題名:Osaka Bay Blues

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日付:1998/1/10

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Osaka Bay Blues

 

1章:In the Hikari Super Express

 

事のおこりは5月の21日である。私は某用事で東京の六本木に出張であった。その日はいわば長らく続いた研究の最終報告だったので、帰りの新幹線は結構はればれした気分であったわけだ。

帰りの指定座席をとって、お弁当を買って席に座った。というか座ろうとした。席の番号を見ながら「どの席なのかな」などと見て行けばとなりに座っているのはなんと若い女の子であった。

東京出張は年に数えきれないほどある。従って新幹線にのる機会も多いわけである。しかし隣に若い女の子が座る機会というのは極めて限られる。その極めて少ない機会に恵まれていて、なおかつ何もしないというのは犯罪ではないだろうか。いやそうに違いない。

といってここですぐ話かけられるわけではない。いろいろなことを横目で見ながら考えなくては行けないのだ。まず相手の年のころを見る。たぶん20代だろう。それならば問題はない。(別に10、30代でもかまわないが、40代だと少しまずいかもしれない)次に左手の薬指をちらちらと見る。指輪はないので問題はない。別にここで指輪があってもお話するだけなら問題はない。単に心構えの問題である。次に彼女が眠そうな顔をしていないか、あるいは「誰にも話かけてほしくない」と顔にかいてないか、あるいはウォークマンを聞いていないか、更にははもう既になにか食べだしてはいないかなどといろいろ気にする必要があるのである。

しかもこれらの判断は私の友達の理論によれば8秒以内に行わなくてはならない。などと書くと大変そうだが、言葉で書くと長い話だが、実のところそんなに面倒なことではないないのである。しかしここで一番考えなくてはいけないことは、仮に話かけてそのあと話が続かなかった場合には名古屋につくまでの2時間なんとなく気まずくなる可能性があることだ。そのきまずさと、成功の確率と成功した場合の楽しさを掛け合わせて、足算すれば、簡単に話かけることの価値の期待値が計算できるわけである。 普通の場合には(と言うか普通の人は)たいていの場合話かけないわけである。まず気まずくなった場合の気分の悪さを大きく考えて、成功の確率を結構低いと考えて、それでなおかつ成功した場合の楽しさというのを過小にみつもるからだ。しかし、私は仮にその総計が負の値であっても話かけることにしている。 理由は別にどうだっていいからだ。

さてそんな私の判断の話はどうでもよろしい。ここで最初に話かける言葉は決まっている。「どこまでいくんですか」 と話かけた。相手はなんとなく下を向きながらも「新大阪までです」と答えた。といっても顔はこちらを向いていない。だめかなと思ってもここでくじけてしまってはなんの意味もない。「いやー大阪は雨かね。おれ傘嫌いなんだけどな」などとむりやりにでも言葉をつなぐのである。

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注釈

Osaka Bay Blues:なんとかという歌手が歌っていた「悲しい色やね」という歌の一節からとった。このタイトルにははみだしYouとPia参考文献一覧へ)のあるネタが必ず結びついて思い出される「Osaka Bay Bluesのところがどうしても”おさかべブルース”と聞こえてしまいます。”おさかべ”とは私から彼を奪った女の名前です。ああ過去が憎い。私はまたこうして一歩流行から遠ざかる。。。」戻る

 

5月21日:たぶんこれは1993年のできごとだったと思う。平成5年か。。。戻る

 

東京の六本木: 六本木と言っても普通の人が想像するような場所でないのは御承知の通り。(これは某官庁のことを言っている。もっともこの官庁があの六本木のどまんなかに座っているものそう長いことではないが)戻る

 

8秒以内(トピック一覧):この8秒理論というのは、私の大学時代の友人が開発した理論である。某心理学理論によれば、となりに見知らぬ人間が来た場合に、完全に「この人間は私とは関係のない人間である」と認識するまでに8秒かかる。従って8秒以内に話かければ「他人」というレッテルをはられる前なので、話かけた場合の成功の確率が高い、というものである。戻る

 

話しかけることの期待値:(話かける場合の期待値)=(成功の場合の楽しさ)×(成功の確率)+(気まずくなった場合の気分の悪さ:もちろん負の数)×(1-成功の確率)戻る

 

私は仮にその総計が負の値であっても:ちなみに米国のジョンソン大統領がベトナム戦争に突入したときの判断もこんなものだったそうだ。日本が戦争を始めたときの判断もにたりよったり。もっとも日本の場合は誰一人実質的な判断はくださず「止む終えない」とみんなで言い合って集団自殺をはかっただけのことである。またついでに言えばこうやって期待値を正確に計算することも官僚主義の壁にはばまれてできなかった。不思議なことだがあまたの天才官僚がはじき出した「総計」は、「負ぶかりとはいえない」というすばらしい答えだったのである。戻る

 

どこまでいくんですか:の話かけかたには例によって深くて長くてばかばかしい理由が付属している。

大学時代に友達とスキーに行った。このとき当時ようやく世の中に出始めたペアリフトに、女性と乗った場合、話かけなかったやつはケーキをおごることとなった。私は当時女に話しかけたことなんかなかったものだから、当然ケーキをおごるはめになってしまった。ケーキを食べながら「何て言って話かければいいんだ」と聞いたらみんなの答えは「どこからきたの」だった。この場合列車に乗っているのだから、「どこからきたの」はおかしい、同じ精神をくめば「どこへ行くの」が正しい質問の仕方だと思われるのである。戻る

 

傘嫌いなんだけどな:よくなくすからである。正確に言えばあるところには必要以上にある。必要な時には一本もない。戻る