五
郎の
入り口に戻る
栄から電車にのって二駅。清水という駅で降りる。トイレにいこうかと思ったのだが無人駅で券売機と改札以外何も無い。徒歩6分とあったので、駅の地 図に載っているかと思えば、そもそも地図等存在しない。iPhoneを取り出し周辺地図を表示させる。目的地の名前は見当たらないが、同じ名前もった幼稚 園がある。ともかくそちらに行ってみよう。見当をつけてくてく歩き続ける。そのうち前方に何か見えてきた。やれうれしや。これに違いない、と思って近づけ ば神社である。私が行きたいのは寺だ。そこで位置を確認しさらに方向を変更する。
すると幼稚園が見えてきた。
どうやら名前は目的地と同じ。ということはこの近くにあるに違いない。そちらをみればとても立派な塀が続いている。塀をつたって正面に回る。あまり にも立派で私のようなチンピラが近づくのがはばかられるほどだ。
ほら、立派でしょ。しかし後で気がついたことだが、私が訪れるべき箇所はこの画面の左右両脇に隠れていたのだ。
まずわかりやすい右手に向かう。
さて問題です。間違いはどこでしょう。寺の鐘楼であるが、何かがおかしい。ではもっと近づいてみましょう。
普通お寺の鐘にツノは生えていない。しかし誰がツノを生やしてはいけないと決めたのか。決められたとして何故それに従う必要があるのか。芸術は爆発 だ。
というわけで岡本太郎の作品とのこと。しばし表面の文様に見入る。
近くに何か由来でもないかと思ったが何もないようだ。本殿は先ほど述べたようにとても立派だし、隙がない。ここはこれだけかと思い反対側に目をやっ たとき何かが目に入る。
何かの像である。近づけば”護国観音”と書いてある。頭の中のアルバムをぱらぱらめくり、私は一つの結論に達する。これと似た像をみたことがある。
関ヶ原ウォーランドで”ノーモア関ヶ原合戦”を訴え続ける観音像である。家に帰り確認し て気がついたことだが、間違いなく同じ姿である。両手に持っている何かも一緒だ。
こちらの像は何を語っているのであろうか。横に回ると”大杉学区遺族会”とある。こちらも由来はわからない。しかし間違いなく浅野祥雲氏の作 品であろう。おそらくは左手に持っている瓶のようなものから以前は水が流れていたのかもしれない。
思いもがけずコンクリート像に出会う事ができた。まだ何かないかと境内を見回すが何も見当たらない。駅に戻る。巨大な闘犬のような犬を二匹つれた男 性とすれ違う。そのうちの一匹がこちらに向かって何か吠える。実家に犬がきてから大の犬好きになった私であるがこの犬に飛びかかられては死んでしまうよう な気がする。飼い主の方が綱を引いてくれている間にすたこら逃げ出す。
清水駅から栄に戻る。これで今年の初珍スポット巡りはおしまい。今年はいくつ巡る事ができるだろうか。