五郎の入り口に戻る
身を切るような寒さとは比喩のはずだが、今日はそんなことを考えていられないほど寒い。実際に身が切れているのではなかろうか。しかし時間がない。昼休みの間になんとか目的地にたどり着く必要があるのだ。
というわけで私は歩き続ける。最近はiPhoneで地図と現在位置を参照できるのがありがたい。(電池が持っている限りは)なんどか道を曲がると目的地が見えてきた。
おそらく今は営業していないであろう旅館である。交差点には「新地西町」なる表示がある。調べて初めて知ったのだが「新地」という地名はもと遊廓とか赤線地帯があったところなのだそうな。事の真偽はわからないが、この旅館もそうした施設が転換したものだ、という説がある。
壁に一面のタイルがあるとともに、屋根の一部に青い色が見える。この色にはこのあと何度か遭遇することになる。
その旅館に並んでいる建物だが、この斜めになっている玄関もそうした建物の名残とのこと。とはいってもなぜ斜めになっているのかはわからないが。
またその隣の建物もよくみれば一面タイルが貼られていることに気がつく。
そこから奥に入っていく。少し進むとこんな建物が目にはいる。
現在は廃屋となっているようだが、何度も何度も増築された跡が見て取れる。そしてやはり「青い」壁が存在しているのであった。
ここも一つの玄関が斜めになっている。タイルが残っていることに気がつくと何を見ても「これは元..」と考えるようになる。
ここも青色だとか。そう考えるとやたらと青色が目につくようになる。
これらの建物が色鮮やかだったころ、この通りはどんな様子だったのだろう。
検索してみると、こうした旧赤線地帯を扱ったサイトはいくつもある。近年このような建物は取り壊されることが多いようだがここには残っている。下関にはこの新地エリアだけではなくいろいろなところに古い建物が見て取れる。例えば駅前からのびる大きな通りに面したこの建物などなかなか味わい深い。
考えてみたら「ビル」の入り口にこういう扉って見たことがないような気がする。
私が住んでいるエリアは、30年前「横浜のチベット」と呼ばれていたらしい。つまり古くても30年以上の建物はない。実際に住むのであれば新しい建物が便利なのだが、そうした物ばかりに囲まれているとこんな建物を見つけた時ついシャッターを押すことになる。
私が泊まったホテルの周りは、道が楕円状になっていた。「なぜこうなっているのですか」とフロントで聞いたら、昔海岸線があったらしいとのことだった。そしてその楕円の中心にはこんな光景がひろがっているのであった。
あの坂の上にある由緒正しそうな建物はなんですか?と聞いたところ「いや、あれは別に大したものではありません」とのことだった。「いや、だって石垣あるし、レンガ造りだし」とか思うのだが。
ちなみにその建物の前を通っていくと、こんなアパートがあることがわかる。
なぜ階段にロープが、と思うがきっと理由があるのだろう。昔の建物は人間に優しくできていない。手すりをつけるより確かにロープをたらしたほうが安価。私もだんだんこのロープのありがたみがわかる年になってきたな。