五 郎の 入り口に戻る
私は小田原駅で唖然としている。なぜこんなところにいるのか聞かないで欲しい。とにかく来てしまったのだ。
いや、唖然としている暇はない。今日の目的地はまだ先にある。箱根登山鉄道という電車に乗る。電車の中はどこかリゾートの雰囲気がある。平日朝なのだが、やはりこれに乗っている人は休暇中の人が多いのだろう。かたこと電車はゆっくり走る。二駅目が風祭である。
ここで降りるのは私くらいだろうと思っていたら、他にも何人かが降りる。目的地は徒歩2分ということだったので、近いだろうと思ってはいたがまさかここまでとは思わなかった。いや、私は何も解っていなかった。風祭駅で降りる、という行為が何を意味するかを。
下り電車のホームを降りるとこんな改札がある。
その先は一直線にこの建物につながっている。
駅からの道路が蒲鉾販売店直通である。ここから逃れる術は無い。まだ博物館が開くまでは時間があるので、蒲鉾でも見ようと思う。もともと買う気はないけれど。そう思いながら気軽に足を踏み入れた。自分が何に足を踏み入れたかも知らずに。
いや、蒲鉾は蒲鉾だ。魚の白身をすりつぶし、板につけて蒸すとかなんとかそんなことは知識として知っている。しかし何事も断片的な知識で満足してはいけない。まず入り口近くにあるのがこれだ。
一番奥には潜水艦を模した何かがあり、子供をつれてくればさぞ喜ぶ事だろう。しかしこの「子供コーナー」の奥深さはそこではとまらない。子供といえばトミカが大好きだ。ミニカーあり、プラレールあり。しかしあなたはそれらに「かまぼこ」があるのを知っているだろうか。
お分かりだろうか?トミカとはかまぼこであり、プラレールは蒲鉾。つまり世の中すべて蒲鉾なのである。
いや、これでは喜ぶのは男の子ばかりだとあなたは言うかもしれない。女の子はどうしてくれる。よろしい。ではこれはどうだろう。
お弁当にもおやつにも、キラキラシールつきのリカちゃんハートかまぼこである。わかってもらえただろうか。私がこの日まで知らなかった蒲鉾世界の広がりがどんなものか。いや、まだ話は始まったばかりだ。
あなたは蒲鉾がいくらするものか知っているだろうか。自慢じゃないが私は知らない。だって自分で買ったこと無いんだもん。しかしこれからは自信をもって高級蒲鉾がいくらするか答えることができる。
税込み一本1650円である。蒲鉾一つが映画を見るのとほぼ同じ値段。これが高いのか安いのか私にはわからない。ちなみにここは「高級蒲鉾」と銘打たれたコーナーで、「何もつけずに御召し上がりください」と書いてある。それほど味に自信があるなら、と思わず一本買おうとは思わなかった。しかしゴミ映画に1800円費やしてしまうことを考えれば、一本くらい購入するべきだったのかもしれない。
そして今日は2月の初日であることにも思いを馳せる必要がある。2月といえばバレンタイデー。思えば10代のころは今頃からそわそわしていたなあ。疲れた中年にとってこの言葉は思い出を呼び覚ます効果があるのだ。何故そんなことを言い出したかといえば、こんなコーナーがあるからである。
チョコレート業界にとっては年に一度の稼ぎ時だろうが、バレンタインにはチョコレートという固定化した図式に従うばかりでいいのだろうか。なんでもありのホワイトデーを見習いもっと自由に発想するべきではないのか。というわけで蒲鉾である。ここにくれば、蒲鉾がラブレターに大変身だ。
こ、、これ受け取ってください、と少女が言うなり何かを渡し、駆け出して行く。手に渡された物をみればそれはずっしりと重い。チョコにしては巨大すぎる。はて何だろうと思えば紅白の蒲鉾。この贈り物に心を動かさない男がいるだろうか。たいていの人はビビり、そして自分の身の振り方について真剣に考えることとなる。
といった調子で私は蒲鉾界の奥深さに驚嘆する。しかしまだ本来の目的地には到達もしていないのだ。その建物を抜けると何かが聞こえる。静かに「蒲鉾の歌」が流れている。歌詞は聞き取れないが蒲鉾を誉め称えていることについては自信がある。しかし今はその歌に聞き惚れている場合ではない。
これが本来の目的地蒲鉾博物館である。入り口にはお約束のこんな顔ハメがある。
もちろん自分で顔ハメをしたりはしない。さっそく中に入る。朝一番からここにくる人間など私くらいだろうと思っていたがそんなことはない。家族連れが何人か「かまぼこ手作り体験」を申し込んでいるし、小学生とおぼしき集団もやってきている。私も家族とここにくる事があれば、かまぼこ手作り体験などやってみたいものだが。
というわけで私は一人で中を見て回る。小学生からすれば私は年配の先生のような年頃だ。目が合うと「どうも」みたいに軽く挨拶して道を開けてくれる。一階には蒲鉾の作り方などがあれこれ書いてある。
これが何かといえば、蒲鉾の弾力を説明するための模型なのだそうな。ぐいっと押してみると確かに弾力がある。その向こうには蒲鉾の材料となる魚の模型が飾ってある。
これが「イサキ」だ。なぜイサキに反応するのだ、と言われても困るのだが、イサキはとれたのだろうか。とれたら蒲鉾にしよう。名前の語感からもっととんがった魚かと思っていた。こんな魚なのだな。
こんな「蒲鉾の作り方」を説明する絵もあり、小学生たちが一生懸命メモをとっている。「今日は蒲鉾の作り方を学びました」とか文章を書くのだろうか。小学生たちは気にしていないがみやげものコーナーもあり、こんな人形がある。
こちらは蒲鉾ではなく、ちくわである。思わず買いそうになるがぐっとこらえる。2階にあがる階段はこんな変わった形になっている。
どうもこれは子供向け遊具でもあるようだ。一番奥には穴が空いており、子供が潜ったりできるようになっている。私はもう良い年なので、素直に階段を上ろうとする。その先にはこんなものもいる。
かまぼこ天使なのだそうな。そのまんまではないか、という突っ込みををすればいいのか、いやあるいは芸術作品とはこうしたものかもしれん。階段の横に看板があり2階には
「かまぼこ板絵国際コンクール 小さな美術展」
があると書いてある。なんと国際コンテストではないか。2年に一度開催され、多いときで一万件を超える応募があるとのこと。では2Fに飾られている作品を見て行こう。
これらは「蒲鉾板」という素材の形状をうまく利用して絵の形を工夫している例と言える。もう少しひねりのすくないものとして「チョコレート板にみたてた」ものもあるが、ちょっと理屈が勝ちすぎているかなという気がする。子供の部と大人の部があるのだが、やはり大人の部は上手な分だけ常識的だ。
私が気に入ったのはこの「レシート」発想が面白いと思う。そしてこうした「普通の人の部」の反対側には「招待された人達」の作品が並んでいる。この顔ぶれがすごい。手塚治虫に 「ちばてつや」それにアンパンマンの人から鬼太郎の人までいる。しかしそれらはどちらかといえば
「持ち絵をたまたま絵を蒲鉾板に書いてみました」
というものが多いのも事実。もちろん忙しい「先生方」にそんなことを求める方が間違っているという意見もあろうが、そこをちゃんと考えた人もいる。
これを書いたのは八代亜紀。彼女が絵を描くことは知っていたが、この工夫は面白いと思った。
といったところで蒲鉾博物館の見物はだいたいおしまい。小学生はまだ一生懸命に見学をしている。ガラスの向こうでは何人かの人が一生懸命蒲鉾を作っている。この人達だけは撮影禁止。なんでも集中力がそがれるからとのこと。というわけでカメラをしまいじっくり作業を見物する。自分に絶対できないだろうと思う仕事は多いがこれもその一つであることだなあ。というわけで風祭を後に本来の目的地に向かう。