2007-01-24 07:26
Microsoft CEOのSteve Ballmerの公演を聴いたことがある。(@東大)エネルギーに満ち溢れた知性のある人だという印象を受けた。そしてなかなか好感をもったのである。
でもってこのビデオ
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最初見たときは「なんだこれ」と思った。しかし2度ほど見返してみると自分がBallmerに感じた好印象と矛盾するものでないことに気がつく。
iPhoneについての感想を問われたBallmerはその値段について笑い飛ばしてみせる。そしてキーボードがないからビジネスでE-mailを使う人にはアピールしないだろう、と言っている。
その後iPhone, iPodとMicrosoft(including Zune)はどのように戦っていくのか、と問われる。彼はいくつものMicrosoft製品の利点を並べてみせる。それは確かにもっともなものだ。
このインタビューをどのように見るかは人によるだろう。しかし私が見るのは
「恐れ」
と
「自分が並べ立てている利点に力がないことを自分でわかってしまっているセールスマンの姿」
だ。特に後者はある程度の知性がある人が陥りやすい状態。そのことを理解できるだけの知性がなければ、力強く自分達の強さを主張できるものを。
あるいはMicrosoftは巨人であり、Appleはマイナープレイヤーでしかないのだから
「いや、確かにすばらしい。しかしわが社の次の製品をみてくれ」
くらい余裕をもった発言をすべきだ、という意見もあろう。しかし仮にこれができないとすれば私が考え付く理由は次の二つだ。
1)Microsoftは戦って相手を叩きのめすことで成長してきた会社だ。Red Oceanの戦いでは世界一強い。そうした会社に謙虚なコメントは似合わない
2)恐れ。そうした余裕をもてないほどの。
もちろんこれがあたっているなどと主張するつもりはない。私はそう思うだけだ。
2007-01-15 09:44
「もうハード頼みは通じない」米家電展示会「CES」が映すデジタル革新の峠越えより
「技術革新が消費者ニーズを追い越してしまった。結局のところ、勝ち組は、最先端の技術を使わず、消費者のニーズをソフトや使いやすさで汲み取った米アップルコンピュータと任天堂だけだった」(先の松下電器幹部)
自分達が絵に描いたような見事さで「イノベーションのジレンマ」に陥ってしまったことを素直に認めた言葉だと思う。その率直さを好ましく思うが、ここではこの幹部が使っている「最先端の技術」という言葉について考えてみたい。
おそらくここでは20世紀の家電メーカーが用いるところの「最先端の技術」と本来の意味での「最先端の技術」という二つの言葉があると思う。どういうことか?
「大画面化」「地デジ対応」「最長録画時間」「描画能力」など従来と同じ直線をひたすら延長するための技術が20世紀家電メーカーが言うところの「最先端技術」である。そうした意味からいけばPS3のCELLなどはまさしく最先端技術の結晶であろう。
しかしこれは私の考えでは「狭い定義」でしかない。任天堂の社長も強調していることだし、iPhoneを見ても感じることだが、これらはいずれも見事な技術が詰め込まれていると思う。Wiiに関しいえば、実用可能な(これは驚くべきことだ)ポインティングデバイス。それに常時Onという構想を可能にした省電力機能など。iPhoneに関して言えば全く新しいタッチパネル。搭載可能なOS Xとそれを駆動するハードウェア(あの表示の滑らかさに驚嘆しない人間は一度今のカーナビを使ってみるとよいと思う)
任天堂とAppleは、使いやすいさ、その製品がもたらすあるべき姿をきちんを描いた上で、それに必要なハード、ソフト、技術を開発しているのだ。それが
「この技術を磨いていけば売れるだろう」
と思考停止に陥っている20世紀家電メーカーと異なるところである。それらは任天堂の社長がいみじくも言ったとおり、今のロードマップや技術の潮流には乗らない。であるから延長線の上で生きている人間達にとっては「最先端技術」とは受け取られないだろう。
しかしそれらは「違う軸」の上で確かに最先端なのだと思う。違うと思う会社はとりあえずiPhoneやWiiをコピーしてみるといいと思う。
2007-01-15 08:43
iPhone関連で大変面白い記事を見つけたので引用
こうあるべきという共通認識
Appleデザインの競争力の源泉は、デザイナー自身の能力もさることながら、Apple社内全体の『Appleはこうあるべきという共通認識』だと思う。企画、営業、設計、サポート部門、そしてデザインに対しても「Appleらしいかどうか」のフィルターがかけられ、それが何をおいても優先する。彼らは『これが自分たちの強み』だと認識している。
私がだらだらと「こうした製品が作られることが驚きだ」と書いていたことがすっきりとリアルな想定事例を元に書かれている。
このページにあるCLIEとiPhoneの比較写真がすべてを物語っている。この写真の比較に意味を見出す人とそうでない人がいる。そうでない人たちはiPhoneが発売されてもショックを受けることなく「メールが打ちにくいからだめだよ」と安心していられるのだ。
2007-01-12 06:57
最近正月にCESなるイベントが開催されていることを知った。Gates君が基調講演を行う。
でもってその直後にMacWorld ExpoこちらはJobs君。
この二人のプレゼンテーションを見比べることは(去年もやったような気がするが)大変興味深い。何がこんなにも違うのか?(と書いているそばではGates君が一生懸命「未来の生活」をデモしている)
CESのキーノートではとにかく形容詞が多い。AmazingだのVery Simpleだの一生懸命説明する。
JobsもAmazingだとかは使う。しかし大きな違いがいくつか。第一に形容詞を使う回数が少ない。第二にGates君と比べると本人が心の底からそう思っていることが聴衆に伝わってくる。(Gates君のデモは全く楽しそうではない。楽しくないなら人前でやるなよ)
それよりもJobs君がプレゼンする製品は、くだらない形容詞をごてごてつける必要がないものばかりだ。ただ取り出し、デモをすることで聴衆を圧倒する。
去年だったか自分がプレゼンする前にJobsのプレゼンを観ていて気がついた。彼は良いプレゼンができるような製品を開発しているのだ。(逆にネタがないときにしゃべるのは実につらい。仕事ではそういうことよく起こるけどね)
昨日あちこち見ていた中で一番印象的だったのがこの記事。
全世界の家電メーカーが力を合わせてもApple1社に勝てなかった日
メーカーの中で働き、疑問を持ったことがある人と、そうした経験を持たなかった人が、今回のiPhoneにどのような印象を持ったかを見比べることは実に興味深い。
元マイクロソフトの古川氏のブログにはCESの丁寧な記事が掲載されている。
それ自体は情報として貴重なものだが、全世界の家電メーカーに勤める広報担当は自分がやっていることをよく考え直すべきだ。担当が考え直してもだめか。広報に少しでも意識がある経営者、と言い直そうか。
CESのためにつぎ込んだ膨大な金、時間、それらはすべてApple一社によって、そのすばらしい製品と見事なプレゼンテーションによって吹っ飛ばされたのだ。自分たちは何をやっているのかよくよく考えるべきだ。それに疑問を持たないとすれば、きっと一生幸せに暮らせることだろう。
某業界のように、自分たちの業界外で何が起こっても知らぬ存ぜぬの村人たちにはこんなことを言っても無駄だとは思う。しかし次にJobsが作るのはそうした製品かもしれない。
2007-01-11 07:57
今日は愛読しているLife is beautifulより
日本で携帯電話を作っている人たちは、「そんなの技術的には簡単だよ。でも通信事業者がやらせてくれなかったんだ」と悔しがっているに違いないが、そんな「技術的には簡単だが、色々な事情で一筋縄では出来ない」ことを出来るように持ってしまうのがスティーブ・ジョブズの力なのだ
全く同感である。昨日考えていたのは
「Jobsには”大人の事情で”という言葉が通じないにちがいない」
ということ。
iPhoneから私が受けた衝撃を、企業という組織の中でものを開発したことがない人にわかってもらうのは難しいかもしれない。ハード屋さんはこういってます(ちなみに私はこの「屋」という言葉が大嫌いだが)ソフト屋さんはこういってます。じゃあできるのはこういうところですか。企業の中でものを作るということは、こうした妥協の積み重ねである。
その結果一番おざなりになるのは「で、その結果はユーザから見てどうなるの?」という視点である。誰がどんな奇麗事を言おうがそうである。そりゃまベストの解じゃないかもしれないけど、いろいろ「大人の事情」があってね。。
しかしJobsが作るものを見ると、彼にはそんな言い訳は一切通用しないに違いない。ユーザに最高の経験を与えること。そのために障害があってもとにかく打ち砕くかくぐりぬけてしまう。そうした結晶が今回発表されたiPhoneだと思うのだ。言葉の上で機能だけ並べれば今日本で売られている携帯とそう変わりはないかもしれない。しかしその結果を見れば「妥協と大人の事情の塊」の日本の携帯とiPhoneの違いはベルリンフィルと名フィルくらいの違いとも思える。携帯端末に本当にMac OS Xを乗せてしまい、その上でフルブラウザを動かす。PCと変わりないメールの操作性を実現する。こんな「事情通にとっては非常識だがユーザにとってみればあたりまえのこと」を本当に実現するのがどれほど困難か。
こういうトップの下で働くのはやりがいもあるが大変だと思う。しかしその結果は見事だ。Jobsのプレゼンにはいつも感銘を受けるが、そのひとつの要因として「Jobsが心のそこからプレゼンしている製品をすばらしいと思っている」ことがあげられるだろう。(実際すばらしいのだが)だからこそ言葉にあれだけの力がでるのだ。自分でも内心「これはいまいちだけど、、まあいろいろな事情を考えればこんなところかな」と思っている人間の言葉にあれだけの力はない。
最近見かけた中では任天堂の社長のやり方がAppleに近いのではないかと思える。トップが明確なビジョンを持ち、それを形にしていく。おそらく社内では「屋」どうしの不毛な妥協もあるのだろうが、最終的に形になった製品にはそうした「大人の事情」は全く見えない。
このように「明確なビジョンと実力をもったトップ」がいる企業のものづくりというのは、実に明快で気分がよい。それが商業的に成功するか否かにかかわりなく。ちょっとまて。SCEのクタも「明確なビジョンと実力をもったトップ」ではないのか、と聞かれれば私はこう答える。
「彼が持っているのは”明確なビジョン”ではなく”ひずんだ妄想”だ」と。その結果がPS3なのだと思う。
2007-01-10 07:56
日本で携帯電話の企画とかやっている連中はみんなおなかを壊せばいいと思う。
というかこれを書いている段階ではまだApple.comにあるいくつかのムービーを観ただけなのだが。
なんだこれ。
日本でカーナビの企画をやっている連中はみんなゴミ箱に行けばいいと思う。
日本で家電の企画をやっているなどと抜かす連中はみんなへそを噛んで死んでしまえばいいと思う。
○○はやりつくされば分野だから、とか得意げに行っている連中は階段を20段くらい落ちてみるといいと思う。
人のやることにわけのわからない難癖つけて仕事した気になっている連中はみんな冬の伊勢湾に沈めばいいと思う。
こうなったら頼りはソフトバンクだけだ。頼む。なんとかこれを日本で発売してくれ。今まで仕事以外で携帯は持たなかった私だが、これが出れば買うぞ。というかこれ使うために米国に移住してもいいくらいだ、、、というのはちょっと言い過ぎか。