五 郎の 入り口に戻る
はっと気がつけば私は京都駅で呆然と立っている。何故こんなところにいるのか聞かないでほしい。とにかく来てしまったのだ。
帰りの新幹線が出発するまでまだ時間がある。ではどうしましょう。早く帰って家でのんびりとも考えたのだが、不幸にしてより早い時間の 新 幹線には空席が無い。せっかく遠くにいるのだから何か見物でもしよう。そう思ってぶらぶら歩き出す。案内図を見ると
「梅小路蒸気機関車館」
なる文字がある。そういえば蒸気機関車の操車場があるとかなんとか聞いた事がある。空模様がかなり心配だがそちらに歩いてみるか。
そう決めるとてくてく歩き出す。京都であるから普通の街と味わい深い街が混在している。今や営業しているのかどうかわからない 何かの店の看板に見入ったりしているうち、こんなものがあることに気がつく。
ここは以前行った事がある淡島神社と何か関係があるのだろうか。と思い看板 を観る。
「寺伝によれば応永年間に南慶和尚が紀伊国(和歌山県)淡嶋から粟嶋明神を勧請して上洛する際、当地辺りで急に御神体が重くなった との で神意としてここに祀ったのが起こりと言われている。」
この記述の背後にある「事実」はどのようなものだったのだろうか。「急に御神体が重くなる」と言わせたのは誰だったのか。いずれにせ よ、分家というか、兄弟というかそういう関係のようだ。空 模様はますます怪しくなってきているが、ここを見過ごす訳にはいかな い。中にはいる。
メインの建物はこんな様子で、特に変わったところはない。
しかし、そこかしこに多数の人形がおさめられている。この写真だと正面向かって左側を拡大すると以下のようだ。
お内裏様におひな様がてんこもりである。しかも我が家にあるようなのより、はるかに高級そうだ。これほどの人形を持っていたら、ゴミの 日にはい、というわけにはいくまい。振り返れば別のケースがあり、そこにもたくさんの人形が居る。
普段単体でみる人形がこれほどたくさん存在していると一種独特の存在感を持つ。それらの「顔」を観るのがつらいようにも思える。それは 洋の東西を問わず。
とはいえ、こういう人形であれば、顔を合わせるのも少し気楽だ。ただこの人形を持っていたのはどんな人だったのだろうかと考えたりす る。
より「人間」を感じさせてくれるのは、絵馬に書かれたいろいろな願いだ。もちろん
「大好きな人と一緒にくらせますように」
といった素朴な物もあ るのだが、「苦しい時の神頼み」といったものも多く、読んでいる側がつらくなる。しかし中にはこんなものもある。
「私が心身共に健康、五体満足で力強い良い子宝に自然に恵まれる為に、私の卵巣機能と子宮機能の若返り、活性化及び強化にお力をお かし 下さいますようお願いいたします。
私が子を授かる●●ホルモンバランスも最良な状態に整えてくださいますようお願い申し上げます。」
とても論理的なのだが、「ホルモンバランスを最良に」というお願いに多少困惑した神様の顔を思い浮かべるのは私だけだろうか。
といったところで粟嶋堂を後にして先にすすむ。目的地へはまだ少し歩く必要がある。