題名:Polypus&JMS Live1999/12/19

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日付:1999/12/21

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きっかけ

さて、私が「YDの逆襲Part2」で描いたところの合コンでのことである。私は合コンのドキュメンタリーを書くときに覚えていることは大抵書くのだが、あまりに冗長であったり、あるいは本筋に関係ない、と思われることは覚えていても書かない。この話題もそうした「覚えているが書かなかった」話題だったのだろう。

YDは以前から「ライブにでませんか?」とさそってくれていた。彼らのバンドは私が知っている限りでも年に数回人前で演奏する、ということをやっている。対するに私が所属しているところのPolypus & JMSは非常に「でたがらずや」が多い。やはりメリハリがつかないから年に一度くらいは人前に出よう、という意見がでることもあるのだが、いつのまにかしぼんでいってしまう。この前にも一度おさそいがあったのだがギタリストであるところのStoneが「その月はずっと出張」ということで没になった。

さて、この合コンで彼が所属しているバンドの話題が語られたとき(実のところ男性参加者のもう一人、SG−2もYDと同じバンドに所属しているのだ)彼は「12月19日に人前でやる機会があるんですけど、どうですか?」と言った。

私はふと考えた。私自身は「一年に一度は人前でやろう」派である。しかし今日はもう10月の23日だ。本番までに2ヶ月しかないし、それでなくても多忙なStoneは未だ出張中で、いつ帰ってくるかわからない状態である。私は大変あやふやな口調で「うむ。それではメンバーの意見を聞いてみる」と言った。

さて、私が「YDの逆襲-Part2」を公開する前にYDに読んでもらって意見を聞かせてもらったその同じメールで彼からライブの案内がとどいた。最初は「ずっと前から出演者を募集しているので、もううまっているかもしれません」ということだったが、彼から再度来たメールには「まだ空きはあります」と書いてあった。そして私はそのメールをバンドのメンバー全員にばらまいたのである。思えばこうしてメンバー全員に連絡を取る、というのは楽になった物だ。昔は仕事の最中にこっそりと内線電話をかけたり、あるいは社内便でメモを送ったりとあれこれ苦労があったものだが、今では一発である。私はYDから送られてきた文面をそのまま引用し最後に「ちょっと時間がたりないかな?」と付け加えた。正直いって一ヶ月強で人前で演奏できるだけになるかどうか不安だったからである。

私は1998年の10月から横浜に移住したが、月に一度のペースで練習はちゃんと続いている。しかしメンバーの誰かが多忙になればそのときは練習自体パスになったり、その個人だけが欠席する。つまり通常のペースで行けば、本番までにあまり練習の機会はない、ということなのだ。

しかし皆の反応は私の予想を超えてQuickかつ積極的なものだった。私がメールを送信してから3時間もたたないうちに、ドラマーであるMNさんとキーボードプレーヤーのTKさんから「いいっすねえ」というメールが届いた。そしてその翌日には3人いるVoのうちのもう一人、HOKからも承諾のメールが届いた。となれば基本的にこの計画はGOである。さっそく「詳細教えてね」とメールはうったものの私にはまだ心配する理由が残っていた。Stoneからの返事がまだなのである。これは彼が返事を怠っているとか、あるいは沈思黙考を続けているとかいうためではない。彼は出張から出張に渡る生活をしているのだ。その彼から「一月ぶりに出勤しました」とメールがきたのは11月の1日だった。12月の初旬に多少出張の可能性はあるものの、ライブに出るのは賛成、というメールである。これで我々は心おきなく準備にとりかかることになる。

 

さて、次の練習は11月の14日である。練習場につくと、すでに誰かが来ていて「MNさんが休みだ」と言った。

我々はみな(だいたいにおいて)サラリーマンだから本業というものを持っている。そしてその本業というのはバンドの都合などに関係なしに火をふいてくれるものだ。特に我々の歳頃になれば、会社での責任というのは非常に重い物がある。(これはN○○ではあてはまらないが、○○重工においてはそうだ)従って出席できないこともままある。

私は「では私が」と言って、ドラムセットの前に座りだした。肩越しからマイクをのばして一人二役である。私がドラマーをやっていたバンドでは、選曲の際に一つの制約条件があった。ドラムが簡単、というやつである。その点実にビートルズというのは偉大だ。私がたたけるテケテンドラムでもそれなりに聞こえるのである。

しかしながら今のバンドにはそういう制約はいっさいない。本当のドラマーことMNさんは昔は「○○高校の光源氏」と言われたほどの2枚目で一見やさおとこであるが、彼の骨には鋼鉄が通っているに違いない、と思うことが時々ある。それほど彼のドラムはすさまじい。彼の根はパンクなのである。入社してまもなく彼が卒業した大学の学園祭に彼の演奏を見に行ったが、それは「バリバリ」のパンクであり、そして

「パンクというのはドラマーにとんでもない肉体的、精神的負荷をもたらす物である」

ということを知ったのは私が自分でドラムを叩きはじめてからのことであるが。

さて、何故かくのごときことをだらだらと書くかと言えば、自分が歌とドラムを一緒に始めた瞬間、いかに彼が偉大であるか思い知らされるからである。第一に歌と他の事を一緒にやる、というのは非常に大変なことだ。次に私はドラマーとしては彼の足下に及ばないどころか、彼の孫弟子の草履取りの門前の習わぬ小僧の頭にたかっているシラミのようなものだ。そして彼がいつも快調に叩いている間はそれに気がつかないのだが、私があやしげなリズムで

「とととんと、とととんと」

とエイトビートを叩き始めた時にそれは誰の目にも-一番は私の耳だが-に明らかになるのである。

さて、そうした事はあったが、我々にはその日あれやこれやと話しあうことがあった。まず「一体どうしたイベントなんだ?」と聞かれたが、私が答えられることは「知り合いの知り合いのバンドのクリスマスパーテーだよ」くらいだ。時間が30分くらいであろう、という話もできる。しかしそこで私が提供できる話題はストップだ。

時間が30分だから、逆算するとだいたい5曲くらいになる。ここからが皆様の意図をあれこれ勘案しながらまとめていくことになる。第一にうちのバンドというのはボーカルが3人もいる。従ってそれぞれに持ち曲がいる。第二に、それぞれの曲は誰かが持ってきたやつだから深さの違いはあっても持ってきた人はそれぞれに思い入れを持っていることになる。第3に、すべての曲が均等にすべてのメンバーにとって難しいわけではない。「これはいい曲だ」と誰かが言ったとしても、「それを人前でやるのはごめんだ」と誰かが言い出せばそこでその曲は候補から落ちる。

さらに加えて、今回はこれまでやったようは「結婚式の2次会」とかの出演ではなく、他のバンドの事も考えなければならない。気になるのは曲の重複だ。同じ曲をやれば、技量の優劣が一発でばれてしまうではないか。とはいっても果たして他のバンドがどのようなバンドであるが、あるいは、どんな曲をやるかなんてのは全く私の知識の外にあることがらである。

さて、すったもんだの論議の末に、当日決まった候補曲は以下の通りである。

(1)日本印度化計画(当選確実:他社との重複はまずありえない)

(2)Change The World

(3)Lights

(4)China Grove

 

<次点、or アンコール用>

a. Get Over It

b. Shape of Love

c. I don't wanna miss a thing

それとともに本番までの練習日程も決まった。12月5日と12日の2回である。我々としては、こうして日程が決まってしまうと「当日まで体調が持つであろうか」とか「当日まで不測の事態がおこらないだろうか」とか「仕事がいきなり燃え上がることはないだろうか」とあれこれ悩み始めることになる。

Polypus & JMSにとって通算5回目の人前での披露はこうして前進することになった。

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注釈

彼らのバンド:このバンドについては4XX Official Web Siteを観ていただきたい。本文に戻る 

Polypus & JMS:(トピック一覧)思えばこのバンドもあちこちで引用している。本文に戻る