題名:巡り巡って

五 郎の 入り口に戻る
日付:2012/7/29


回天記念館:山口県(2012/6/16)

私は徳山駅の北口で唖然としている。何故こんなところにいるか聞かないでほしい。とにかく来てしまったのだ。

問題はいろいろある。疲れた中年サラリーマンには悩むべき課題が多い。とりあえず直面している一番大きな問題は

「本来出るべきだった南口にはどうやって行ったらいいのか」

というものである。ここから船に乗るのだが、案内には「徳山駅南口から2分」とか書いてあった。地図で観て近くだから楽勝と思ってい たのだが、私がいる場所は南口ではなく北口。そしてよーくある話だが「駅の反対側に出る」ことはそう簡単ではない。

駅を出てとにかく歩く。そのうち商店街のようなところに入る。遠くには反対側に通じていると思しき道路が見えるがあそこまでいって間に 合うものだろうか。船は40分で出てしまうのだ。そう考えながら早足で歩く。少し手前に曲がる角があるので、南口方向(と信じた方向)に 曲がる。幸いな事にすぐ先に地下通路がある。ありがたや。これがなければ、はるか遠くまで回らなければならないところだった。

地下通路をくぐり抜けると波止場らしきものが見える。どこに行けばいいか迷うかと心配していたのだが「回天の島」とかなんとか大きな文 字がある。あちらにいけばよかろう。てくてくひたすら歩く。すると道ばたに回天の模型(多分実物大)があることに気がつく(写真は取り損 ねただって、急いでいたから撮ってられなかったんだもん)ここで間違いない。ここにあった次の句は一番印象に残っている。

「若人が命を散らした海。今はスナメリを抱く」

とかなんとか。というわけで少し先にある建物にはいる。券売所とおぼしき場所にいって「すいません。一枚御願いします」というと親切な 男性がきて「どうぞ」という。そこにあるのは時刻表だ。私は

「あの、乗船券は」

と聞くとすぐそばにある自動販売機で買ってくれと言われる。あわてていると、こんなはっきりと目立つものさえ目に入らない。

とにかくチケットを買うと今度は乗るべき船を目指す。

連絡船

これである。船名が「回天」だ。だからといって独り乗りではないし、弾頭がついているわけでもない。ただ思ったより小さかったので少し 驚く。船室にはいると何人か乗っている人がいることに気がつく。観光客然としているのは私ともう一人だけ。後の人達にとっては日常の足な のだろう。

船が出発してしばらくするとチケットを集めにくる。船はひたすら前進する。はるか彼方にはなにか島があるからあそこを目指しているのだ ろう。18分ほどの短い航海だが、少しだけ退屈する。まだかなーと思っているうち島が近づいてきた。波はほとんどなく揺れる事もない。

このあと3カ所に止まるはずなのだが、馬島でかなりの人が降りる。降りて一番最初に気がつくのはこの大きな看板だ。

看板

将来の事というのは誰にもわからない。回天基地をこの島に作った人達もまさかそれが観光資源になるとは思いもしなかっただろう。回 天の試験場と回天記念館は方向が異なる。まず回天記念館に行く事にする。小さな家のようなバンガローがいくつもならんでいる。ここ でキャンプをすることもできるのだろう。その後ろには小学校、幼稚園がある。それらを右手にみながらてくてく歩き続ける。帰りの船は一時 間半後に出る。それを逃すと2時間船はこない。ここで2時間のんびりするのも悪くはないが、できれば次の船に乗りたい。

などと考えているうち、こんなものが見えてきた。

階段その1

階段その2

地獄の階段とのこと。確かに急だが、それほど長い階段でもない。ここが地獄とはどういうことであろうか、と考える。そのまま進むと頭上 の木が少し増えている。しかしここは進むしか無い。

と考えたのは間違いだった。まもなく広い道にでてしまい、「回天記念館」と書いた看板の矢印はいま来たばかりの方向を指している。つま り先ほどの「地獄の階段」のところで方向転換をすべきだったのだ。ええい、と思い引き返す。頭上に広がる桜の葉(多分そうだ)から毛虫が 落ちてくる恐怖に耐えながらも、ひたすら歩く。進むべきと思しき方向はこんな様子だ。

上り坂

つまり上り坂なのである。ええい、これしきのこと、と登り始める。しばらくすると休憩所がある。

休憩所

暑いとき、寒いときはここで休憩したくもなるだろう。しかし今の私にそんな心の余裕はない。ひたすら坂を上り続ける。そのうちようやく 目的地が見えてきた。

回天記念館

回天記念館である。入り口に展示してある回天にも心惹かれるがまず記念館にはいることにする。大人は300円とのことだが、券売り場と 思しき場 所に誰もいない。すいませーんと言うと奥から出てきてくれた。お金を払うと少し先から何か音がする。入り口近くの一角でビデオを上映して いるらしい。上映時間は24分とのこと。まだ始まったばかりのようなので腰を落ち着けてみることにする。

いつ収録されたものかわからないが、当時回天乗組員として訓練をしていた人達がインタビューに答えている。どのような生活を送ったの か。どのようにして志願するに至ったのか。そしてどのように出撃していったのか。

彼らの言葉を聞きいろいろなことを考える。時は戦争中。「敵」がところかまわず爆撃、銃撃をしてくる。そして遠からず本土にも上陸して くるだろう。そうしたら家族はどうなるのか。

乗り込むのは命中すればどんな巨艦でも葬り去る事ができる兵器。そう考えれば「迷いが無くなった」という言葉も私なりに納得して聞く事 ができる。爆弾もって戦車に体当たりしろ、などと失敗高確率の任務を課せられるよりどんなに「良い」か。

後から、あるいは離れた場所から考えればいろいろな事が言えるが、ほとんどの場合「その場」の人間は狭い範囲でしか考えたり行動したり できないものだ。同じ釜の飯を食べた仲間が先に行ったということになれば、どんな気持ちになるものだろうか。事故で死んだ人、出撃した 人、出撃の機会に「恵まれず」生き残った人を分けた のは、なによりも偶然だったのだろう。

死と向き合い考え抜いて自分なりの結論を得た後は、気分が晴れやかになり、ご飯がおいしく、毎回食事をするたび「あと何回食べられる か」と考えていたとの事。その「明るさ」についていろいろ考える。そのように「思い切った」状況にはなかなか立てるものではない。

そんなことを考えながら、展示を観て行く。それぞれの攻撃隊がとった写真がある。いくつかの写真でその表情はとても明るい。今大学生を やっている私の姪や甥達と表情だけはそう変わるところはない。しかしその心中はどうであったか。そして私もこの年になれば、彼らの父母が どのような気持ちであったかにも考えが及ぶ。

遺書の中で唯一写真を撮ったのはこれだ。

遺書

お父さん、お父さんの髭は痛かったです。
お母さん、情は人の為ならず。
忠範よ、最愛の弟よ、日本男児は「御盾」となれ。
他に残すことなし。
和ちゃん、海は私です。
青い静かな海は常の私、逆巻く濤は怒れる私の顔。
敏子、すくすくと伸びよ。
兄は、いつでもお前を見ているぞ。

世間的には「海は私」のほうがアピールするのかもしれないが、父親としては「髭が痛かった」のほうが心に残る。

壁面には「烈士」の写真が並ぶ。その仰々しい言い方には少し考えさせられる。その前には回天の断面を表した模型が展示されている。首を 捻るのはそこにつけられているこの注釈だ。

拡大図

なぜ本物より微妙に大きな模型を作ったのか。その疑念は裏に回った時に氷解した。

説明

つまり映画の撮影用に作ったのを展示している、と。映画の撮影用であれば、多少寸法が違っていても問題ない。この模型作るのにも お金かかるしね。Wikipediaによれば、映画で主演した俳優が当時の隊員達より大柄で、このサイズにしたとのこと。

回天の実物ではなく撮影用の模型に、より大柄になった日本人が乗り込み演技をする。これは彼らが望んだ「平和な国」の一つの姿かもしれ ん。

といったところで記念館から外に出る。外には回天の実物大模型が飾ってある。

回天

これに乗って日々訓練を重ねていたとの事。というか回天は本来魚雷なのだが、訓練用に何度も再使用できる、というのは始めて知った。最 初は直線で往復。次に狭い水道をくぐり抜ける訓練、そして航行中の船を狙う訓練などをしたという。その訓練中に殉職した人も多かったよう だが、訓練すら困難だった一部の特攻専門機に「比べれば」こちらのほうがはるかにマシだったのかもしれない。模型が指す先には静かな海が 広がっている。

静かな海

私は元来た道を引き返し始める。入り口近くにこの場所の来歴を書いたプレートがあることを知る。終戦直後ここに碑が建てられた。10年 後生き残った者達が集合したとき、その碑は何者かによって破壊されていたとのこと。そこから苦労して寄付を募り本日あるように記念館を 作ってきた経緯が書かれている。考えてみればこうした記念館が地から湧いてでるわけではない。こうした苦労あってのことなのだ、と今さら のように思い当たる。

しばらく歩いて行くと先ほどの休憩所に着く。少し中を覗いてみる。誰もいない。ラジオがなっており、オウム真理教の逃亡犯が捕まった事 を繰り返し述べている。壁にはいろいろなものが貼ってある。

特攻一覧

特攻は何も第二次大戦の日本に限った事ではない、といいたいのだろうか。あまりにも「素朴」なそこから読み取ることは容易ではないが。

そこを出て元来た道をひたすら戻る。こうした場所の常として常に帰り道は行きより短い。先ほどの展示内容より、今小学校、幼稚園があっ た場所に工場が建っていた事を知る。

小学校

あっというまに回天試験場への分岐点にたどり着いた。時間はまだたくさんある。観に行くこととする。

トンネル

このようなトンネルが延びている。同時に視界の中で何かが動いたのに気がつく。私がずっと恐れていた毛虫だろうか。注視するのも怖い が、正体を確かめないわけにはいかない。

フナムシ

フナムシである。そういえばここは海岸すぐ近くなのであった。少し安心した私はひたすらトンネルの中を歩き続ける。フナムシがそこら中 を走って行く。先にトンネルが広くなっているエリアがある事に気がつく。

そこにさしかかった途端、音声が流れ始める。壁に写真が掲げられているのだが、それとともに音声の説明もついている。とはいえのんびり 聞いている時間はない。先をいそぐ。トンネルを出るとこうした光景だ。

試験場

さっきみたビデオの中で、元隊員が「昔と変わらない。ただしクレーンはなくなった」と言っていた光景である。建物に到着すると、穴が二 つあることに気がつく。

試験用の穴

ここからクレーンで回天をおろしたとの事。

しばし辺りを見回すと再度道を戻る。港にたどり着くと船がくるまで時間があるようだ。腰をおろしてぼんやりする。間もなく到着した船を みれば、車を載せられるフェリーである。

フェリー

上陸用舟艇だ、などと言っている場合ではない。客室に乗り込む。その昔新島出張の際使ったような床に座り込みPCを広げる。この文章の ほぼ半分は船の中で書いた。

などとやっているとあっというまに徳山に着く。

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注釈