映画評
五郎の 入り口に戻る
日付:2014/7/1
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560 円-Part15(Part14へ | -1800円へ)
今日の一言:高校の文化祭と思えば...
評判がいいので観に行った。
冒頭登場人物の背景を長々とセリフで説明する。おまけにその背景はその後ほとんど意味を持たない。こういう映画とは相性が悪いのだがな。幕末に暗殺を試みた会津藩の武士は落雷によって現代の太秦映画村に飛ばされる。
朝起きて不審者が門の前に倒れていれば普通警察を呼ぶが、映画なのでなぜか助監督を呼ぶ。その理由も逐一セリフで説明する。この映画で描かれるのは本物の武士ではなく、時代劇用に作られた形なのだがまあそこはよい。かっこいいシーンがいくつかあったのは事実。
しかし
登場人物の心情も全部セリフで説明され、うんざりする。なのにまだまだ映画は続く。しかたなく「この映画を面白く見る方法」を考えだす。私の後ろに座った人たちは笑い声をあげていたから、細かいことは言わずに「おもしろーい」と思うべきなのだろう。よしこれは高校の文化祭の出品作品と考えよう。それなら上出来ではないか。オスカーをねらう気鋭の監督が、1970年台の不良のようなのは何かのギャグか?いや、高校生のやることだから。
しかし
最後の真剣を使った斬り合いのシーン。なーんで途中に「本物の侍がいる」とか寝ぼけたセリフをいれるかな。それは映像を観て観客がつぶやくセリフではないのか?まあ高校生にそれは求めらんか。でもさあ「シコふんじゃった」の最後の試合とか黒澤明の椿三十郎とか、迫力のある最終決戦のお手本はいくつもあるのに。いや高校生(以下略)
せめて1時間半くらいに短くすればもう少し観られる映画になったのではなかろうか。だらだらと無駄なシーンが繰り返されるのもどことなく「カメ止め」を思いだせる。面白い映画を作るのは難しいことですね。
シビル・ウォー アメリカ最後の日:Civil War(2024/10/3)
今日の一言:ミッド・サマーより若干マシ
しかし基本構造は同じで、ミッド・サマーでは「白い野蛮人」というアイディアだけがあり、本作では「米国内戦」というアイディアだけがある。他には何もない。
内戦といいながら、途中まで派手な戦闘シーンはない。なるほど、これはきっと低予算映画なのだと勝手に考える。であれば、Washington D.C.に向かうジャーナリストの旅にフォーカスするのはいいアイディア。戦争全体がどうなっているかさっぱりわからないのも、個人の実感ならば理解できる。
とはいえ
ワン・アイディアだけの映画なので、基本的には「バカがバカなことをやり続ける」のもミッドサマーと同じ。勢いだけで同行する若い女の子がひたすらバカなことをやり続ける。試練を経て彼女が成長するかといえば、、最後のシーンは成長したと言いたかったんですかね。まあ人間は一人も描かれていないのでよくわかりません。銃撃戦の中、通路で仁王立ちするバカな女。ようやくこいつも死んでくれるかと安心したんですが、やっぱりこうなっちゃうんですね。ホワイトハウスのあたりでダンストがいきなりメソメソするのもわけがわからないが、どうでもよい。白人以外を殺しまくる人間がでてくるのもアメリカならではだが、あのバカなアジア人二人組はよくここまで生き延びてきたなあ。
勝手に低予算映画と思っていたのだが、最後に軍隊が派手にドンパチやる。こんなお金があったらもっと脚本に金かけなさいよ。しかも軍隊のドンパチも映画の面白さには全く貢献してないし。大統領専用車が疾走するのをボーっと見ている戦車とかもう少しなんとかならないんでしょうか。せめてリンカーン像を砲弾と銃弾で穴だらけにするとかさぁ。
というわけで映画自体はどうしようもないが、赤いサングラスのお兄さんとセリフ"What kind of American, are you?"は今後長い間ネットミームとして生き残るであろう。そのネタに触れられたという価値を点数に反映してます。
今日の一言:最近のレーダーは電波を出すだけでなく、キラキラ光ります。
いや、この映画ではそうなんです。つまりこれはそういう映画です。
何か危機が迫ると皆馬鹿みたいな顔をして危機を見つめる。うん、早く逃げようね。というわけで学生時代の主人公は馬鹿みたいな顔をして竜巻追っていたらあっというまに3人死にました。
アメリカには竜巻を追いかけ回す人たちがいるようで、何が目的なんでしょうね。この映画では高学歴のChaserは不動産業者と組んでなんかやっているのだが、それが何が悪いのかよくわからない。Top Gunの人は最初大衆的なYoutuber竜巻Chaserとして登場するが、途中からとてもいい人になる。まあそうでなければこの人仕事受けないだろう。
でもってこの映画の中のOklahomaはチェンソーマン2部くらいに悪魔じゃなくて竜巻の襲撃を受ける。登場人物は必要に応じてどこにでも現れるし、そういうことに目くじらを立てる映画じゃない。
安易にTop Gunの人と主人公がくっつかなかったのはいいと思うが、じゃあなんだったのか、と言われるとよくわからないし、まあ細かいことはいいじゃないか。題名からして多分こういう映画とわかって観たんだから。エンドロールが流れ始めると皆ぞろぞろと帰り出す。
じゃあ何の映画かと言われれば、よくあるB級映画としかいいようがない。とはいえ、ここまで何の工夫もないB級映画も久しぶりに見たな。
バジュランギおじさんと、小さな迷子:Bajrangi Bhaijaan(2024/5/5)
今日の一言:インド映画の楽しみ方
映画が始まる。主人公がものすごい正統派美少女でちょっといやな予感がする。対する主人公の男はおそらくインド系美男子。いきなり神を讃えて踊り出す。そういえばこれはインド映画であった。
画面を見ながら考える。英語圏に住む人がゴジラ-1.0を見るとこのように見えるのだろうか。意味がわからない踊りのシーンも、なぜあるのかわからないエピソードも「まあそういうものだよね」で軽く受け流し、良いところをみるのだろうか。
主人公の男が故あって転がり込んだのは小林幸子のいる家。でもって意味もわからずこの美男と小林幸子は恋に落ちる。観客が「そんなことすると迷子になるぞ」という余計な行動をとるパキスタン人の美少女はインドで迷子になり男に拾われる。警察も大使館も当てにならない国だと結局自分でどうにかするしかない。
インド美男は狂信的な信者で、神の加護があると信じ込んでおり国境警備隊にわざわざ話しかける。映画だから突破すると分かっているのでただイライラするだけ。国がどうあろうと人々の心根はそう変わるものではない、と製作者は主張したいのだろう。ルワンダで隣人を虐殺をしていたのも同じような「ただの市民」だがそこは問わない。
少女が家に帰ってもこの映画はだらだら続く。これはインド映画だった。必要以上に長い。おそらく長くあることに価値があるという文化があるのではなかろうか。最後はインド人とパキスタン人の大団円的ファンタジーエンドとなる。最後少女がストップモーションになった瞬間「ああ、ようやくこの映画が終わる」とほっとした。同じテーマでインド映画的要素をとりさった方がよい映画になると思うのだが、そういうわけにはいかんのだろうな。
アクアマン/失われた王国:Aquaman and the Lost Kingdom/Aquaman 2(2024/1/12)
今日の一言:するすると時間が過ぎる
海の中であれこれするキン肉マンことアクアマン。前作は見たが筋は全く覚えていない。母親がニコールキッドマンだったことだけは覚えている。
というわけで本作も背景はさっぱりわからないが、まあどうでもいい。最初からそう割り切っていれば、途中いきなり弟君が長いセリフで背景を説明するところとか気にならない。っていうか前作も含め、海の中のシーンってほぼフルCGかなと想像する。役者いらないじゃん。
見ている最中に思う。最近これよりつまらない映画はたくさんあったように思う。全く面白くないのは予想通りなのだが、退屈しないのが意外だった。後で知ったのだがワイルドスピードシリーズの監督なのだそうな。あちらも見たことはないけれど、とにかく勢いのある映画を作る才能があるのだろうか、とぼんやり考える。
この作品だけみると、どう考えても弟君の方がまともな「人間」でこの人が王様やればいいじゃないかと思う。最後に「やっぱりお前が王様やれ」と譲るのかと思ったらそうはならない。頭のいかれたお兄さんはそこらへんで暴れている方がいいと思うのだけどね。
まあこれでDCは一旦集結したそうだから、リブート後のシリーズに期待しよう。とはいっても米国での評判良くて、なおかつヒマじゃないとみないけど。
SISU/シス 不死身の男:Sisu(2023/10/28)
今日の一言:もう少し頑張りましょう
フィンランドがソ連と講和したので、ナチスドイツは撤退。しかしただ撤退するのではなく律儀に破壊の限りをつくしていく。そんなところにドイツ的真面目さを発揮しなくてもいいのに。
その無人の荒野を一人歩き続けるじいさん(とはいっても私より若いか)途中ドイツ軍の一行とでくわす。を?これは3号突撃砲か?確かフィンランドも持っていたはず、とか喜んだ私はバカだった。どうやらT-54らしい。この戦車は一度も砲塔を回していないから、三突でもいいはずなのに。
後から考えればこれが唯一この映画で「を?」と思った瞬間だった。こういう映画だから主人公は何があっても死なないし、酷い目にあった女性たちが一斉射撃をする場面は良い。しかしタランティーノ並みの下品さ(褒めてます)に徹することもなく、悪逆非道なナチ(殺され役を見ると「ただ命令に従ったやつもいるだろうに」と思うが)が殺されまくる爽快感もなく、ただ淡々と映画は終わる。最後のシーンのキレの悪さがこの映画を象徴している。
よかったのは91分と短いこと。しかしあれだね。日本でこういう映画作るときっと非難の嵐なんだろうなあ。
今日の一言:高校の文化祭なら上出来
予告編を見る。「日本中がこの優しさに涙する」は不要、と思う。しかし原作が北野武と聞き、見てみるかと腰をあげる。
映画が始まる。役者が大根なのか、監督の演出が大げさなのかわからないが大仰で中身のない演技に辟易する。「歩きスマホはやめろ」「あっ」で主人公が作っている模型をめちゃくちゃにするとか、ギャグですか?
それからは「これからの時間をどうやってすごそう」と考え続ける。今や絶滅寸前のピンク映画と思えばどうだろう。いや、ピンク映画にはこれよりいいものがいくつもあった。となると、そうだ。期待値を高校の文化祭にまで下げよう。ならば納得がいくではないか。
話の筋は昭和の少女漫画。しかし無理のある筋書きに-自分が何も知らない相手の得意分野のクラシックコンサートにいきなり誘ったりする? フランス料理のグルメを何も知らない男がいきなりフレンチに連れていくようなものだよ?-大根としか言いようがない大仰な演技。ヒロインがバイオリンを弾くシーンの嘘くさいこと。せめて「のだめ(TV版)」の水川あさみくらいにできないものか?この監督にとって音楽は映画の一小道具であり、そんなのどうでもいいと思ってるんでしょ?その姿勢が映画全体に出てるよ?そして予想通りの「日本中がこの優しさに涙する」の結末。
せめてヒロインがYouth(グランド・フィナーレ?)の奥様のようであれば、「をを」と思ったものを。綺麗なままだもんねえ...なんならヒロインがいきなり刃物を持って喉を掻き切りまくるとかそういう映画のほうがまだマシだったかもしれない。
インディ・ジョーンズと運命のダイヤル:Indiana Jones and the Dial of Destiny(2023/7/2)
今日の一言:インディ・ジョーンズ風の何か
これをみれば「もう一作」とは誰も言わんだろう。
冒頭のディズニーマークを見ると「さては、インディの嫁はAfrican Americanか?」と身構えるがそんなことはない。
CGで若返ったインディが第2次対戦末期にあれこれやる。CGつかえばハリソンフォード若返らせるのも簡単なんだよなあ。体は誰か知らないけど、これだったら本人いらないんじゃないか?そのうち舞台は「現代」たる60年代に戻る。宇宙飛行士のパレードを背景にあれこれやるが
「どうせCGなんでしょ」
としか思えない。ヒロインが出てくるが、、致命的に華がない。そしてヒロインとジョーンズ博士がこれほど「ただの役者」に見えるインディ・ジョーンズシリーズは初めてだ。
アルキメデスが残した何かを巡りナチの残党とあれこれ戦う。最初のほうでちょっとだけCIAもからむが、これほどバカで無能なCIAは久々に見た気がする。でもっていろいろあって、最後は支離滅裂になる。悪者が悪い道を苦労して引き摺りながらインディ・ジョーンズを連れて行った理由でなんなの?さっさと殺せばいいのに。もはや何故あの時代のあの場所に行ったかなんて、セリフの上でもわけがわからない。あの人が「助けを呼ぶために」って結局何も助けてないじゃないか、とか細かい話は製作者も気にしてないんだろうな。
かくして映画はどうでもよい平和なエンディグを迎える。エンドロールとともに流れるメロディはお馴染みのアレ。二作目とかこの音楽をすごい興奮と爽快感とともに聞いたけどなあ。まあ長年にわたってお疲れ様、という意味でワンランクアップ。
シャザム!~神々の怒り〜:Shazam! Fury of the Gods(2023/3/20)
今日の一言:18歳は子供か?
シャザムとは「見た目は大人、中身はコドモ」のスーパーヒーローだったと思う。しかしいつしか主人公の中身の約18歳。ということは我が国においては成人である。
というわけで、本作でも「子供」になったり「おっさん」になったりするのだが、正直「おっさん」の違和感がほとんどない。
しかしそんなことは些細なこと。とにかく話がどうでもよい。ウエストサイド・ストーリーの人とルーシーなんとかと、あと一人よく見る人がなんだか攻めてくる。なのだが女の人サイドもやたらうちわで揉めている。
でもっていろいろドンパチします。いつも思うのだけど、スーパーヒーロー同志の殴り合いって、それだけでは絶対決着つかないので見ていてアホらしくなる。ウエストサイド・ストーリーの人は主人公の仲間に異様に入れ込むが観客としては「そうっすねえ」としか言いようがない。
でもっていつしか悪い人たちは皆やられ、平和が戻り、死んだヒーローは生き返り、私はあくびを連発していた。本当にDCはこれからどうなっていくんだろうね。私はほぼ見切りをつけつつあるが。
しかし
こんなどうでもいい映画でも、昨日みた「シン・仮面ライダー」よりはちゃんと映画になってるんだよなあ。。
今日の一言:「若おかみは小学生」は良かったなあ...
不登校という問題を正面から取り上げたことは良いと思う。劇場の観客の8割は中学生以下であり、彼らと彼女たちにはよい映画だったかも知れぬ。
しかし私には不満の残る映画だった。いや、そんなに期待するなという向きもあろうが、「若女将は小学生」はよかったんだよ。驚くべき映像にきちんとした物語。
この映画にあるのは安っぽい音楽、安っぽい演出。というかやたら間延びさせれば観客は喜ぶと思ってる?最後の階段とかがその象徴。そして安っぽい脚本。話がところどころ繋がっていないし、なぜ最後にとってつけたようなBoy meets girlを入れ込むかなな。「種明かし」は途中でミエミエだし最後に長台詞でネタを説明するところとかもうね。
というわけで「すいません。私のようなヒネクレモノは見るべきではなかったです」という思いを持ちつつ劇場を後にする。この映画を見て少しでも無責任な教師と学校でのいじめが減るといいのだけど。
アバター:ウェイ・オブ・ウォーター:Avator:Way of water(2022/12/29)
今日の一言:よくある家族ストーリーに巨額のCG
アバターである。一作目には控えめに言って驚かされた。そのCGだけでなく、海兵隊員のストーリーにも心を動かされた。
さて二作目である。予告編を見ただけでうんざりする。綺麗な海、クジラさん。あれですが自然と調和し動物と心を通わしってやつですか。
そう思っていると正にその通り。一作目も出ていたであろう女性科学者が「惑星が一つの生命体」とか言っているけど、いまさらGAIAとか誰が喜ぶのか?青い家族が海兵隊に狙われる。でもって別の部族のところに逃げ込むが、、というストーリー。子供達がことごとく余計なことをして足をひっぱってイライラさせてくれるし、映画の後半はご都合主義的な展開が目立つ。なぜそこで家族に出くわす的な。
最後に元海兵隊員が主人公と戦うのはわかるけど、捕鯨船の船員までなぜ戦うかなあとか細かいことは問わないようにしよう。
2時間を超えたあたりからCGには目が慣れてなんとも思わなくなる。そういえば最近こんな映画見たなと思えばブラックパンサー。あれも海でわちゃわちゃやってたなあ。3時間を過ぎ膀胱が限界に達する前にようやく終わってくれました。とはいえこうした映画の常としては最後はすぱっと終わらずだらだらやってる。
知性も感情もあるクジラを取るのはけしからん、って脂だけとって残りはすてちゃうのは欧米の捕鯨のやり方。その船に日本の漢字をつけるのは製作者の無知でなければ悪意を感じる。まあそういう細かいことは問わない方が気が楽か。敵役は最後なぜか救出されるから続編作る気満々に見えるが本当にこのシリーズまだ続ける気なんだろうか?
ブラックパンサー/ワカンダ・フォーエバー:Black Panther: Wakanda Forever(2022/11/13)
今日の一言:そもそもこいつらなんで戦争してるんだ?
前作は未見。しかし大変評判が良かったこと、主人公を演じていた男優が病死したことは知っている。
というわけで映画の冒頭前作の主人公が病気で死ぬ。あれこれやっているうちに、ワカンダみたいだが青い体の一団が襲ってくる。でもってワカンダだったら村の学校並みのMITに通っている女の子と王女がつれさられ。
マーベル映画なので細かいところに突っ込むことはしないが、部族が強大な軍事力持つとこういこと始めるのだなあと再認識する。いや、映画の中の敵って大体こんな感じなのだが。戦争を始めるも終えるも王様一人の気分次第。ワカンダが反撃にいくのはいいとして、なぜ相手のホームフィールドである海に行くかな。青い人達が致命傷を負っても復活するという設定はどこかに捨てられたままだし。
でもって冒頭の疑問に立ち返るわけだ。こいつらなんのために戦争してるんだ?最初やたらと強そうだった青い国の人は大して強くなく。そもそも何百年も恨みをつのらせ地上をほろぼしてやるー、って一国相手に苦戦してるじゃん。なんだかんだあって結局王様同士が仲直りすれば戦争はおしまいなのだが、それまで命を捨てた両国民は忘れ去られたまま。現実世界でも頭のおかしな王様が多くの人を殺し、不幸にしている状態なので「リアル」とは言えるが、金を払ってみたい内容ではない。
それらの「些細な」点に目をつぶったとしてももっと大きな問題がある。主役たるブラックパンサーが全くかっこよくないのだ。最後まで脇役クラスの存在感しかない。エンドクレジットの最後にはBlack Panther will returnといつもの文字がでるが、これ本当にまだやるの?
今日の一言:豪華スター共演の退屈な時間
ライアン・ゴズリングである。クリス・エバンスである。最近私が愛しているアナ・デ・アルマスである。もうこれは見るしかないでしょう。え?Netflix?じゃあ映画館でやってくれないのかな。
そう思ってくれたが近所の映画館で上演しているとのこと。Rotten Tomatoesのスコアは気になるがとにかく見に行った。
ゴズリングは存在を消されたとにかく強い人。それがCIAに雇われたエバンス及び無茶苦茶な民間軍事会社と思しき人たちに追われる。ヨーロッパとアジアを股にかけ、あちこちでパコパコ闘う。
なのだが
残念なことにこの映画には豪華キャスト以外何も存在していない。ドント・ルック・アップもそうだが、豪華なキャストを使って退屈な映画を作るのはNetflixのお家芸になりつつあるのだろうか。人質にとられる若い女の子がいるのだが、これがキーキー意味不明な行動をしてうるさい。しかしそのうち心が静かになる。そうだよ。Rotten tomatoesのスコアを無視した私がバカだった。とはいえいくらなんでもプラハの中心街であんな銃撃戦やって「君たちちょっと謹慎してろ」で済むわけないよね。市民だってたくさん死んでいるはずだし。
とかなんとか呆れているうちに、映画はエンディングにたどり着く。おそらくは続編を作ろうというスケベ心からCIAの偉い人は無茶苦茶なまま。
個人的にはNetflix商法の底が見えてきたので、いかにアナ・デ・アルマスが出ていても、Rotten Tomatoesのスコアが良くない限り、Netflixはみないことにします。
今日の一言:Rotten Tomatoes17%で期待したのに
いやね、Rotten Tomatoesが17%ってなかなか見ないじゃないですか。だから期待していたんですよ。
生まれつき血液関係の病気にかかっている少年二人。一人は天才、一人は多分大金持ち。天才の人は吸血蝙蝠の遺伝子をくっつけ自分に注射してモービウスこと吸血鬼になりました。大金持ちの方はその薬勝手に注射して悪者になりました。
最初に自分に注射するところ。非合法の人体実験だから公海上でやりましょうはいいとして、なんで傭兵のチンピラつれていくのか、とか考えてはいけません。食われても誰もモービウスを非難しない食糧が必要なのです。その後も淡々と映画は進む。強い二人が喧嘩する場面は夜間で、よくわからない映像(多分製作者は”いやーSuper Coolな映像つくちゃった”と思っているのだろうけど)なので何が起こっているかさっぱりわからないし。
考えてみればヴェノムもこんな映画だったか。見目麗しいだけが取り柄のヒロインはあっさり死ぬかと思えば,,,まあ最後はどうでもいいか。二人の決着のつき方も「はあ」という声以外がでず。
というわけで、淡々と始まった映画は淡々とした結末を迎える。例によって続編作る気は満々。批評家がどう言おうと、勝負はお客が入るかどうかだもんね。どちらにしても続編はよっぽど評判が良くない限り見ないけど。
ミッド・サマー:Mid Summer(2021/10/31)
今日の一言:良いアイディア+ホラーのお約束
予告編を見る。白夜の夏至祭り。光あふれる中、白い服に花を飾った男女がお祭りをしている。幻想的とも言える光景。なるほどホラーといえば夜ばかりだがこういう設定は珍しい。ホラーは苦手だが一つ見てみるかと思っているうちに上映が終わってしまう。どこかでやっていないかと探しているうちAmazon Primeで鑑賞できることを知る。では見てみましょう。
いきなり夜のシーンから始まり面食らう。主人公の女性が取り乱してあれこれやり、ボーイフレンドに泣きつく。ボーイフレンドは半ばうんざりしながらも相手をする。その後「あんなこと言って、彼に捨てられないかしら」とまた主人公が喚き散らす。この時点で「ああ、映画館で千九百円払って観なくてよかった」と思う。
この主人公はとにかくめーめー泣き他人を批判し、自らを顧みることはしない。こんな女と付き合うなよ、と思うがこれはホラー映画。バカがバカなことをやってドツボにハマるのがお約束。彼氏はスェーデン行きを彼女に告げる。彼女は私は聞いていないと怒り出す。彼氏が「もう今日は帰る」と言うが、彼女は「私は怒っていない。ただ話し合いたいの」と延々繰り返す。こんな女と(以下略)しかしこれはホラー映画。妹が両親を道連れにして自殺し、精神的に不安定な状態にある主人公を連れて彼氏ご一行はスェーデンに向かう。なんでこんな面倒な女を連れて行くかと言えば、ホラー映画だから。
というわけで、予告編にでてきた僻地の村に辿り着く。ここでも主人公の泣き顔を散々みさせられる。最初は平穏だがだんだん様子がおかしくなってくる。さして必要があるとも思えないグロシーンがあり、安っぽい絵で今後の展開が予告される。
最後の1時間は「観始めたのだからとりあえず最後まで見よう」という一心で観続ける。村の掟を知りながら破ったバカとかアメリカ的アホが殺されるのはいいとして、何も悪いことをしなくても殺される。つまりこの村に来た時点で未来はなかったわけだ。とはいえ、いくら口裏合わせるとしても、六人も同時に一つの村で行方不明になれば事件になると思うのだが、まあそれは問わない。なぜならこれはホラー映画なので。
「光り輝く中での美しい村の狂気」というアイディアをもうちょっとマシに昇華される手もあったのではなかろうかと思いながらラストの意味不明な笑顔を見届ける。
スイング・ステート:Irresistible(2021/9/23)
今日の一言:腰が定まらない
ヒラリーの敗北によって負け犬の烙印を押された民主党選挙関係者。そこにウィスコンシンの田舎町で元海兵隊の大佐が町長たちを相手に見事な啖呵をきった、というビデオが飛び込んでくる。これこそ民主党が求めていたもの。というわけでさっそく「選挙のプロ」がその田舎町に飛ぶ。苦労の末大佐の同意を得て選挙戦を始める。この街で民主党が勝ったことはないよ、と笑っていた現町長陣営が少し青ざめたところで共和党の選挙対策担当が乗り込んでくる。かくして田舎町は民主党対共和党の代理戦争の舞台、かつてのベトナムのようになっていくのであった。
民主党の対策担当が本音を明かして大佐に出馬を迫るところはよかった。しかし立場と追い求めるものは違ってもお互い協力し合えるという構図、とはなっていない。日本でこの種の映画を作れば間違いなく
「都会から来た人達は、田舎の人たちの純朴な思いに触れ自らの行為を反省したのでした」
となるがそんな単純な話ではない。じゃあなんなのか。
中心にあるのはよく考えられたトリックである。エンドロールではそのトリックが現実的に成り立つことを元政府関係者に証言させる。残念なのはこの映画の制作者はそのトリックを思いついたところで満足してしまい、筋の通った一本の映画にすることができなかったということ。トリックはトリックとしてじゃあどういう映画にしたかったのかが不明確なのだ。映画のエンデディングは3っつ提示される。あたかも映画の制作者がどれにすべきか決めきれなかったかのように。
そして残念ながら三つとも全然面白くない。あと一踏ん張りできればひょっとしたら面白い映画になっていたのかもと考えながら映画館を後にする。
ゴジラvsコング:Godzilla vs. Kong(2021/7/3)
今日の一言:白目
映画はキングコングの朝の風景から始まる。きちんとシャワーを浴びるのはいいが、コングの排泄物はきっと巨大であろう。ふと気がつくと島が糞の塊になっているのではなかろうか。とか心配していると
「この映画を観るものは全ての理屈(ロジック)を捨てよ」
という声が聞こえる。考えてみれば無人在来線爆弾が宙を舞ったからといってシン・ゴジラがダメ映画とは思わない。だから香港から少しゴジラが放射線を吐いただけで、地球の中心に存在すると思しき空洞に届いたとしても、そんなことを咎めるのは間違っている。肝心なのは製作者が何を描こうとしているか。
前作もひどい出来だったが、製作者が「昭和の怪獣プロレス」の再現を目指したことだけは伝わってきた。この映画ではCGで作られたキング・コングとゴジラがぱかぱか殴りあっている。メカゴジラも出てくる。この殴り合いだが、パシフィック・リムのそれに比べると迫力にかける。メカゴジラは時々ロケットを吹いているが、イェーガーの「ロケットパーンチ」のような力はない。一言で言えば退屈。ただ時間が過ぎ去っていく。
推測するにこの映画はキャストもスタッフも極限までコストを削減しているのではなかろうか。このシリーズの最初の方にはトムヒとかジョン・グッドマンとかでていた気がするのだが、この映画には誰も知った顔がでてこない。それどころか活躍するのは肥満した中年、肥満した青年、特徴のないアメリカ風美少女、そんなのばっかりである。出演料も安かろう。おそらく製作者は
「いいんだよ、細かいことは。とりあえず怪獣出しときゃ客ははいるんだから」
と考えているに違いなく、その意図は大当たり。世界中で見事な興行収入を記録したと聞く。そうだよねー。なんだかんだいいながら私だって見にきてるんだから。
結果として一番印象に残ったのは
「日本からわざわざ参加したものの、何者かもわからず出番のほとんどが白目で変なヘルメットをかぶっている小栗某」
ということになる。いや、なんとなく想像はつくのだ。誰かからこいつを使えと言われたものの、英語がしゃべれず演技もできない(短い演技時間でも他のプロの役者との差が歴然)日本人男性を押し付けられた監督の気持ちが。そりゃ白目で黙って座らせるしかないわな。演技ができる人だったら、せめて遠隔操縦じゃなくてメカゴジラに乗り込ませてやれよと言いたいが。
などと文句を言っている割には「なぜこの映画をみてしまったのか」という後悔が少なかった。理由は明白。この映画は短い。2時間を切っているのだ。人間パートを全部すっとばせば30分でできたと思うが、そこまでは望むまい。退屈な時間も2時間以内ならなんとかなるというものだ。
今日の一言:個人崇拝
1953年、スターリンが死んだ。そして盛大な国葬が営まれた。独裁者が死んだ時、「さてどうするか」は誰も検討がつかない。とにかくスターリンは独裁者だったから(死んだにもかかわらず)葬儀の様子をちゃんと映画化する必要がある。さもないと粛清される、と誰かが考えのだろう。
しかしその映画は没となり、フィルムだけが残された。それを編集して公開されたのがこの映画。というわけで、淡々と国葬の様子が映し出される。
最初にスピーカーがスターリンの死を告げる。そこでとにかく「主語」が長い。覚えちゃいないが共産党中央委員会に、政治局になんとかかんとか。要するに「スターリンが死んだ」という情報を伝えるために、詳細な医学的情報までずらずらつけて放送する。まあ誰かが「丁寧にやれ」とか指令したのだろうな。飛行場に各国から次々と弔問団が到着する。そのうちの飛行機の何機かは米国製DC-3の改造型。共産圏がこれでいいのかと思うが、まあ実態はそういうことだったのだろう。
映画の終わりにスターリンが自国民を2000万人以上投獄、虐殺し、さらに1000万人以上を餓死させたとのテロップが入る。しかし映像の中の女性たちの涙は、たとえば金日成が死んだ後のわざとらしい泣き叫びとは異なり心からの涙のように見える。そりゃ「今日ソ連があるのはスターリンのおかげ」と頭から信じ込まされていればねえ。思うに政治家とは「正しい判断を下すこと」が仕事ではなく「国民に自分は偉大だと信じ込ませる」ことができればいいのではなかろうか。今の米国の大統領といい。
葬儀のスピーチまで丁寧に映像は映し出す。ベリヤとかマレンコフとか実物を見るのは興味深いことだが、話としては退屈。今後数世紀にわたって党中央委員会はレーニンとスターリンの意思をつぐとか言っているが、その四十年後にはソ連は崩壊してしまった。そう考えれば「政治の行き過ぎ」の教育的コンテンツとも思えるが、今日の米国をみるとその効果も怪しいものだ。この映画で涙を流していた女性たちは、その後スターリンについてどう意見を変えたのか変えなかったのか。そんなことを考えながら映画館を後にする。
今日の一言:2流スパイ映画+ギミック
名無しの主人公は敵に捕まる。自白するよりはと錠剤による死を選ぶ、がそれは「選抜試験」だった。
というわけで、TENETというキーワードだけ与えられて後はがんばってねということになる。そこから起こることは端的に言えば
「武器商人の悪い人が、全世界を道連れに死のうとしますがみんなでがんばってくいとめました」
という2流スパイ映画。
いや、スパイ映画だから2流というのではない。この映画の新機軸は「時間を逆行する」弾丸だったり人間。でもって監督としては
「ほーら、このシーンにいたわけのわからないコレは、実は未来から逆行してきたものだったんだよ。すごいだろー。辻褄あってるだろうー」
とご満悦なのだろうが、映画を面白くするのになんの役にもたっていない。ただの小細工。最後の戦闘シーンとか、普通の時間部隊と逆行部隊が並行してあれこれやっているが、ごちゃごちゃするだけで古典的な「間一髪のところを助けました」でしかない。だからまずそれを剥ぎ取る。すると後に何が残るか?
人間が描かれているか?名無しの主人公は悪者の奥様に妙に入れ込む。美人だからねえという以外の理由が思い浮かばない。この奥様が衝動的に旦那を海に突き落としたり、かと思うと銃を向けてびびってみたり。美人という以外になんの存在価値もない。他の登場人物は記憶にすら残っていない。だから2流。
クリストファーノーランという人はちょっと変質狂的なところがあるようだ。それは過去には映画の面白さに繋がっていたのかもしれないが、この映画をみると、変質狂の度が進みあっちの世界に足を踏み入れたように思える。映画の登場人物すらストーリーを理解しておらず、監督に質問しまくっていたと聞く。そりゃ監督以外の誰にもこの話、そして面白さは理解できない。まだ「観客に説明する気なんかないよー」という年齢にはなっていないように思うが。
今日の一言:バカがバカなことをする102分
かつてピクサーという偉大なスタジオがあった。 しかしディズニーによる買収を経てその内実は全く変わってしまったようだ。
いや、本作にもいい点はある。コンピュータグラフィックスの進歩には本当に目を見張る。単なる写実でなく、しかしリアリティをもって背景を描くのは素晴らしい。
他に何かあったっけ?
今のピクサーには明白な欠点がある。人間を描けないのだ(いや、キャラクターというべきか。本作の主人公はエルフみたいだから)映画の冒頭主人公一家が文字通り「ドタバタ」する。それはしつこく、出てくるキャラクター全て頭が悪そうで、見ていていらいらする。バカがバカなことをする。これはこの映画の基調。もうこの時点で時間と金を無駄にしたことを知る。
主人公は自分が幼い頃になくなった父に会いたがっているようだ。しかしなぜそう父に執着するのかは観客にはわからない。おまけにいつのまにかその対象は「お兄ちゃんでいいや」ということになっている。これも観客には(以下同文)
このお兄ちゃんはいい年して魔法のカードゲームに入れ込みしょっちゅう警察沙汰になっている幼稚で迷惑なオタク。しかし(これまた)いつのまにか魔法のエキスパートになり思い込みだけによる判断がことごとく正解となる。お話を進めるにはそれでいいかもしれないが、観客は「ぽかん」とするばかり。
母親役も印象に残らないが、その吹き替えの下手さには閉口した。後で調べればディズニーには珍しい「芸のない芸能人」起用なのだな。そんなことまでして客を呼ぼうとは、ディズニーもこの作品がダメなことを自覚しているのだろうか。
かくして画面上でいろいろな物体が動いた後に見慣れたディズニーのシンデレラ城が映し出される。どうやら終わったらしい。足早に映画館を後にする。
囚われた国家:CAPTIVE STATE(2020/04/3)
今日の一言:カメラブレすぎ
米国で公開され評判よろしくないことは知っていた。しかしここ数週間新作がリリースされないのだよ。それでもあえて公開するというのは、配給元が赤字と知っても現金が欲しいとかいろいろな理由があるんだろうな。
というわけで、宇宙人が攻めてきてあっという間に人類は降伏してしまう。今やアメリカ(なぜシカゴ?)は異星人の支配下にある。しかしそれに反抗するレジスタンスがあれこれ企てるのであった。
映画の冒頭いきなりカップルが車で暴走しだす。でもって全身ウニの宇宙人にやられる、、らしい。この映画全般に言えることだがカメラがブレすぎおまけにやたら暗く何が起こっているかわからない。この時点でもう絶望していた。
ストーリーについてあまり説明することなく映画が進む。なんだか支配者が降りてくるイベントで爆弾テロをやるわけだな。でもってそのあとレジスタンスは制圧されるが、、ってなぜレジスタンスたちがあっというまに見つけられるかもよくわからない。多分説明する気がないのだと思う。カメラは相変わらずブレブレ。宇宙人の造形は悲しいほどチープ。ハンターとかいう狩専門の人たちが来るのだが、これもチープ。ジョングッドマンはいつもの怪演を見せるが、見所があるとすればそれだけか。エンドロールで唐突に人類の勝利があったような気もするが、もうどうでもいい。ため息をつきながら映画館を後にする。
今日の一言:主演女優賞おめでとう(棒読み)
現代日本なら、橋本環奈ちゃんがふくよかになっても誰も覚醒剤を飲ませようとはしない(多分)だから当時に比べればいい時代になったと実感はできる。
オズの魔法使いで知られるジュディ・ガーランド。彼女がその後どんな人生を辿ったかwikipediaで知って驚愕したのは数年前のこと。この映画が主に描いているのは死亡する半年前に行われたロンドンでの公演の様子。
彼女の不幸な生い立ちには同情するが、その結果であるダメ芸人の姿を共感を持って見られるかというのは別の話。ボヘミアン・ラプソディやロケットマンもつまるところ「ダメ芸人」の姿ではあるのだが、何が違うのだろう?
主演女優の努力はすばらしい。というかブリジット・ジョーンズの頃はふくよかで可愛かったゼルヴィガーも加齢にともない容姿の衰えが著しい。だからこそこの役ができたとも言える。当時のジュディーガーランドとそっくり。歌も実際に歌っているらしく、それも加点ポイント。しかし如何せん話に乗れないからせっかくの熱演も「オスカーとってよかったね」としかならない。
調べてみれば、この映画で描かれるロンドン公演はほとんど創作なのだな。ゲイのカップルも最後の観客の合唱も。なぜ観客が優しく合唱したり、いきなり物を投げつけるのかがさっぱりわからないのはこの映画の作りが悪い故か。映画の観客はおいてけぼりである。上映中何度時計をみたことか。
かくして装飾過剰の文字で彼女の死を告げるテロップとともに映画は終わりをむかえる。エンドロールが流れている間に席を立つ。
ターミネーター:ニュー・フェイト:TERMINATOR: DARK FATE!(2019/11/9)
今日の一言:あーはいはい
この映画を見るべきか迷っているあなた。簡単なテストをします。今回のターミネーターの新機軸は?
悪いターミネーターが骨格と液体金属の肉に分離します。
これを読んで「はあ?」と思ったあなた。この映画のことは忘れて他の映画を見ましょう。興行収入で苦戦しているらしいとニュースが伝わったところで日本公開。
観てわかった。問題は宣伝方法ではない。中身だ。
最初のターミネータは恐ろしい映画だった。ターミネータを液体金属にした新機軸が光ったのがターミネーター2。ターミネーター3は「どっかん一発」でハッピーエンドにならなかったのがよかった。
そこでターミネーターは息切れになったのだと思う。
スカイネットは破壊したけど、やっぱり別の悪いAIができちゃいました。というわけで話は振り出しに戻る。未来の指導者(ジョン・コナーじゃないよ)を殺すために悪いターミネーターが送り込まれ、守るターミネーターみたいに強い人もやってきて。ね、どっかで聴いた話でしょ?
この映画はそうした「あーはいはい。そうですね」の連続でできている。飛行機にのってみたり、ダムに落ちてみたりいろいろ大変ですね。しかし観ているほうはわかっているのだ。そんなことやっているうちは絶対悪いターミネーターをやっつけられない。冒頭のカーチェイスとか真面目に作っているのだろうけど、見ている方はあくびがでる。最後は予算がなくなったのか夜の戦闘にするから何が起こっているかわからないし。
守ってくれる人が機械じゃなくてサイボーグとか。少しは変えてあるのだけど「だから何?」ああ、時計をみればまだ1時間しかたっていない。
あ、もう一つ新機軸があった。今回は謎のメキシコ推し。冒頭やたらとスペイン語が飛び交うし、エンドロールの例の音楽もメキシカン風(メキシカン風知らんけど)長年続いたこのシリーズもそろそろ成仏かな。
今日の一言:頑張れ僕らのストロング
今ひとつ調子がでないDCシリーズ。とはいえこの作品はアメリカでの評判が大変よろしい。というわけで期待と不安相半ばする状態で見に行った。
映画の冒頭、メガネの少年がイライラする行動をとって、仙人のような男から力の継承を断られる。そのあと別の少年が出てくる。こちらも見ていてちょっとイライラする。警官を閉じ込め、勝手にデータにアクセスするのってそれくらいの「罰」で許してもらえるんでしょうか。学校のカーストはわかるけど車ぶつけるのって犯罪では、でもって今まで世界中の色々な人に渡さなかった力を、彼が簡単に継承できるのはなぜなんだろう、とか面倒なことを考えてはいかんのだな。
頭の中身が14歳のままスーパーヒーローになるという発想はすばらしいと思う。だから結局(作中でも突っ込まれているが)無駄なことしかしないのもいいだろう。しかしそこでとまってしまっている。ヒーローの友達はありがちな「ヒーローは僕の友達だから、僕が指定したところに来てくれるんだよ」ネタをやり、もうなんといったらいいのか。
さて、今回の敵はマークストロング。これも台詞で説明されるが、シャザムが自分の力を認識していないうちに、やっつけろということらしい。パコパコ殴り合っているうちシャザムは強くなっていくのだが、なぜそうなるかもわからない。なんなんだこの映画は。頑張れ、ストロング。この映画に真っ当な結末を迎えさせられるのは君だけだ! その鬱陶しいガキどもを一掃するんだ!
しかし悲しいかな私の願いは届かない。いつも思うけど、こういうヒーロー同士の殴り合いは普通にやっているうちは絶対決着つかないんだから、あまり長くやるのはどうなんだろうね、と思っているうちやはりストロングがやっつけられ、どうでもいいエンディングを迎える。
アリータ:バトル・エンジェル :ALITA: BATTLE ANGEL(2019/3/1)
今日の一言:イケメン無罪
空に一つだけ都市が浮かんでおり、下の住人はなぜか皆そこに行きたいと思っている。下も荒れてるとはいえそんなに悪いところに見えないがなあ、という具合にこの映画は観客を置き去りにしていく。
そこに落ちてきた美少女。拾ったのがクリストフ・ヴァルツ。この映画の価値は彼の「優しくも悲しみをたたえた表情」につきる。
他は全てがペラペラで一文の価値もない。突然イケメン青年が現れアリタくんは惚れるのだがこの青年顔の作り以外に存在意義がない。自分も結局追い剥ぎで悪い奴の手先になって有田を罠に追い込むのだが、それを大して反省する様子もない。なのに有田くんはやたらとこの男に入れ込む。その入れ込み方にヤンデレの気持ち悪さがあればまだ金をもらえる芸になったのだろうが、そこまでの徹底もない。
経緯はよく覚えていないが、ローラーゲームもどきに有田が出場する。日米対抗ローラーゲームってかすかに覚えている。本家はプロレスまがいの見世物だったがよく映画で使われるなあ。この場面、チープなCGが動くだけであくびが出る。あのね、君たち。トム・クルーズの爪の垢でも(以下省略)
えっ、まだ話が進んでないのに時間が(つまり何度も時計を見たのだ)というところで、唐突に話は終わる。昨今珍しい3D上映といい、とにかく観客から金を搾り取るつもりか。続編で稼ごうというのもいいけど、こんな出来では誰も見ないよ。私の予想では空中都市も上でみている男の正体が明かされることはないと思うのだけど。
クリード 炎の宿敵 :CREED II (2019/1/20)
今日の一言:30年前
この映画の下敷きとなっているロッキー4は1985年公開とのこと。当時の私はまだあまり映画を観ていなかったが「しょうもない映画だなあ」と思った記憶はある。
それから34年。ソ連はなくなりロシアとなり、共産主義時代の地味な町並みはラスベガス底抜けの華やかさになった。当時この変化を誰が想像できただろう。とはいえ、最後に観衆が米国のボクサーに歓声を送るところとはあいかわらずのロッキーシリーズ。思えば当時は新入社員で独身だったか。一口に30年といっても、、と映画に関係ないことを考えていたのには理由がある。
ロッキー4はロッキーシリーズの行き詰まりを「米ソ冷戦」に押し付けることで成り立った映画だった。このクリード2はいったい何を目指したのだろう。ただぼんやりしている。
思えばロッキー4の方が珍品の楽しさがあったか。この映画にはいろいろな要素はあるが、バラバラ。娘に母親の聴覚障害が遺伝するところとか、そもそも娘とか、相手側の嫁事情とか。別にそんなものなくても「強いやつにやられて復活する」でいいと思うのだが。
敵役はただのマザコンロボットで人間っぽくない。戦いが始まる。時計をみるとまだ1時間。ということは負けるな。そのあとお約束通り復活して勝つのだが、なぜ復活したのか、なぜ強くなかったのか観客である私には伝わってこない。だから最後の勝利にはあくびしかでない。
唯一良いのはクリードのどこか愛嬌のある情けなさ。これだけは金の取れる芸と思うが。