33章:マーフィーの微笑み私のMacintoshライフは平穏に平穏にすぎていくはずだった。メインで使用しているiBookにとても満足していたし、
「をを。これは買わなくては」
というたぐいの新製品の噂もでてこない。しかしその平穏はまもなくおびやかされようとしていたのである。
iBookを買った当初からトラックパッドがめくれていたことは前述した。直すにはAppleに送らねばならず数週間Mac無しでの生活を余儀なくされることから
「対面修理の対象機種になるまでまとう」
と思ったことも前述した。当初数ヶ月もすれば対面修理が可能になると踏んでいたのだが、何度Appleのサイトを観てもそうしたうれしい情報は掲載されない。いつしか季節は夏となり、保証期間の一年はそんなに遠くない将来切れることになる。私はなんとなく
「これは修理に出すことを考えねば」
と思い始めた。しかしもし修理に出すとすれば数週間iBookとはさようなら。そんなのはつらい。またこんなことがあるといやだから思い切って予備機を買ってしまおうか。中古品っていくらくらいなのだろう。オークションを覗いてみると、、なるほど12万円くらいかあ。などとぼんやりしているとふと我に返る。ちょっとまて。たかだか数週間Macを使うためだけに12万も払おうと言うのか。修理からiBookが戻ってくれば「予備機」はほこりをかぶったまま押入につっこまれるだけではないか。
そもそも家には他に2台もMacがあるではないか。携帯できぬという不便さえしのげばそれを使うというのが正道ではないか、ええい、何を贅沢を抜かすかこの馬鹿者。などと自分で自分をののしって遊んでいるうちに事態は不穏な方向に進みつつあった。
iBookには当初からAirMacという無線LANをつけていた。線をささなくても使える。こんなに離れても使える。おお、これはすごいと感激したものである。さて、3月の中頃私はもう少し広いアパートに引っ越した。こっちには部屋がいくつかある。しかしそんなに広いわけでもないから無線ルーターを一台おいておけばどこでもネット接続だ、とおもいまず手始めに布団にねっころびながらiBookを使うということをやってみた。
その結果ははなはだ芳しくなかった。AirMacには電波の強度を示す扇形の印が表示されるのであるが、それが一本もついていない。つまり電波が全然届いていないということになる。なんだこれは。あちこちのサイトを観てもこれくらの距離と壁だったら簡単に通じると書いてあるぞ。もしかしてルーターの調子が悪いのかな、きっとそうに違いない。ええいどうしてくれよう、などと私は勝手に決めつけて憤怒の炎を燃やす。
しかしそのうちさらに衝撃的な事実に気がついた。その昔Via Voiceという音声認識ソフトを使うためだけに購入したLibrettoというマシンがある。こちらにも無線LANのカードをつっこんであるのだがこちらは布団のそばから何の問題もなく使えるのである。なんということだ。問題はiBookにある、ということではないか。Librettoの無線LANカードはアンテナがでっぱっている。iBookのそれは内蔵されているらしいから性能が悪いのかなあ。しょうがない。無線でつなぐ機械をもう一台購入しようか。
などと思っていたある日、私はネットに接続できないのを承知の上でソファの上でiBookをたたいていた。そしてふと気がついたのである。例の扇形が満点になっている。おや、とおもいブラウザを立ち上げるとなんなくネットにつながる。あれ、何がきっかけかしらないけど無線が通じるようになったぞ。それから私はあれこれ理由を考える。そういえば最近Twin Power macの電源を落としているけど、あれがよかったのかなあ。あのいい加減なケースではやはり電磁干渉を防ぐことができないのか。まあこれで一安心。テレビを観ながらネットサーフィンも楽々だね。
などと喜びに浸ることができたのはたったの二日だった。いつも通りiBookを使いあちこちのサイトなど巡っているといきなり
「そんなサイトは知りまへん」
と言われるようになった。これは通常何らかの理由でネットに接続できなくなった時に表示されるメッセージである。何がおかしいのかな、、あれ、Twin Power Macからは快調に接続できるぞ。ということはiBookの何かが、、と思った私は気がついた。例の電波強度の印が「全く通じません」になってしまっているではないか。
ちょっとまて。無線ルーターはすぐそこにあるではないか。なぜつなげないんだ。そうか。きっと最近暑くなったからそのせいだ。熱を持つとAirMacカードの具合が悪くなるに違いない。しょうがないなあ。しばらく電源を落としておこう。
いまこうやって文字にしてみると自分で自分の胸ぐらをつかみ
「貴様いったい何の根拠があってそのような戯言を述べるのか」
と言いたくもなるのだが、少なくともこの策略は数度成功した。いや、成功したように見えた。しかしそのうち電源を入れていた時間にかかわりなく、AirMacは極めて不穏な動きを示すようになったのである。扇マークが満点になっている。そうだよ、きっとあれは気の迷いだったんだと思いどこぞのサイトにつなぐ。するといくつかページを進もうとしたとたん「つながりません」メッセージがでる。扇マークは0点だ。これは大きなファイルをダウンロードするときなど実にゆゆしき問題となる。
えいしょうがない。多少不便だけど有線のLANをつなぐようにしよう。すると当然のことだが実に快適につながる。ほっと一息ついた物のこれでまたこのiBookの故障箇所が増えたことになる。トラックパッドがめくれている。音がでない。Aのキーの効きが悪くそして無線LANがつながらない。自分の家では有線でつなげばいいが、実家に帰ると無線しか接続の手段がなく、かなり不自由な思いをする。
これはやはり修理かと思っていた私に好機(に思えたのだ)が訪れた。7月の半ばに一週間ほどネット接続ができない場所にいくことになったのである。かなり不便だがまあ一週間ぐらいだし、と考えたところで気がつく。修理に出すならこの時期がいいのではないか。どうせ使えないんだから。
そうなるとさっそくあれこれ準備である。まずは修理を出している間使うTwin Power mac の環境整備。最初にやったのは電源の交換だ。このTwin PowerMacの電源は勝手にファンを交換したりあれこれしているので、いつも家を空けると
「過熱したあげく火を噴いているのではないか」
という強迫観念にさいなまれる。ここは一発ちゃんとした電源に交換しよう。OS Xでちゃんと使おうと思えばメモリも増設しなくちゃ、と思い通販であれこれ買い込む。会社に机に座ったままであれこれ手にはいるとは便利な世の中になったものである。
ハードが整備されると今度はデータのお引っ越しである。出発は水曜日。火曜日に修理に出すことにしよう。するとその直前にiBookからPower Macにデータを移す必要がある。これは結構面倒で時間をくう作業だが、バックアップもかねてがんばってやってしまおう。
さて、ということでPower macの環境をあれこれいじり出すといくつか問題にぶつかる。こちらにつけているのはTV兼用の小さな液晶で解像度は800×600である。640×480のスクリーンを「なんて広大なの」と感動した経験を持つ私にはこの800という広さは実に広々としているとも思えるのだが、いつのまにかiBookのより広い画面に私はなれきってしまっていたようだ。いや、そんな感覚的なものではなくもっと切実な問題が判明した。日々のサイト更新には自分が作ったGBPutというソフトを使っているし、メールの読み書きにはこれまた自作のGMailというソフトを使っている。この二つともが800×600の画面を見事にはみ出してしまい、押すべきスイッチだの文字を書くべきエリアだのがスクリーンの彼方に消えてしまうのである。ええい、誰だ。こんな使用者への配慮を欠いたプログラムを作ったボケは。それは私です。そう。全ては私が悪いのです。などと開き直って何の得になると言うのだろう。ぶつぶつ言いながらPower mac側にも開発ツールをダウンロードし(これは100MBを越える大きさである)画面の大きさを縮めてコンパイルし直し、、などとやっているといつしか時計の針はぐるんぐるんと回っている。
少し事態が落ち着いた月曜日さっそくAppleに修理の電話をかける。Pick Up and Deliveryというシステムを使うのだが、あれこれの交渉の後火曜日の午前中に取りに来てくれることになった。月曜日中に最後のデータ移動をやり、iBookとしばしの別れになる火曜日の朝。例によって不必要に早起きしてしまった私はメールでもチェックしようか、とPower macに向かう。マウスを一回クリックしたら虹色アイコンがでる。システムは何か忙しく働いてます。ちょっと待ってねの印だ。おとなしく待つ。まだ虹色がくるくるしている。まだ待つ。くるくる。そのうち私は不気味な「音」に気がついた。いかにもハードディスクのどこかをこすっているような音が周期的に繰り返される。その音が変化してくれないかと思いながらしばらく待ってみるがそんなことは起こらない。
そのうち避けられぬ結論に達した。ちょうどデータを移し終え、これからメインでばりばり使うというその日。もう一台あるiBookを修理に出さなくてはならない、というこの日。この重要なタイミングでPower macのハードディスクはなんらかの大変深刻なトラブルに見舞われたのである。