題名:巡り巡って

五郎の入り口に戻る

日付:2003/4/17


日本寺:千葉県(2003/3/29)

この「巡り巡って」とにたような趣向のサイトを巡ってみる。するといくつかのサイトから言及されている場所があることに気がつく。

「気がつく」というより私が行っているのはだいたいそういう「メジャーなスポット」なのだが、その中で以前から行こうと思いつついけずにいる場所があった。千葉にあるという日本寺である。なぜいけずにいたかといえば答えは簡単。電車で行くととんでもなく時間がかかるのである。うちの最寄り駅から日本寺の近くにあるとおぼしき駅までの経路を探索してみると3時間以上かかるという結果がでてくる。これではあまりにも労多くしてなんとやらではなかろうか。

3月28日の金曜日、私はまた同じことを考えていた。明日何をしよう。日本寺がいいかもしれぬけど遠いなあ。ちょっと疲れているから早起きやいやだし。しかし私はその瞬間あることに気がついたのである。日本寺は千葉半島のほぼ中程にある。金谷港はすぐ近くのようだ。そして私の家から少し南に行けば久里浜というところがあり、そこから金谷までは船がでている。つまり横浜の我が家から北上し東京横断で行けば遙か彼方の日本寺も東京湾を船で横断すれば結構楽に行けるのではなかろうか。それからキーをたたくことしばらく。

「まあなんとかならあな」

という全く当てにならない確証(根拠のない思いこみともいうが)を得るにいたった。翌朝適当に起きるとさっそく出発である。

まず京急という電車にのって久里浜というところに行く。さて、ここからフェリーにはどうやって乗ればいいのだと思いきょろきょろするとバスを使えと書いてある。左様かと思いバス停にたどり着くと一時間に二本しかない。次は30分後だ。しょうがない待つかと思い地図をぼんやりと眺める。港はここから1kmちょっとのようだ。これは一つ歩いてみるか。

途中人気がなく企業の大きな工場が並ぶエリアを通ったりして不安にも陥ったが幸いなことにそのうちそれらしき建物が見えてきた。チケットを買いフェリーに乗るとくてっと寝てしまった。船はすべるように東京湾を進む。(寝ていたからしらないがたぶん進んでいたのだろう)

目が覚めたのは金谷に着く10分前だった。前方に鋸山が見えてくる。この山をみるのは2度目だが本当にのこぎりのようだ。船を下りるとはて、と考える。ここからどうすればいいのだ。ロープウェーに乗るということは調べていたので、山肌に見えるロープウェーらしきものに向かってとぼとぼと歩く。ここらへんは基本的に車で来るところしく歩いているのは私くらいのものである。

そのうち「鋸山ロープウェー」とか書いたゲートがでてきた。日本寺とも書いてある。やれうれしやこの道でいいようだ。そこから少し歩くとロープウェー乗り場が見える。動き出すと結構高いところを通っていくことに気がつく。ここでロープが切れれば何がおこるか、ということばかり考える。ああ、ここは地面が近いから助かるかもしれぬ。ここではいちころだ。せっかくきれいな風景が広がっているのだからもう少し景気のよいことを考えればいいのに。

山頂駅に着くと看板が示す方向に歩き出す。なにやら山道を歩くのだが、足下には石段ともなんともつかぬ石がごろごろしていてきわめて歩きにくい。ええい、この道はどうしたことか、などとのろいの言葉をはいているうちにこんな門が見えてきた。

力一杯シンプルにかかれた「日本一の大仏」という文字がすでにこの先に待ち受けるであろう何かを予感させる。そこで600円をはらって中に入るのだがここからが大変だった。

この日本寺というのは本来寺であるべきだし、看板によれば約千三百年前、聖武天皇の詔勅により設立された大変由緒正しいところなのである。しかしやれ明治時代の廃仏稀釈とか昭和14年に起こった「全く諦め切れぬ原因の失火」とかその後太平洋戦争時に鋸山が要塞とされたことかのせいで、往事の姿は全く失われてしまったのだそうな。

このエリアあちこちにたてられている同文の看板には「であるからして復興のためにご協賛、ご支援を」と書いてあるのだが、それはさておき今は山の中に観音やら何やらが散在することになっている。従ってそれをみようと思えば、山の中を垂直に降下したり上昇したりということを繰り返すことになる。もっとも当時の私はまだ歩き始めたばかりだからそうした事実には気がついていない。

自分がどのような状況に陥ったか気がついていない愚かな私は

「珍スポット巡りには上り下りが付き物さ」

などと知ったような台詞をはきながら階段を上っていく。そのうち百尺観音という看板がでてくる。そちらに進むとこんな光景になる。

写真中央、すこし下に写っている人間と比べると切り立った壁のスケールが想像できるだろうか。この山は元は石切が盛んだったとのこと。その名残だろうがインディージョーンズのロケにも使えそうな雰囲気だ。その先にはバーミヤンの石仏を思わせるこんな観音様がある。

写真にするとその大きさはわからないだろうが、ちょっと驚くほど大きい。その中にこんな落書きがある。

思うに最初明治大学の4人が落書きをし、その後はここにきた大学生が競うようにして名前を彫ったということではなかろうか。この名前を彫り込みたいという人間の欲望はどこからくるのだろうか。

そんなことを考えながら先に進む。すると目の前に連続した上り階段が見えてくる。ええい、これも珍スポットめぐりの宿命、といってはみるのだが途中で息が切れる。登り切った先は展望台になっており、先には地獄のぞき、と称してこんな場所がある。

ただでさえ高所恐怖症の私はこの場所に近づくどころかみるのもいやだ。本当にあそこから落下した人はいないのかなあ。それよりもあそこ自体が崩れ落ちたりしないのだろうか。とにかくあまり長居はしたくない。先に進む。

すると階段は下りになる。せっかく得た高度を意味もなく失うのはいやだ、と心の中でつぶやいてみるがいかんともしがたい。道のわきには時々こんなものがある。

傾いた看板には「獅子岩」「獅子吼無畏の説」「百獣之を聞いて皆脳裂す」とかなんだかんだとかっこいい言葉が並んではいるが、つまるところただの岩である。とにかくこの寺は看板が好きなようだ。入り口にあった経緯を書き寄付を求める看板は全く同文のものが数カ所に存在している。

そのうち千五百羅漢と称してこんなものがでてくる。

それ自体は確かに羅漢なのだが、ある場所ではこんなことになっている。

廃仏稀釈のせいか知らないが、首をなくした羅漢の列はみていてあまり楽しいものではない。ところどころ首をつなげたような羅漢もある。

道はどんどん下り坂になっていく。得た高度を失うどころか最初スタートした時点よりもはるかに下っていくのがわかる。私はロープウェーの往復券を買ったから帰るためにはまたあの地点まで上らなければならぬ。ああ、なんということだなどと嘆こうがなんだろうがとにかく道はそうなっている。

かなりくだったところで前方になにか広場がある気配がする。みれば「日本一の大仏」だ。

もちろんこの「日本一」には「磨崖仏」という形容詞がついている。実のところ本当にこれが日本最大の磨崖仏かどうかも定かではない。近寄ってみると手は崩れはじめ顔にはひびが入っている。

この脇には「日本寺復興予定図」なるものがあるのだが、これらをいったいどこに配置するつもりなのかよくわからない。しかしこの分でいくとこの大仏はその復興された姿を見るまで持たぬのではないかという気がする。

さて、これで一通りかと思い「ロープウェー」と書かれた方向に進もうとして思いとどまる。案内図をみるとさらに「下」に日本寺とかかれた建物がある。いや、名称からすれば当然訪れるべき場所なのだが私はしばし考える。これ以上下に降りるということは最後に上る距離が増えるということだ。膝はすでにしてくすくす笑い声をあげているような状況だ。

しかし私は意を決して階段を下り始める。もうここまで降りてきてしまっているのだ。(山頂ははるか彼方上方に見える)とにかくみるものをみてしまおうと歩き続ける。遠くの方に新しく建築中の建物が見える。をを。復興の歩みはすでにして始まっているのか。では看板にかかれていた「日本寺仮法堂」とはどのようなものであろう。その姿を見たとき私は唖然とした。

この写真から作りの安っぽさが伝わるかどうかわからないが、とにかく屋根は波形トタン葺きである。昔の学校にあったかもしれない物置というのが一番イメージ的に近い。入り口をみているだけで中をのぞく気がなくなる。この前には「重要文化財」の鐘があるのだが、「立ち入り禁止」とかかれおまけにまわりに鉄条網までついている。さらには説明の看板が落ちてしまっているというオチまでついている。

どうもこの寺のプライオリティというものは理解しがたい、、などと考えながら今度は階段を上り始める。客観的にみてどうか知らないがとにかく山を垂直に登り続けるような気になる。途中何度も足を止めて休む。じっとしているとまだ肌寒いのだが歩いていると汗が流れてくる。膝は爆笑している。しかし階段はまだまだ続く。最後に私が「ロープウェイ出口」という看板をみたときどれほどうれしかったことか。

そこをでるとまた石がごろごろしている坂を上りロープウェー方面に向かう。カップルが反対方向から歩いてくる。女の子はかかとがとんがったたぐいの靴を履いている。男性が

「今は冗談と思って笑ってるけど、その靴だとこの先結構挑戦だよ」

という。私は心の中で「全くその通り」と同意する。ここに今きておいてよかった。10年後であれば果たして全部回れたかどうか自信がない。この苦行を楽にするためであれば体重を10kg減らすことについてずいぶん前向きになれそうな気がする。

そんなことを考えている間に日本寺観光はおしまい。帰り道少しはいったところにある「なは食堂」とかいうところで「づけ丼」を食べた。750円ですてきにおいしい。私はあまりご当地名物を食べない人なのだが、このときだけは山頂の食堂で牛丼など食べなくてよかったと思った。フェリー乗り場から振り返れば

「確かにのこぎりだ」

と思うような鋸山の風景が広がっている。

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注釈