題名:巡り巡って

五郎の 入り口に戻る

日付:2006/12/20


飛行神社: 京都府(2006/12/1)

浅い眠りから目覚めた私は京都駅で降りる。なぜこんなところにいるのか聞かないでほしい。とにかく来てしまったのだ。新幹線から在来線に乗り換え。東福寺 という駅で京阪電鉄に乗り換える。26分とのことだったが、パソコンなど使っていたらあっというまに着いてしまった。
駅前にでてあたりを見回す。さて問題です。今日の目的地はどこでしょう。右手に小高い山がある。どうもこちらではなさそうだ。というわけでインターネット 上で見つけた簡単な地図と勘に従い歩き出す。近くに大きな病院があるらしいのだが、と思っていたらその病院が見つかる。ということは飛行神社はこの近くか と顔を上げればいきなりこのようなものが。
看板
なんと隣であった。というか私が知っている神社というのは表通りから少し奥まったところにあるものだが、ここはいきなり神社である。道を渡って正面から神 社の写真を撮る。
正面
ここからみてもいろいろ気になるものがある。入り口すぐ左手に鎮座しているのはF-104のジェットエンジンだ。
ジェットエンジン
説明のためにおかれているF-104の写真を見るとなつかしくなる。その昔怪獣に意味のない攻撃をかけていたのはこの機体かあるいはF86だった。
正面には銀色に輝く鳥居がある。それはいいとしてその奥にあるのはどうみてもギリシャ・ローマ風の建物だ。これはどうしたことか。おまけに進んで行って分 かったのだが、本殿というかその類の建物はこの建物の右手にある。
ローマと鳥居
つまり正面から入っていてそのまま本殿に突き当たるのではなく、右に90度方向を変えてようやくお賽銭を投げ込むことができるわけだ。おまけに賽銭箱とそ の奥にあるもの(なんと呼ぶべきかわからないが)が3セット横に並んでいる。とにかく変わった構造だ。
本殿
屋根にはこのような美しいガラスもはまっている。
ステンドグラス
などと驚嘆していると少し戻ったところにこんな物があることに気がつく。
プロペラ
大阪で漁師に引き上げられた零戦の機首部分という。これを一生懸命作ったり、とばせたりした人がいたのだろうな、と思いながらしばし眺める。正面からみて 右手にもプロペラがあるが、こちらには説明がない。近くに石碑というかそのようなものがあり、何が書いてあるかと思えば、航空幕僚長からこの神社への?感 謝の言葉が彫ってあった。
本殿(?)の近くに絵馬がたくさんかかっている。どのような人が書くのだろうと思えば実にバラエティに富んでいた。まずは自衛隊の人とおぼしき「ウィ ングマークがとれますように」というもの。民間航空のパイロット書いたと思われる絵馬もあれば、CA(Cabin Attendant)になれますように、と女性の字で書かれたものもある。さらには琵琶湖で行われる「鳥人間コンテスト」を目指しているグ ループの絵馬もある。
絵馬
これほど「読み応え」のある絵馬は久しぶりに見たわい。ということで奥にある資料館に入ろうとする。一般300円と書いてはあるがそこに誰もいない。開館 時間は9:00−だからもう開いているはず。扉に手をかけるとするすると開いた。中をのぞくが暗くて見られそうにもない。これは困っ た。入り 口右手に社務所のような場所があったからあそこに行ってみよう。
というわけで戻ると「ご用の方は外のインターフォンで呼んでください」と書いてある。ボタンを押すと女性の声がして「いま行きます」とのこと。資料館に戻 るとしばらくして男性が降りてきてくれた。300円払うと入場。そこから説明が始まる。
ここは日本においてライト兄弟と同時期に飛行機を研究していた二宮忠八がたてた神社である。二宮氏は陸軍にいたころ鳥の滑空からヒントをえて、ゴム動力で 飛ぶ模型の飛行機を作った。除隊後、人が乗れる実用機の設計に取りかかる。資金が必要ということで陸軍上層部に設計図を添えた上申書を提出す るが拒否される。かくては独力でと作成中にライト兄弟初飛行の知らせが。二番煎じでは意味がないということで泣きながら制作途中の飛行機を壊し、飛行機へ の夢をあきらめたと。
その後日本にも帝国飛行境界ができ、その副会長に就任したのはかつて二宮の上申書を却下した長岡中将だった。私はここに感心したのだが、この長岡氏はちゃ んと二宮氏に自分の不明をわびる詫び状を出しているのである。こんな話は滅多に聞かない。どこの会社でもまともな提案を意味無く没にする上司には事欠かな いが、自分の非を認めわびた人など聞いたことがない。大正時代の中将だから本当に偉い人がなっていたのだろうか。その二人が並んだ写真が飾ってある。
二人

長岡氏のひげは「プロペラ髭」として有名だったのそうな。ここで100円で買うことができる「二宮忠八小伝」から引用するが

原宿に長岡中将を訪問した忠八は、かえって中将の古武士的 態度に好感を持ち、肝胆相照らす間柄となった
釈明を天下に示す高義心 その潔白に消ゆる長恨
(忠八翁立志百歌集より)

また二宮氏が実用機を設計するにあたり、どのように考えたかが絵とともに展示されている。主翼は玉虫から着想を得たとのこと。とい うわけで複葉 (ただし下の翼は短い)である。実際に飛行した模型のプロペラは竹とんぼからヒントを得たという格好のよいものだが、実用機では太くて広い団扇のような形状になってし まった。なぜかと言うと船のスクリューに着想を得たからだという。展示を読めば、船のように大きな物を強力に推進するにはこの形状が相応しいと考えたとの こと。

推進装置

ここら辺から二宮氏の「限界」が見えてくる。車輪は3輪式でこれは三輪車に着想を得たとのこと。自然物あるいは他の人工物から着想を得るのは良いと思う が、ライト兄弟と比較したとき二宮氏には決定的に科学的視点が欠けている。ライト兄弟の飛行機は膨大な実験による検証、改良を積み重ねた成果であったこと を考えるとき、仮に陸軍が二宮氏に援助をしたとしても飛行機が飛ぶ事は決して無かっただろうと思えるのだ。
実用機

それは当時のアメリカと日本における科学的教養の差異と考えることもできるがなんともやりきれない話である。そもそもこの飛行機には尾翼がない。前掲の小冊子にはこう書いてある。

「これは玉虫をモデルにしたからで、後退翼をもった無尾翼機は現代飛行機の花形である事を考えると、ここにも彼は先見の明があったことになる。」

こうした論の進め方を我田引水と言う。尾翼あり、なしのメリットディメリットを比較しあえて無尾翼を選択したのならともかく、ただ玉虫にならいました、だけでは空を飛ばせることはおぼつかない。そしてとどめは動力。足こぎ式なのである。

一通り説明が終わると男性は去っていく。写真もご自由にと言ってくれるのがうれしい。ゆっくり館内を見て回る。彼は陸軍を除隊した後製薬会社に就職したと のこと。そちらのほうでも有名なのだそうな。一つの事に熱中するとのめり込む人だったらしいので、飛行機を壊した後もいろいろな事をしたのだろう。
館内には一般的な飛行機の発展に関する展示もある。何人か飛行機事故で殉職した人達の写真が飾ってある。元はといえば、彼らと彼女たちを弔うためにこの神 社は造られたとのこと。また懐かしい写真があった。1966年制作の人力飛行機である。当時は人力による飛行は夢だった。子供の頃「子供の科学」で読んだ 覚えがある。しかしそれから「成功」のニュースは長く聞く ことができず、それに成功したのはこれとは全く異なる形態の飛行機だった。今から思えばこのころは軽くて丈夫な材料も無かったのだろうなあ。
人力飛行機
その奥には「飛行文庫」という一角がある。私からするとよだれが出そうな本があれこれ飾ってあるが、鍵が閉まっている。見せてくれ、というのも気が引ける のでそのままだ。(時間の都合もあるし)しかし気になるのはその入り口だ。
飛行文庫
ここまでギリシャ・ローマ風の円柱が立っている。そのとき先ほど説明してくれた男性が戻ってきたので、「ここはなぜ洋風の作りなのですか」と聞く。ここは平成元年に大 改装したのだが、そのとき仕切ったのが忠八氏の子供。その人の趣味らしいのだがなぜ今のような形なのか理由はわからない、とのこと。館内には改装前の飛行 神社の写真もあるが、確かに普通の神社だ。
昔
最近はロケット打ち上げの時も願掛けにくるとのことでロケット関係の展示もある。私がその昔携わっていたミサイル業界では、発射試験の前に神社に行ったと 聞いたが、まさかここまではこなかっただろうな。

といったところで飛行神社見物はおしまい。てくてく歩いて駅に戻る。後で気がついたのだが、駅前から左手に見える教会の前を通り、病院の角を曲がれば簡単 につけたのだな、って今更そんなことを知ってもなんともならなぬのだが。

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注釈