題名:検査することについて

五郎の入り口に戻る

日付:2002/6/16


前半

規定があるのかどうか知らないが会社にいると、毎年健康診断を受けさせられる。その内容は働いている場所によってさまざまだが、今の会社では豪華に半日かかる健康ドックにいくことになっている。

毎年診断が始まる前には

「この日のことを事細かに書いてサイトに掲載してやろう」

と考える。しかしだんだんと検査が進むにつれてその思いは消えていき、最後にバリウムと発泡剤(これがくせ者なのだが)を飲みありとあらゆる体勢をとってレントゲンをとった後には

「文章などどうでもいい」

という気分になってしまう。発泡剤のおかげで胃がぱんぱんに張り、これさえ直れば、という一念で頭がいっぱいになってしまうのだ。

今年の3月の検診もそうして終わろうとしていた。最後に総括とでもいうお話を先生とやる。去年は

「ちょっと糖尿のけがあるかもしれません。検査したほうがいいですよ」

と言われたが今年はおっしっこ検査も大丈夫。長年私を悩ましてくれる(健康診断の時だけだが)高血圧も大丈夫。宇宙飛行士の検査でひっかかったことを教訓に開発した

自分がミイラ化した妄想

を使って見事に「標準」と呼ばれる結果を得ているのだ。中性脂肪だけはなんともならないが、これだけで再検査しろと言われる事もない。

しかし最後に先生はこういった。

「便から潜血がでています。大腸の内視鏡検査をやりますから、外来にいって予約してください」

私は「はあ」と言うとその部屋をでた。言われたとおり外来というところに行くと、やれ予約だ、やれ前日の注意だと渡される。はあ、はあと言っている間に手続きは終わる。

会社に帰ると少し前に私と同じ運命-健康診断のあげく再検査で大腸内視鏡検査-に陥った人のところに話に行く。いやー、私もひっかかっちゃいましたよ。どうです、大変ですか?と聞くと相手は

「大坪さん。胃カメラ飲んだことあります?ないですか。。あれの5倍はつらいです」

と言う。この人はとてもまじめな人であり、その言葉のもつ重みに私はしばし言葉を失う。考えてみれば、この大腸内視鏡検査というやつは宇宙飛行士の二次選抜でも行われていたはずだ。そこで聞いた話を思い出し

「二リットルも下剤を飲むんですか?」

と聞けばそうだという。付け加えて

「その下剤が、生理食塩水みたいな味でとてもまずいのです。」

ということなのだが。

これ以上話を聞いていると悪い予感ばかりが増大しそうだ。私は「まあ二ヶ月先ですからなんとかなるでしょう」とか全く意味のない事をいってその場を離れる。二ヶ月あるからどうだというのだ。何か準備でもできるというのか。

その後私は別の男にも内視鏡検査の話を聞いてみた。こちらは

「いや?そんなに大変でもなかったですよ」

とこともなげに答える。これはどういうことだ。人によって、あるいは調べる先生によって苦しさが異なるとでもいうのか。そんなことを考えてもしかたないこと。まあまだ先だし、、と思っている間にその日は目の前に近づいてきた。

はっとその事実に気づくと泡をくって「検査前の注意」など読み出す。なんでも前々日から「食べてはいけないもの」が指定されている。そこに列挙されている食品を見れば、どうやら食物繊維が多い(と私が思う)ものが駄目のようだ。シナチク・ワカメ、ごま、そば、ねぎetc..それに対し食べて良い物は肉、魚、ごはん、豆腐などなど。それらを見てしばし考える。

外食生活が長いから食べるものには気をつかうようにしている。どうしても肉とか炭水化物が多くなるから野菜をたくさん食べるように心がける。しかしここであげられている禁制品は野菜ばかり。もちろんここに書かれているもの以外にも野菜は山ほど有るから食べることもできるのだろうが、なんだか疑い出すときりがない。ねぎが駄目ならタマネギはどうなのだろう。にんじんはいいのか?キャベツだって繊維があるぞ。

検査の前々日にあたる水曜日、さて何を食べたものやら。とりあえず朝はキムチ牛丼にしよう。しかし牛丼をあらかた食べ終わり、おみそ汁を飲もうという瞬間その中にわかめが入っていることに気がつく。禁制品だ。しかし

「だされたものは全部食べなさい」

という両親の教えは、3年に渡る米国生活での

「それを実践すると体が爆発するぞ」

という教訓にもかかわらずまだ生きている。まあまだ朝食だし、ということで食べてしまう。しかしこれからはみそ汁のついているものは食べられない。しかし私が愛する定食類にはたいていみそ汁がついているのだ。

昼はコンビニおにぎりで、お米の固まりだから問題なし。晩飯はどうする。あれこれ考えるがどうも禁制品にふれずにご飯を食べることはできそうにない。結局コンビニに頼ることとした。適当に選んで買えばなんとかなろう。

というわけで家に帰りあれこれ広げる。ほうれん草のお浸し、唐揚げ、それにご飯の晩飯である。見かけは今ひとつであるが、素敵においしい。4月から通勤経路が変わったこともあり、「おいしい物が食べられる店」の発掘にここしばらく血道をあげていたのである。しかるにこのコンビニ唐揚げはここ数週間でトライした店の中でもかなり上位に位置づけられるほどおいしいではないか。これぞ幸福の青いからあげ。あなたはこんなに近くにいたのね。私はご機嫌のうちにご飯をたいらげる。

翌日もほぼ同じような食生活。しかしこの日は他にやることがある。午後9時に錠剤2錠と液体一瓶の下剤を飲まなければならないのである。そう考えると晩にあれこれ食ってやろうかという気になる。いつもは体重増加が気になって甘い物には手を出さない、あるいは罪悪感を考えながら食べているのだが、どうせその後に下剤を飲むのなら栄養になる前に外に出てしまうのではなかろうか。きっとそうに違いない。ではこのおまんじゅうを食べよう。

かくしてご飯を食べ終わってしまうとやることがない。TVなど見るがなんとなく落ち着かない。そのうちあることに気がつく。私は普段9時半に寝る人間なのだが、9時に下剤を飲んだとしたらいつ効いてくるのだろう。一度寝てそれからトイレに行く、ってのはなんとなくいやだ。では何時まで待てばよいのか。

そんなことを考えているとなんとなく早く飲みたくなる。時計を見ると8時20分。ええい、40分早く下剤を飲んだからといってなんだというのだ。そう思い切るとあれこれ飲んでしまう。

さあ、きっとお腹がごろごろいいだすのだ、と思い待ってみるが何も起こらない。ただなんとなく体が熱っぽくなった気はする。それだけだ。そのうち効いてくるだろう、ほれほれと思っている間にいつもの就寝時間になってしまった。

ううむ。この下剤というのは効かないのだろうか。しかし効いてくれないとさっき馬鹿食いしたあれこれの物が血となり肉となってしまうではないか。困った物だ、、しょうがない。寝ようと思い横になるがなんとなく眠れない。体の中がなんだかごそごそしている気がする。結局トイレに行きたくなったのは11時前だった。それが終わるとくてっとねる。さて、明日はどんなことになるのだろう、と思いながら。

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翌朝目がさめるとさて、と考える。何時に家をでよう。私はいつも朝の7時半に会社につくように家を出る。今日行く病院は会社の近くにあるのだが、9時半にこいと書いてある。理論的にはいつもより2時間遅れで行けばいいのだが、ラッシュにあうのはいやだ。結局いつも通り家をでることにする。あれこれ時間をつぶしたりして病院についたのは9時だった。

受付をするとまず着替えろといわれる。ガウンに着替えると椅子に座ってぼんやり待つ。同じ部屋には女性が二人座っている。そのうち目の前の部屋からげほげほと咳き込む音が聞こえてくる。それとともに先生らしき低い声が。どうやら胃カメラか何か飲んでいるのだろうか。おう吐ともなんともつかない声も混じり扉の向こうで何がおこっているか想像するだに恐ろしくなってくる。ああ、私にもああした運命が待っているのだろうか。

不安で頭がいっぱいになったころに別室に案内された。椅子が4っつほどあり、TVがおかれている。なんでもそのうち下剤を2リットルもってくるからここに座って飲むのだそうな。それだけ説明するとその女性は部屋をでていく。一人で部屋にぽつんと座る。暇だ。しょうがないから仕事の事など少し考える。いまアイディアを出さなくてはいけない状況なのだが、こういう仕事は別に道具がなくても宙に視線をさまよわせていればどこでもできる。あれをこうして、、、と考えいてるうちにさっきの女性がトレーを持ってやってきた。

乗っているのはコップ、タイマー、それに家庭で麦茶を入れるのに使うような水差しである。これを60分で飲めというわけだ。女性がタイマーをセットし部屋を出た瞬間から私は猛然とそれを飲み出した。大食いしたいなら、自分が満腹だよ、という信号が頭にくる前に詰め込んでしまえ、というではないか。同じ理屈が適用できるかどうかは知らないが、とにかくかっぽかっぽと飲み続ける。そうしているうちに残りは半分になり、1/3になる。まだ時間は6分しかたってない。どうしよう。ここらで一休みしようか。いや、休んでしまうと二度と飲めなくなるかもしれない。下剤は幸いにも脅されていたほどはまずくない。ちょっとポカリスエットのような味だ。おまけに友達の話だと、

「飲み終わらないうちにトイレに行きだした。しかも残り時間が少ないからトイレの中で上から飲み、下から出すような状況に陥った」

というではないか。そんな目に遭う前になんとかしてしまおう。ええい、一気に飲んでしまえ、ということでごぼごぼと飲みきってしまった。タイマーはまだ52分残っていることを示している。

さて、くだんの女性は

「便が残っていると検査ができませんから、5−6回は行くつもりでがんばってください」

といったが、ここで私に何をがんばれというのだ。そりゃ5−6回トイレにいくのは簡単だがそこで出るものが出るかどうかは別の話だ。そんな事を考えながらぼんやりとしていても何事も起こらない。暇だからTVのチャンネルをかちゃかちゃ変えてみる。TVの番組をあらかた見ることができない自分の性分が恨めしくなるのはこういう時だ。芸能ニュースなどは見ようと思わないし、なによりもそれを報じている人間を見ていると穴をほってこっそりと埋めてしまいたくなる。ドラマっぽいのは心配になるから駄目だし、、、と考えていくと結局見ることができるのは、通販の番組とお料理教室くらいになる。酢豚の作り方を見ながらぼんやりとする。

そのうち妙な強迫観念に教われだした。とにかく60分以内で飲めばよいのだなあということで8分たらずで飲んでしまった私だが、はたしてこれでよかったのだろうか。あれは

「60分で飲み終わるくらいのペースで均等に」

という意味ではなかったかもしれない。しまった。最後まで飲まずに少し残しておけばよかった。私の妄想は暴走を続ける。先ほどの女性が来て

「あら、もう飲んじゃったんですか?しょうがないですねえ。一時間は飲んでもらわなくちゃいけないのに。。はい、もう2リットルあげるから今度はちゃんと飲んでくださいね」

と言われたらどうしよう。その部屋はカーテンで廊下と仕切られているが、カーテンの下から足が見えるたびに

「あの女性か」

と不安に怯える。

そのうち本当にその女性が別の男性と入ってきた。新顔登場である。彼女は私のコップを見て

「あら、もう飲んじゃったんですか」

と言うがそのままお盆を持って立ち去る。ああ、よかった。と安心したのもつかの間私は別の強迫観念にとらわれる。しきりの向こう座った新顔が、私が何よりも恐れる中学生日記の大ファンだったらどうしよう。必ずとても困った状況が中学生に降りかかるあの番組。耳をふさいでも聞こえるほどの大音量で放映され続けられたら私は発狂してしまうかもしれない。しかしこれも杞憂だったようだ。となりの男はTVのチャンネルを変えることもなくおとなしく座っている。

さて、そんなことを考えている間にトイレに行きたくなった。とはいっても本来の目的とは違って立って用事が済む方である。部屋に帰るとまたぼーっとする。とにかく暇である。

しょうがないから部屋をでてちょっと雑誌などを読む。この病院においてあるのは女性週刊誌がほとんどで多少興味深くはある。それらには男性から見るとどことなく奇異な傾向があるようにも思え、それがどこからくる物であろうかなどと考えるのは時として格好な暇つぶしになる。しかし今日はどうもそういうことをする気にもなれないようだ。

しょうがないから部屋に帰る。お料理番組は終わり、なにやらニュースなどやっている。このアナウンサーが一人座って淡々と読み上げるニュースというのも私が見ることができる数少ないTV番組の一つである。おまけに今日はあまり悲惨な話もないようだ。

そんなことを考えていると待望のNature Callがやってきた。やれやれ、これで追加下剤を飲まされることもなさそうだ、などと思っていたのは最初のうちだけだった。そのうち状況は変化し、確かに座って用を足しているのだが、やっていることは立っている時と同じではないかと思えてきた。すなわち先ほど飲んだ下剤が液体として直接でてくるような状態である。こうなるとお呼びが来てから我慢が効かないから下手に部屋に帰って座るわけに行かない。個室をでる。手を洗う。なんとなくそこからもう一枚扉を開ける気にならない。しょうがないから鏡に映った自分の無精ひげの生えた面など見る。おもしろくない。しかしなんとなくここから動くのがはばかられる。しばしの後ままた個室に戻る。そんなことを何度も繰り返す。5−6回はトイレに行けと言われたが、はたしてこれは1回なのだろうか2回なのだろうか、などと妙な事を考えている場合ではない。

そのうちようやく腸の中が空っぽになったようだ。よたよたと部屋に戻ろうとすると例の看護婦さんにあった。どうですか?といわれるから、いや何度も行ってますよと答える。相手は笑顔で、じゃあ12時頃から検査できそうですね、と言われる。その後も何度もトイレに行く。小走りで行く。果たしてこんな状態で12時に検診開始できるのだろうか。とはいっても時計もおいてきてしまったから今が何時かもわからないのだが。

そのうち状況は落ち着いてきた。TVに映った時間を見るとちょうど12時のようだ。なるほどうまくできている、と言っていいのかどうかもわからない。部屋の中はいつしか満室となっている。他の人が下剤を飲む様子を見ていると本など読みながら時々くいっ、という感じ。どうも親の敵のようにしゃかりきになって飲んでいるは私だけのようだ。それにみんな私よりだいぶ年上と思うのだが、これは単に自分がじじいになっていることに気がついていないだけかもしれない。などと観察しているとカーテンが開き看護婦さんの「大坪さん」という声がかかる。

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注釈

自分がミイラ化した妄想:これについては「献血について」を参照。 本文に戻る