題名:巡り巡って
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通勤電車に乗る。いつもの駅で降りる時
「このまま終点まで乗って行きたい」
と思う人は多かろう。そんなことを考えながらぼんやりとする。いつしか自分が本来降りるべき駅を過ぎたことを知る。何故かと問わないでほしい。とにかく今日は終点ひとつ手前まで行くのだ。
とはいえ先は長い。地下を走っていた電車はいつしか陽の当たるところにでる。かたこんかたこんと千葉駅を通る。ここには見覚えがある。この近くに千葉大学があり、そこで空手の練習をしたのだ。歌を歌いながら行進したりしたのだ。何のことかわからないと思うが、私にもわからない。私に何がわかるというのか。
そのうち街並みが途切れ、田んぼが続くようになる。外は晴れて車内は明るかったのだがなにやら薄暗くなってきた。外をみれば霧が発生している。そのうちアナウンスが流れる。濃霧のため接続列車が遅れており、駅でしばし停車するという。仕事の人は慌てるかもしれないが、私は目を閉じもう一眠りしよう。
そのうち電車は動きだす。いつも思うのだが、空港には2種類の人がいる。旅行者と空港で働く人だ。空港はそれ自体巨大な都市のようなもの。今は朝の通勤ラッシュ時間帯。
それゆえ空港第2ビルという駅でたくさんの人が降りる。何人かは大きなスーツケースをもっているが、手ぶらに近い人たちも多い。その人たちは旅行のどこか浮ついた雰囲気とは関係なく、まっすぐ歩いていく。職場に向かうのだ。そして改札をでたところで私は目的とする看板を見つける。そちらに少し進んで、仕事に行く人たちを眺める。
たくさんの人が小走りで通り過ぎていく。しかし私が行く方には人がいない。角を曲がればこんな光景が広がる。
私が向かうのは京成線の東成田駅。実はここに行くのは初めてではない。私の記憶が確かならば、30年前に行ったことがある。
卒業直前の春休み、私は卒業旅行に行った。その時成田空港というのは一旦鉄道の駅をおり、そこからバスで行くところだった。バスが通るゲートのものものしさは今でもぼんやり覚えている。
「ジャンジャカジャーン。空港の真下まで乗り入れました」
と小泉今日子がシンバルを打ち鳴らしたのは1991年である。それまでこれから行く東成田駅が「成田空港駅」だったのだ。そして私が今見ているのは空港第2ビル駅から東成田空港駅につながる通路。500mでそれほど長いわけではないが、一直線でしかも高低差が適度にあり、先が見えない。おまけに人がほとんどいない。壁はこんな様子だ。
この力いっぱい色あせたポスターが壁にある数少ないもののうちの一枚。ある記事によれば、かつては歴代の「はにわ祭り」のポスターがあったらしいのだが、ほとんどが空になっている。そんな道をひたすら歩き続ける。しばらくして前方に曲がり角が見えてきた。きっとあそこを曲がれば展望が開けるにちがいない。そう思って角を曲がる。こんな光景が広がる。
人間に恐怖を感じさせるものはいくつもあるが
「何をしても同じ風景が続く」
というのもそのひとつではなかろうか。ポスターが並んでいる壁が反対にあるのが唯一の相違点。いや、この通路の地図をちゃんと見ていればこうなるのは予見できたはずなのだけど、それでも角を曲がってまた全く同じように通路が続いているのは人を畏怖させる光景だ。
とはいえ500mのうち400mは来ているのであり、ゴールは遠くない。そのうち前方に違った光景が広がる。それをみて私はまた不意を突かれる。ほとんど人がいないと想像していたのだが、先ほどの空港第2ビル駅に勝るとも劣らない人通りがある。駅の写真を撮りまくろうと思っていたのだが、これだけ人目がある中カメラなど振り回しているとまるで不審者だ。いや、別にカメラ持ってなくても不審者かもしれないけど。
しかしそのうち何が起こっているかを理解することになる。成田空港は広く、ここに勤めている人にとって「最寄駅」がどこかは様々だ。つまり東成田駅が職場に近いという人がたくさんいるわけ。私が見たのはその「朝のラッシュ」だったのだ。
電車から降りた人がいなくなると駅ががらんとする。罰当たりの私は駅構内をキョロキョロしだす。こんな立派な壁画がある。
隣にあるプレートの文言は、かつてはここが「現代の空の表玄関」であったことを示している。いまやこのプレートの前を通るのは職場に急ぐ人たちばかりだが。
壁画の左側を見ると、なにやら駅の一部が囲われていることに気がつく。囲いの隙間越しに中の写真を撮る。
後から理解したのだが、この駅にはもともとホームが4っつあった。今はその半分しか使われていないため、閉鎖されたホームにつながる部分がこのように「物置」と化しているらしい。私と同じく柵の隙間からカメラを差し込んでいる人がいることに気がつく。その人は空港第2ビルに向かったようだ。
私は芝山鉄道の改札をくぐる。PASMOが改札の機械に対応しているようだが、券売機をみると「芝山鉄道ではPASMOが使えません」と書いてある。京成線から降りてくる人のためにあの機能があるのだろう。というわけで最近滅多にやらなくなった「切符の購入」をして改札の中にはいる。電車はしばらくこないので駅構内をうろつきまわる。
トイレの脇がこんな風になっている。囲いの上部から何かがはみ出している。例によって隙間からカメラのレンズを差し込み写真を撮る。
ここはかつて営業していた喫茶店とかそういう類のもののようだ。きっと無意味に値段が高かったんだろうな、とかそんなことを想像する。くるくるまわるフォントが歴史を感じさせる。
脇のトイレにはいって気がつく。ここは実に「バリアフル」だ。入り口には階段があるし、中も不必要(今になるとそう思える)に凸凹している。そういえば昔駅のトイレって理由は知らないが階段で登っていくものであったなあ。何か理由があるのだろうが、腰痛持ちには辛い壁以外の何物でもない。
ホームに降りるとまたぶらぶらする。今は使われていない「反対側」のホームが見える。
おそらくこれが30年前の私がみた光景。ここは成田空港であり、次の駅は成田。私はあのベンチに座っていたのだろう。そして国際空港の駅らしい、日本を紹介するこの写真を見ていたのかもしれない。
ヨーロッパ旅行の帰りに手違いから空港券が行方不明になるというトラブルに見舞われた。いまなら紙のチケットがなくても大丈夫だが、当時はそうではなかった。キャンセル待ちをしてなんとか日本にたどり着いた。到着間際にみた「日本紹介」のビデオは今でも思い出せる。
そして帰りの電車をベンチで待っていた私の前に機動隊員が立った。(当時はホームにそういう人がいたのだ)全く身に覚えはないがぎくっとする。相手は
「どこに行かれたんですか?ヨーロッパですか。いいですね」
と穏やかに言った。今思えば、学生と思しき人間は一応チェックすることになっていたのかもしれん。しかしその言葉にはそうしたとげとげしさは感じられなかった。
そんなことを考えながらホームをぶらぶらしているうちに電車が到着した。京成線直通であるから人がたくさん乗っている。みんなここで降りるかと思えばそんなことはない。読んだ記事ではこの列車には必ず警察官が同乗しているらしいのだが、そんな姿も見かけない。普通の通勤電車(ちょっと空いている)である。
間もなく電車は地上にでた。先ほどまでの濃霧も消え綺麗な青空が広がっている。定義によって芝山鉄道には始発駅と終着駅しかない。ほどなく電車は芝山千代田駅に着いた。
芝山千代田駅から見える光景がこれである。理由はわからないがこの辺でははにわが名物らしい。はにわの手前に見えるのはおそらく夜になると光る旅客機なのだろう。
終着駅だから人がどさどさ降りるかと思えばみなそのまま座っている。これはどういうことなのか。駅のホームを歩きながら
「そうか、この人たちはこのまま折り返しの電車に乗るつもりなのだ」
と考える。そのときはものすごく冴えた推理をしたような気がしたのだが、よく考えてみたらこの鉄道は30分に一本しかこない。もう8時半なのに、座るためにわざわざ30分無駄にするとはどんな重役の集まりだ。そのうちどっしりと座っていた人たちがぽつぽつ立ち始めた。単にこのまま動かないから急ぐ必要もないとかそういうことなのだろうか。
駅をでてすぐのところにあるのがこの看板。ここは芝山中心部にすら到達していないらしい。はたしてこの鉄道が九十九里浜まで伸びることはあるのだろうか。
などと物思いにふけっている間に、あれだけ乗っていた人はどこかに消えてしまっている。みな駅からどうやって移動して、どこに行ったのか。いつも通勤電車を見るたび思うことだが、世の中は私が想像もつかないほど様々な仕事があり、職場がある。あの人たちはどこでどんな仕事をしているのだろう。
などと感慨にふけっているとなにやら食べ物の匂いがしてくる。
その場では何も感じなかったが、ここは看板と異なり「売店」ではなく「食堂」ではないかと思う。外観からすると営業しているかどうか不安になるが、ちゃんとお客さんもいる。
さて、そろそろ前に進むべき時のようだ。さっき改札でもらった割引券を使うかどうかはわからないが、とにかく次の目的地はここ-というかここに隣接する施設だ。
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