日付:1998/5/15
さて願書は提出して、、、Golden weekと呼ばれている期間の間私は一人で鈍行列車に乗ってあちこちをふらふらしていた。なんといっても会社がお休みなら就職活動もお休みなのである。
5月1日から5月4日までの生活パターンは以下の通りであった。
朝、おきる。ごはんを食べる。
駅に行く。時刻表を見る。切符を買う。
電車に乗る。本を取り出す、ちょっと読む。疲れて寝る。
起きる。電車に乗っている人達をじろじろ見る。次に外の景色を眺める。
また本を読んでみる。疲れて寝る。
終着駅に着く。降りる。
4時になっていれば、改札をくぐって宿を探す。泊まる。ごはんを食べる。
風呂にはいる。コンピュータに向かってやおら文章を書き出す。
Gee, I was happy.
この旅行には他にもいくつか傑作な事があったのだが、それはあっさり省略してしまう。何を言いたかったかと言えば、しばらくの間私は自分の就職に関する事項をすっかり忘れていたこということだ。それまでにも、基本的に日々何も考えずに堕落した生活を送っていたのだが、一応頭のどこかに「職を探さなくては」という考えはひっかかっていたのである。
さて旅行の間遠ざかっていたその考えも、雑然とした6畳一間に戻るとともに、私の頭の中に戻ってきた。そしてこれを「就職活動」に含めていいのかどうかしらないが、「宇宙飛行士」に応募していたことも自分の頭に戻ってきたのである。5月の23日に英語の試験があるはずだが、その受験票はどうなったのだろうか?
応募の要項の中には「応募書類提出者を対象に。。。受験していただきます。ただし明らかに応募条件に該当しない方は、英語検定を受検できない場合があります」となっている。私には胸に手をあてるとやましい点がいくつかあるのは前述した。さて届くのは英語試験の受験票だろうかあるいは「今後のますますのご活躍をお祈りいたします」の紙一枚だろうか?
さてそれから某社の役員面接があったりなにかしていたのだが、その間私は毎日郵便受けを毎日覗いていたのである。しかしながら例によって待っている間は絶対に郵便は来ないのである。
さて5月9日の土曜日。私はある映画を見てよれよれとアパートにたどりついた。玄関で靴を脱ぐときにふと土間に落ちているピンクの紙に気がついた。
私の家にはありとあらゆるところに何かが落ちている。他の人が見ても、何故そこらへんに散らかっている紙の山から私がこの紙だけに気がついたかわからないだろう。しかし人間不思議な物で、「変化」はめざとく検知できるのである。
手に取ってみれば「書留を持ってきたけど、いなかったからまた来るね」という郵便局からのお知らせである。差出人は「宇宙開発事業団」となっている。
今まで一社だけ就職に関する全ての郵便を「書留」で送ってきた会社がある。天下のお役所企業N○○だ。この会社は「不合格通知」まで書留で送ってきた。(私は不合格の紙切れ一枚受け取りに、わざわざはんこを持って郵便局まで車で走る羽目になった)従ってここで書留が来たからと言って、まともなお知らせだとは限らない。
さてその日は疲れていたので、早く寝たかったが、、、もしこの日受け取れないときっと「郵便局まで取りに来い」と言われるのである。今は暇だからいいのだが、できることならさっさと受け取ってしまいたい。午後8時頃になって配達のおじさんが書留を持ってきてくれた。
受け取ってみれば微妙な厚さの封筒である。長年の経験から、「合格」の封筒は厚く、「不合格」は基本的に中には紙一枚しかはいっていないので薄いということを知っていたのである。「速達」でついたこの封筒は外見だけからはどちらとも判断しがたかった。
さてどきどきしながら封筒を開けてみると。。。中に入っていたのは「英語試験の案内」である。なんと立派に写真まではってパウチしてある受験票まではいっている。さらには案内の紙には割り印まで押してある念の入れようである。
あらためて自分がはった写真を見てみると、(経費節減のため白黒にしたことはともかくとして)非常に精気がない顔だ。まるで私が近々不慮の事故で死亡するとすれば、「ああ。そういえばこの写真からしてもうこんなに精気がない」と他の人達が嘆くような代物である。
などとしばらく感慨に浸っていたが、ふと気を取り直した。とりあえず英語の試験は受けられるようだ。受験票の番号は220となっていた。私が出した願書がついたのはたぶん4月の25日くらいだろう。4月30日がしめきりだったはずだから、出願者は多く見ても300人くらいなのだろうか。正直言ってどれくらいの数の応募者があるか見当がつかなかったが。。。なんだ。たった150倍の競争率じゃないか。
やれやれと思って封筒に書類を戻そうとしたときに、もう一枚紙が入っているのに気がついた。
「貴方の願書には不備があり、、5月23日までに提出しないとその時点で不合格になります」という非常に強烈な言葉で始まるこの書類は、つまるところ「大学院の卒業証明書がコピーであるのはあきまへん」と言っていた。Stanfordの卒業証明書などそう簡単にとれるわけもない、と思った私は、Diplomaをコピーして放り込んで於いたのである。
誰も経歴詐欺を働いてまで応募しようなんて思っていない、しかし考えてみれば国際共同運用の宇宙ステーションに日本から代表として搭乗するんだから、どっかの国会議員のようなことをやられては困るのだろう。
NASDA側の意図は理解できたが、こちらとしては非常に困った事態になった。なんといってもStanfordは依然として海の向こうにあるのである。大学のように新幹線にのって、ぷいっと行くわけにはいかない。
その日は土曜日であり、月曜日までNASDAに「なんとかなりませんか」という問い合わせの電話をすることはできない。それから二日間、私は妙な妄想にとりつかれることになった。
NASDA側からすれば、「安全第一」の選考を心がけるだろう。少しでも書類の不備があればその時点で「容赦なく」振り落としたほうが経費も節減できるという物だ。1次面接の枠が何人かしらないが、きっと私よりも適任そうな人はごまんといるだろう。すると。。。
私「あのすいません。ちょっと大学院の卒業証明が間に合わないかもしれないですけど。。」
私の妄想の中のNASDAの人「期日は曲げられません。5月23日までに必ず提出してください」(がちゃん)
ってな応答があってもおかしくないかもしれないではないか。
月曜日には私の被害妄想はかなりのところまで膨らんでいた。これに対処するには、考えることをある程度ストップし(全部とめるのはあまり賢明なことではない。私はよくやってしまうが)行動にうつすことだ。
午前中を私はStanfordのHPを巡ることで費やした。絶対世界中には私と同じ必要性を感じているStanfordの卒業生がごまんといるに違いない。となれば、このHP上のどこかに「卒業証明送付依頼フォーム」があるはずだ。
Stanfordのウェッブサイトは本物の学内と同様広大で、、正しいと「思われる」ページにたどり着くまでにずいぶん時間がかかった。そこにはTranscript(成績証明)の請求の仕方が書いてあった。そこにはまるでこちらの魂胆を見透かしたかのように、以下のように書いてあった。
「学生は学内のネットワークから、学外の人は、以下の住所にサインした請求する手紙を送りなさい。電話、E-mail, FAXでの要望は受け付けてません。急ぎの請求も受け付けません」
なんということだ。これから手紙を書いて、どんなにこちらが急いで送ったところで3-4日かかる。それから(仮にその請求書に何も問題がなかったとして)彼らが書類を作るまでに2-3日みろと、書いてある。彼らが速達で送り返してくれるわけがないから、帰り道はおよそ2週間ばかりかかるだろう。すると自動的に5月23日のデッドラインはアウトである。
しかしここは前進するしかできることはないのである。とりあえず取り急ぎ手紙を書いて、国際ビジネスなんとかで送ると、私は家に戻って電話をかけた。頭のなかでは前述の自分で勝手に作り上げた妄想の会話がくるくると回っていた。そして
「えーい。事務的に不合格になったら、HPにその経緯を書いてうさをはらすんだー」などと不遜な考えを抱いていた。
さて電話に最初に出たのは女性だった。「あの宇宙飛行士に応募した者ですが。。。」この言葉を言うのに私は異常な照れを感じていた。しかし他の表現の方法はないのである。まわりくどく事情を説明すると相手は「少々お待ちください」と言った。
とりあえず最初の相手は(よく考えてみれば全くあたりまえの話だが)とても丁寧に対応してくれた。などと考えている間にでてきたのは男性の声である。
彼が言うには「第一次面接者選抜が決定する段階(6月中旬)で書類がそろっていないと自動的に不合格になりますので。。できるだけ早く入手してください」ということだった。こちらも(これまたあたりまえだが)とても丁寧で親切な対応である。
ようやく自分で勝手につくりあげた妄想から解放されることになった。とりあえず5月23日に書類がそろわなくても「お引き取りください」と丁重にいわれることはなさそうだ。
そして最悪の場合、私はDiplomaの原本を提出するという手がある、ことにも気がついていた。Diplomaが何の役に立つといって、早い話将来なにかの間違いでオフィスを構えることになったときに壁にかけるくらいしか用途はないのである。(大学のときの卒業証書に至ってはどこに存在しているかもわからない)「コピーだからだめ」というのであれば、原紙をだせば文句はなかろう。Diplomaがだめだと言っているのではないから。
さて気が楽になった私の妄想は今度は試験会場に飛ぶことになった。
実はこれは願書作成の時点から考えていたことであるが。。。私は英語試験の会場で、知った顔に会うことをほとんど確信していた。私が最初の10年あまり勤務した事業所は航空宇宙関係を扱う日本でも数少ない工場だった。そこにいる人間がこの募集に応募しないわけがない。あの過酷な願書であっても、業務の合間をぬって書きそうな人間は山ほど思いつく。そして試験会場が名古屋となれば、間違いなく誰かに会うだろう。
会ったらなんと言ってやろうか。「だめだよー。仕事もってんのにこんなのに応募しちゃー」とでも言おうか。彼らは一人一人が日本の航空宇宙産業にとって無くてはならない人材のはずだ。となれば、今社会になにも貢献していない人間に職を譲るのは当然の責務ではないか。うん。この線でいこう。(なにをだ)
あちこち:ちなみに初日は高蔵寺を出発して、長野の先にある「豊中」とかなんとかいうところで泊まった。ここに一軒だけ存在している宿泊施設「ラドンセンター」に泊まる。次の日は新潟のほうにある「坂野」で泊まった。ここでもまたもや唯一の旅館に泊まって、そのHospitalityに感動した。三日目は日本を横断して郡山に泊まり、最後の日だけ鈍行以外の列車(新幹線)を利用した。本文に戻る
ある映画:「アカデミー賞主演男優賞、主演女優賞受賞」という言葉に惹かれて見に行った「恋愛小説家」"As good as it gets"である。感想は映画評をご覧願いたい。それをみると何故私が「よれよれ」していたかわかると思う。本文に戻る
天下のお役所企業N○○:いろいろな会社に面接に行った。面接の結果「貴方のご意向には答えられず」という返事をもらったこともある。しかし面接の日時を一方的に指定し、交通費の支給は無しで、あげくのはてには面接の席上で「あんたみたいな役立たずが何しにきたの?」といった態度をとられたのはN○○一社だけである。本文に戻る
どっかの国会議員:野末某とかいう自分で雇った弁護団にも見放された経歴詐欺のタレント出身の国会議員がいたと思う。広末某とかいう無責任方便議員といい、そろそろタレント議員に対して「現実的」な立場をとるべきだと思うのだが。本文に戻る