題名:府中へ

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願書作成

健康診断その1+願書提出

英語試験まで

英語の試験-開始まで

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Tuesday Afternoon

筑波へ

第一選抜-健康診断

第一次選抜-一般教養

第一次選抜-二日目

夏の日々

2次選抜について

日付:1998/6/15


Tuesday Afternoon

さて英語試験が終わってから、その発表-6月の中旬ということだったが-までの間、私は地に足がついた就職活動にいそしむことになった。

とは言ったものの、5月中は特に何もしていなかったのである。就職活動と言えば聞こえはいいが、月のうちに何か用があるのは、数日に過ぎない。情報誌を買う。数社に履歴書を送る。犬のように電話を待つ。(だいたいここまで2-3週間かかる)。面接に行く。また返事を犬のように待つ。そういった生活の繰り返しだ。従って他の日はだいたいだらけた生活を送っている。やることはあまりないのだが、いつ会社から電話があるかわからないから、あまり遠出をするわけにもいかない。従って図書館に行くとか、家でキーボードをたたくくらいがせきのやまだ。

こうした生活を送っていると、なんとなく体中がだらけていってしまう。年が明けてから4月くらいまでは結構水泳に行っていたのだが、ここ2ヶ月それもお休みである。もともと体重減少をねらって始めた水泳だが、不思議なことにやめてからのほうが体重は順調に減少している気がする。しかし問題は別なところにあった。生活からめりはりが消えてしまったので、一日中ぼーっとしているような状態になってしまったのである。寝付きは悪い。そりゃ一日中たくさん寝ているからよく眠れるわけもない。目は覚めるがなんとなくしゃっきりしない。寝ていると起きているような気がするし、起きていると、眠い。こんな生活をしていると、何も生産的なことはできないのにやたら時間と日時が過ぎていく。そして本来の就職活動のことすらなんとなく頭の中にぼんやりと浮かぶだけになってしまう。ましてや「宇宙飛行士」についてをや、である。

 

さて、その漠然とした日々にも時々は「めりはり」が登場する。6月4日に私は横浜で面接であった。以前から千葉に住む姉の子供達に「そのうち東京に行くからね」と言ってはいたのだが、なかなか行く機会がなかった。姪たちも「五郎こないねー」と言っているようだし、「約束を守らない五郎」という固定観念を彼女たちと彼の頭にすりこんでしまうと、今後の人生においてきっと悪影響を被ることになるだろう。

というわけで前日の3日に上京し、姉のところに泊まることにしたのである。姉のところに行くのは数年ぶりだ。駅をおりて、とぼとぼと歩き出した。ふと見上げると彼女のマンションの近くには新たに大きなスーパーができている、、、そして私は道に迷ってしまったことに気が付いた。だって風景が変わってるんだもの。もともと「駅からだいたいこっちの方に歩いていく」としか覚えていなかった私は途方に暮れた。

しばらくがんばってみたが、雨もふってきたし白旗をあげた。姉の家に電話をしたら一番上の姪と一番下の甥が迎えに来てくれた。

実家に帰ってその話を両親にした。私をからかうことをなにより楽しみにしている私の母がこの機会を逃すはずがない。「まあ。やっぱりあなた宇宙飛行士に向いているわ」と母は大変ごきげんであった。

 

うーむ。そういえば宇宙飛行士なんて話もあったなーーー、とぼんやり考えている間に妙に就職活動が忙しくなってきた。自分一人での就職活動に行き詰まりを感じていた私は4月の終わりにある人材バンクに登録はしておいたのである。ここはやっぱりプロの力を借りよう、というわけだ。ところがそれからしばらく何の音沙汰もなかった。なるほど。。。私のような人間をやとおう、という会社はそうないのかな、、、と思い始めた途端に3社も同時に紹介が来た。そして私は面接の連チャンに向けて妙な緊張をし始めたのである。だらけた文字通りのぬるま湯のような生活を送ってはいたが、面接となれば苦手なスーツを着て、何か考えているような顔をしなくてはならないのである。

人材バンクの人と、面接の日程を調整しながら、ふと「宇宙飛行士の書類審査の結果を発表する」と予告のあった6月の中旬になりつつあることに気が付いた。しかしいつ通知が来るのかは定かではない。よくよく考えてみれば「中旬」というのは極めて曖昧な表現である。10日から20日までのいつまでであっても中旬ではないか。おまけにこれは賭けてもいいのだが、結果は良い物であれ悪い物であれ、書留で送られてくるに違いない。ということは家にいないと、またはんこをかついで郵便局まで走らなくてはならなくなる。それがいやなら、ますます家でうでうでしていなくてはいけない、ということだ。

 

さて6月16日の火曜日、私は一度朝の6時に目覚めて朝御飯まで食べたのだが、何故かそこから再び寝てしまった。次に目が覚めたのは昼だった。

なんということだ。こんなだらけた生活ばかり送っているから、何もしないのにいつのまにか日時が過ぎていくんだ。もう半年になるというのに未だに職も見つからず、うだうだしているだけではないか。これではいけない。ちょっと外に行こうかな?

そう思ったがふと妙な予感がした。どうも今日あたりあちこちから郵便物が届きそうな気がする。一つは明後日ある面接の案内だ。一応電話でどこに何時に行けば良いかは聞いて、自分でメモをとってある。しかしどうもメモを見れば見るほど、自分が書いたことが信用できなくなってくるのである。これは本当だろうか?もし間違えたらエラいことになるではないか。

 

もう一通は「書類選考」の結果である。昨日は15日。ちょうど「なか日」だ。もし昨日あたり書類を発送していれば今日あたりついてもおかしくないじゃないか。

 

などと考えた私はまたふとんをかぶってうとうとしだした。自分でもよくこんなに眠れるもんだと思う。どうも最近生活がだれけているなあ、、、最近は履歴書に「趣味は水泳」と書いているけど、さぼりっぱなしだ。。どうもそういうアクティブなことをやる気がおこらない。しかし体重は順調に減っているのは皮肉な結果だ。ようするに食べちゃ行けないんだな。。。。

 

などとうだうだ考えて、さて本格的に寝るのかな、、、というころになって、誰かが扉をたたくのに気が付いた。

「なんですか?」と聞いてみれば「書留です」という返事だ。今書留が来るとすれば、可能性はひとつしかない。「ちょっと待ってください」と言いながら、短パンをはいた。ごそごそとはんこを探して、玄関に向かった。「うーむ。結果がでてしまう。結果がでない間は、自分勝手な夢も見れたものを」などとぼけたことを考えながら。しょせんいつかは現実と相対することになるのだ。

のぞき穴からのぞけば、まごうかたなき配達のおじさんである。扉を開けてみれば、NASDAからの書留速達だ。見たところ大分厚そうである。

長年だてに就職活動を繰り返しているわけではない。封筒が厚い、というのは大抵の場合いい知らせである。通ったかな、と思いながらはんこを押して、封筒を2通受け取った。

一つは速達で来た明後日の面接のお知らせである。こちらのほうはどうってことはない。どきどきしながら「もう一つのほう」すなわちNASDAからの封筒をしばらく「触診」していた。なるほど確かにこの封筒は厚い。これだけ考えればどうも書類選考を通過したような気がする。しかしそれはそれとして、何か「細長いもの」が封筒に入っているのに気が付いた。何だこれは?はいっているのは多分面接のお知らせ、だとすれば紙だけですむではないか。

そのうち私はとんでもない妄想にとらわれだした。ひょっとするとこの「細長い物」は「残念でした。これが記念のボールペンです。これからもNASDAをよろしくー」という記念品ではなかろうか?そういえば小学校5年生の応募者は、毛利氏から手紙をもらったというではないか。ひょっとするとNASDAは広報に関して非常に気を使っているのかもしれない。そうするとこの分厚い感触は「いやー。ご苦労様でした。でも同封のパンフレットを見てね。NASDAはこーんなにいろいろな分野でがんばってるんだよー」という書類の山の感触かもしれない。

 

えーい。こんなことをいくらうだうだ考えていてもなんともならない、ととりあえず封筒を開けてみた。

 

中を見れば、山のような資料である。しかしどうもこれは本当に第一次選抜の案内のようである。そのうち「第一選抜試験の実施について(通知)」という紙が見つかった。私は不確定性原理だか、なんだかの神様の加護があったことに感謝の祈りをささげた。これで私は筑波まで行くことになる。そしてこのドキュメンタリーも当初の予定よりずっと長いものとなるだろう。(誰が読むかは知らないが)

先ほど感じた「細長いもの」は「検便」の容器だということが分かった。ああ。「検便」ってなんて懐かしい言葉だ。記憶に間違いがなければ最後にやったのは中学校だった気がする。少なくとも大学にはいってからはやっていない。検便は漫画のギャグのネタにもよくされるように、ちょうど思春期の少年、少女たちにとってはとても心理的にプレッシャがかかるものだった。そういえばこの時の保健委員は気の毒だったな。。「もう検便はあるまい」と思って安心したのはいつのことだったか。もうなんとなく恥ずかしそうに、みんなからからかわれながら職務を全うする保健委員の姿を横目で見て、胸を痛めることもないのだ。

それがまさか齢35にしてまた検便をやることになろうとは。かくのごとく自分の将来を的確に予想するなんてことは不可能である。卒業間際の最後の試験を終えて、「これで筆記試験なんてものを生涯受けずにすむだろう」と今までに何度考えたことか。ところがこんどは筆記試験に加え懐かしの検便のおまけつきである。

 

さて。書類にざっと目を通して見れば、これから宿の予約だの、検便だの、医学検査の準備だのいろいろとやることがありそうだ。今度の選考は二日間で行われ、おまけに初日は朝の8時に入る必要があるから、最低でも2泊する必要がある。おまけに「宿の手配は自分でやってね」と丁寧に注記まで付いている。しかしとりあえず私はご機嫌になった。そして「これは体調を整えなくては」と思い、さっそく車にのって小牧市のプールに向かった。最近体重は減っているが、運動量はそれ以上に減っているのである。おまけに生活はとってもだらけたものになってしまっている。

この1次選抜を通過し、2次選抜に進むのは糸を300m先の針の穴に通すほど難しかろう。今度は視力の神様、血圧の神様に比べて基礎学力の神様とかその他大勢の神様の加護が必要だ。しかしまあ体調を整えて臨みたいではないか。そしてとりあえずの目標に向かって体調を整えて別に損することもあるまい。今度こそ「ご苦労様でした」の通知をもらっても、ごきげんな体調を得ることができれば、少しは慰めになるだろう。

 

それからプールに行って300mほど泳いだ。まだ日は長い。そこから今まで行ったことのない道を通って帰ろうと思ったら、初めて見る神社にでくわした。なんだかわからないが子宝、安産系の神社のようである。神社の絵馬を見る、というは私の趣味の一つなのであるが、さすがにここにかかっている絵馬はまじめで切実な物が多い。「癒着が直って、卵子が、、、」などととても詳細な物まである。

ちょっと厳粛な気持ちになって神社の前のおみやげ屋にはいってみれば、男女の○○を形取った飴に加えて、なんと大人のおもちゃまで売っている。うーむ。さすがは子宝の神様。こんなところで堂々とこんなものを販売できるとは。。。妙な感動のうちに、ふらふらと家路についた。何故か賽銭を放り込んで、手を合わせる気はしなかった。世の中にはもっと切実な願いをかけている人がたくさんいるだろう。これくらのことで願いをかけられては神様だって迷惑に違いない。

途中のコンビニで厚切り羊羹を買ってささやかなお祝いをした。最近金もないし、ダイエットもしていたので、甘い物はあまり口にしていない。また羊羹を買うとしても、一個50円の小さいやつにしていたのである。今日はお祝いだ。一個200円の大きいのを食べることにしよう。

さて。今度は7月4日5日だ。

 

と書いたが、、、翌日は忙しい日だった。横浜まで面接に行って、帰ってくると、別の会社から「当社は貴方の意向に添えず。。。」というお断りのお手紙が来ていた。なんということだ。この会社は本命の一つだったのに。。。おまけにもう一つ別の会社の面接の案内も来ていた。さらには甥から依頼された「戦車のプラモデルできたー」という催促の電話まではいっていた。

それらをざっと眺めたあげくに私は布団をかぶってねよう、、、と思ったができなかった。いつものことながら面接はいつもひどく精神にこたえる。疲れ切ってはいるが目がさえて眠れない。明日は別の会社の面接があるというのに。

もんもんとしていると部屋のベルがなった。最近私の部屋に電話がかかってくるとすれば、それはだいたい人材バンクの人だ。しかしもう11時近い。普通こんな時間には電話がかかってこないはずだが。。と思いながら電話に出てみればなんとNX号である。

「大坪さん。通知きました?」

「うん。」

「いや。実は私もうかってしまいまして。。」

「君は私がうかったと思っているのか?」

「えっつ?だって落ちる要素がないじゃないですか?」

「私が無職だということを忘れないように。他にも多々やましい点がある。」

という会話から、彼もめでたく合格したと言うことを知らされた。そして「宿一緒にしませんか?今度の週末に調べておきます」という大変ありがたいOfferを聞いた。

実は連中と一緒にとまって、夜に楽しくビールでも飲むか、というのは自分でも考えていたところなのである。せっかく一晩一緒にすごすことだし、健康診断は一日目に終わってしまうから、その晩に多少ビールくらい飲んでもバチはあたらないだろう。ところが、メールをだして、もし相手が何かの都合で不合格だったら、なんとなく気まずい。一番合格の可能性が高いのは「奥さんにかかされた男」であるが、彼は特に忙しいし、プータローから脳天気な連絡をするのは、なんとなく気が引ける。

ちょっともんもんとしていたところにこの電話だ。ありがたや、ありがたや。

「他の連中は?」と聞くと、彼も知らないという。彼はずっと日帰り出張で、別の場所で働いている男なのだ。あれこれ話しながら、私は「あの細長い容器が、残念賞の商品だ、と思ったのは私だけではない」という事実を発見した。

そんじゃよろしく。と言って電話が切れた。さてさてこれから7月の4-5までちょっと忙しくなりそうだ。

数日後NASDAのホームページに今回の書類選抜の結果が表示されていた。合格者は198名。合格率は約22%である。約5人に一人合格の勘定だ。上位2割にはいるとはなかなかのものではないか。これで倍率はおよそ100倍となった。

さて今回の検査で最大の懸案事項はまたしても視力である。インターネットにはありとあらゆる種類の情報が浮遊している。そんななかに「Javaを使った視力検査表」というのがあった。さっそくためしてみると、両眼とも0.1と言えるか言えないかのレベルである。私は目の前が真っ暗になった。なんということだ。4月にはなんとか0.2あったものが。。。私は元職場の友達から来たメールに「私が最終的に合格する確率は、W杯の日本代表が一次リーグ、2次リーグを突破し、勝ち上がるのと同じくらいの確率だ」と書いた。

その数時間後に日本代表はクロアチアに破れ、理論上はまだ一次リーグ突破の可能性があるものの、実質的にはその目は消えた。そしてこちらの1次選抜突破の可能性も同じ運命をたどろうとしていた。

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注釈

固定観念:実際彼女たちの固定観念をあなどってはいけない。長女のさとちゃんは「ごよぴー(私のことである)頭いいけど鼻血でる」と今だに言っている。昔彼女の前で鼻血をだしたことがあったのだろう。次女のみーちゃんは、私の弟が一度駐車場でうまく駐車できなかったことを覚えていて「てっちゃん、運転上手だけどとめられなーい」とこれまた今だに言っている。姉の証言によれば、それから何度も「汚名返上」の機会があったのだそうだが。本文に戻る

 

短パンをはいた:ということは、それまでパンツ一丁で寝ていたと言うことだ。本文に戻る

 

小学校5年生の応募者:今回応募者の中の最年少である。うちの母は「どうやて願書書いたのかしらね」と大変不思議がっていた。私も不思議だ。ちなみに初めてこのことを聞いたとき「そんなのフェアじゃねえよ。俺たちは、不合格なら定型文書一枚じゃねえか」とわめいていたのを覚えている。本文に戻る