させるだけではおもしろくない。

たとえばある一枚のイラストには主人公が自分の車を空港の駐車場に止めるところがでてくる。隣には日本車とおぼしきコンパクト・カーがある。

「彼は駐車場に車を駐車しながら考えた。また隣に止まっているのは日本車だ。デトロイトも変わったもんだ。ちょっと前なら日本車というだけで石を投げられてもおかしくない状況だったのに。そしてクライスラーの社員-いや、ダイムラー・クライスラーの社員とういべきか-の彼はもう一度皮肉な笑みを浮かべた。考えてみれば私が働いているのもドイツの自動車会社なのだ。。。」

なんてのはいかがだろうか。問題の指定は「大事な要素を書き落とさないこと」ということだったから、大事な要素さえ入っていれば別に他の事を多少付け加えてもよかろう。

 

などというたわけたことを考えられるのは今これを考えているのが試験時間中ではなくて、落ち着いた6畳一間の中だから。試験中の私にそんな余裕があったわけではない。とりあえず全部の質問に答えを書いた(つまり何も悩まずに、適当に選んだ)のは残り時間が40分ほどになったときだった。

太古の昔から試験を受けるときのスタイルは決まっている。解けない問題は後回しにして、とりあえず最後までやる。あまった時間で見直しをする。これが「解けない問題」がやたら多くなると、ほとんど白紙の回答用紙を前に「さてこれから見直しだ」とつぶやくことになり、非常に悲しい思いをするが、いたしかたない。私は小心者でとにかく一度ざーっと目を通さないことには安心ができないのである。

もう一つはまるパターンとして、一度全部回答を書いてしまうと「あーつかれた。もういいや」と思って後の残り時間サボってしまうことである。これをやると必ず破滅的な結果をもたらす、、、というのは実のところ中学生の頃から何度も経験していることだ。とはいっても1時間以上も久しぶりに集中していた私は非常に疲れていた。もうサボっちゃおうかな?でもまあやることはやらなくてはならない。

とりあえず「気分転換」と称して部屋の中をみまわしてみた。みんな一生懸命に問題に取り組んでいる。ふと一体何人が第一次面接に残るのだろうと考えてみた。NASDAとしてもあまり多くの人間を試験したりはしないだろう。金もかかるし。私の予想としてはおおよそ50名というところではなかろうか。2次で5名に絞り、3次で2名を決定するあたりが妥当な線だと思うのだが。

するとおそらく筆記の合格率は10%を切っていることになる。この部屋いっぱいの志願者のなかで筑波に行くことができるのはおそらく3-4名だろう。そう思ってみると誰もがいけそうであり、誰もが行けそうでない。いったいこの部屋にいる人達はどういうバックグラウンドを持った人達なのだろう?名古屋の技術系の企業で働いている人達だろうか、豊田とかで自動車を作っている人もいるのだろうか、大学のお医者さんとかもいるのだろうか、それぞれにどういう動機があるのだろう。。

 

いかん。まだ試験時間中だ。妙な感慨に耽っている場合ではない。まず象形文字をなんとか人が読める文字に直すところから始まった。次にReadingの回答を見直してみると、これがまたひどい勘違いが目白押しである。だから見直さなくちゃだめなんだ。今回のテストは早さなんか問われていないんだから。

丁寧に見直しているとたちまち時間はなくなった。「あと10分です。名前と番号を見直してください」という遠い昔に聞いたような注意の声が聞こえた。およそ物心ついたころから「名前もしくは受験番号の書き間違い」で失格する恐怖を味わいながら未だにやったことはない(実は高校受験の時に危ないことがあったのだが)そうは言ってもおよそ5回くらい名前と番号を見直した。

「終了」という声があり、ほっと一息をついた。結果がどうであれこれ以上何ができるわけでもないのである。

「結果は6月の中旬頃に郵送します」と連絡があり、試験はめでたくお開きとなった。最後に「今日使用した受験票は、今後の選抜にも使用しますから、大切にとっておいてください」と言われた。そう言われて「今後の選抜があれば苦労しねえや」と思ったのはおそらく私だけではないだろう。しかしとにもかくにも試験は終わったのである。ほっと一息ついて出口に向かった。あいかわらずお互い話をしているのは私の周りだけだ。私の右前にいた男は「大坪さん。えらく早く鉛筆おいてましたね」と言った。私は「だてに3年泣くような思いをしていないよ」と言った。

それからみんなで「お茶でもいっぱい」と言って歩き出した。みんなからいろいろな話が聞けた。ある男の近くには帰国子女が座っていたそうである。その人であれば英語は完璧だろう。「途中で投げ出そうかと思った」と言っていた人間が2-3人いた。確かにわけのわからない英語を1時間聞かされるのはとてもつらいことだ。

「では。お疲れさまでしたー」といって乾杯した。結果がどうでようがこれで試験は終わったのである。一人だけ「久しぶりに町にでてきたので、今日は奥さんとデート」というNX号を除いてはビールで乾杯だ。私が「上に上がったら禁酒禁煙だそうだよ」といったら、ある男が「私は宇宙ステーションで飲めるビールについて研究したいですね。本格的に宇宙利用をしようと思ったら、住み良くすることを考えなくては」

彼は大変いいポイントをついている。いつの日か最低限の健康チェックだけで誰もが宇宙にいける時代が来るかもしれないし、こないかもしれない。私が子供の頃は21世紀になればそういう世界がくると言われていた。あと2-3年でそんな世の中になるとも思えない。今の子供はいつになったらそういう世界がくると教えられているのだろうか。

誰かが「もどしたらどうするんだ」とまことに現実的な疑問をだした。「いずれにしろ、面接で”宇宙でのビールの飲み方について研究したいと思います”と言ったら”帰れ”と言われるぞ」などとくだらない話をしながら楽しいひとときはあっと言う間にすぎた。

考えてみればこの日飲んでいた5人は、一人を除いて同じ会社の所属であり(一人とは私である)一人を除いては、同じ部屋で働いた経験を持つ人間だ(一人とは奥さんと待ち合わせをしている人間である)。そう考えるとあの部屋にはちょっと他とは変わったところがあったのかもしれない。別に自分で努力したわけではないのだが、私はとても仕事場の人間に恵まれていたのだなあ、、と妙な感慨を深くした。

この日のビールを飲みながらのタワケた話は実に楽しかった。長い日々の間にはほんの時たまこういう時間があり、本当に宝石のように貴重な時間に思える。

 

今日はとても楽しかった。おそらくあの部屋から筑波にいける数人の中に入ることはとても難しいだろうが、それでも応募したかいがあったというものだ。今日までにいくら費やしたかわからないが、そんなことはもうどうでもよい。

 

それからしばらく私はもうちょっと地に足が着いた就職活動に取り組むこととなった。

次の章


注釈

学校の勉強を侮ってはいけない:トピック一覧)仮に試験前の一夜漬け、いやノートをコピーして目を通すだけでも侮ってはいけない、というのが私の主義である。「一度も聞いたことがない」と「なんだか聞いたことがあるような気がする」の差は大きい。本文に戻る

 

ダイムラー・クライスラー:この合併(実質的にはクライスラーが吸収されたのだが)のさいの日本の自動車メーカー幹部のコメントは実におもしろかった。

トヨタ:「ますます国際競争が厳しくなると思います。」

日産:(実は彼らも少なくとも子会社の買収、国際協力の必要性にせまられていたのだが)「ダイムラーとクライスラーの合併のメリットが今一つはっきりしません」

三菱:「(しどろもどろにわけのわからない事を述べる。途中一カ所カットがはいる)まあ私どもの両者との仕事にはあまり影響はないんじゃないかと」

実は三菱自動車には寝耳に水だったのかもしれない。本文に戻る

 

だてに3年泣くような思いをしていないよ:この言葉は「3年も苦労したのに。。。」と対になっていて、何度もくりかえされる。本文に戻る