日付:2007/9/30
さっきから耳の近くを虫がぶんぶん飛んでいる。扉を開け た瞬間、何か変な物が飛び出してきてもおかしくはない、、と恐怖に襲われる。しかしここで開けずしてどうする。意を決して扉を開ける。中はこんな様子であ る。ちょっと文字がかかれた看板が多いことを除けばそれほどおかしくもない。ぐるりとあたりを見回す。左右の壁にはこんな絵が掛かっている。というか張っ てある。もはやこの程度では 「何も変わったところはない」と思えてしまう。しかし先ほどから虫の羽音がするのが気になる。いったい何が飛び交っているのか。そろそろ退散しようかと思 い出口の上を見ればなぜかこのような写真が貼ってある。これは何かと問うても意 味はあるまい。この写真の何かがここを製作した人の心に響いたのであろう。もう一度正面の像を拝もうと思い写真をとる。すると左側に「背後仏」が写ってい るではないか。とにもかくにも扉を閉めて外 に出る。すると外にはまだまだいろいろなものが存在している。これはまだ何か理解しやすいほう。天狗である。このような天狗 の面の飾り方が一般的などうかはしらないが、とにかく天狗である。問題はその近くにならんでいる各種観音様の方だ。写真では分かりづらい が、黄色い看板の上に小さな観音像とおぼしき木像がある。これが観音様だろう。しかし「二日酔いしない観音様」というのは初めて見たような。いや、隣の 「悩みきき観音」もあまり聞いたことがない。私も「悩みきき観音」になれるかもしれぬ、とちょっと考える。とにかく聞いていればいいのだ。ここ らへんになるとよく分からなくなってくる。「あまなしき」がわからないのは私が無知なせいかもしれぬが、「女の寿」にいたってはなぜ女性限定なのだ。なか なか結婚できぬ男の面倒は誰が見てくれる、と力んでどうする。
さ て、そこから山肌にそっていろいろなものがにぎやかに存在している。二つお堂が並んでいるのだが、その一つは「ヒロ子堂」なぜそう呼ばれるかと言えば
「こ このヒロ子という人が人人の病気の苦しみを救おう、治そうと発願しここの霊場を建立したのです。 霊場主」
とのこ と。
その隣 にあるのは「信じる人の病気は全部治してくれる千手観音」である。説明文の最後はこうなっている。
「病める方よ迷わず、惑わずお祈りしてみて下さい。心より信ずる事の出来 る方は病気は消えてなくなり今すぐにでも必ず治ります。信じてみて下さい。(信ずる事です)」
中を覗いてみれば、 これまたいろいろなものがおわす。遮光土器まであるのはやはり東北、木造 駅ということか。
でもってその少し上には ちゃんとした仏像がどーんとひかえていらっしゃる。こ の写真を見て貰っても分かると思うが、話はここで終わりではない。まだまだ先は長いのだが、周囲から発せられる圧倒的な制作者の 叫び、日射、それにそこらへんでぶんぶん言っている虫の恐怖にやられて記憶が曖昧になっている。撮ってきた写真を元に記憶を再構成したいと思う。まずは仏 様の彼方に 見えている「千体佛観音堂」である。中はこんな感じ。写 真が不鮮明で申し訳ないが、たしかにこの調子だとあれこれとりまぜ千体いる気がする。でもってここから入り口の所まで先ほど出した日本全国佛とか寺院の写 真、名前が連 続しているわけだ。しかし飾られているのはそうしたものばかりではない。これにはなんのキャプションもついていな いが、ここの制作者であろうか。そして誰が書いた かは知らぬが、宗教的な場面を意図したと思われる絵もかけられている。ここらを見ていると石 手寺の裏手を思い出すのだが。そしてやはり木々の 間を見れば、こんなものがぶらさがっている。などと観ていると、そろそろ倒れそうだが、先ほどの「棒観音」があったとこ ろに戻る。そこにはこんなものがある。椅子であ り、足がおかれる部分に足形が置いてある。これはなんであろうかと説明を見れば以下の通りである。
「足 腰の痛い方、ここの椅子に腰を掛けて修悟の足跡と言う所に足を上げて不動明王様を拝んで見て下さい。ここの不動明王様を拝んだ瞬間に足腰の治った方がたく さんおられます。貴方様も無神(ママ)の心になって一生懸命治るようにお祈りをして見て下さい。心より信じる事の出来る方はいますぐにでも治ります。(信 じてみて下さい)」
私も腰に違和感を覚えることが多い人間であるが、信心の心が足りない ので効果は現れないであろう。というわけで座るのは遠慮しておく。
というわけでそろそろここを後にしようかと考える。最後に載せるの は道をはずれたところに存在しているタイヤと石碑である。この石碑を読むと、高橋氏 は悟りを得て仏陀になられたということであろうか。何も悟りを開いたのが釈迦一人と限ったわけではないからそれもあり得る話だ。
と いったところでこの場所の探索はおしまい。おそらくここは「親父が一人でつくっちゃった」場所なのだろう。そうした場所に共通した要素を指摘できるように も思うがそれは不遜なこと。今はただ心をむなしくしてこの場所にあふれている言葉に耳を傾けようではないか。
な どと小難しいことはそのとき考えなかった。頭はぼーっとしており難しいことはわからん。道路の上の温度計は34度を表示している。今日行く場所はあと二 つ。私は再びハンドルを握る。