題名:巡り巡って

五 郎の 入り口に戻る
日付:2012/7/5


梅小路蒸気機関車館:京都府(2012/6/8)

粟嶋堂を後に私は「こっちに違いない」と思う方向に歩き続ける。そのうち昔なつかしい「団地」が見えてきた。未だに人が住んでいるのだ ろうかと思いつつ近づくと、取り壊し中のようだ。表示から察するにJRの社宅だったようだが。

そこをすぎると公園のような場所にでる。地図を確認すると、この公園と目的地は隣接しているはず。人が歩く方向を見ながら

「こちらにあるに違いない」

と思った方向に歩き続ける。ほどなくこんな建物が見えてきた。

駅舎

ものすごく趣のある建物だ。近づいてみると「旧二条駅舎」と書いてある。中にはいりチケットを購入する。近くにジオラマとか、なにや らの展示とかがあり、人が結構観ている。そちらにも心惹かれるが、空は暗くいつ雨になってもおかしくない。先を急 がなければ。いったん建物の外に出て、SL乗車、とかなんとか書いてある方に歩いて行く。次の乗車は3時半だから乗る訳にはいか ないが、おそらくSLが走っている近くには他の展示もあるだろう。そのうち視界が開けた。いろいろな車両の車輪が置いてある。ずい ぶん大きさに違いがあることがわかる。さらに進んで行くと、SLが到着したところのようだ。

SL到着

人がわらわらと降りてくる。その先にはこんな光景が広がっている。

全景

その昔被験者に「京都を自由にタクシーで観光してもらう」という調査をやったことがある。男性大学生二人に巡ってもらった時には、真っ 先にここにきてしばらく動かなかったとの事。鉄道に興味を持つ人であれば涙を流すような光景かもしれないが、あまり鉄道に興味を持たない 私にも印象的な光景だ。放射状に線路が走り、中央におそらくは回転型のテーブルのようなものがある。向こう側には何両かの機関車が見えて いる。

私が物心ついたころ、既に機関車は歴史の一部になりつつあった。一度だけ走っている機関車をみたことがある。かなり離れたの線路 を走っていたが、それが吐き出す煙の大きさ(あるいは寒い時だったので白く見える水蒸気だったかもしれない)が印象的。しかし今こうして 書いていてあれは本当に観たのか、あるいは想像が記憶に変化したものなのか自信がないのだが。

車両のほうに歩いて行く。機関車を並べてみると、私のような素人にも大きさや形状が異なる事に気がつく。デコイチかデゴイチという機関 車があったことは知っている。D52というのもあるのだが、それはD51より強いかといえば、そんな単純な話ではないらしい。

お召し列車

きっとこれはお召し列車なのではなかろうかと思う。正面についた菊の御紋章がきらきらしている。こうした機関車が何両もならんでおり、 最初はすべて展示車両かと思ったが、ここは車両の整備も行っているとのこと。つまり現役の工場でもあるのだ。そういわれれば工場独特の香 りがする。

工場現場

今まさに車両の整備を行っているようだ。元工場勤めとしてはこういった光景の方により親近感を覚える。

一通り前から車両を眺めると、個々の車両を観て行く。何両かは運転席とかそうした場所に登ることができる。

運転席

こうした「運転席」は映像で何度も観た事があるはずなのだが、実物の持つ重み、迫力はやはり実際に観ないとわからない。釜の扉から何度 も石炭を放り込むのだろう。ここを人力でやる、というのはいかがなものか、と思うが固形物である石炭を自動で放り込むのは難しそうだ。あ るいは自動で給炭する装置は開発されたのだろうか。

とはいえ、私は機関車に関して素人なので、あれこれ考えながらもこんな写真を撮っていたりするのであった。

キッズゾーン

ここにも「機関車」がある。というかこんな「トミカ」があることは知らなかった。親は機関車みてご機嫌だが、それについていけない子供 も居るだろう。こういう場所を作るというのはとてもいいアイディアだと思う。

マルチメディア端末

更には私にとってはこちらのほうが「歴史遺産」とも思えるのだ。昨今ほとんどみなくなった「ブラウン管」を使ったTV。それを「モニ ター」として用いたおそらくは「パソコン」を使ったメダル刻印システム。懐かしくて涙がでそうではないか。はたしてこのシステムを開発す ることでいくら請求されたのだろう、もしトラブルが起こったらどうやって対応するのか、とか興味はつきない。

再び表にでてみると、先ほどのSLが黒煙をあげている。

黒煙

カメラを向けている人が何人もいるから、ひょっとするとお客さんへのサービスなのだろうか。黒煙ははるかにたなびいていき、 近くの洗濯物が汚れたりしないか心配になる。そういえばSLはトンネルにはいるとき、窓を閉めないと大変なことになる、とかどこかで読ん だ気がするな。

というわけで見物はおしまい。帰ろうと思い入り口の方に向かう。先ほどスキップしたいくつかの展示を観る。その中に「女性専用車両のこ とはじめ」というものがある。なんと、女性専用車両とは最近の発明かと思っていたが明治時代にも存在したのか。

なんでも

当時の女子学生は良家の子女が多く、服装は羽織袴であったため、清純で美しい姿は世の男性の注目の的で、女子学生 が乗車する列車は 「花電車」と呼ばれていました。ところが、男子学生がその時間帯に合わせて乗車し、中にはラブレターを渡したり、体に触れたりするといっ た行為を行う学生も現れたため、大きな問題となりました。

とのこと。全くいつの時代も男子学生というやつは。ただ私がもし当時の男子学生だったとしても「花電車」には怖くてと ても近寄れなかっただろうなとも思う。

といったところで外にでる。帰りを急ぐ。京都駅の近くになったところで雨が降り始める。屋根のあるところをつたいなんとか駅にたどり着 く。

前の章| 次の章   | 一覧に戻る | 県 別Index


注釈