題名:マキアヴェッリと私

 

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日付:1998/8/30

初めに 君主について  リーダーについて 軍事について  人間について 彼に向けられた言葉について


軍事について

軍事について-とはいうものの、この本には「戦略論」からのとりあげ回数が少ないということは前書きとも言うべき「読者に」に書いてある。理由はマキアヴェッリの言葉によれば以下の通りである。

「昔と今が最もかけ離れているのは、戦争に関する分野であろう。この分野だけは、古代では大変に有効であったことでも、今日ではとりあげる価値のないことが多い。それは技術の進歩が最も影響する分野だからである。」

私は原本の「戦略論」を読んでいないから、この言葉が当たっているか、当たっていないかを判断することはできない。しかしながら、中国古代の思想家のうち「孫子」が今にいたるも広く読みつがれていることを思うにつけ、前述の言葉があてはまるか、あてはまらないかを分けるのは「戦争」をどうとらえるではないか、と思える。

「戦争」を単に軍事技術としてとらえるならば確かにこの言葉はあったっているかもしれない。いまや米国の大統領はその言葉一つで数千km離れた目標を味方の人命を危険にさらすことなしに破壊することが可能となった。これはマキアヴェッリの時代には想像もつかなかったことだろうし、このような技術の進歩が戦術に与えた影響は著しい物がある。技術の進歩が戦術に与える影響を看破できず、戦略のみならず戦術においても失敗を繰り返した某島国の運命を知っている人にとっては、これ以上の説明は不用であろう。

しかしながら、「戦争」を単なる軍事技術を超えた人間の営みの一部としてとらえるならば話は変わってくる。人がいるところ、「戦争」-争いがなかった試しはないのだ。そうであれば「戦争」に関する記述は、「戦闘」という特殊な環境に限定されたものではなく、人間、およびそれが作り上げた社会に関する洞察としてとらえることもできる。

さてこんな事を考えながらこの本に載っている数少ない戦術に関する言葉を眺めていると、あることに気がつく。それらは孫子の言葉と驚くほど似ているのだ。この両者が非常に似ている理由として、一番素直なものは、編者の塩野氏が孫子になじんでいて、意識的にか無意識的にかは知らないが、特に似通っている部分を「エッセンス」として抽出した、というものであろう。しかし仮にそうした要素が介在していたとしても、元から似た記述がなければ、如何に抽出過程で工夫をしたところで、似るわけがないのである。この類似がどこから来た物かに関する考察は後に回して、私が気が付いた範囲で共通要素のある両書の記述を並べてみよう。

君主編 53

一 自分の力と敵の力を、ともに冷静に把握している指揮官ならば、負けることはまずない。

孫子謀攻編:敵情を知って、味方の事情も知っておれば百たび闘って危険がない。

(中略)

一 優秀な指揮官は、必要に迫られるか、それとも好機に恵まれるかしなければ、けっして勝ちを急がないものだ。

孫子形編:だから、戦いに巧みな人でもだれにもうち勝つことのできないようにすることはできても、敵が必ずだれでもうち勝つことのできるような体勢にさせることはできない。そこで「勝利は知れていていも、それを必ずなしとげるわけにはいかない」といわれるのである。

 

一 攻撃の重点は、まず、敵軍の最も弱い部分をたたくところからはじめられるべきである。(後省略)

孫子虚実編:軍の形も敵の備えをした実の所を避けてすきのある虚の所を攻撃する。

 

君主編54 戦闘に際して敵を欺くことは、非難どころか、賞賛されてしかるべきことである。

孫子計編:戦争とは詭道-正常なやり方に反したしわざ-である。

 

君主編55 思慮に富む武将は配下の将兵を、やむをえず戦わざるをえない状態に追い込む。同時に敵に対しては、やむをえず闘わざるをえない状態に、なるべく追い込まないような策を講ずる。

孫子九地編:軍隊を滅亡すべき状況に投げ入れてこそ始めて滅亡を免れ、死すべき状況におとしいれてこそ始めて生き延びるのである。

孫子九変編:包囲した軍隊には必ず逃げ道を開けておき、進退窮まった敵をあまりおいつめてはならない。

君主編56 優れた指揮官ならば、次のことを実行しなければならない。

第一は敵方が想像すらもできないような新手の策を考え出すこと。

孫子勢編:およそ戦闘というものは、定石通りの正法で-不敗の地に立って-敵と会戦し、状況の変化に適応した奇法でうち勝つのである。

 

この中で特に重要なのは54番、「戦闘に際して敵を欺くことは、非難どころか、賞賛されてしかるべきことである」と「兵とは詭道なり」の類似であろう。さてこのようにならべてきて、何が言えるのか?

それは一つには孫子とマキアヴェッリがそれぞれ現実を冷徹に見つめる目の持ち主であったこと。二つには人間の性行というものが洋の東西、時代をが変わってもそう大きくは変わらないということ。ではないかと思う。それぞれについて書いてみよう。

人間の営みというものは表面上は変わったように見えてもだいたい古今東西そう変わるものではないのだ。(それどころかチンパンジーの群の権力争いのドキュメンタリーを観たときは、「人間」の営みどころか「類人猿及び人の営み」は古今東西そうかわらないものだ」と思ったほどだが)ところが世の中にやたらと「最近の若い者は昔とは違う」とか「時代は大きく変わった」とわめきちらす輩が横行するようだ。中にはこう言うことで何らかの精神的満足を得ている人達もいるようが気がする。しかしそのこと自体も昔から変わったことではない。確かに彼らの側にも理はある。表面だけみれば戦国時代の中国と、マキアヴェッリが生きた時代、それと現代の日本では科学技術、軍事技術などはアゴが外れるほど変貌しただろう。そして毎年厚生省の統計やら文部省の統計は子供達の体格や性格が変貌しつつあることを告げている。

しかしそれを使って人間が何をしているかと言うのは大して変化していないのである。そうでなければ誰が古典の書を読もうとするだろうか。毎年史記やら三国志をネタにしたHow to 本というのは腐るほど出版される。それらが出版されるというのは、それらがある程度売れることを意味する。もし人の性行や関係のあり方が昔と全く変わってしまったとすれば、歴史家以外にだれがそんな本を読むだろう。

戦争という言葉に関しては様々な定義がある。しかしその性質として人間が行う行為の一形態という見方もできる。そして戦争とはとてもリアルな行為だ。結果は勝利か敗北か、という容赦ない形で現れ、学術的な論争や、政治上の論争と違って白黒ははっきりとでてくる。(この文章を読んでいる人は、多分どんなに支離滅裂な言葉を並べようが自分が決して論議に負けていない、と主張する人を一人は思い浮かべることができる)そして常に直面するものは人が人として生を受けた以上常に畏怖の念を持って相対せねばならない死なのだ。平常時であれば馬鹿な上司の命令にぶつぶつ愚痴を言いながら着いていく部下も、こうした「戦争」の中であれば、あっさりと逃げ出すかも知れない。そこまでいかなくても効率ががたっと落ちても不思議はない。この「戦争」の性質は古今東西変わるものはない。「戦争」は人の世を、そして人の性行を現実を偽りの言葉等をはぎ取ってとてもリアルに暴露してしまうものなのではないかと思う。そう考えればこの二人の記述が似てくることは当然のようにも思える。

もう一点。両者の視点が現実主義で徹底している点について書いてみよう。

戦争がリアルな行為だったとしても、それについて何かを書く、というのはまた別な事である。だいたい人間は各自各自の色眼鏡をかけてものをみるから、リアルな行為からも妙な結論を導き出すことは容易だ。いつものことであるが、Made in Japanの戦争映画を観るといつも私は演歌の世界を思い出す。泣き言をならべて結局本人は喜んでいるのではないかと。別にこれは戦争映画に限った話ではない。戦争文学にしろ、記録色の強い物にしろ、どうも事実を冷徹にとらえてそこから何かを引き出すというよりは、「戦争は悲惨だ。戦争は起こしてはならない」と酒でも飲んでくだを巻いているように思える。

しかしながらもしこの孫子とマキアヴェッリがそういった類の「くだ巻き文書」だったとすれば、こんなに記述が一致するわけがないのである。マキアヴェッリが生きた時代のイタリアと孫子が生きた時代の中国ではくだの巻きかたもずいぶん違うだろう(それはそれで洋の東西を問わずに似ている、という論議もあるかもしれないが)彼らが現実主義に徹底し、戦争のありかたを冷静に見つめてそこから結論を導きだした故に両者の記述に共通項が多くなったのではなかろうか。そしてその現実主義故にこの二人の書物は長い時間を生き延びて今日まで伝えられることになったのだと思う。その時代と土地に特化された「くだ巻き」を誰が長い間伝えられるべき古典と思うだろうか。

さてこのマキアヴェッリの「現実主義」についてはこの後も何度か触れる事があるかもしれない、と書いてこの項はおしまいにしよう。

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注釈