日付:1998/5/1
「府中へ」
それは2月のある日のことだった。
就職活動中とは名ばかりの私は実家でごろごろとしていた。朝食の後、寝転がって朝日新聞などを読んでいたのである。
人間仕事がなくなり、ストレスが減少すると、いろいろ余力ができてきて、生活のパターンが微妙に変化し出す。ちなみに私の場合一番件著な変化は、部屋を整理してかつ掃除したことである。
それほど大きくない変化も現れていた。私は新聞を隅から隅まで読むようになっている自分に気がついた(株価を全部眺めたわけではないが)そしてある小さな記事を認めた。
それには「宇宙に就職しませんか?」とかなんとかいう見出しとともに、NASDAが宇宙ステーションの搭乗員を一般募集する、という記事が載っていた。考えてみれば私も失業中で仕事を探している身分だ。
側で何かしていた母に「ほれほれ。こんな募集もあるよ。応募してみようかな?」と言った。別にまじめに応募する気もなかったのだが。
母親の反応はちょっと心外なものだった。「やめなさい。」とぶすっとしたまま答えたのである。あまりの反応に「どうして?」と聞いたら「あわん。あんたみたいに扉も閉められない男が宇宙ステーションなんか乗るもんじゃない」
ちょっと解説をしておこう。私は扉とか引き出しとかを開けると、閉めるのを怠る癖があるらしいのである。母親に言わせると、仮に私が両親が不在の間に実家に帰ったとして、その後に母親が帰ると「ああ。五郎が帰ったのね。そこらじゅうあけっぱなしになっているわ」と思うのだそうである。
さて母親のあまりと言えばあまりの反応に多少むっとして「では本当に応募してやろうか」と思った。しかし記事を詳細に読んだ私は、その考えをあっさり捨てた。
短い記事に書いてある範囲では、私が応募できない理由はなかった。しかし記事の最後に「詳細は、XXX-XX-XXXXまで」と書いてあったのである。なぜだかわからないが、私は電話して人と話して応募要領を取り寄せる、と聞くととたんにおっくうになる。私は妙なところで妙な人見知りをするがこれはその現れかもしれない。
それからしばらくたったある日のこと。前の前にいた職場の友達からメールが来た。それにはこう書かれてあった。
「NASDAが宇宙飛行士を募集中なのをしっているか。うちの女房は、勝手に募集要項を取り寄せました。帰りが遅かったり、土日に会社に行くと、せっかく取り寄せたんだから応募しろと言っています。(勝手に取り寄せたくせに)しかしながら、宇宙ステーションとかでは、タバコも酒もだめなので、僕は宇宙飛行士にはなれません。大坪はどうだい。」
私はそれに対して「うちの母親に言ったら言下に否定された。母親に言わせると”扉も閉められない男が宇宙ステーションに乗ったらどうなる”なのだそうだ。」と書いて送った。そして宇宙飛行士のことはすっかり忘れたのである。
さて月が変わって4月。私は(例によって)ころっと考えを変えることになる。
2月の最初に面接した会社はこちらからお断りした。3月の最初に面接した会社はこちらはめずらしく乗り気だった。「一週間後位に返事をします」と向こうの人事は言っていたが、なぜ2週間以上たっても連絡がこないだろう?と思ってこちらから問い合わせてみた。担当者は忙しいらしくなかなかつかまらず、「伝言お願いします」と言ってもかかってこない。しつこく電話をしてようやく捕まえれば丁重にお断りの返事をもらった。かくのとおり恋愛でも職探しでも両思いになるのは難しい。
などという妙な悟りを開いて悦に入っている場合ではない。12月末に仕事を失ってから、なんとなく私は4月頃には働き始めるだろう、と思って、職安にもいかずのんびりとくらしていたのである。しかしまた例によって例のごとく私は「幻想が終わったこと」に気がつかされたのである。
「お断り」を聞いたときの私の最初のリアクションはまず「呆然とする」であった。次には深刻な鬱になった。ひょっとすると私はこのまま職につくこともなく、この汚い6畳一間で生涯を終えるのではないだろうか?
2日ほどふとんをかぶって鬱状態になっていたが、3日目にさすがに飽きてきた。だいたい外は暖かくて、とてもふとんをかぶっていられるような状態ではないのである。えい。こうなったらまた一から出直しだ。
4月2日には、Tech Beingを本屋にいって小走りで行って買ってきた。しかし実は買う前からあまり良い求人は無いであろうことはうすうす気がついていたのである。ここ数ヶ月の求人傾向を見ると、あきらかに下り坂だったからだ。これは日本経済の不調を反映した物かもしれない。とはいってもいつかのバブル崩壊のころに比べると遙かにましではあったのだが。
ぱらぱらとページをめくって、布団の上にひっくりかえってため息をついた。どうもこれは長期戦になりそうだ。
その翌日2社から「面接に来てください」と電話があった。これで再び布団をかぶるのはなんとか回避できた。しかし依然として状況はあまり良好とは言えないのである。しょうがない。とりあえずあるものでなんとかしなくてはならない。私はTech-Beingを再び手に取ると、なめるように読み始めたのである。
すると妙な特集記事に気がついた。「今月の注目企業」というところに、いつかみた「宇宙飛行士搭乗員募集」の話がのっていたのである。
ふーんと思いながら読んでいてあることに気がついた。今度の募集要項には「電話番号」とともに募集要項を説明したホームページのアドレスが載っているではないか。それを見て、私は俄然応募してみる気になった。自分でもなぜ電話をかけて募集要項を取り寄せるのが面倒で、ホームページならそうでないのか説明はできない。しかしさっそく指定されたURLにアクセスし、細かい要項をざっと斜め読みして「願書送付請求」のデータを送信。すっかり自分が願書を出したかのような錯覚に陥っていたのである。これは4月の4日、元の職場の仲間と五条川で花見をする日だった。
その日、昔の仲間に「仕事さがしはどうっすかー」といわれて「はっはっはっつ。今度宇宙飛行士に応募しようと思ってるんだよ」と言ったが、相手は、リアクションに困ったような顔をして黙ったままだった。うちの姉に同じことを言ったがリアクションは同じだった。冗談ともつかず、「やめろ」ともいえず、そんなに職に困っているのかとも断言できず。。。とういところだったのだろうか。
さてそれからほどなくして願書がとどいた。4月の8日である。それからしばらくこの願書は放置されることとなった。
理由は?簡単である。私は何を血迷ったか三国志のゲームに血道を上げていたのである。おかげで体重は二日にして2kgも減ったが、その間生産的なことは何もできなかった。おまけに私はとても面倒がりやな人である。。それから数日たって、封筒をあけてみたのはいいが、正直いってまずその必要記述の量にびっくりした。おまけに大学の学位証明証とか、またそれに加えて健康診断も要求されている。
いろんな会社に応募したが、さすがに宇宙飛行士ともなると要求される書類の量もすごいもんだ。私はプータローだからこの時点でも願書を放り投げはしなかったが、もし仕事を持っている身だったら間違いなくゴミ箱に放り込んでいただろう。
思うにこれは願書を出す、という行為そのものが第一次のスクリーニングの作用を果たしているに違いない(宇宙開発事業団側がそれを意識しているかどうかは別として)ひやかし半分の人はまずこの願書を作成する段階で振り落とされるであろう。
またその週はめずらしくいろいろとやることがあった。。。従ってとりあえず私はその願書を横においたままで寝ることにしたのである。面倒だから願書のことは忘れちゃおうかなーとか思いながら。
さて次の週となった。
「小人閑居して不善を為す」、とは大学の言葉だ。私は小人であり、かつ次の週は暇で「閑居」していた。
従ってこれが「不善」かどうかわからないのだが、私はろくでもないことを始めることになる。すなわち突如本当に願書を出してみよう、という気になったのである。なぜと言って説明はできないが、三国志にもあきたし、ちょっとは生産的なこと(これが生産的なことかどうかかなり疑わしいが)をやってみよう、ってな感じだったような気がするが。
4月15日、私は家から車で10分のところにある「東部市民センター」の図書室に座っていた。願書の記述はかなり腰を据えてかからないととてもできそうにない量だったし、おまけに大坪家には机はあるが、それはとても物を記述するのに向いているとは言い難く、かつコンピュータにより占拠されていたからである。おまけにもし布団の横でこの願書を書いていたら、10分後には「やーめた」と言ってお昼寝モードにはいってしまうこともこれまた明白であった。
さて端から書き始めてみると、、、まず健康診断をせねばならないことに気がつく。ここで私は昔だったら気にする必要もなかったいくつかの項目で恐怖感を覚えることになった。
まず視力が裸眼で0.1以上、という項目がある。おまけに健康診断のフォームには「視力は重要な要素です。慎重に測定をお願いします」などという但し書きがついている。
私は会社にはいるまで視力は両眼とも1.0以上あった。小学校にいたころ「せんせーい。黒板が見えにくいので前の席にしてください」と言って前の席に変えてもらう人たちがぽちぽちいた。当時の私は「いったい何が見えないというのだろう?」と不思議に思っていたのである。そして視力が0.1とかいう「信じられない」値の人を見ると、「これ見える?」とか言って、目の前で指を3本ふってみたりした。これはからかっていたのではなくて、純粋に「0.1なんていう視力ってどれくらいみえるんだろう?」と思ってやっていたのである。
さて入社当時の私の視力は1.0だった。ところが不思議なことに2年目に測定された視力は一気に0.5くらいに落ちていた。この原因が何だったのか未だによくわからない。コンピュータを使っていたわけではないし、仕事はめちゃくちゃフラストレーションがたまるものだったが、それが視力にひどい影響を与えたとも思えない。
それから視力はほぼ横這いの状態で続いた。しかし平成になってからの運転免許書き換えの時に「もうこの次は、裸眼で視力検査は通らない」ということを思い知らされたのである。私はめがねという物を生まれて初めて書けるはめになった。最初は運転するときだけはめていたのだが。。
平成2年から何の因果か私は再び学生になっていた。そして「せんせーい。黒板が見えないので前の席にしてください」という気持ちを自分であじわうようになったのである。めがねをうかつにも忘れた日には授業で教官が黒板に何をかいているか全くわからなかった。
それからは坂道をころげおちるようなものである。今のめがねは3代目であり、、、今は晴天時でもめがねなしでは日常生活に不自由を感じるほどになってしまった。
さて12月に日本に帰ってきてからと言うもの、私は薄暗い部屋でずっと液晶画面を見つめている生活を送っていた。はたしてまだ0.1という裸眼視力をクリアーすることができるだろうか?しかし視力ってのは一度悪化するともう快復しないってのはへんな話だよなあ。。近視を説明するいろいろな理論はなんとなくだまされたような気がしながらも聞いてみるが、「なぜ快復させることができないか」という説明は未だによく理解できない。おまけに眼鏡をかけるとなぜか視力は悪化していくのである。
それはそれとして、仮に視力が0.1を切っていた場合、「どうせ受かるわけがないんだから、先生。おまけしておいてくださいよ」とでも泣きつこうかと思っていた。ところがそういう私の「野望」をうちくだくような「注意書き」までしっかり記載されている。
まあしかしぐだぐだ言ってもしょうがない。身長がひっかかっていれば、頭にシリコンを注入することもできるが、視力はなんともならない。腹をくくって健康診断をうけるしかあるまい。
さてそんな妙なことを考えながらずれずれと願書を記述していくと、なんとなくNASDAが求めている人材像がうきあがってきた。(募集要項には「大卒、自然科学系の研究、設計、開発などに3年以上の実務経験を有すること」としか書いてないが)
やたらとあるのは「自然科学でどのような研究を達成したか」ということに関する項目である。曰く自分の業績をカテゴリーとともに示せ。曰く発表した論文はあるか、曰く所属している学会はあるか。
私はそれらのカテゴリーの項目にあてはまるものをほとんど持っていない。従って「無し」の連続となるわけだ。「無し」を4つほど書くと「こりゃだめだわ」と自分でもわかってくる。仮に視力の神様が見方についてくれたところで、結局どっかの研究者か何かが選考に残っていくのだろう。
さてその事実に気がつくと、私は急にやる気がなくなった。まず最初にしたことはトイレにいって、ウーロン茶を飲むことだった。次にぶらぶらと書棚をみておもしろそうな本がないかな、と探した。
手ぶらで席にもどって10秒ほど考えた。
まあなんとなく予想したこととはいいながら、やはり世の中は厳しくできている。面倒だからやめようか?しかし書きかけの願書を改めて見てみると、もう既に結構書いてしまっていることに気がついた。あとちょっと書けば(手を抜いた方式で、という条件付きで)願書は完成しそうである。
「世の中にはちょっとやってみてもあまり害にならなくて、かつやってみなければわからないことがけっこうある」というのは最近開発した信条だ。暇な私が願書を書いてだしたところで何か損をするか?結局時間があまれば三国志のゲームをやっている今日この頃なのだ。
結局私は願書を書き上げた。しかしもっとも記述量を要求される「私の経歴」のところは「別紙参照」でごまかした。おかたい(と推測される)NASDAがこれで通るかどうかは定かではない。まあ文句を言われたら書き直せばいいのだし、文句をいわれれば大したもんだ。
さてまじめに物を書いた余力をかって、ついでに普通の履歴書も一通書き上げた。なんといってもまだ職は決まっていないのだし。(「現在の職業」の欄に結局私は大きく「無職」と書いて出さざるをえなかったのである。これでまた「無し」が一つ増えた)履歴書をちゃんと書くことは私にとってはずいぶん「気合い」をいれてとりかからないとできないことなのである。
さて願書を提出し終わった私はふらふらとしていた。季節は初夏であり、、、、なぜか異様に暑かった。
ぼけーっとTVを見ていると、宇宙ステーションの完成想像図が大きく映し出された。バックに流れるセリフは「昨年11月に打ち上げ予定だった、宇宙ステーションのモジュールは、今年の6月に打ち上げが延期されていましたが、モジュールの制作はさらに遅れる見込みで。。打ち上げはさらに延期され今年の11月に。。。」
私が入社したときは(ちなみに1985年だが)この宇宙ステーションは1992年に打ち上げられる予定だった。それでも当時は「1992年というのはずいぶん先だな」と思った物だが。
昨年の末に私の同期が亡くなった。突然死だったらしい。彼は入社してから宇宙ステーション関係一筋の仕事をしていた。そしてその結果を見ることなくこの世を去った。某社に面接に行った時に、宇宙ステーション関係の仕事を提示されて「本当にこれ上がるんですかね?」と聞いたら相手は「いいかげん上げるでしょう」と言った。
誰だか知らないが選抜された人間はいつ府中に、もとい、宇宙に行くことになるのだろう?
府中へ:このタイトルはパタリロ(参考文献)からのパクリである。単行本第5巻、「スターダスト」という作品中でこういう場面がある。パタリロ達が敵を追って宇宙に行くことを決意する場面。
(バンコラン)「宇宙へ」(背景は星空の絵)
(マライヒ)「宇宙へ」(同じく背景は星空)
(パタリロ)「府中へ行ってどうするんだろう。今更三億円事件でもあるまいし」(背景は電信柱が立った町の絵)
ちなみにこのドキュメンタリーは私が「ご苦労様でした」通知を受け取った時点でおしまいになる。今のところ最短は5月であるが。。(追記5/24 最短は6月中旬である 追記その2 6/22 ちょっと寿命が延びた。多分7月か8月まで。。)(追記8/8:ここでおしまいとなる)本文に戻る
部屋を整理してかつ掃除:これが私にとってどの程度画期的なことであったかは説明するのが難しい。とにかくそれまで2年あまりすんでいた6畳一間の部屋には、家具と名が付くものがいっさいなく、部屋に万年床とほこりと、髪の毛と、本と下着と着替えが散乱していた、と言えば少しはわかってもらえるだろうか。
部屋の掃除という概念もほとんど存在していなかった。布団を干すという概念に至っては未だに存在していない。本文に戻る
恋愛でも職探しでも両思いになるのは難しい(トピック一覧):私が愛している高橋由佳利という漫画家の最高傑作のひとつ「倫敦階段を下りて」(参考文献)という作品に次のようなセリフがある。「人が相手に抱く感情を”好き”、”嫌い”、”どちらでもない”に分類すると、両思いになる組み合わせは、全ての組み合わせ9のうち一つだけ。だから恋愛はうまくいかない可能性のほうが圧倒的に高いわけよ」この前提と計算について、確率論及び論理学の観点からいくつか注文はつけられそうな気がするが、それは無益なことだ。少なくとも結論は実生活における観測と見事なまでに一致するのである。本文に戻る
幻想が終わったこと」に気がつかされた:「それは危機のように見えるかもしれないが、幻想の終わりにすぎない」(トピック一覧参照)。この場合の幻想とはもちろん、「4月から働き始める」という根拠のない思いこみのことである。 本文に戻る
行為そのものが第一次のスクリーニング:選別者側が意識しているかどうか別として、同じような「過酷な願書」(トピック一覧へ)の例をもう一つ知っている。MIT(Made in Taiwanではなく、マサチューセッツ工科大学)のMaster Courseの願書である。大抵の大学は学部で取得した単位の記述は、自由なフォームで提出していいと言う。従って大学からとりよせたままの書類をそのまま添付すればことは済む。しかしMITだけは、全てMITの願書フォームにタイプしなおさせるのである。
世の中にはそれにもめげずMITに願書を提出する人は多い。しかし私のようにあっさり第一次のスクリーニングにひっかかり願書を提出しない人間もきっと多いと信じたい。本文に戻る
小人閑居して不善を為す:(トピック一覧へ)私がこの言葉を最初に聞いたのは、友達が言った「おやじが俺に向かって言うんだ。’小人閑居して不善を為す’とはおまえのことだってね」というセリフである。本文に戻る
大学:Universityのことではもちろんない。中国の古い文書だが、正直言って読んだこともないし、概要をここに書けるほど知っているわけでもない。 本文に戻る
再び学生になっていた:ここらへんの経緯については、トピック一覧米国留学経由「留学気づき事項」を参照のこと。世の中に何をおいても留学したい人がいるというのに、「へー。留学ねー。かっこいいんじゃなーい」と言っているだけの私に何故こういうことがおこるのか?つまるところこういう事象を説明するために「偶然」という言葉が用意されているのである。本文に戻る
近視を説明するいろいろな理論;私が小学生の時には、「仮性近視」なるものが存在していた。本当の「近視」とは快復しないが、「仮性近視」は快復する、といかいう話だったのだが。しかしそれからほどなくしてこの「仮性近視」はどっかに行ってしまったのである。そして近視は不治の病となった。本文に戻る
視力の神様:(トピック一覧へ)もっともこの場合、神様に頼る前に、「検査の前に表を覚えておく」とかいろいろな「人知を尽くす」方法があることは言うまでもない。本文に戻る
世の中にはちょっとやってみてもあまり害にならなくて、かつやってみなければわからないことがけっこうある:(トピック一覧へ)この言葉の後半だけのバージョンは世間に蔓延している。しかしそれは大抵の場合自分の思考の浅はかさをカバーするために使われる。本文に戻る