題名:沖縄

五郎の入り口に戻る

日付:2001/1/1

 出発 | 首里、海軍壕 | 戦跡に洞窟に基地 | 城に島 | 名護市 | 本島北部


出発

私は一人ゲートの前でパソコンを打っていた。

正確に言えばこの日実家を出たのは朝の10時なのである。それからあれこれ買い物をしたり、映画をみたりすればきっと良い時間になるだろう、と思ったのだが例によって私は大幅に時間の計算を間違えたようだ。なんのかんのといって空港についたのは午後3時半だったのだ。

飛行機の出発は8時だからまだ時間は山ほどある。なんだかわかんないけど、とりあえずチェックインしよう、と思ってカウンターに行く。チャーミングな女性が相手をしてくれた。チェックインの後彼女はチケットをもってなにやら調べている。

彼女が言うには

「このチケットは切り替えが効きますからANAの方に空席があれば、あちらを使うのもよろしいかと」

そのANAの便とて出発までにはまだ1時間以上の時間があるのだ。私はにっこり笑って彼女に礼を言うとANAのほうにとぼとぼと歩いていく。さて、沖縄行きはと観るときっちり「満席」の札がかかっている。ふたたびとぼとぼと歩いてJALのカウンターに戻るとさっきの彼女に

「満席でした」

と言う。彼女はちょっととまどったような笑顔を浮かべて私がこの後どうするべきか教えてくれた。

 

さて、とにかくこれから4時間ばかり時間をつぶさなければならない。しかし実は私は

「ぼーっと時間をつぶす」

ことが何よりも好きな男なのであった。

まず空港の中をさまよいだす。あれこれの店があることに気がつく。或店のディスプレイに飾ってある「唐揚げカレー」は大変おいしそうだ。カロリーの面、及び栄養のバランス面からすればあまり好ましくない選択肢だがかまうもんか。きょうはあれを食べよう。探していたのは実は床屋である。空港には床屋がある、なるほど時間をつぶすのにはちょうど良いし、忙しい人は床屋にいく暇もあるまい、と感心したことがあったのだが、どうやらあれは米国の空港だったのではないか。端から端まで歩いたが床屋らしきものはみつからない。

さてさて、と思っていくと3Fに航空宇宙博物館がある、という表示が出ている。私は基本的に名古屋に住んでいる人であり、10年近くは航空宇宙産業にくくってもらえる仕事をしていながらここに行ったことはない。今日ほどここを訪れるのに適当な日があるだろうか。私は500円はらって中にはいった。

まずどん、と零式艦上戦闘機が飾ってある。サイパンだかどっかに済む米国人が自分で復元していたのを買い取ったのだという。いったい自分でジャングルの中から戦闘機を引っぱり出し復元しよう、というのはどういう奴だ。そうした男はその戦闘機にどんな値段を付けるのだろう。

そんなことを考えながら展示を回っていく。日本にある航空博物館というのは、昔の飛行機は模型ばかりになってしまうのが情けないところだ。同じ敗戦国であってもドイツの博物館にはすごい数の機体がならんでいたが。その模型を列にそって進んで行くと突き当たりに

「フライトシミュレータ」

なるものがある。何だこれは?と思っていると向こうの方からおじさんが歩いてきて

「乗りますか?5分。5分」

という。その迫力に押されて乗ると、何故か淡路島付近の空から観た風景を堪能できます、というやつだった。非常に空いている博物館なのだが彼は偉大な客引きの才能を発揮し、私が降りるときには次の人が

「5分5分」

といわれながら待っていた。

 

そこを出るとご飯を食べる。おいしそうに見えた唐揚げカレーの実物は確かにディスプレイの中の模型と同じように見えた。しかし味は情けなかった。気を取り直すと外に出る。さてこれからどうしよう。

あてもなくふらふら歩いていくと「有料ラウンジ」なるものがあるのが目に留まる。あちこちの航空会社は搭乗にたくさんお金を払ってくれる人ようにラウンジなどを作ることがあるからそれか、と思ったが「有料」という文字が気にかかる。看板を読むと200円払えば誰でも使えるらしい。

さっそく200円はらって券を購入するとラウンジに入る。実は「ひょっとするとここでは使えるコンセントがあるのではないか」と思っていたのだがその予想は大当たり。最初に目に入ったコンセントはもう使われていたが、もう少し奥にあるものの周囲はがらんがらんである。コンセントがあるということはPowerBookが使えるということであり、PowerBookが使えるとということは私はほぼ無尽蔵に時間をつぶせる、ということなのである。

 

7時になりそこを追いだされるととぼとぼゲートに向かう。ふと気がつけば国内便なのに英語をしゃべる白人が多いように思う。やはり基地と何か関係があるのだろうかなどと考える。

 

2000年の11月末にいきなりできた秋休みに沖縄に行こうとして挫折した経緯は前に書いた。しかしふと気がつけば今年の年末年始は11連休である。これだけ長ければ悠々沖縄に行けるではないか。そう気がついたのは天皇誕生日の後である。そこからあれこれの手配ができるか不安だったのだが、何の問題もなかった。会社の帰りにJTBなどよれば閉店間近(午後6時50分だったが)なのにおじさんが一生懸命相手をしてくれた。飛行機は時間さえとわなければ行きも帰りもNo Prolemである。最初の2泊とレンタカーの予約をするとあとはでかけるだけである。

 

飛行時間は2時間ちょっとだから新幹線で東京から名古屋に行くくらいの時間だ。そう思うと結構長いのだろうかと思ったが寝ている間についてしまった。荷物を抱えてのそのそ降りる。飛行機の出口をでたところで

「ああ。暖かいって素敵」

と思う。昔Detroitに幽閉されたときに買ったジャケットを手に持っていたのだが、どうやらこれを着る必要はなさそうである。

旅行代理店のおじさんに聞いたとおりタクシーを使ったが1000円もしないで目的とするホテルについてしまった。車を降りると周りには何故か黒服をきた若いおにいさんがうじょうじょいる。多くの人は耳になにやら無線のイヤホンを付けている。彼らは一体なんなのだろうか。なにやらこれからどこに行くかとか相談しているようである。予約するときに

「何でもいいから安いところ」

といって予約したのだが、宣伝コピー「小さな一流ホテル」のこのホテルはどうやら歓楽街のど真ん中に存在するようだ。

ひょっとすると夜にうるさいだろうかなどと思いながらとりあえずチェックイン。部屋に入ると何かかわっている。まず窓なのだが、2重になっていて、しかも異常にしっかりしまるようになっている。当時これは台風が多い土地柄だけに、多少の台風にもめげないくらいしっかりと窓を密閉するためかと思ったが、今から考えると隣の飲み屋(のたぐい)の音を遮断するためだったかもしれない。

そして机の上になんだか黒くて四角いもの-高さ30cmにもなろうか-がでっぱっている。普通ホテルには部屋の明かりをコントロールするやつとか、ラジオとか時計をつけた机があるのだが、どうやらこれは後付で普通の机の上にそうした設備をつけるための四角のようである。

などと部屋の設備に感心していたのもつかのま。時間はうもう12時なのである。私の標準就寝時間を2時間半も過ぎている。何も考えずに寝ることにした。窓からはきゃーきゃーという声が聞こえている。

 

翌朝適当に目覚める。いつものくせで6時頃には起きてしまう。時間をまって朝食を食べる。部屋に戻るがまだ動く気がしない。どうせまだどこも空いていないだろう、と思うとますます体が重い。というわけでまた寝てしまった。するとよく眠れること。こうして寝ている間、というのはありとあらゆる怠ける妄想が頭に飛来する。そうだよ。今日は一日寝ていてもいいじゃないか。まだ日はあるんだし、とか正気になって考えると

「高い金をはらって沖縄まで行って何をしているんだ」

と思うような事を考える。そうした妄想と戦うこと数刻。ようやくベッドを離れたのは10時頃であった。

外に出ると大変暖かい。一応上に着るものをデイパックに放り込んであるが基本的にはシャツ一枚である。今日はとりあえず首里城周辺に行く、ということだけ決めてある。沖縄にはまだ鉄道というものがない。従って移動は車の類にたよることになる。レンタカーを予約したのは明日からだから今日はバスで移動だ。ガイドブックを見るとバスターミナルがあるらしい。とにかくそちらを目指してとことこ歩き出す。

歩きながら街並みを見ると何か雰囲気が違うような気がする。このくらいのサイズの都市というのにはいくつも行ったことがあり、こうしてぷらぷら歩いたことがあるのだが、どこかが違う。それが何なのだろうかなどと思っている間にバスターミナルについた。とても大きなターミナルでバスがうようよいる。

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注釈