五 郎の 入り口に戻る
私は青森県、三沢駅で唖然としている。何故こんなところにいるか聞かないでほしい。とにかく来てしまったのだ。
いや、唖然としている暇はない。青森屋というホテルだかなんだかの西館にたどり着かなくてはならない。事前に配られたパンフレットには丁寧に道案内がなされていた。過剰とも思えるほど。しかしその「過剰な丁寧な道案内」が必要な理由を知るのはその後のこと。
歩き始めるとすぐ「青森屋」の看板が見える。なんだ簡単ではないか、と安心したのだがそれは話の一部でしかない。敷地に入ったはずなのだが、目的の「西館」がどこなのかまだわからない。もらったパンフレットを眺めつつ、こちらと思う方向に歩いているだけだ。
まもなく高いビルというかホテルの建物が見えてきた。きっとあれに違いない。しかしその奥に見えるのはなんだろう、そして我々が歩いている脇には、廃線となったとおぼしき鉄道が走っている。ここは一体なんなのか。
そんな疑問を抱きながらも、西館にたどり着く。仕事はほぼ西館で完結するのだが、夕食を食べたり、風呂に入ったり、あるいはフロントに鍵を返す為に本館とか東館と呼ばれる部分に出入りする。その度に
「実はここは街ではないか?」
という考えが頭をよぎる。旅のしおりに
「昼食は、青森屋の中に何軒かあるところでもとれます」
と書いてあり、ホテルに複数のレストランがあるのはあたりまえ、と思っていたのだがどうもそういうレベルではないようだ。などと一人で喜んでいるのもなんなので中の様子を紹介しよう。
二日目の朝撮ったのがこの写真。線路にそってずっと建物が続いているが、ここに見えているのはほとんど青森屋の建物である。駐車場の広大なこと。
本館、西館、東館は地下でつながっている。たとえば朝食をとる場所はこんな様子である。
これだけなら特に何を言う事も無い。その先、通路の両側にはこんなものが並んでいる。
昔の人が食べた食事なんだそうな。朝昼晩+季節のバリエーションがついていたように思う。肉や魚は貴重品だったことが伺えるのだが、これは誰に向けたものなのだろう。小学生がここに社会科見学にくることがあるのだろうか。反対側の通路にはこんなものが並んでいる。
「郷土史博物館」にあるような先祖伝来のあれやこれやが説明もなく並んでいる。いつも思うのだが、こういう「お宝」ってどこに仕舞ってあるのだろうね。やっぱり蔵があるのだろうか。
しかし忘れてはならない。ここは郷土史博物館ではなく、ホテルなのだ。というわけで少し進むとこういうものがある。
カラオケの部屋が3部屋あるのだろう。ここで注目したいのは「ブギウギ」「ブルース」「マンボ」という言葉の懐かしさである。というかこういう言葉に懐かしさを覚えるのも私の世代までか。今の若い人はこんな単語自体知っているのだろうか。
というわけでここらへんからいろいろなお店が建ち並ぶことになる。
まずでてくるのが「どこにでもあるが、人が入っているのを見た事がない」顔とか全身のマッサージ屋である。このあたりは夜に通るといつも客引きの人が立っているがにっこり「結構です」と言えばよい。こういう店ってあちこちにあるけど、もうかるのだろうか。でもってそれぞれの「店」が木造であることに注意しよう。木造の建物にはこういうものが貼ってあるのだ。
「ヨクキク」がカタカナになっているところが美しいし、よく見ると井戸とか、木造の電柱とか。ちなみに電柱にはってあるのは
「三菱メイキ エンジン」
という文字であり、研修でしばらくこの「三菱重工業名機」で昼飯を食べていたことがある。しかしなんだね。このプレートをみて
「そうか。じゃあ三菱重工製のエンジンを買おう」
と思った人はどれくらいいるのだろうか。
というわけでここからは「屋台村」が続く。まず見えてくるのはたこ焼き屋。その先もずっと店が並んでいる。ここで視線を通路の反対側にうつしてみよう。
このように座敷が並んでいる。夜になるといろいろな団体が使ってほぼ満席になる。それとともに原色のユニフォームを着た「パーティーコンパニオン」と思しき女性もちらほら見られた。20年以上前、労働組合の委員をしていたとき、こういう女性が同席している宴会にでたことがあったなあ。あの頃「おじさん」と思っていた人より今の自分は年上になってしまったのだろう。家庭を持ち親になった今であれば、当時コンパニオンを呼んでいたおじさんたちの気持ちが少しはちゃんと理解できる気がする。
その先にもいくつか屋台が並んでいるが、そこをすぎるとまた「郷土師博物館」モードに戻る。
靴に取り付ける形のスケートだそうな。今だったら「安全性がどうの」とうるさくいわれることだろう。
ここらへんになると「えっ、これがレトロ?」と思うが考えてみればうちの子供の弁当箱は全部プラスティックだ。いや、プラスティック性の弁当箱は弁当保温器で溶けてしまうから好ましくない、とは誰も言わんのだろうな。アルミの弁当箱に梅干しをいれると穴が開くからアルマイトにしましょう、という話は今の「科学のふしぎ」には乗っていないのだろう。
このように郷土史について学ぶのも楽しいが、油断は禁物。ゲームコーナーの入り口にこんな張り紙があったりする。
スギちゃん風のUFOキャッチャー実況に猫日和である。この張り紙を作っているのは一体どんな人なのだろう。ああ、猫ちゃんであることだなあ。
といったところで元来た道を戻る。今日は荒天のため、灯籠流しというかそういう類いのものが中止されたらしい。というわけで灯籠が並んでいる。こうした「人の願い」を書いた絵馬とが短冊というのは常に強い印象を与えてくれる。なかでも切実なのがこの灯籠。
そうだよね。休みが欲しいよね。隣には「ディズニーランドに行きたい」という可愛らしいお願いもあるのだが、会社員としてはこちらのほうに涙する訳だ。
明けて翌日。外からの風景をとろうではないかと早起きをする。しかし外をみて愕然とする。雪がしんしんと降っているのだ。いや、しかしこれしきでくじけてどうする。というわけで傘をつかむと外に出る。
これが青森屋内部を走っていたであろう廃線である。線路は赤錆ており、ここがいつから使われなくなったのかもわからない。逆にホテルの敷地内を電車がごーごー走っていた時はどんな風景だったのだろうか。
この時点で私は何度か冷や汗をかくような思いをしている。二日ほど前に雨が降りそれが凍った上に雪が乗っている。足が滑る度「慎重に歩かなくては」と思うのだがそれでも滑るものは滑る。すってんころりんして、骨折したりするのはいやである。などとつぶやきながら歩を進める。おそらくは挙式のみに用いられる教会が建っている。それ自体は何もおかしいところはない。(普通のホテルなら、建物内のワンフロアで済ませると思うが)気になるのは隣にあるこの「何か」である。
三沢駅から歩いてくる時、初めに目に入り驚愕したのはこの像であった。今こうして見ればおそらく手に持っている鐘がころんころん鳴るのだと思うがその時は
「俺は雪が降る中、何を見ているのだ」
と唖然とするばかりである。雪はますます激しくなってきており(この場所のアレンジをしてくれた人に言わせると、雪のうちにはいらないのだそうだが)私はどこまで進むべきか悩み始める。
ここで転び動けなくなれば、私は冷凍されることだろう。しかたがない、と来た道を引き返す。
雪の彼方に別の建物がかすんで見える。当初は行ってみるつもりだったが、足下はますます危うい。あの雪の彼方まで行けば行き倒れは避けられない。しかたない。本館の方に戻ろう。
これが西大門である。鉄道の窓から見えるもっと趣がある大門もあるのだが、遺憾ながらそこには到達できなさそうだ。後からサイトをみて知ったのだが、私が歩いた範囲は、青森屋のほんの一部分でしかない。今回行けなかったところには何があるのだろう。またこの「小都市」に戻ってくることがあるだろうか。
これがあちこちに貼ってあったポスター。「第一回青森屋杯争奪芸能大会」これはまさしく街で行われるイベントではなかろうか。
仕事が終わりになる。私はぼーっとする。しかしそこでへたりこんでいる場合ではない。まだ行く場所があるのだ。