映画評
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スピーク・ノー・イーブル 異常な家族:Speak No Evil(2024/12/16)
今日の一言:Reasonable Stupidness(合理的なバカさ)
先日家に電話がかかってきた。「最近法改正があり、保険金の還付がありますが、まだ書類を返送されていないようなのでご連絡しました」
その電話がATMにキャッシュカードをもってこいというまで私は真面目に丁寧に応対していた。
後から考えれば最初の一言から明白な詐欺電話である。しかし「他人に接するときは丁寧に」という社会的常識が私の心の中の疑いを押し潰したのだと思う。
この映画で描かれる人たちもまさにそうした状態。観客である我々はマカヴォイがとんでもないやつだということを知っている。なのになぜそうするかなあ、とハラハラドキドキしながら画面を見つめる。
仮に
「この前イタリアで会った夫婦から招待がきたけど」
「何言ってるんだ。二人とも仕事探さなくちゃいけないし、君はいろいろと面倒くさい人間なのにそんなところに行って更にストレス貯めるの?」
「それもそうね。辞めましょう」
とまともな頭だったら考える。しかしそれでは映画は成立しない。なのでとにかく登場人物にバカなことをやり続けてもらわなければならない。
しかしそのバカさ加減が一線を越えると「さっさと死ねばいいんじゃない」と観客が脱落してしまう。なので
「確かにその判断はダメだけど、やっちゃうかもしれないよね」
という合理的な馬鹿馬鹿しさを保つ必要がある。
この映画はそれに見事に成功している。皆がそれぞれ小さな判断ミスをやらかす。そして酷い目に遭う。こういう映画は善人の仮面が剥がれないが不穏は空気が漂うところが一番怖いしいやだ。時計を何度も見る。善人の仮面を脱ぎ捨てると却って安心する。
しかしそこからの戦い方もよく考えられており、いきなり主人公達が覚醒して立派な人間にならないところもよろしい。
最後は丸く収まるのだが、架空の人物と知りながら「この試練を一緒に乗り越えたのだからやり直さないか」とかならないことを祈ってしまう。いや、さっさと別れるという判断はマカヴォイ達は別として正しいと思うんですよ。
と思わず余計な心配をするほど引き込まれたということなのだろう。久しぶりに映画らしい映画を見た気がする。
ビートルジュース ビートルジュース:Beetlejuice Beetlejuice/Beetlejuice 2(2024/9/28)
今日の一言:名優たちの見事なアンサンブル
実はビートルジュースがなんだか1mmも知らない状態で鑑賞。なのだが、タイトルに流れる出演者を見て驚愕する。なんだこの豪華さは。
話の基調にあるのは霊が見えてしまう母ことウィノナ・ライダーと娘のすれちがいと和解の物語。それによくわかららないビートルジュースという霊とその妻ことベルッチ様が絡んで大騒ぎを繰り広げる。
ベルッチ様相変わらずお美しいけど幾つになったのだろうと思ったら、なんとほぼ還暦、私と誤差範囲の年だった。ぎょえー!それから私は「もっとベルッチ様を」を願いながらスクリーンを見つめていたのは内緒だ。
「あたしがここにいるのは何かの間違いなの!」というおばあちゃんの姿を見ていて思う。自分の死期を悟りながら死ぬ人もいるが、突然予期もしない死に方をした人もいる。その人があの世に行けばこう思うだろうな、と。
娘はどこかで見た顔だけど名前知らないと思ったらウェンディーの人だった。脚本がよくできており、騒がしい話なのだが、最後はちゃんと収まるところに収まる。人間の話として成立しており全く予期しない良い映画を見た、と思いながら映画館を後にする。
至福のレストラン/三つ星トロワグロ:Menus Plaisirs - Les Troisgros(2024/9/22)
今日の一言:全く退屈しない4時間
スクリーンに映し出されるのは、フランスにある三ツ星レストラン(ホテルつき)とそれに関連するワイナリー、チーズ熟成所、市場の風景。ナレーション、字幕は一切ない。
最初市場で野菜を選んでいる数人の男。その後メニューの検討とおぼしき会話が続く。彼らは誰でどういう関係なのか。それが映画の最後にはきちんとわかる。スタッフミーティングでものすごい存在感を出している女性が誰なのかも。
途中に休憩を挟み、4時間も上演時間があるのだが全く退屈しなかった。現実が映し出されているだけなのに。時計を何度か見たが「早くおわらないかな」ではなく「おう、もうこんなに時間が経っている」と驚いた。
日常を離れ、こうした時間をすごすために費用をかけられるというのは贅沢なことだが、画面を見ているとそれでも一生に一度はこういうことがしたいかな、と思えてくる。どこかの国民を称して「バカンスのために働く」という言葉を聞いたが、それでいいじゃないかとも思えてくる。映画は特別料金だったが、少しも高いと思わず、時間も全く長くなかった。
ウォンカとチョコレート工場のはじまり:Wonka(2023/12/10)(1000円)
今日の一言:悪くないけど...
ジョニー・デップ版ウォンカの不気味さはあまりない、若き日のウォンカを描いた作品。
都会に来てはみたもののあっというまに所持金0になり、悪徳宿屋に騙されタコ部屋に放り込まれ。という境遇なのだがウォンカは暗くなることはない。歌って踊って。
主演のシャラメ君の芸が炸裂する。演技力、ダンス、そして歌唱(音程は多分修正してあるから問わないとして)全てにわたって素晴らしいし、ストーリーも楽しいのはよい。
なぜ歯にものがはさまっているかのような書き方をしているかといえば「うーん」となるところが散見されるから。ウォンカの相手役が全く印象的ではない。子役というよりただの子供である。若き日のエル・ファニングとかだったらなあ。。
ストーリーも勧善懲悪でいいのだが、なんていうか、もう一声なんとかならなかったものかなあという気持ちが残る。
ウンパ・ルンパのヒュー・グラントは実によかった。気難しい顔の底に彼のユーモアが滲み出てくるような演技で。なのでどうしても
「もう一声」
今日の一言:ある男の人生
ナポレオンの台頭から死までを3時間弱で描く。最後の戦いとなったワーテルローだけでも一本の立派な映画になるくらいだから、かなり駆け足にならざるを得ない。そして作り手の力量が問われるわけだ。
ナポレオンは戦いになるとやたら強いが、ジョセフィーヌの前では「君がいなければ僕は何者でも無い」となんというか等身大の男。なーんでさっさと離婚しないかなあと思うが、人間というのはそうしたものではないかと思う。地位にふさわしくなく、周りからみて「なーんで」と思ってもその人にとっては大事な人なのだろう。
アウステルリッツまでの大勝とそれからの没落、あるいはマリーアントワネットの処刑に喝采を送っていたフランス人民のその後の混迷とか。王様復活させたり、ナポレオンを復活させたり、右往左往とはこのこと。本当に人の世とはすっぱりきっぱりはいかない。そんなことを考えながらひたすら画面に見入ってしまった。 ナポレオンの最後の言葉がジョセフィーヌだったと知ってはいたが、この映画を見た後ではその意味が違って見える。
3時間弱の長い時間を感じさせなかったのは作り手の腕と思うが、ずっと灰色の画面のトーンのように心に残る姿もどこか色褪せている。それを狙った作品かもしれないが。
翔んで埼玉 ~琵琶湖より愛をこめて~(2023/11/23)
今日の一言:是非次は「尾張と三河のどうでもいい張り合い」を!
飛んで埼玉の二作目である。洋の東西を問わず二作目はパワーダウンすることになっているが、時々好ましい例外がある。これはその例外の一つ。
東京にしか意識が向いておらず、横のつながりとかどうでもいいよねという埼玉県人をどうやって団結させればいいのか。というわけで海を作りましょう。千葉の砂は黒いから、和歌山から白い砂を持ってこようということになる。(千葉解放戦線のトップは消えてしまったけど)しかし関西では大阪府知事が京都市、神戸市と組んで覇権を唱えようとしているのであった。
前作は出だし快調だったが後半明らかに失速した。本作は最後まで馬鹿馬鹿しさ全開で走り続ける。唯一テンポが落ちたのが半裸の男がうじゃうじゃいる場所でのシーンだったがまあそこは目を瞑ろう。あと京都の「翻訳」もリアルタイム翻訳くらいにしたかったが。。しかしそんなのは些細なこと。ディスり、イジりをちゃんと笑いに昇華する力には驚くしかない。
前作を見ている時にも感じたが、この映画をみて一番笑えるのは埼玉県、滋賀県に住んでいる人だと思う。?となるギャグとおぼしきシーンがいくつもあり、元名古屋人、今は関東民の私は悔しい思いをさせられる。この映画がヒットしたら次回作は是非是非中部地方で。三河人以外誰も気にしていない尾張と三河の諍い、ってのがあるんですよ。トヨタグループは世界に覇を唱えていながら、三河っていう引け目があるんですよ。是非それをいじっていただきたい。ていうか日本全国いじってほしい県はたくさんあるんだろうなあ。
この映画にでてくるギャグを丁寧に解説した本をだせば、下手な観光誘致のポスターよりよっぽど効果があるのではなかろうか。本当に琵琶湖にマイアミ浜があるなんて知らなかったし。
ジョン・ウィック:コンセクエンス:John Wick: Chapter 4(2023/9/30)
今日の一言:ただ面白い
映画を見ている間考え続ける。「ただ面白い」
ジョン・ウィックである。敵が何人襲い掛かろうと、そう簡単に死ぬわけがないとわかっている。次々殺されていく「悪役」を見ると、この年までちゃんと育ったのになあ、と思う。あるいはこれがキャリア・ハイの役者さんもいるだろう、などと無常感を感じながらも、その殺戮がただ面白い。
大阪を舞台に真田広之がいつも通りかっこよくヤクザのボスを演じる。盲目の殺し屋もかっこいいこと。犬をつれた謎の黒人殺し屋もいい味を出す。そうだよね。ワンちゃんを傷つけるやつは許せないよね。そう考えると今回割を食ったのはフランス人か。まあアメリカ映画でフランス人が揶揄われるのはいつものこと。
パリの路上で車がびゅんびゅん通る中殺し合ったり、いきなり俯瞰図になって撃ち合ったり、パリの222段の階段をひたすら登ったり転げ落ちたり。ジョンはどれだけ車に跳ねられてもすぐ立ち上がるし、スーツで弾丸防げる半ばSFの設定なのだが、そんなことはどうでもよい。いや、やっているのは殺戮なのだが、かっこよくて面白いんだからしょうがない。
ラストでは唖然としたが、まあそれもムベなるかな。キアヌも年だからこんな映画ずっとやっていたら本当に死んでしまう。しかし私は無責任な観客だから
「えー、もっと見せてよー」
と願ってしまう。
今日の一言:ドラフト3位の新人に全てを賭けるとは
マイケル・ジョーダンとナイキ。今でこそこの2者は重要な意味を持っているが、千九百八十四年-Macintoshが発売された年、私が学部4年生で卒論を書いていた年だ-にはそうではなかった。NikeはAdidasとConverseに遠く離れた3位のメーカー。マイケル・ジョーダンはドラフト3位の新人でしかない。半年後には膝の故障で引退しているかもしれない。
そんなドラフト3位の選手にAir Jordanというブランド名まで与え、バスケットボールシューズのすべてのスポンサー予算を注ぎ込もうとする。おまけに相手はNIKEが嫌い。「普通」に考えれば「他の選手に声をかけようとなるところ」
この映画が描くのは、そんな「一発勝負」にかけた人間たちの姿。それはもちろんドラマ化され、演出されているが私がここまでに書いたことはほぼ事実らしい。
クリス・タッカーがリズムに乗った英語で冒頭状況の説明をする。聞いていて心地よい。そして史実ではジョーダンに一番大きな影響を与えた元コーチがバーで語った"I have a dream speechの原稿(I have a dreamは即興だが)を持っている」ことが最後にこう効いてくるとは。
マット・デイモンが即興で心を込めて語る言葉に現実の映像が重なる。この映画ではにこにこしている父親の運命、それにマイケル・ジョーダンがたどった曲がりくねった道を思うとき、さまざまな感情が頭をよぎる。
おそらく現実のストーリーはこれほど単純ではなかっただろう。しかし演出された御伽噺であっても、ここまで「そう来たか」と思わせてくれれば観客としては満足である。
今日の一言:見事な二作目
と書いたものの、一作目とストーリー的には関係がない。原題はMissingだし。
共通しているのは全てPCとかスマホの画面だけで構成されているところ。最後に「うーん。ここは実写か」と思いきや、、ネタバレ:ちゃんと一貫してます。
父はおらず母との関係は今ひとつうまくいかず。そんな高校生が主人公。母が付き合っている相手と海外旅行に行くが消息が途絶える。これはどうしたことか。彼女は何が起こっているか突き止めようとする。
一作目サーチと同じく、誰がどういう人間かは二転三転。画面からは緊迫感が途絶えない。途中「えっ?これだと話が大きくなりすぎでは」と思うが ネタバレ:心配しなくて大丈夫。
このシリーズにはアジア系の俳優がたくさんでてくるのには何か理由があるのだろうな、と思うが何も不自然な点はない。Los Angelsだしね。どきどきしながら画面を見つめているうち話はちゃんと着地する。お見事。
後で冷静になって考えれば、「ちょっとまて、警察にはちゃんと記録があったはずでは」とも思うが、まあそこは気にしない。久々に映画らしい映画をみたという満足感が残る
今日の一言:演劇を見ているよう
と思えば、原作は演劇とのこと。
部屋で一人PCに向いオンライン講義をする太った男。講師ということはわかるが彼はなぜこんなに太っているのか。そして次々と人が訪れてくる。心臓の調子が悪くなった主人公は、いきなりはいってきた男性にある文章を読んでくれと頼む。なぜ今際の際にそんなことを頼むのか。
会話が進むとともに彼と人物たちの背景が明らかになっていく。それとともに映画の最初に感じた主役の姿への嫌悪感が消えていることに気がつく。映画の後半初めて彼の姿を見る人が動揺するのだが、確かに私も最初は動揺したのだよね。
それとともに人間なら一度や二度や三度はやってしまうような過ち。それとともに生きること。そんなことを考えながら画面に見入る。
宗教バカは最後まで宗教バカ。何を言われても見事なくらい聞き流し自分の主張を押し付ける。
主人公の娘が痛々しくも美しい。主人公は親バカかもしれないし、彼女をちゃんと見ているのかもしれない。
その二人のシーンで映画はエンディングを迎える。この映画を見たからといって立派な人間になれるわけではないが、とりあえず体重には気をつけようと決意する。
エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス /Everything Everywhere All at Once(2023/3/5)(1000円)
今日の一言:悪くないけど長い。あと確定申告やらなくちゃ
税務署からの呼び出し、春節パーティーの準備、親父の面倒見、離婚届を持ってくる夫に同性のパートナーと現れる娘。つまり女性は煮詰まっている。
税務署で監査官と話しているうちおかしなことが起こる。旦那が突然わけのわからないことを言い出す。旦那と思ったのは別のユニバースから来た男だった。そして別のユニバースの娘は世界を破壊しようとしているとかなんとかかんとか。
見ているうちに思う。多分元のサヤに収まるのだろうな、と。そしてその通りになり、一回りして「今あるどうしようもない人生こそが愛おしい」となってなるほどな、と思う。私だって別のユニバースで俳優になっていようと大金持ちになっていようと娘と息子と出会えないのは困る。
あと「馬鹿げたことをするとマルチバースを移動できる」という設定は良かった。何度か声を上げて笑った。
というわけで話は悪くないのだがいささか長い。途中何度腕時計を見たことか。2章で終わってくれとも思ったのだが。そりゃ題名通り3章 All at onceがあるよね。あと石の世界はいいけど、なんで目玉つけるかなあ、とか惜しい点も多い。
夫婦の会話が中国語と英語混じりなのは理由があるのだろうけど、それは私にはよくわからない。これがアカデミー賞たくさん受賞って、、まあ人それぞれだから
ドリーム・ホース/ Dream Horse(2023/1/9)(1000円)
今日の一言:完璧に予測できるが見終わってHappy
ウェールズの片田舎の街。主人公はスーパーに勤めるしがない主婦。街には希望というものがみあたらない。
そんな日々の中、あるきっかけっから彼女は競走馬を所有することを試み始める。莫大な費用を賄うため、町の人々に呼びかけ共同事業にする。一人過去に競走馬で痛い目にあった男がおり
「レースで勝てる見込みはない。だから儲けを期待せず楽しみ"Hywl"のためにやるべきだ」
と冷静に事実を述べる。それでも町の人たちは協力する。
自らの経験から言えることだが、精神的に一番辛いのは自分が何も意味があることをしているとは思えない時。毎日定時退社でもそういう時期は体調が悪くなる。毎週10ポンドは、生活にハリを持たせるためであれば十分引き合うものなのだ。
予想に反し、生まれた馬はレースに出場する。初めてのレース。映画を見ている私の鼓動も早くなる。その後も順調だが絶対こういう話がそのまますんなり行くわけがない。運命のレースのシーンでは文字通り手に汗握る。きっと何か良くないことが起こるのだ。
町の人たちの葛藤もありながら、映画はHappyな結末に向かって走り続ける。エンドロールでは役者と本人が並んで歌を歌う。これほどパターン通りの映画でありながら、見ている私をドキドキさせ最後はご機嫌な気分にさせてくれる。その力量には感服した。
町の出資者たちが受け取ったのは1430ポンド、日本円にして22万円ほど。この金額の多寡は問うべきではない。彼らと彼女たちは"Hywl"を得たのだ。
今日の一言:前半「早く何かが起こってくれ..」
予告編を見る。孤島にあるレストランにいわくありげな客が集まってくる。もうこれだけで「誰もいなくなった」ではないか。でもってシェフがレイフファインズ。丁寧な口調の裏に「絶対それで済むわけないだろう」という予感を漂わせているのが、アジア系の女性。食事の前に島の中を案内する。従業員が共同生活を送っている部屋は、軍隊のそれのよう。
ちょっと頭のたりない2枚目半を演じさせたら右に出るものがいないのがニコラス・ホルト。はまり役である。映画の進行とともに、客がどんな人間なのか。なぜここにいるのかが明らかになっていく。じりじりと。なので映画の前半は「わかってる。どうせロクでもないことが起こるんだ。なんでもいいから早くロクでもなくしてくれ!」とじらされる。
あるメニューから一気に狂気が加速していく。映画の結末はある意味「そして誰もいなくなった」というところからわかっているのだが、それをどう捻ってくれるかが楽しみで見続ける。ちなみに予告編を見てちょっと恐れていたカニバリズムはないので安心しよう。
シェフにしてみれば、自分が愛情か狂気を注いだ料理そのものよりそれを利用する人ばかり。そんなところからだんだん壊れていったのだろうか。
その狂気と対峙し、最後まで知恵を絞り自分の生をつらぬいたのが主人公。賎業と人から思われる職であるが故に、地に足のついた力を出し続ける。演じるのは最近あちこちで見るちょっと目の離れた美人ことアニャ・テイラー=ジョイ。熱演&ハマり役である。正統派美人よりちょっと訳ありの美人の方が良い人なのだろうか。
そう考えれば、あそこに座っていた人たちの生き方は「虚飾」だったことに気が付く。料理の蘊蓄を得意げに述べ続けるが、自分では何も調理できないニコラス・ホルト。そして皆煩悩に塗れていながら、少し人生に退屈し、そして飽きていたのかなと。そうでなければ最後に女性からあの言葉はでない。
そんないろいろなことを考える映画だった。
愛する人に伝える言葉/ DE SON VIVANT/PEACEFUL(2022/10/9)
今日の一言:39歳演劇教師が膵臓がんで死にます
話は基本的にそれだけである。この39歳の男にはなぜか母親がべったりくっついている。最初は夫婦かと思った。それくら母親は若く、男は老けて見える。(後であの母親がカトリーヌ・ドヌーヴと知りひっくり返りそうになった)
ステージ4の膵臓癌に効果的な治療はない。その事実を受け入れるまでの葛藤。受け入れてからの生活。彼の嘆きは「何も残せなかった。人の頼みを聞くばかりで」しかし「本当は」そうではない。
彼が残したものが映画の進行とともに明らかになる。わざとらしい演出も泣き叫ぶシーンもなしに。観ていて邦画でよくある「不治の病にかかった見目麗しい男と、女の物語」を思い返す。日本人にはこうした真面目に人間の生と死を描くことはできんのだろうか。映画の進行はそのまま癌の進行。主人公は衰弱していく。その静かな、そして確かな描き方と演技。
ラストシーン。あれ?と思うようなカメラワークがあるが何も写っていない。しかしそれは静かでしかも真面目な演出だった。「いつ死ぬかは患者が決める」というセリフがあった。主人公は死ぬ時を自分で決めたのだ。
このように素晴らしい映画なのだが、看護師と主人公謎のの「職場恋愛」と冒頭の「演劇での別れのシーンの練習」はなんだったのか。いや、フランス人にはあの二つのシーンが意味あるのかもしれないけど、私には意味不明で長すぎた。
しかしそうした些細な点に目くじらさえ立てなければ、静かに真面目に一人の男と彼を取り巻く人間たちの生を描いた映画。ちなみに「存在感」って結局なんだったの?
#どうでもいいけど、出演するフランス人たちの英語のうまさ!と思って調べればあのお医者さんは本物の医者でしかもNew York勤務とは!
ブレット・トレイン:Bullet Train(2022/9/4)
今日の一言:いや、面白いじゃんこれ。
Kill Bill Vol1を思い出す「変な日本」を舞台に新幹線らしき列車が疾走する。どうやっても降りることができないブラピを載せて。
ブラピは代打で任務を依頼される。話は簡単。ブリーフケースを盗んで降りる。目当てのブリーフケースはどこにあるんだ?おっと簡単に見つかった。さあ品川で降りよう、と思えば。
というわけで次から次へとブラピに厄災が降りかかる。そもそもこの列車に乗っているのは殺し屋ばかり。ロシア顔の女の子に白人黒人コンビの殺し屋ペア、息子を瀕死の重症にされた父親とか。なぜこんなことになったのか、とかちゃんと最後に説明されるから安心しよう。
変な日本だから、新幹線にバーはあるし、謎の個室もたくさんあるし、そもそも夜行列車として運行し静岡をすぎたあたりで富士山がでてくる。そして東京-京都間を何時間かけて走っているのかとか楽しい要素は満載。そもそもこの話はどうなるのか、というバラバラの要素は最後にちゃんと一つにまとまり落ちもつく。
見ているうちにこんな列車とこんな国があったらぜひ旅行してみたいと思ってしまった。真田広之のかっこよさは流石だし、朝日をバックにしたヤクザ御一行も(遭遇したくはないが)きまっている。変は変なりにちゃんと考えられた脚本で、血とか殺しに過剰に反応しなければ十分楽しめると思う。ここまで面白いと殺し屋コンビの絆とかもうひと推し面白さを求めたくなるが、それは贅沢というものだろう。
唯一残念だったのが最後にでてきた連絡係ことサンドラ婆。顔はCGで作ってんのかというほど人造的だし、そこだけ映画のテンポがガタっと落ちる。聞くところによるとここは当初レディ・ガガの出演が構想されていたとか。彼女がでてくれればなあ、と思わんでもない。しかしブラピとみんなの熱演に免じて不問とする。お見事でした。
ブラック・フォン:Black phone(2022/7/8)
今日の一言:良い映画を観た。
アメリカの田舎町で少年が相次いで行方不明に。主人公はちょっと中性っぽい外観からかいじめられているが、助けてくれるメキシコ人の友達がいる。しかしその友達も行方不明になってしまう。主人公の妹は予知夢を見る。しかし父親はそれにつらくあたり..
主人公が誘拐され、少しずつ謎が明らかになっていく。彼が監禁された部屋の壁にある古い黒電話。そもそも配線が切れているからか鳴るはずがないのに、声が聞こえてくる。その声は彼に何かを告げようとしている。
映画の最後に警察署長が「事件は解決しましたが、残念な結果でもあります」とか何とか言う。確かに両手を上げて喜べる状況ではない。しかし状況がそうであっても、主人公は友人たちの力を借り戦おうとする。
そして最後のシーン。必要以上に大袈裟でなく、何もなかったことにするわけでもなく、すっぱり気持ちよく終わる。言葉にすると単純だが、なかなかできる技ではない。テンポ良く、しかし主張する点はしっかり主張し少年と少女が困難に立ち向かい成長する物語として語る。これはすばらしい芸だ。良いものを見た、という気持ちを抱きながら映画館を後にする。
今日の一言:泣いた。がリメイク希望
ウルトラマンである。これ以上待っているとネタバレ情報が入ってきてしまうと思い、可能な限り早くIMAXで鑑賞。
見終わって、私の目には涙が滲んでいた。
原作ウルトラマンとかシン・ゴジラに関連するシーンがあるとかセリフがどうとかどうでもいい。ここに描かれているのは、映画で繰り返し問われてきた
「果たして人間を救う意味があるのか?」
という問い。人間なんて碌なもんじゃない。宇宙全体からみれば誤差範囲。さっさと駆除しましょう、というのは米国映画でも何度か聞いた気がする。
その問いに、この映画の登場人物は必死に答えを出そうとする。そして現代風にアレンジされているとはいえ、その問いはオリジナルのウルトラマンにも存在していたものだった。この映画をみてそのことに初めて気がついた。オリジナルに存在していないが、この映画での一つの大きな改変。自分が対峙しているものの力を知りながら戦いに挑むウルトラマンの姿。その意味を知った時私は涙を流した。
この映画の根本にあるメッセージは素晴らしいと思う。
しかし
余分な要素が多すぎる。そして全体に厳しさがない。過去のオマージュだろうがなんだろうが、意味を持たない部分を切り捨てる冷酷さがない。
結果として骨太のメッセージがぶよぶよした脂肪をまとったような映画になってしまった。
骨格は素晴らしいだけに勿体無い。リメイクを希望する。
今日の一言:人がたくさん死にます
予告編を何度か見た。なんだかわからんし邦画だから、と観なかった。しかし賞レースでやたら名前が上がっている。これは観ないと。とはいえ上映館は少なく遠出しなければと思っていたら近くで上映が始まった。
映画が始まる。見目麗しい男女が、ベッドで謎のセリフを呟き続ける。テレビとか演劇関係のスカした男女。おまけにテンポがものすごく悪い。なんだこれは。なぜこんなのが評価されているんだ。
映画は静かに進む。それとともに主人公の置かれた状況が少しずつ明らかになっていく。この主人公には最後まで「空っぽ」以外の印象を持てない。はいはい、演劇関係者。変なこだわりとかどうでもいい。
良かったのは韓国人の夫婦。韓国手話が演劇でああした力を持ちうるというのは全く予想外だった。イケメンの若者は英語も中国語も喋れないのに中国人女優と仲良くなっているし、そもそもあんな衝動的な性格でどうやってあの歳まで普通の生活を送ってこられたのやら。
などと謎の部分も多い。しかし見始めた時の心配は杞憂であり、観終わってみればいつのまにか3時間近くが経過していた。だから面白いとは思っていたのだろう。
クライマックスのシーンでは、全てが延々とセリフで説明される。主演二人の演技力は素晴らしいが、やはり超えられない壁があることを思い知らされる。こうやらないと安心できないのだね。誰か知らないけど。
映画自体は心に残るけれど、主人公が全く心に残らないという不思議な体験をした。もし海外でも賞をとれば、誰かがリメイクするかもしれない。その作品を楽しみにしていよう。
あと人が死に過ぎ。この映画で五人も殺す必要があるんだろうか。それだけ殺さないと成り立たない話だとすればやはり何かがおかしい。
スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム:Spider-Man: No Way Home(2022/1/10)
今日の一言:MJが素敵
私が物心ついてからのスパイダーマンは三人目である。考えてみればスパイダーマンはいつもどこか影を背負った存在だった。
とはいえこのトム・ホランド スパイダーマンはその悩み、苦しみを高校生の生活とうまく重ね、過剰に深刻になることなく描いてみせてくれた。二作目までは。
三作目の本作品でも過剰に暗いとは言わない。しかしピーター・パーカーのバカさ加減がちょっと私の許容範囲を超えている。大学に泣きつく前にドクター・ストレンジ泣きつくあたりは、「あるある」でいいと思うけどね。
何はともあれ、ドクターストレンジのMagicをピーターが途中で邪魔したがためにあれこれがおかしくなる。過去の悪役がわらわら集まってくる。というかみんな元気でなにより。特にウィレム・デフォー。ヴィランは皆あまり老けていないのが面白い。
ヴィランを根絶やしにするのではなく、治すことを試みるのが今風か。そしてスパイダーマンだから最後が孤独に終わるのもいいと思うが、前二作にあった爽快感には欠ける。
映画を通じて感じるのは本シリーズのMJの素敵さ。私のような年寄りから見ても素敵なのだから、若者がみればもっと素敵に見えることであろう。特にピーターとの再会のシーンの演技はお見事。
キングスマン:ファースト・エージェント:THE KING'S MAN/Kingsman: The Great Game(2021/12/27)
今日の一言:びっくりするほど反戦映画
キングスマン一作目には本当に驚かされた。こんなことやっていいのか?という痛快感。そして二作目は「まあ二作目はこうなるよね」というわけでその始まりの物語。
レイフ・ファインズの息子がでてくる。ムキムキで2枚目だが存在感がまるでない。これで主役が務まるのかと思えば、やはりそうはならない。背景は第一次世界大戦。最近「8月の砲声」という本を読み出している。その内容がそのままびっくりするほど真面目に描かれる。
息子は良き英国人として最前線に行くことを熱望する。そしてそこで見、体験した現実。両軍の良い若者があっという間に死体の山になり、何も達成されない。これほど冷徹に戦争の無意味さを描いた映画は久しぶりに見た。とはいえ映画だから彼の死は無駄にならない。しかしツィンメルマン電報とか普通の日本人の観客は知らんのではなかろうか。
予告編では怪僧ラスプーチンが主たる悪役のように描かれていたが、彼は前半の山場でしかない。1812年に合わせラスプーチンとバレエのように見事な戦いをするところはさすが。あれこれ苦労してラスプーチンを殺しても(伝説によればこれくらい死なない人だったらしいが)戦争は止まらない。史実でも、このどうしようもない戦争はいつまでも続いたのだ。
勝利を決定的にするため、なんとかアメリカを戦争に引き込みたい。なのに合衆国大統領が腰を上げない。というわけでレイフ・ファインズとその一味は奮闘する。
最後明らかになった「ラスボス」の正体はまあわかっていたとはいえ今ひとつ存在感が無い、とか惜しいところはいくつもある。しかし全体を通していれば、第一次世界大戦の事実を尊重した上で、きちんとキングスマン映画にしている。「キングスマンの続編」として期待していた人がどう思うかは知らないが、製作者が真面目に作りあげたという気持ちが伝わってくるような。これには正直驚いた。
#しかし第一次世界大戦で命を落とした無数の人たちはなんのために死んだのか。従兄弟同士の愚かな争いのためか?ナチス打倒という大義名分が存在する第二次世界大戦のほうがまだマシだったのではないか。
ラストナイト・イン・ソーホー:Last Night In Soho(2021/12/12)
今日の一言:素晴らしい脚本と演技。しかしいささか長い
主人公は服飾のデザイナーになる夢を叶えるため、イギリスの田舎町を出てロンドンの学校に通う。学校の寮には馴染めず(この場面は見ている方に痛みが伝わってくる。つらいよね。)屋根裏部屋を探し独り住まいを始める。しかし夜ごと自分ではない誰かの夢を見るようになる。
「あれ?この夢にでてくる女性って主人公そのもの?」
とずーっと悩んでいた。人間メイクでここまで顔が変わるのかとか。別人です。夢の中の女性はバーで歌うという夢に向かって歩き出す。しかし得た仕事は半ば売春。彼女の苦しみを夢として体験させられる主人公もだんだん病んでいき、何が現実か妄想なのか分からなくなっていく。
見ているうち「この映画にどうやって結末をつけるのか」と訝り始める。それにしてもちょっと長すぎないだろうかと思ったところで事態は急展開を見せる。同時に脚本にしかけられたミスディレクションに見事にひっかかっていたことに気が付く。それまでなんの気なしに見逃していた要素が全部綺麗につながり始める。そして最後のシーンで、鏡に女性が一人ずつ現れるシーンでは鳥肌が立つ。
演じた二人の女優の演技力には感嘆の他ない。場面に合わせ同じ登場人物なのに別人のように見える。そして見事に練られた脚本。ただトリッキーなだけでなく、困難に立ち向かい人生を切り開いていく人間という普遍的なテーマをちゃんと描いている。
それらは素晴らしいのだが、見ている間「いつまで続くんだ」と思ってしまったもの事実。だから満点から少し引いてあります。
モスル~ある SWAT 部隊の戦い~:Mosul(2021/11/23)
今日の一言:「イラク第二の都市モスルを奪還しました」というニュースの現実
映画の冒頭、二人組が何者かと銃撃戦をしている。弾丸が尽きいよいよガラスの破片で戦うか、というところで何者かが敵を掃射する。それはモスルの元警察官達が組織したSWAT部隊だった。そして叔父を殺された若者はSWATに合流する。
映画の間中ずっと戦闘が続く。SWATのメンバーは名前も覚えられないうちにどんどん亡くなる。画面で何が起こっているか把握できなくても人は死ぬ。彼らにとっては米軍はなんの躊躇もなしに都市を破壊する存在でしかない。銃弾が飛び交い、味方の誤射で人は死に、空からはドローンが降ってくる。
「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」を主張できることはなんという幸運だろう。映画を観ている間そのことばかりを考えていた。最初頼りなげで、途中「なぜ何も教えてくれないんだ」と言っていた若者は最後には男の顔になる。
なぜISは勢力を拡大できたのか。それより少しマシなだけのアルカイダはなぜアフガンを「奪還」できたのか。そうした疑問とは別にその地に生きる人たちの物語が存在する。信条、国籍、場所は異なっても人間は生きようとしている。懸命に。観終わってぐったりしていることに気が付く。
今日の一言:人間の想像力
アベンジャーズが一応の大団円を迎えた後、実はそれより昔からずっと地球を見守っていたすごい何かがいましたって、それどうするんだ。しかもサノスが指ぱっちんやった時も全然助けてくれなかったじゃないか。
という設定上の難題をちゃんとクリアし、しかもスーパーヒーローの強さインフレを起こさずにキチンとした話にまとめるのが素晴らしい。ノマドランドとこの作品を両方とも作ってしまうというのもちょっと私なんぞの想像を超えている。
昨今のディズニー映画だから、政治的にな正しさには最大限の配慮がなされる。ヒーローには聴覚障害者、太った黒人のゲイ、インド人、白人、もはや人種とかどうでもいいアンジェリーナ・ジョリーにアジア人と多様性に最大限配慮。そうだねえ。確かにアジア人二人は多すぎたか。
なんだか最後のオチのつき方とかよくわからない点もあるが、ヒーロー映画だから丸く収まったと思えば良かろう。アベンジャーズが見事な終わり方をした後に「まだこういう手がある」と見せられるのは驚きでもある。仄聞するところによれば、まだ続編は決定していないようだが、Eternals will return とやっておいて作らないてはないでしょう。ちょっと間隔があいちゃうのかな?をを、そのための「一人だけ人間化」であったか。
ザ・スーサイド・スクワッド “極”悪党、集結:The Suicide Squad(2021/8/21)
今日の一言:狂気の面白さ
予告編が素晴らしく、本編は信じられないほど期待外れだったスーサイド・スクワッドの再出発版。前作からはハーレイ・クインと命令を出す怖いおばさんだけが続投。うん。ウィル・スミスはいらないね。
映画の冒頭あっというまにチームが編成され敵前上陸。しかし何もかもがうまくいかない。あっというまにチームがやられてしまうが、それは全部陽動でした、というところからして驚かされる。他にもガーディアンズ・オブ・ギャラクシー で楽しませてもらったジェームズ・ガン監督だけのことはある、というシーンが続出する。グロも無茶苦茶な殺戮もなんでもあり。そしてそれを映画の面白さにつなげている。
登場人物は普通の正義の味方ではない。一人命令に忠実な人間が「正義」ではなくなる。両方に足をおこうとした好漢の大佐の運命。あくまで自分の考えと価値観で行動し続けるハーレイ・クイン。彼女が敵から脱出するシーンでは日本の少女漫画さながらに背景に花が飛ぶ。いや、すばらしい。この脱出シーンだけで過去二作の彼女の良さを上回っている。
現にアフガニスタンで起きたことや、他の国にアメリカが介入した結果を思うとき、最後はちょっと美しすぎる気もするが、まあいいだろう、映画だし。エンドクレジット後のシーンを見る限り続編を作る気満々のようだ。早く作ってくださいな。楽しみにしてるから。
イン・ザ・ハイツ:In the Heights IN THE HEIGHTS(2021/7/31)
今日の一言:この世界の片隅でSing and Dance
ニューヨークの北のハズレ。ワシントン・ハイツと呼ばれるエリアには中南米からの移民とその家族が住んでいる。環境は悪いがここを出ようとしてもニューヨークでアパートを探すのは並大抵のことではかなわない。ようやく空きを見つけても
「賃料の何十倍の収入証明書を出せ」
と冷たく言い放たれる。主人公は小さなコンビニを従兄弟とやっている。彼を中心にハイツで生きている人たちの日常が描かれる。学力優秀で、奨学金を得て(とはいっても全て手ぶらで行けるほどはないよ)Stanfordに行った女性がいる。しかし彼女はStanfordで偏見の壁にぶつかり退学を決意している。一方その父親は苦労して築き上げた会社を売ってまで彼女の学費を払おうとしているのだった。(Stanfordの学費は高いよ)
そんな彼らと彼女たちにとって現実は日々の戦い。嘆いていてもしょうがない。できる方法で前に進むしかない。見ていて「この世界の片隅で」を思い出す。どんな環境でも人間は懸命に生きようとするのだ。そんな人々の姿が圧倒的な歌とダンスを背景に描かれる。
安易に流れず、必要以上に悲嘆せず。もちろんお話だから最後はそれなりのハッピーエンドになるがそこに至るまでの苦労、悩みはちゃんと描かれている。画面を埋め尽くすダンサーたちの人生にふと思いを馳せる。この人たちはこの後どうやって暮らしていくのだろう。この映画に出演できたことは素晴らしい業績ではあるのだろうが。
人のことを心配している場合ではない。自分の恵まれた環境を見てみろ。そしてそこで自分がいかに怠惰に暮らしているかも。
この映画を観た後
「君たちは先進国に生まれ、自分が生まれ育った土地で教育を受けられるし、がんばれば大学にも行け、さらにがんばればそこそこの収入が得られる職にもつける。これはとてつもなく幸せなことなのだよ」
と子供たちに語った。彼らがその意味を理解したとは思わないが。いつの日か彼らがこの言葉を思い出す日が来るだろうか。
注釈