映画評
五郎の入り口に戻る
日付:2020/9/16
1800円|1080円|950 円|560円|-1800 円|値段別題名一覧 | Title Index
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デッドプール&ウルヴァリン:Deadpool 3/Deadpool & Wolverine(2024/7/27)
今日の一言:No more MCU/p>
私はアントマンシリーズが好きだった。最新のを除いて。
私はデッドプールシリーズが好きだった。最新のこれを除いて。
最近のMCUは「面白さ」とは全く別の概念に取り憑かれているとしか思えない。Disneyは自分たちの過去の偉大さに言及しだすと酷い映画を作る。MCUも同じ病気にかかっているように思える。
マニアにしかわからないネタとかどうでもいいんだよ。(映画館に「私はこのネタわかるのよ!」とアピールしているとしか思えないけたたましい笑い声が響いていたのは気にしないとして)
デッドプールもウルバリンも何をやっても死なない。なので二人の殴り合いとかなんの意味があるんです?やるからには何か面白い意味を持たせてくださいよ。
でもってこれが何の話だったかというと。。何の話だったっけ?最後に悪い人はつかまりました。これをやると死ぬと言われていたけど、二人とも死にませんでした。観客誰一人として二人が死ぬとは思っていませんでした。みんな元気でよかったですね。
ところでもうマルチバースはやめた方がいいんじゃないですかねえ。劇中でもそんなセリフがあったけど、それを言わせて面白いマルチバースならいいんだけど。その言葉どおりつまらない映画を作るのは悪い冗談ですか?
唯一よかったのは名作ローガンの女の子が美しく成長した姿を見られたこと。一時はあんなに面白く驚かしてくれたMCUでまさか居眠りしそうになるとは思わなかった。
今日の一言:原作はきっと面白いんだろうなあ
なぜ見たかといえば、原作をおすすめしてくれた人がいたから。というわけで大体の設定だけは知っている状態で見始める
映画の冒頭、両親を交通事故で失った女の子を「勢い」でコミュ障の女性が引き取る。この場面の説得力の無さに辟易する。主演女優は有名な人らしいのだが、「コミュ障のコスプレをした女優」にしか見えない。言葉を「殺すつもりで」書けと言うのだが、その言葉が完全に上滑りである。上映開始後三十分で退場しようとした。しかし終わりまで座っていたのは単に他の人の邪魔をしたくなかったからに過ぎない。
主演女優以外はちゃんとお芝居をしているようなのだが、いかんせん主人口が「普通の人」ではお話も何もあったものではない。最初はお互い警戒しており、いいぞと思うのだがいつの間にかあっさり仲良くなる。女の子の友達も全然機能していない。同性愛、がんばったけど性別で落とされる、なぜかいきなりライブの冒頭「やめます」と言う。はぁ。
女の子の演技はいいと思うが、最後のライブの歌声の「振りきれなさ」がこの映画を象徴している。ド下手でも迫力があるとか、とにかくロリータとか、どちらにも触れず「がんばって歌いました!」なのだがそんな素人芸は聞きたくもないんだよ。
かくして「よくある映画化」ということなのかなとぼんやり想像しながら映画館を後にする。原作は機会があったら読んでみよう。
マッドマックス:フュリオサ:Furiosa: A Mad Max Saga/Furiosa(2024/6/11)
今日の一言:一番良いのはエンドロール
私を「こんなすごい映画できるのか!」と驚かせてくれた後に「すごい!一秒も面白くない!」と嘆かさる監督がいる。庵野秀明(シン・ゴジラ->シン・仮面ライダー)とデイミアン・チャゼル(La la land->バビロン)だったのだが、不幸にしてジョージ・ミラーもそこに名を連ねることになってしまった。
映画の冒頭、可愛い女の子が「ああ、そういう危ないことするとロクなことにならないよ」という行動をとり続ける。バカがバカなことをやる映画とは相性が悪いのだが、といやな予感に囚われながらも見続ける。事前に発表されたヘムズワースが全然かっこよくないのでいやな予感がしていたが、それは見事に的中。このキャラクターなんなの?でもってyoungフュリオサはお母さんの最後の願いをあっさり無視するし。
途中いきなり「はぐれWar boy」がでてくるのも訳がわからないし、そもそもヘムズワースのBiker集団と、イモータンジョーのどちらが強いかもよくわからない。話の都合でどちらかが一方的に勝ってるけど。でもって途中で「ここはがんばって撮影しました」という戦闘シーンが出てくる。うん。がんばったのはわかるよ。でも面白くないよね。途中でてきた「いい人」もなんだかわからないうちに死んじゃうし。
ストーリーが必要以上に複雑な割に、誰も人間として描かれていない。前作で悪のモブキャラに泣かされたような感動はどこにも存在しない。
というわけで「早く終わらないかなあ」と思いながら座席に座り続ける。最後は一応前作に繋げたがどうでもよい。
おそらくこの映画に関わった誰かが「これでは」と思ったのだろう。エンドロールに前作が映し出される。なんという迫力、なんという人間の物語。そうだよ。こんな面白い映画を作ることができる人が、なんでこんな「名前だけ借りて日本でリメイクしました」みたいな映画を作っちゃうかな。
ゴジラxコング 新たなる帝国:Godzilla x Kong: The New Empire(2024/4/29)
今日の一言:上映中に寝たのは久しぶり
この映画およびゴジラ-1.0に対する世間の反応を見ていて悟ったことがある。これは映画ではない。「ゴジラ映画」という別のジャンルの作品なのだ、と。
前作にあったオグリ某の白目のような「見せ場」もなくたんたんとどうでもいい話が進む。地下で見つけた「予言の書」のようなものは、象形文字ですらなく適当に書かれた絵。しかし登場人物の手にかかると朗々たる予言の文章になる、なんてのはこの映画では些細なこと。
「ゴジラ映画」とはストーリーとかは心底どうでもよく、とにかく画面内でゴジラと怪獣が暴れ回ればいいものらしい。設定とかストーリーは全部セリフで説明されるのだが、聴いていてもいなくても大差はない。考えてみれば昭和のゴジラ(除く最初)も大体そんなものであった。小学生だった私はそれでも満足だったのだが。
ゴジラ-1.0はアカデミー賞を取ったし、この映画は大当たりだそうである。私は幼少期からの慣習でゴジラと聞くと観にいくのだが、いい年なのでそろそろ考えを変えた方がいいかもしれない。昼寝だけだったら家でただでできるし。
観ている間「あれ?」と3回くらい思った。どうやら寝ていたららしいのだが、それで困るような映画でもない。
ARGYLLE/アーガイル:Argylle(2024/3/1)
今日の一言:なんとも締まらない
予告編を見る。ミステリー作家が「あなたが書いたことが現実になっている」と告げられなにやら騒動に。をを、これは未来予知とかそういうあれか?しかしなんだか画面が締まらないなあ。
そのうち米国で一足先に公開。評価は悪い。とはいえ見にいくか。
この作家のおばさんが前半騒ぎすぎて鬱陶しい。実はそれには理由があることが後半で明かされるが、それでも鬱陶しい。そもそも敵は誰なのか。何が目的なのかがだんだん明らかにされるのだが。
私はほぼ無表情で画面を眺め続ける。なーんというかこのキレのなさはなんなのだ。キック・アスやキングスマン(最初のだけね)のあのバカバカしく、観客を唖然とさせるキレっぷりはどこに行ったのか。途中で善玉二人が煙をたなびかせながら敵を殺しまくるシーンとか、まるでキック・アスを模倣しようとして滑った邦画のようである。
かのサミュエル・ジャクソンがでてきてもこの映画を救うことはできない。最後まで邦画のようだなあと思っているうちエンディングを迎える。シリーズものにする気満々見たいだけど、これは無理だと思うよ。
今日の一言:最大のミステリー
はなぜこんな映画が作られて公開されてしまったのか、という点にある。
映画の冒頭ヒロインと思しき女性とその相方が救急車を疾走させる。この場面における緊迫感の無さは特筆もの。というか全編を通じこの二人は棒読み、のんびり演技を続ける。よっぽど大根をキャスティングしたのか監督の趣味なのか。理由は推測するしかないが、結果として「米国版乃木坂なんちゃら主演映画」のようになってしまった。
多くの場面で登場人物はセリフで何を考えているか、やっているかを丁寧に説明してくれる。乃木坂映画だからまあそうだよね、と思えば大して腹も立たない。女の子3人組はとってつけたようなキャラクター設定とわけのわからない行動を続けるが乃木坂なので気にしない。
そんなことをやっているうち映画は平和な終末を迎える。っていうか最後に主人公がいきなり失明するとかわけがわからない。これが売れたらなぜあの少女3人がスーパーヒーロー擬になったかの映画を作るつもりだったのだろうけど、この破壊力では無理だろう。米国は映画の本場だからギャラが安くても演技ができる人なぞ山のようにいるだろうに、なんでこんなのを使うのか。そのミステリーについて誰か謎を解明してもらいたいものだが。
今日の一言:1st Draftを映画化しちゃいました
ディズニーのアニメーションは過去に興隆と衰退を繰り返している。その背後に何があるか是非知りたいと思っている。いつの日か誰かドキュメンタリーを書いてくれないだろうか。
私が知っている限り「過去の偉大なディズニー作品に自ら言及する」時は衰退期。本編前の短編がまさにそれで、ディズニーのキャラクターは山ほど登場するがストーリー自体には何も見るところがない。
このWishにも、山ほど過去のディズニー作品から引用しているらしい。上映終了後興奮した口調で「リトルマーメイドはあそこにでてて、、、」と語っている少年がいた。そういう楽しみ方ができればこの映画を観るために使ったチケット代と時間を少しは有意義なものにできたかもしれない。
「悪い王様」の立場から考えてみよう。自らの願いを叶えられる人は多くない。逆に全ての人が願いを叶えたらどうなるか?特定の国の人間を皆殺しにしたい人だっているだろうし、他人を自分の意のままにしたいという願いだってあるだろう。かなえる願いを選別して何がいけないのか?数人の願いが見事に叶った光景を、我々はNew YorkのWTCで目撃したのではないか?
邪な願いを持っている人間には、その願いを王に託し一旦忘れさせる。国のためによい願いは実現させ、テロリストの願いはそのまま塩漬けにする。そうやって国を統治している。国民だって馬鹿じゃない。年に願いが叶えられる人は14人しかいない。つまりほとんどの願いは塩漬けのままにされることは誰でも知っている。皆それを承知の上でこの国に住んでいる。
なのに
王様付きの仕事に応募してきた女性は、その「事実」を初めて知ったかのように激昂して暴れ出す。「自分の祖父が100歳になるから、願いをかなえろ」と自分勝手な言い分を振りかざす。なんなんだこいつは。ついさっきまで自ら観光客にこの国の願いに関するシステムを楽しげに説明し、観光客も「この国に住みたいわ!」と言っていたのに。
しかしなぜか女性は執拗に自分を悪者扱いし、国を破壊しようとする。事情を知っていたはずの自分の妻までその女性に同調し始める。これはまるで悪夢だ...かくして王様は禁断の魔法の書に手を染めるのであった。
というわけで何から何まで訳がわからない。唯一なしうる解釈というのは
「このように人間の争いとは無意味なものです」ということを観客に知らしめたい、か。人間とはこのように愚かな理由で争うものです。
多すぎかつ記憶に残らない登場人物。そもそも今のままで国民はそれなりに幸せに見えるのに何を相手に何故戦っているのか。国民はなぜ主人公に同調して立ち上がるのか。これらは皆未整理のまま。
「第一版の草稿」ならこれくらいデタラメでもいいけど、そこからストーリートラストで磨き上げていくのが、Pixarから輸入した方法論ではなかったのか。
何をどうしたらこのように意味がわからない映画を作ってしまうのだろう。そしてそれを巨大な費用をかけ実現し宣伝してしまうのだろう?なぜ人間はここまで愚かになれるのだろう。そう考えればこの映画は社会科学的に面白いのかもしれない。
しかし
書きながら気がついたが、この王様のシステムは結構よくできているかもしれない。ある人からみた「敵対国家」に対する「願い」、その逆の「願い」も一旦忘れさせれば、お互いが人間として平和に暮らしていけるのかもしれない。それはディズニー的ではないかもしれないが、人間社会の悲しい真実かもしれない。
そのことを観客に考えさせた上で「それでも願いは自分でかなえるべき」と主張するような映画であったならばなあ。上映開始10分以降はこんなことばかり考えていました。
今日の一言:MCUの終焉(少なくとも今は)
試写前監督がお偉方に説明
「この映画は気に入っていただけますよ!なんたって役者の人種には最大限の配慮をし、白人、黒人、インド人にアジア人。できればキャプテンマーベルを黒人にしたかったんですが、、まあそれは次の機会に。
そしてインド人は容姿も中身も思いき入り等身大の女子高生にしました。女子高生がヒーローに混じってキャーキャー騒ぐんです。これでZ世代の心は鷲掴みです!
そして白人、黒人、インド人がスーパーパワーを使うたびに入れ替わるんです!もうそのおかしさと言ったら。編集しながら私ずっと笑いっぱなしでした。この入れ替わりはたっぷり時間を使って観客に笑ってもらいます。
もちろんMCU映画に相応しい「深み」もちゃんと盛り込んであります。単純な勧善懲悪ではなく、お互いに事情があることを台詞で丁寧に説明します。ちょっと込み入っているので説明も長めに。
あと今回の超新機軸!なんと初めてMCUにミュージカルテイストを持ち込みました!これはきっと涙しますよ。今後のMCUに幅をもたらすこと間違いなしです!ではお楽しみください」
試写終了後。凍りついたような場の雰囲気を察しながら監督が声をかける
「あの、、いかがだったでしょうか?声をあげて笑っていただいても結構だったのですが。。」
偉い人「子猫」
監督「は?」
偉い人「君と映画をスクラップにするのが一番正しいと思うが遺憾ながらそれはできない。君に直せと言っても無理そうだから、とにかく子猫をだせ。しかもたくさん。Youtube見てりゃわかるだろう?とにかく子猫にニャーと泣かせればZ世代は見るんだよ。子猫子猫!」
ーーー
予告編の時点で期待値0だったのだが、実物はそれを遥かに超えてきた。ルッキズムと言われようがなんだろうが、この映画で唯一の見どころはブリー・ラーソンのピタT姿。ちょっと小太りの女子高生が鬱陶しく騒ぐ光景を誰が見たいと思うのか?いやいいんだよ。別に小太りのインド人でも。でもいい映画だと最初?と思っても最後にはかっこいいと思えるのだが。この映画はもう途中で画面を見るのが嫌になった。
セリフがやたら多く、見どころはひとつもなく、歌のシーンはスベっており、アジア人の男は何しにきたのかさっぱりわからず、途中の説明は全て頭を通り過ぎたのでとにかく
「女3人で悪い奴をやっつけました」
でいいだろう。
かつてあれほど面白い作品を世に送り出してくれたMCUは深刻な危機にある。それは観客が「スーパーヒーロー疲れ」したとかそういう問題では無い。単につまらない。以上。
ちょっと不安に思うのは、MCUを作っている人たちはその単純な事実に気がついているんだろうか?クソつまらない映画を見ようとする人間はいない。ただそれだけの話なのだが。
今日の一言:小学4年生に大作映画を委ねる国
開始5分で見たことを後悔していた。しかし映画はまだ続く。途中何度か退出しようと思ったが思いとどまる。
頭の中で考え続ける。これに匹敵する映画としては何があるだろうか?
米国のパールハーバーも酷かった。しかしあれは一応役者が演技をしていた。シン・仮面ライダーにバビロンもひどかった。しかしあれはオタク監督が正気を失ったと考えればまだ理解できた。となると匹敵するのは唯一スペシャルアクターズか。あれを低評価した私は間違っていた。どうやら邦画ではこういう「映画」が正しいらしい。
この映画は小学4年生がノートに書いたような脚本。それをなんの工夫も恥ずかしげもなくCGを使って映像化してしまった。人間は危機が迫るととにかくバカのように口をあけてその場に立ちすくむ、なんてのは些細なことでしかない。大仰な演技。全てを台詞で語る稚拙さ。唐突に感情をむき出しにし怒り出す登場人物。今時小学校の学芸会でもこんな演技はさせないのではないか。机に頭をぶつける演技を2回やらせるのはやめようよ。せめて。
映画の辻褄があっていないのも些細なことでしかない。-1.0といいながら、全然画面からは-1.0が伝わってこない。戦後の大変さを描こうとしたことは少し伝わってくるが、ようやく復興し始めたのにまたかよ、という感情は一切描かれていない。
しばらく考えて理解した。これはミリタリオタクの監督が日本軍の旧兵器を出したいがためだけに、設定を戦後まもない日本にしているだけなのだ。
こんな小学生が書いたとしか思えない脚本にGoをだす映画会社。商売とはいえ、この映画を賞賛するレビューを公開して恥じない「映画評論家」。スクリーンの向こうに、「お前らこういうの見れば喜ぶんだろう?ほらゴジラだよ?ほら、わかりやすく感情を台詞で説明してやったよ?」と笑顔で語る顔が浮かぶ。
つまらないという感情は通り越し、もう邦画に関する全てが信じられなくなった。
ザ・クリエイター/創造者:The Creator(2023/10/21)
今日の一言:この映画を見るものは全てのロジックを捨てよ
映画の冒頭、アジア人と黒人がベッドの上でいちゃついている。そのシーンでもう退屈していた。いきなり敵の襲撃が始まり、説明的なセリフで主人公が自分の正体を「思わず」妻にバラし。もうここでお腹いっぱいである。
エンドロールで知ったのだが、監督・脚本は熊ゴジラの人なのだな。あの映画も相当なものだったがこちらもなかなか。問題は誰が何故この監督に金を賭けようと思ったのか?ということ。目の前の敵に手榴弾を投げるのだが、爆発までの時間が8秒もあり、しかもちゃんと表示されているのは何故かとか、いちいち突っ込んでいては身が持たない。
タランティーノの劣化コピーのような騒々しい音楽。底の浅いブレードランナーオタクが考えた薄っぺらい街の景色。これはまるで素人オタクの作品ではないか、と思うがそのうち考えるのをやめた。
映画の途中どこからともなくケン・ワタナベが登場する。ここらへん登場人物は死んだり死ななかったり監督の都合で自由自在。えっとケン・ワタナベは最後まで生きてたっけ?死んだっけ?もうどうでもいいや。
そのうち映画は平和な(といってもあんなのが落ちてくるんだから地上は酷いことになるはずだが。歓声あげてる場合じゃないでしょ)エンディングを迎える。この映画にでてくるニューアジアって東から東南アジアの国は一まとめですか。まあ自分と離れた地域に関する認識ってそんなものかもね、と思いながら映画館を後にする。
今日の一言:Story is King
この言葉はPixarのモットーだかなんだかなんだそうな。でもって映画を見ている間中この言葉が脳内を駆け巡る。これだけCG担当やらアーティストが努力をしても、ストーリーがゴミだとなんともならない。
根底にあるのはお馴染みの「移民の娘が自分のやりたいことと、親の期待の間で苦悩する」という話。なのだが登場人物の感情はすべてセリフで説明され、しかもストーリーを進めるはずの「炎の街に水が溢れる」が理屈として破綻している。いや、だって水を止めているはずの炎の街で水道管になんの意味があるの?杓子定規にしか物事を捉えられない「水の男」の設定はその後なんの意味ももたないし。おまけに鉄砲水はストーリーの都合に合わせて強力になったり無視できたり変幻自在。
水男と炎女が抱き合うシーンとかみんなものすごく努力したと思う。それはわかるが、いかんせんストーリーが無茶苦茶だと見ているのが苦痛。ピクサーの暗黒時代はまだまだ続く。
今日の一言:歌のないポニョ
舞台は戦時中。主人公の少年の母親が火事で死ぬ。そして父親は主人公を連れ田舎に行く。その豪邸には謎の塔が存在しており、そこに入ると魂の抜けた千と千尋になる。
異世界であれこれあったけど、とりあえず無事帰ってきました。メデタシメデタシ。だけのストーリーを2時間以上にわたって見させられ、その間中ちょっとボケた老人の独り言を延々と聞かされる。
思えば千と千尋以降の宮崎駿は「全く訳がわからないし、面白くもない」作品しか作っていなかった。そしてこの作品も同様。
プロデューサーの苦労がよくわかる。どうやってこの映画で客を呼べばいいのか。宣伝を一切しない。試写会とかやったら悪評がたつに決まってるから、それよりは隠したほうが良い。声優を豪華にする。それだけで「なんだかおもしろそう」と思う人がいるかも。
「麒麟も老いては駄馬にも劣る」とはよく言ったもの。それでも宮崎駿の名前があれば私のような人間は金を払う。正しい金儲け方法とは思うけど、この商売いつまで続ける気?
今日の一言:エズラ・ミラーという謎
アメリカに生まれ育つとエズラ・ミラーのイライラする演技がHey, he is cool!と思えるのだろうか。などと考えてているうち、途中からバカが無意味に倍増する。
もう一つわかったことがある。時間を巻き戻せるマルチバースは便利だが、それを使って面白い作品を作るには相当の腕が必要だ、と。
母親が家で刺殺され、父親がその犯人にされてしまったエズラ・ミラー。そうだ光速を越えれば過去に戻ってあれこれ変えられるんじゃなかろうか。とうわけで過去をちょっといじると何もかもが無茶苦茶になり。スーパーマンの代わりにスーパーガール登場。しかし彼女は一体何しにでてきたんだ?バットマンも、、なんなんですかね。ぐでぐでしている間に二人ともあっさり死ぬし。
などと考えているうちエズラ・ミラーの演じる役は無茶苦茶(私の目には)になり、最後には
「行き詰まった時は、とりあえず過去の作品を持ち出しオマージュ」
に走る。最初のシーケンスで退屈していた私は「この映画がいくらひどいといっても、シン・仮面ライダーよりはマシだよな」と思ってい。しかし映画の後半考えを改める。これは予算が無茶苦茶かかったアメリカ版シン・仮面ライダーだ。ニコラス・ケイジがスーパーマンを演じる計画があったなんて、観客にはどうでもいいこと。そんなの映像にしてうれしいのは自分(製作者)とスーパーマンヲタだけでしょ?
でもって「過去をちょっといじるだけなら、大丈夫」という謎理論でなんとなくのエンディングを迎える。
有権者の半数弱がドナルド・トランプを支持する国だから、この映画に7割弱の評論家が肯定的評価をつけても別に驚きはしない。ただ「アメリカ人にはこの映画はどう観えるんだろうな」とぼんやり考えている間に映画が終わった。
今日の一言:役者はいるが、登場「人物」は一人もいない
福島原発事故の最中、父親がいきなり失踪。何年か後に戻ってきて「俺はガンだ」と言う。すると何も聞かれずあっさり家に入れてもらえる。
この映画では「ガン」は魔法の言葉。これさえ唱えれば相手は黙ってひきさがる。これは昭和か。主人公は専業主婦で、父親が出てった後に新興宗教にハマり、水に祈りを捧げ庭を枯山水にする。
最初はこの夫婦は二人ともカスだと思った。そのうち「ああ、これは脚本通りに演技しているだけね」と思うようになった。それくらい良きにつけ悪しきにつけ感情を載せにくい役者がスクリーン内で右往左往する。時計を見たらまだ1時間も経過していない。ああ、一番アホなのは俺か。ちなみに息子だけは若干まともだけど、結局何しに帰ってきたんでしょうね。とっとと縁切って結婚すればいいのに。
映画のラストシーンは完璧に予測できた。雨の中喪服でフラメンコを踊るだろうと思っていたらその通り踊る。それを見ると「ああ、役者さん、ずいぶん練習したんだろうな。振付師もがんばったな」としか思えない。その背後に浮かぶのは「いやー、super coolな映画つくっちゃったよ!あたしって最高でしょ!」という脚本兼監督の顔。
今日の一言:この映画の唯一良い点は
上映時間。93分にしたのは褒めていい点だが体感時間は2時間半。
観ているうちに思う。仮に今の人類がタイムマシンで6500万年前の地球に降り立ったとして、果たして生きていられるものだろうか?空気の素性はいいとしても、今は存在しないさまざまな疫病が待ち受けていてもおかしくない。どっかの火星人みたいになるのがオチではなかろうか。
上映中そんな映画と関係ないことを考えるくらいどうでもいい話。そもそも子連れで2年間の宇宙探査にでかけるって、、とか突っ込む気力も起こらない。わかるよ。アダム・ドライバーの娘に重ねたかったんだよね?わかるけどさ。隕石が衝突しても結構耐える宇宙船とかまあ細かいところはいいんだよね。
そうした雑な映画なので細かいところは問わないにしても、「そうか、恐竜対ドライバーの派手な戦いがあるに違いない」と思っているとあまり何も起こらない。あっというまに目的の宇宙船に辿り着く。恐竜より虫が怖かったりする
ダメ映画の常として、危機に瀕した人間は「ぼー」っとつったってるし、さっさと逃げろと思う観客を尻目に無駄なことをやり続ける。途中から修行の気持ちになり「とりあえず最後だけ教えろ」と思いながら席に座り続ける。映画が終わるとさっさと席を立つ。
ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー:VOLUME 3:Guardians of the Galaxy Vol. 3(2023/5/6)
今日の一言:どうしたんだジェームス・ガン。何があった
一作目二作目は本当に楽しませてもらった。その完結編。なのだが最初のシーケンス-アライグマが撃たれる-でもう退屈してしまった。
クリス・プラットが見事なアホヅラを晒す。いや、もともとそういうキャラではあるのだが、この映画ではタダのアホに見える。でもって話の筋としてはロケット誕生の秘密とそれをたどってロケットを救おう、というわけで皆があれこれやる。
例えばロケットが息を吹き返すところで、AEDらしき装置を胸に置くがなんの役にもたっていない、など不思議かつ無駄な動きが散見される。「なにこの男」と言っていた新生ガモーラがなぜクリス・プラットと仲良くなったかもさっぱりわからない。敵基地に乗り込み、他勢に無勢になるが、「心を込めて敵の人に頼めばなんとかしてくれる」とか冗談かと思えば、本当にそれでなんとかなってしまう。いや、いーんだよ。それでも。でもその無茶苦茶な設定が「ほほう」と思えるほどちゃんと語ってくれなくちゃ。
そしてこうしたダメ映画の常として全体が苦痛なほど長い。
無茶苦茶にCGを使っているから金がかかっているのはわかる。しかし内容はといえば「なんだこれ」以外の感想を持ちえない。可愛い子供はまだわかるとして最後は動物まで残らず救う博愛主義者になったGuardiansはクレジット後のシーンであっさり「村をおそう獣の群れ」を皆殺しにするし。
かくして「ジェームス・ガン。一体何があったんだ」と首を捻りながら映画館を後にする。というかマーベルシリーズ本当に大丈夫か?
今日の一言:すごい!1秒もおもしろくない
初代仮面ライダーのリアルタイム世代である。ライダースナックが実家にたくさん残っていたのを覚えている。
さて
この映画で唯一「おっ」と思ったのはショッカーの戦闘員がライダーに殴られると血がでるところ。しかしそれも最初だけだが。
それ以外は「すいません。これどこ面白いと思って作ったんですか?」と聞きたくなるような時間が続く。ストーリーは全てもって回った棒読みのセリフで説明される。まあ要するにショッカーは人類を皆平等に地獄に落としたい、、わけではない。この映画では中ボスしか倒されないから。大ボスとその補佐は次作に温存してあるらしく、よくわからない。
ヒロインはどこか綾波レイを彷彿とさせるキャラクターだが、大して印象的でもなく記憶に残るセリフがあるわけではない。群生バッタライダーとの戦いは何が起こっているかさっぱりわからず、というか殴り合いのシーン全般的にそうだけどね。
かくして「俺たちの戦いはこれからだ」で映画は終わり、続編を作る気満々なのだけは伝わってきたけど、こんな出来では誰も二作目なんか見ないよ。
庵野監督だけにはこの映画の「面白さ」がわかるのだろうか。
私の中で一つの疑問が大きくなってきている。「シン・ウルトラマン」は樋口氏が監督なせいで残念なできになっているかと思ったが、ひょっとしたら逆だったかもしれない。樋口監督がいたからこそ映画として成立していたのかもしれない。
上田慎一郎監督にとって「カメラを止めるな」が奇跡の一作であったとのと同じように、庵野監督にとって「シン・ゴジラ」が奇跡の一作だったのだろうか、と。
アントマン and ワスプ:クアントマニア:Ant-Man and the Wasp: Quantumania(2023/2/18)
今日の一言: 私はマーベルの未来を見た。退屈でどうでもよい未来を。
というわけで、新たなマーベルシリーズの第一作なのかな?とにかくアントマンである。
私はアントマンシリーズが好きだった。死闘を繰り広げていても人間からみれば「ああ、虫ね」で終わってしまうところとか笑わせてもらった。マーベルの中のちょっと笑える存在だったと思う。
なのになのに
その良さは微塵もなく-いや、製作者がちょっとそれを目指したのはわかるけど-できあがったのは「退屈で適当なストーリーにCGの塊」。
量子世界になぜか吸い込まれてしまった。(この理由は最後までよくわからない)帰ろうと思うとあれこれ邪魔が入る。でも最後は帰れました。おしまい。
冗談ではなくこれ以上何もない。無茶苦茶強い悪役と思しき黒人は大して強そうでもないし、なんで最後人間サイズのアントマンと殴り合いなんかやってるかな。そういった「中身のなさ」に加えテンポの悪さも特筆すべきか。とにかく無駄なセリフ、演技が多すぎる。
強い悪役は、世界の終焉を見たからどうのこうのと言っていた。私にはマーベルの退屈な未来が見える。ずっとマーベル映画のファンだったが、こんなのだともう見ないよ。
今日の一言: 粋がった少年の自主制作映画
映画の始まりは1920年代のハリウッド。新参者の映画がのしあがり、スターは栄華を極める。しかしまもなくトーキー時代を迎え、声が悪い、セリフが言えないスターは没落していく。そんな時代を背景にした物語がだらだら続く。
驚くのはこれだけ労力と予算をかけた映画なのに一人の人間も描かれていないこと。マーゴットロビーは綺麗だけど何者にもなれない人だが、この映画でもただの情緒不安定な女性。ブラピの運命に涙できる人はいないだろうし、主人公はがんばったけど悪い人に入れ込んじゃいましたね。そのうえどうしようもなく地味。トランペット奏者はいなくてもいいのでは(人種均衡のために必要ですか?東洋人の姉ちゃんとともに)
そんな退屈な人間物語-最初の30分ですっかり退屈してしまった-を「彩る」のは意味不明かつ過剰なエロ・グロ・ゲロ。取り直しシーンのこれでもか、という繰り返し。自分が撮りたいものを撮りました!観客がどう思おうと知りません!これはプロの仕事ではなく、粋がった映画少年の作品。そこに才能の片鱗が見えないとはいわないけれど。
唯一なしうる解釈は「監督はもう疲れてしまって、映画を撮りたくないのだろう」ということ。この映画で監督は映画の中のブラピを同じ運命を辿るのではないか?それが彼が望んだことなら部外者があれこれ言うべきではないか。できれば観客まで道連れにするのはやめてほしいが、まあそうもいかない事情があるのだろうな。
ブラックアダム:Black Adam(2022/12/04)
今日の一言: CGが映える昭和版ガメラ
いや、別に大きなカメとかはでてこないよ。やたら鬱陶しくかつ絶対死なない男の子がでてくるだけで。ほれ、昭和ガメラにそういう子供いたでしょ。
映画の冒頭昔の話が語られる。悪い人が大勢を奴隷にして鉱物を掘らせている。ようやく見つけた人が「褒美くれ」というとあっさり刺し殺される。皆の前で。いや、悪い人だから悪いことするのはいいのだけど、それやると誰も真面目に鉱物掘ってくれなくなるんじゃ?
思えばこのシーンは製作者の良心だった。そういう理屈っぽいことを言っていてはこの映画を見ることはできない。では何を見るか?それが問題。CGにものすごくお金と手間がかかっていることはなんとなくわかる。というか映画全体の7割方CGだけで作られているんじゃなかろうか。主役も本当に実写なのか途中で不安になる。表情一種類だけだし。ストーリーとか人間描写はハリウッドゴジラシリーズと大同小異。思えばあちらの方が白目の小栗某が見られただけマシだったか。
クライマックスで男の子が民衆に蜂起を呼びかける。それはいいのだが、もうちょっとなんていうか、、演技ができないもんですかね?あれですか。この男の子は有力出資者の孫とかそういうあれですか?
でもって民衆は空飛ぶバイク持っている悪者に抑圧されていたはずなのだが、映画の途中でその悪者はどこかに消え、悪い王様が復活させたゾンビを倒せば平和が戻ってくる。あの悪者はいつの間に消えたのか。
DC映画はCGにかける予算をもうちょっと脚本にまわしたほうが、、とは十年前から考えていること。多分彼らも気がついているのだとは思う。それでも面白い映画を作るというのは難しいことですね。
ストレンジ・ワールド/もうひとつの世界:Strange World(2022/12/03)
今日の一言: 政治的に正しい寝言
映画の冒頭、ぺらぺらのキャラクターが喚き散らす。とにかく山を越えるぞ、俺は冒険家だ。息子が答える。いやここにある草を調べよう。このシーンでもううんざりしていた。
ディズニーにはおそらく「政治的正しさチェックリスト」が存在するのだと思う。ラテン系かな?という男性主人公の妻は黒人女性。そしてその息子は同性愛者。特に後者は何の意味もないが、チェックリストを潜り抜けるめには必要なのだろう。
というわけで、主人公が子供の頃持ち帰った植物は国を豊かにしてくれた電力源なのだが、どうも調子が悪い。よし、根についているに違いない害虫を駆除しに行きましょう、って行ってもいないのに何故それがわかるとか突っ込んでいてはこの映画は見ることができない。
地下に潜ると例によってそこに一人冒険に向かったはずの父がおり、、、もうここらへんで「これはあとどれだけ続くんですか」と時計を何度も見る。まもなく製作者の意図が明らかになる。GAIAですよ。この世は一つの生き物のようにお互い支え合って。。はあ、そうですか。
というわけで、最後はあっさり電力源を捨て去り「バンザーイ」となる。あれですか。ディズニーは二酸化炭素を排出するけしからん電気は捨て、原始の暮らしに戻れと主張ですか。ちなみにこの映画は電力なしでは上映できないんですけど、ってお前は坂本龍一か。
というわけでそもそもなんでこんな映画が作られたのかと考えながら映画館を後にする。最近ディズニーのCEOが前の人に戻ったけど、自分達でも迷走を少しは自覚してるのかな?いずれにせよ一時恐ろしいほどの完成度を見せたディズニーのアニメはまたチキンリトルに戻ってしまった。今後どっちに振れるか期待しよう。
チケット・トゥ・パラダイス:Ticket to Paradise(2022/11/4)
今日の一言: 途中退室
いやね予告編を見た時から嫌な予感はしてたんですよ。絵に描いたようなドタバタコメディ。
しかしひょっとしたら面白いかもしれない。何事も決めつけてはいかん、と勇気を振り絞って映画館に。
離婚した元夫婦という設定のジュリア・ロバーツとクルーニーの罵り合いは、危ういところで破綻を免れている。でもってバリ島にいった娘は現地のイケメンに一目惚れ。よーしやっちゃうぞー,といきなり彼に襲いかかる。
イケメンは神と自然と調和しながら海藻養殖で生計を立てている。この時点でゲロを吐きそうになっているが耐える。娘は交際1ヶ月で結婚すると言い出す。ロバーツとクルーニーはドタバタしてそれを止めにかかる。
二人が「バレるに決まってるのに」という絵に描いたような策略を用いる。そこでキレた。なんだこれは。日本の小学生が書いたような脚本。南洋の島を過度に理想化し、やっていることはことごとく定型的なドタバタ。よくこんな映画に出演しようと思ったな。これ以上は耐えられない、と映画館を後にする。
後で調べれば監督は「マンマ・ミーア! ヒア・ウィー・ゴー」の人。ああ事前にそれを知っておけば..
今日の一言: え?これNetflixじゃないの?
事前情報ほとんどなしで映画館に座る。最初はなかなか好調。第一次世界大戦の後、ニューヨークで怪しげな医者をやっている男のところに、友達から妙な依頼が来る。そこで話は大戦中に戻る。
その時点で「どっかでみたような人がたくさんでてるなあ」と思っていた。ちょっと待て。これは無茶苦茶スター大終結ではないか。しかしマーゴット・ロビーって綺麗だけど特徴がない顔だな。初代ハーレクインは本当にハマり役だった。
というわけで、アムステルダムで主役の3人が楽しく暮らしているところはなかなかよろしい。しかしその後「あれ?」と思い出す。長い。ちょっと退屈しだす。
そこからだんだん謎が明らかになっていく。どうやら背後に恐ろしい組織がいるような、というわけでなんだか話が大きくなったなあと思ったら...なんというんですかね。最後は明らかに失速。演説会にナチのシンパが陣取っているところは意味がわからないし、最後の最後、謎が明らかになったあとのグダグダぶりはちょっと見もの。
これだけすごいスターを集めこれだけデタラメな話を作るというのはきっとNetflixに違いない、と思ったら違った。すいません。濡れ衣でした。とはいってもとにかく後半長い。後で調べれば2時間14分なのだが、体感的には3時間を超える超大作でした。なんの役にたってもいない無駄な人物が多すぎる。せめて90分にすれば、、ダメだろうな。だって人間が一人もでてこないんだもん。
ちなみに見終わってから"True story"を調べると確かに退役将軍の演説はあったのだが、それ以外はほとんど創作。これをMost of those things happenedは行き過ぎだし、この映画の真面目さもそれくらい。
キャメラを止めるな!:Final Cut(2022/7/24)
今日の一言: リメイクする意味とは
「カメラを止めるな」のフランス版リメイク。リメイクといってもオリジナルへの深い敬意の上にオリジナルの物語を組み立てたもの(コーダ あいのうた)もあれば、ただなぞっただけのものもある。本作は後者。
なのでお話はほとんど「カメ止め」そのもの。しかし冒頭のシーンだけでもその迫力のなさにげんなりする。なんだこのやる気のなさは。
そうした「些細な点」を除いてもいくつかの違いがある。
まず監督がどーんと落ち込むところでそれっぽい音楽が流れる。実は後ろで音響係が音のテストしてました、ってのは面白かった。この音響係はフランス版のオリジナルキャラクター。途中まではいい味を出していたのだが、最後は単なるボヤき要員になる。
もう一つ。企画を持ちこんだ日本人。カメ止めのあの人であの役なのだが、フランス版では見事に改悪されている。「パールハーバー」の一言で眉を顰め、役名まで全部日本版と同じにしろと強制。しかも無事に撮影が終わっても「ま、こんなもんやろ」と冷たく言い放つ。この改悪によって監督は何を主張しようとしたのか。やっぱりあれですか?黄禍論ですか?
これではあんまりと思ったのか、日本版ではエンドロールの後に明るい声でカメ止めの監督役と会話させる。こんなことで誤魔化そうとしても無駄だよ。
全般的に「この映画をリメイクしろ」と言われたが、全く気が乗らない監督のやっつけ仕事としか思えない。それくらい退屈。思えば「カメ止め」は奇跡とも思える傑作だった。中盤のダレたシーンを除けば全てが噛み合っていた。それの何がいいか。フランスでリメイクするとすればどう伝えるべきかとかなんにも考えず
「はい。言われた通りリメイクしましたよ。給料ください」
という監督の声が聞こえるかのような作品。
今日の一言: なぜ...こんなことが...
久しぶりに劇場公開されるピクサー作品。Disney+でしか配信されなかった二作はなかなか名作との評判。それにToy Storyシリーズとくればハズレはあるまい、と期待に胸膨らませて映画の開始を待つ。
冒頭ある惑星を訪れたバズと相棒に謎の生物が襲い掛かる。足手纏いの新人をどうするかで揉める。そのシーンで既に退屈していた。この新人くんはあっさり謎の生物に捕まる。バズと相棒が逃げだす。あれ、かわいそうな新人くんは置き去りかな、と思っていると都合よく目の前に新人くんが生物に捕まった状態で現れる。ギャグ漫画日和でこんなの見たことあるな。
それから10分ほど経過し、この程度で落胆してはならないことを知る。ひたすらドジをやり続けるキャラクターがおり、結果必ず悪いことが起こる。ドジ役が宇宙服についたペンをいじり続ける。最後にそのペンがどうしようもない形で役に立つ。はぁ。しかしこれだけならただのダメ映画。この映画はそこからが本番。
バズはあることを成そうと奮闘している。しかし映画の最後で、突然その目的を放棄する。はれ?と思うまもなく、どこからか何の脈絡もない任務が現れ彼にアサインされる。バズは「がんばります!」と爽やかに微笑む。あのー、すいません。そもそもこの映画はなんだったんですか。過去に囚われず今生きている人たちを大切にしよう、とかだったらそれをちゃんと伝えるようにしてくれなきゃ。
エンドロールには大量の人名が流れる。これだけの人が努力をしたにも関わらずなぜこんな映画になってしまったのか。今までのピクサーダメ映画は「途中で監督交代したからしょうがないね」というパターンが多かったように思うが、このダメさ加減は一体どういうことなのか。
一つだけ想像できるのは、必要のない同性愛カップルをねじ込んだように、外野からの干渉が多発した、というものだがそれだけでは説明がつかない。いつの日かこの映画の裏幕が明らかになることを。
今日の一言: ダメ男を2時間以上愛でる体験
映画の冒頭アナウンスがある。会話は頭の中だけで。まあそれはいい。映画の間は呼吸もしちゃダメです。さあ最後の深呼吸。
今思えばこのアナウンスは製作者の良心だった。ここで笑えない人は今すぐ席を立った方がいいですよ、と。そして座り続けた私はバカだった。
アダム・ドライバーが徹頭徹尾クズ人間のコメディアンを演じる。でもって優秀なオペラ歌手がなぜかそのコメディアンと付き合い結婚する。このオペラ歌手が堂々とタバコ吸ってるんですが、、オペラ歌手が喫煙していいんでしょうか。アダム・ドライバーもすぱすぱタバコを吸うから監督の趣味でしょうか。無意味にしつこく描かれる夫婦のベッドシーン。これも監督の趣味でしょうか?趣味はいいとして、役者をノーヘルメットでバイクに二人乗りにさせるのは良くないと思います。(Deep fakeならいいのだけど)
コメディアンの舞台は全く面白くない。後半「同じ芸なのに受けない」といってキレるのだが、元々つまらないとしかいいようがない。キレたコメディアンは荒れた海にヨットで出て妻を溺死させる。故意かどうかわからないが反省している様子もないから気にしない。すると奥さんは亡霊になり娘に乗り移り、娘が歌うようになる。
突然出てきた奥さんの前の恋人兼指揮者。この指揮のフリもひどい。前振りどころか、演奏より遅れてるんですけど。そしてこの指揮者も意味もなく殺される。アダム・ドライバーも最後は刑務所に入りました。アネットが最後に「両親は私を人形扱いした」というけれど、母親に関しては全くの言いがかり。それをほっぽらかしにしてThe end.すいません。これは何の映画ですか?
皆歌っているからせめて音楽でも、、という希望は打ち砕かれる。音楽は平板で繰り返しが多く全く印象に残らない。どうやら監督が有名な人らしく、その監督のファンが「深いな!」と言って喜ぶ映画でしょうか。私には合いませんでした。早くも今年のごんざれふ賞候補です。
ファンタスティック・ビーストとダンブルドアの秘密:Fantastic Beasts: The Secrets of Dumbledore(2022/4/09)
今日の一言: わけがわからないがどうでもいい
本シリーズは出演者に呪われているのではなかろうか。ジョニー・デップにエズラ・ミラー。いや、いきなり役者が変わっても全く構わないのだけど、肝心なお話がこれでは。
ハリーポーッターの校長ことダンブルドアはとても強い。しかし本シリーズの悪役であるグリンデルバルトもとても強い。しかし二人とも直接相手を攻撃しょうとすると、過去のしがらみで大変なことになる、という説明が冒頭長い時間を使って行われる。
しかし映画の最後にあっさりダンブルドアはグリンデルバルトを攻撃して追い払う(多分)あまりにあまりと思ったのか主人公が「何で?」と質問する。ダンブルドアのあの回答が理解できた人いますか?
本作品はこうした類の「何で?」に満ちている。一作目でなぜかパン屋に異常に執着していた金髪妹。二作目でダークサイドに行ったので「ああ、やっぱり頭が。。」と思っていた。本作でも途中まではグリンデルバルトのそばで読心術など役立てているのだが、最後の方でいきなりパン屋のところに戻ってくる。他にもいきなりあっちに行ったりこっちに來たりという人が。
グリンデルバルドは未来が見える。だから複雑かついきあたりばったりの攻撃でいこう。あのー、それ一体どうなったんでしょうか。適当に行動していたようにしか思えないのですが。しかもその後「グリンデルバルドの未来予知能力を回避する工夫」は全然でてこないし。
かと思えば、一作目から健在の「ただ人をいらいらさせるだけの魔法動物」は随所に顔を出してくれる。
というわけで途中からすっかり修行僧のような気持ちになり「この映画を救うにはどうすればいいのか」と考えていた。五作シリーズと聞いていたが、本作で一旦区切りがついたようにも思える。果たして四作目、五作目は制作されるんでしょうか?よっぽど評判がよくない限り見ないと思うけど。
ナイル殺人事件:Death on the Nile(2022/2/27)
今日の一言: 魚雷発射!
観ている間何度も考える「ああここに魚雷があれば。あの船をふっとばせばなんと世の中は良くなることか」。
映画は第一次大戦の塹壕戦から始まる。ポアロがするどい考察で仏軍を勝利に導くのだが、、よく考えるとこれなんの役にも立ってないんじゃね?もともと東風の時に攻めようって言ってたんだから。
このシーンになんの意味があったのかと首を捻っている間に、いろいろな人が出てくる。この映画では男は無職でダメ人間でもイケメンならとにかくモテる。ワンダーウーマンとダメ男がいきなり結婚することになり、エジプト観光に。すると鬱陶しさの極みのような人間がぞろぞろついてくる。共産主義に傾倒しながら、自分は贅沢を尽くした船の旅を楽しむ婆さんとかもうなんというか。なんの罪もない従業員を除いてこの連中皆殺しにしても問題ないと思うんだ。
つまりこの映画には一人も人間がおらず、話を成立させるためのキャラクターしかいない。などと考えているうち話が進み、
「さあ、真犯人の名前を言え」
とポアロが迫る。相手はぐずぐずしているから殺されるぞ、と思っていると案の定殺される。真犯人が明らかになる。さっさと拘束すればいいものを手なんかこまねいていると死ぬだろうなと思っていると、やっぱり死ぬ。最後には船は死体だらけになる。原作は名作と聞く。同じ筋でも描き方によっては人の心を動かしうるのだろう。
と思ってもダメ映画の常としてすんなり終わらない。最初のシーンと対になったシーンが出てくるのだが、なんの意味があるのか。もう突っ込む気力も残っていないけれど。
ドリームプラン:King Richard(2022/2/23)
今日の一言: ウィル・スミスはまり役
それまで白人ばかりだったテニスの世界に現れたヴィーナスとセリーナ。しかしそれを全部お膳立てしたのはウィル・スミスでした、という映画。
それくらい父親の自己顕示欲はものすごい。そしてそれが周りを辟易させている場面がほとんど描かれない。言葉で控えめに言及されるだけ。おそらくはウィル・スミスの機嫌を損ねることが誰にもできなかったのだろう。
いくら娘たちの「優勝してうれしー」トークが気に入らないとしても、危険なエリアに女の子だけ残して走り去るとか正気の沙汰とは思えない。そりゃ確かに通報されるわな。邦題はあれだが原題は"King Richard"確かに王様気分のイカれたオヤジだ。
実績を考えれば、この父親は確かによくやった。危険な地域で娘たちをちゃんと育てたのだ。しかしだからといって全てが肯定されるわけでもない。なのにこの映画ではほぼ「父親が偉かったから二人は成功した」物語になっている。そしてそれを演じるウィル・スミスはとても楽しそう。
結果として話はぼんやりと進み、ぼんやりと結末を迎える。テニスのシーンは全く迫力がなく、ストーリー自体にも何も感じない。ただ時間を無駄にしたという気持ちだけが残る。
この映画では姉妹はあくまでも父親に従順だが、どこかで捨てられたはず。そこまで描いてくれればもう少しましな映画になったかもしれないなあと思いながら映画館を後にする。
ゴーストバスターズ/アフターライフ:Ghostbusters: Afterlife(2022/2/6)
今日の一言: 陳列会
「いいんだよ。オリジナルキャクスト、オリジナル小物、それにあの音楽を流せば観客は喜ぶんだから!何?出演料だけで予算が無くなった?よし。舞台を何もない田舎町にする。CG作成の予算が削れる。脚本はそうだな、学生にでも書かせるか。インタビューの一環だからもちろん報酬0で」
多分こんな調子でできあがったのではないかと推測するのです。冒頭のシーンから何が起こっているかさっぱりわからない。「はあ」と思っていると、人をイライラさせるために存在しているようなキャラクターがだらだらあれこれやる。ようやくそれっぽくなったのは1時間経ってから。
そこからゆっくりゆっくりオリジナルの小物を出していき、最後は「はいはい」といった感じでオリジナルキャストが登場。ここらへんになると誰もストーリーの辻褄とか気にしていないと思います。主人公は可愛いけどそれだけ。アントマンも何もやらせてもらえないし。
エンドロールで「あれ?シガニー・ウィーバー出てた?」と思わせたところで、数合わせのポストクレジットシーン。最後にもう一発つけておいて続編への仕込みもばっちり。あのねえ。
どことなくトカゲ・ゴジラに似ているような。。もうキャラクターさえあればあとはなんでもいい!と振り切っているところが。。あとどうしようもないキャラクターのお友達はゴジラvsコングで観たような。。
ドント・ルック・アップ:Don't Look Up(2021/12/17)
今日の一言: 早送り万歳
Netflixのオンライン試写会に当選した。画面に登録したメールアドレスがうっすら表示され続けるのは違法配布を防ぐ工夫と思う。などと考えているうち画面上ではディカプリオが鈍重な演技を続けている。
今の彼は明らかに太り過ぎと思うが、問題はそこではない。この映画全体がどうしようもなく鈍重なのだ。科学者が説明する時すぱっと要点から入らず「正確に」話そうとして伝わらない。それはわかったからさっさと先に行ってくれと思っていると邦画のように感情的に喚き出す。
新しく発見された彗星が地球に衝突することがわかりました。というわけでメリルストリープ演じる大統領に直訴しにいくが、相手は中間選挙のことしか頭にない。誰か話を聞いてくれる人はいないかとずっと奮闘する物語かと思ったら途中で大統領がその情報を開示する。(別の件を有耶無耶にするためだが)そこらへんで、2倍速モードにする。ああ、オンライン試写会とはなんと便利なのだろう。とはいえそれでもイライラするが。
よかった点を書いておく。この映画の題名はトランプ支持者のような人間達が「彗星なんか来ていない。空を見るな!」と叫ぶところから取られている。トランプ支持者のフィクションを超えた行動を見れば、これは冗談ではないなと思う。そこだけはよかった。
あとはただ時間が流れる。ブラックコメディにしたかったのか、心あたたまる話にしたかったのかもわからない。途中意味もなく流されるコンサート映像とかディカプリオのただ感情的なキレ芸とかやっぱりこれは日本人が作ったのではないでしょうか。エンドロール後のシーンを見る限り何も考えていないとしか思えないが。
出演者のギャラだけでも相当額を投資したのなら、脚本にもう少し金をかけてもよかったのではないかなあとダメ映画の常として考える。直接関わった人たちに好意的に考えれば、経営サイドからの「誰をだせ、こういうシーンをいれろ」という無責任な要求を断りきれなかった故に、鈍重で間伸びした映画になった、のかなあ。
ヴェノム:レット・ゼア・ビー・カーネイジ:Venom: Let There Be Carnage(2021/12/4)
今日の一言: びっくりするくらい何もない
ヴェノムである。前作は確かに見たのだが、ほとんど覚えちゃいない。今回の悪役はウッディ・ハレルソン。私にとってはCheersでデビューした純朴な田舎の青年なのだが、最近は曲者の役しかやっていないような。
でもってウッディが鉄格子越しに主人公に噛み付く。そのおかげで赤ヴェノムが誕生しました、ってちょっと待て。
ウッディにはこれまた幽閉されている「デカボイス」が武器の彼女がいる。二人とも自由になりました。さあ結婚しましょう。これから暴れまわりましょう、となるのだが、赤ヴェノムは大きな音が嫌い。おかげでこの二人が共同して戦おうとしてもうまくいかない。 あのー。なぜ大きな音が嫌いなんでしたっけ?
黒ヴェノムよりは赤ヴェノムが強いようなのだが、女のデカボイスがどうのこうのやっているうちに両方ともあっさりやっつけられる。あのー。これは一体なんでしょうか?
主人公の元ガールフレンドの婚約者だけが相変わらずいい味を出している。しかしそれ以外はびっくりするほど何もない。最後のシーンを見るとどうやらスパイダーマンに関係させるようなのだが、今後ヴェノムは評判がよっぽどよくない限り見ないことにします。
今日の一言: あーはいはい。青春青春(棒読み)
映画の冒頭見目麗しい高校生の男女が「好きだ〜」という。なんだこの映画は。1900円無駄にしたか。
と後悔したがそれは映画の中で撮影されている高校生の映画だった。ほっ。そうだよね。流石にプロは金取ってこんな映画みせないよね。
と安心した私は愚かだった。映画部で自分の好きな時代劇をとることができない女子生徒が映画を撮ろうとする。すると目の前にいきなり主役にぴったりの美青年が現れる。そいつをおっかけまわし主役に据えるが、実はその美青年は未来からやってきた男だった。
まず第一にこの映画を見る人間は全てのロジックを捨てなければならぬ。未来ではTikTokみたいな10秒動画ばかりになり2時間の長さの映画がなくなっているとのこと。じゃあなんで主人公の女性が巨匠と崇められているのか。作った映画を文化祭で一度上映したら捨てなければならない運命をいつのまにか主人公が知っているのはどうしてなのか。(友達は文化祭終わってから伝えようというシーンがあるのだが)キャンピングカーの電源どうしてるのか、とか細かいところをあげれば無数に辻褄が合わないが全て忘れましょう。
次にこの映画には無駄な要素が多すぎる。正規の映画部とのライバル関係は無駄。落ちこぼれ軍団の録音、照明もほぼ無駄。美青年がなぜモテるかといえば、イケメン以外の要素はないから無駄。問題はそうやって無駄な部分を削ぎ落としていくとこの映画には何も残らなくなる点。
各シーンにつけられる音楽の安っぽさはそれこそ高校生の文化祭。それは問わないとしても主人公の演技がとにかく稚拙。映画の冒頭「好きって言わせないで、好きを表現するのが映画」という良いセリフがある。不幸にしてこの映画の監督はその言葉に従ってくれない。まあしょうがないか。セリフで説明するしか話を進める方法がないんだろう。監督のせいか役者のせいかはわからないが。(老けた高校生役の人はちゃんと役者だったが)
かくして長々と続いた映画は最後に放り出したようなデタラメかつどうでもいいエンディングを迎える。そうだよなあ。去年見た「アルプススタンドのはしの方」みたいな低予算でも良い映画を期待していたのだけれど。
ワンダーウーマン 1984:WONDER WOMAN 1984(2020/12/19)
今日の一言: 感動にもネタにもなれず
時計を見る。なんとまだ残り1時間40分もある。嗚呼。
この映画は今日見たのだが一番覚えているのがこの瞬間。 冒頭ショッピングモールに強盗が押し入り、ワンダーウーマンがやっつける。その場面でもう退屈していた。なんというかアクションがものすごく平板なのだ。彼女が宙を飛ぶとき、ただつったてるだけだし。その後周りから無視される女がでてくるのだが、なぜ彼女が無視されるかさっぱり観客にはわからない。その女性がわざとらしくカバンの中身を床にぶちまける。お前はスペシャルアクターズか。
でもって今回の敵というのが「誰でも願いを一度だけ叶える石の力を持った男」。ドラえもんでも散々あったネタだが、そりゃ誰もが自分の願いを叶えたら世の中めちゃくちゃ、というか話が矛盾するよね。敵を皆殺しにしたい人だって多いだろうけど、世界恒久平和を真面目に願う人間だって世界中に百人はいるだろうから。石はどっちの願いを叶えてくれるんだろう。
主人公は石の力で死んだ彼氏を生き返らせる。この七十年前頭の彼氏が「すげー」と驚くのがくどい。どんな優秀な第一次世界大戦のパイロットだって、いきなりF111のエンジン起動方法がわかるわけがない、、なんてのはこの映画では些細な問題。彼氏から教わった「飛行の秘訣」をつかってワンダーウーマンが延々空を飛ぶシーンはさらにくどい。主人公が彼氏といちゃつくのはいいのだが、引き換えとして力が「若干」弱まる。この「若干」度合いが観客にはさっぱりわからない。完全に普通の人ではないのだが、銃で打たれるとちょと負傷する。
この「願いとともに代償が来る」というのは後付けの理屈。代償は勝手に設定できるというのも後付け、テレビを使えば世界中から代償をもらえるというのも後付け。後付け理屈の奔流だが、すっかり悟りモードに入っていたのでどうでもよい。
この映画の制作者もそんな些細なことにはこだわらない。皆が願いを叶えた結果、米ソはいつの間にか核ミサイルを発射し街は大荒れ。しかしなんだかわからないうちにそれが全部元通りになる。ちゃんと最後まで見届けた自分を褒めてあげたい。途中退出しようかと思った映画は久しぶり。
途中わざとらしく出てきた男がホワイトハウスに招き入れてくれるとか細かい辻褄合わせはあるのだが、全体は無茶苦茶の上にとにかく長い。ガル・ガドットは相変わらず美しいが、さすがに容色に衰えがでてきているような、、というか筋がむちゃくちゃだから変身後の格好良さは7割減。金色の新コスチュームも「動きにくそうだなあ」と思うだけだし、実際途中で羽とっちゃうし、というかいつどこで着替えたんだ?
こんな映画ができてしまったのはコロナのせいだ、とか言わないよね。しかし無茶苦茶な映画というカテゴリーでもファンタスティック・フォーに及ばないんだよなあ。
今日の一言: 眠れる映画はよい映画
数々の名作を世に送り出した大林監督の遺作。映画の冒頭から映画の制作背景を説明する字幕とナレーションが流れる。その後も快調に「監督のやりたい放題」が続く。
この映画は大林監督の「夢」である。ここで「夢」と言っているのは比喩的な意味ではなく、睡眠中に見る幻覚のこと。そこでは何をしてもうまくいかず、後から考えれば全く辻褄があっていないが、その中では結構心配したり、焦ったりする。
この映画のメイキングを少し見たことがある。監督は出演者に向けて厳しい言葉を投げかけていた。そりゃそうだろう。出演者は誰一人自分たちが何をやっているか理解できないのだから。この内容を監督以外の誰が理解できるというのか。
いや、映画というのは別に理解できなくても感じればいいのだ、という考え方もあろう。彼が反戦に関して何か言いたいことだけはわかる。しかしそのスタンスは「国-権力者-は悪い奴で戦争を起こそうとしている」で「自分は反戦映画も作ったしちっとも悪くないもんね」というもの。反戦という観点ではこの映画はジョジョ・ラビットの足元にも及ばない。
映画監督が歳を重ねると観客に説明する意欲を失い自己満足に落ちる様は宮崎某でみせられた。イーストウッドも多少その傾向があるがちゃんと理解はできる。それらと比べると、この映画は反戦を言葉で語るばかりで、観客に感じ考えさせることに失敗している。そうした意味ではプロの仕事とは言えず大学サークルの作品のよう。
だから映画の長さが3時間に及ぶのも製作側としては何も気にしていないのだろう。かくして観客は監督の寝言を延々聞かされ続ける。映画の中で「眠れる映画はよい映画」という言葉があり、私の記憶は何回かにわたって飛んでいる。だからこの映画の価値観ではよい映画ということなのだろうな。
公式サイトにある監督のメッセージには
「時代はいつか、個人映画ばかりになり、僕が願った映画作りの世になりました。その個人の自由と権力者の不自由の証を、愉しんで下されば、と。僕の正体が炙り出されれば、愉しいかな。」
とある。確かに何を作ろうとそれは個人の自由だが、1900円とって劇場公開するのは悪い冗談にしてほしい。
この映画を観て二つわかったことがある。
大林監督は自転車にのったセーラー服黒髪の少女に思い入れがあること。それと「時をかける少女」でみせた「稚拙なCG」は当時の技術の限界ではなく、監督の趣味だったこと。それをささやかな収穫として観客は黙るしかない。文句を言うべき相手は既にこの世にいないので。
注釈