題名:巡り巡って

五郎の入り口に戻る

日付:2002/9/1


関ヶ原ウォーランド:岐阜県(2002/8/13)

そこからは長い長い電車の旅である。朝早起きしたせいか、やたらと眠い。ぐーっとねてぱっと目覚めると桑名に近づいている。この名前を聞くと自動的に

「その手は桑名のやきはまぐり」

という言葉が思い浮かぶ人はきっと私が思っているより多いと思うのだが、ここではそんなことは関係ない。このまま名古屋まで行って東海道本線に乗り換えてもいいのだが、ここで乗り換えると直接大垣までいく路線があるらしい。よし、なんだかわからないがそっちにしてみよう。

この判断を私はその後数十回に渡って悔いることになる。今から行こうとしているところは営業時間が5時までだったような気がする。すでに3時を越えているというのに、電車は遅々として進まない。単線だから向こうから電車がくるたびに

「5分止まります」

「10分停車します」

の連続である。次こそは大垣駅であってくれ、という願いも空しくいつまでも大垣になる気配はない。そのうち4時近くになってしまった。

目的地が駅から2kmのところにあることは知っている。ということは歩けば30分はかかる。4時半についたとしても歩けば5時。これでは入場と共に追い出されてしまうではないか。ああ、やはり名古屋に行ってそこで乗り換えればよかった。東海道本線は少なくとも複線だからもっと早くついただろうに。

などと何遍考えてみたところで電車が早く進むようになるわけでもなんでもない。とにかく関ヶ原についたのは予想通り4時半だった。しかしここまで来てしまった以上引き返してもしょうがない。しかたない。私はタクシーにのり「関ヶ原ウォーランド」と行き先を告げた。

車は快調に走り出す。親切なことに駅前に「どこそこ、いくら」とタクシーを使った場合の料金表が出ている。本当にその値段通りでついた。4時40分くらいだから

「今からじゃはいれないよ」と言われるかと思ったがそんなことはなかった。門をくぐるとさっそくあやしげな人形がたくさんある。桜が生い茂る下に、関ヶ原の合戦の主要場面を再現したのだそうな。入り口近くにトランポリンがあるのが謎だが気にしないことにする。

実は門をくぐった瞬間に「ここは10分も観ればいいところかもしれない」と思ったのだが、実際その予想はあまりはずれていなかった。おまけに私は葉がでた桜を観ると自動的に毛虫の恐怖に怯える人間なのである。葉に虫がくった穴なんか開いている日には恐怖倍増である。というわけで駆け足で場内を巡る。客観的に観てどうかは別にして、ずいぶんとまじめに作った展示だということはなんとなく分かる。人形は結構こってつくられており、だれそれとか名前もちゃんとついているのだが、それが何者なのかはよくわからない。たまに知っている人物をみかけても油断してはならない。

武田信玄の亡霊が訴える「ノーモア関ヶ原合戦」という叫びから我々は何を受け止めればいいのだろうか。

クビをひねったり毛虫の恐怖に怯えたりしながら最後の場面、家康の前での首実検にたどりつく。ここではナレーションが流れ、あれこれ説明が聞ける。西軍3万、東軍3000の死者がでたこの戦いの後、関ヶ原を流れる川は赤く染まり、旅人はしばらくここを避けたという。私にはその光景を想像することすらできないが、それが文字通り「鬼気迫る」光景であることくらいはぼんやりと分かる。それとともに戦いに巻き込まれた百姓達の暮らしにふと思いを寄せたりもする。

さて、一通り見回ると資料館とかいうところにいく。入場は4時半までとか書いてあるが誰もいないから観るのも問題ない。鎧やらなにやらやたらと置いてあるがそれがどうした、というところである。建物はもう一つあり、そこでは「美少年シンタロー アクロバットショー」が行われるらしいがもちろん今はやっていない。かざってある写真を見る限りこの男は美少年というよりは、何かの悪い冗談という顔つきをしている。

では帰ろうと思って時計を観るとほぼ5時。予想通りだ。そこから来る人がいて、「まだ大丈夫ですか?」とか聞いている。答えは「5時半までやってます」とのこと。向こうにしても杓子定規に閉めるよりは、一人でも多くの人にはいってもらって入場料をせしめたほうがいいという、ことだろう。

門を出るとふらふら歩く。そのうち観音らしきものが目に入ったので近寄ってみる。

今度は観音様がノーモア関ヶ原合戦を祈念だ。この観音の安っぽい作りといい私はなんともいえぬ複雑な気持ちになる。

これで今日みたい場所はおしまい。心おきなく家路につく。帰りはあるこう。駅とおぼしき方向に歩き出す。あちこちに史跡を示す看板があるということは、ここは関ヶ原の合戦当日にそこら中で斬り合いやらなにやらをやっていた場所なのだろう。

ふと気がつく。私の視線は下っ端の歩兵達のものだと。すると遠くなどは全く見えない事に気がつく。見えるのは本当に目の前の敵だけ。全体がどうなっているかなど分かりようもない。向こうから槍を持った人間がわらわら出てきたら逃げたくもなるだろう。高名な武将なんて連中はきっと非人間的な体格や体力や性格をもった連中ばかりだっただろうし。そうやって言われるまま右にいったり左にいったりしているうちに、斬られてしまったのだろうなあ。

そんなことを考えているうちに「関ヶ原ふれあいセンター」というところを通る。一日変なものを見続けて頭がだいぶ飽和状態になっているのでその「ふれあい」という言葉に妙な反応を示す。「ふれあい広場」そこにはいる人間は他人と皆「ふれあい」なくてはならないのだ。片手で誰かの背に触り、もう片方は誰かの頭をなでるのだ。そう考えると「ふれあい図書館」というのはなんという恐ろしい場所だろう。

などと馬鹿な事を考えているうちに関ヶ原駅についた。これで今日の見所はおしまい。しかしまだ先は二日ある。

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注釈