ブログを書くことで気がつくこと

2008-02-29 00:00



主催者 goo のブログ


「脳内会議 sponsored by goo」 開催!




主催者 百式管理人氏のブログ


ブロガーが貼り付けたくなるコンテンツとは何か?『脳内会議レポート』


以下参加者の方のブログ(みつかったものだけ)


『脳内会議 sponsored by goo』に参加


はじめての脳内会議


脳内会議sponsored by goo に参加・・・いい感じで意向がにじみでた百式 × goo 脳内会議に参加


BLOGセミナー (長文です)


百式さんの脳内会議 sponsored by gooに参加!


ブロガーイベント『脳内会議 sponsored by goo』に参加しました


ブログパーツ作るなら、ブロガーに貼りたくなるかどうか聞いてみれば?


イベント_脳内会議(前半)


脳検メーカーってご存知?~http://d.hatena.ne.jp/images/admin/markup_url.gif脳内会議に参加してきました!


「脳内会議」レポート


「脳内会議 sponsored by goo」 に参加!


『脳内会議 sponsored by goo』に行ってきた。


”脳内会議”に参加しました!


『脳内会議』レポート: 検索は実生活の中に溶け込んで面白くなる


というふうに並べてみるとだね。




自分が書いていることの「異常さ」が明白になる。というか自分でも「おっさん。何興奮してんだ。ちょっと落ち着けよ」といいたくもなる。


しかしまあなんだ。これも自分の声なのだから。




『脳内会議 sponsored by goo』に行ってきたよ

2008-02-28 00:00



というわけで脳内会議に行ってきました。


この会議ではブログでフィードバックをすることになっている。というわけで、全体の詳細な説明とかそうしたものは書かない。他の参加者のブログをご参照ください。というわけで私は参加している間ずっと頭にひっかかっていたことについて書く。


主催者が途中こういうコメントをした。


「企業さんとお話をしていると、ユーザ視点で考えることになっていたはずが、いつのまにか企業視点での話しになっちゃってるんですよね。」(うろ覚え)


今回の会議のテーマはgooがリリースした脳内検索メーカ。この「開発秘話」を聞いていて、私はどうにももどかしい感じを覚えた。その違和感はこの主催者氏のコメントに集約されている。*1


脳内検索メーカーについていくつかの裏話が披露された。なかなか仕様が決まらなかったとのこと。なぜかといえば、「うそこ」さんは画面をできるだけシンプルにしよう、と主張したらしい。つまり脳内メーカーと同じく検索結果を「どん」と絵で表示するだけにしたかったようなのだ。*2


それに対してgooは「やはりgooの検索を使ってもらわないと」と主張したらしい。そして結果はこのとおりである。


f:id:grgr56:20080228071354j:image


ごらんのとおり仲良く脳内の図と通常の検索画面が並んでいる。


私はこの「妥協」は失敗だと思っている。


最初この脳内検索を使ったときこう思った「なんだ。これただの検索じゃないか」つまり画面の右だけみて左を見なかったのだ。なんだか字細かいしね。*3


ブラウザの「バック」ボタンを押した。


会議が迫ってきて「もう一度使ってみよう」と思いトライした。そして前は気に留めなかった脳内の説明を読んでみたのだ。なんだか見慣れないキーワードがある。それをクリックする。すると「額縁ショー」なる風俗規制逃れのストリップショーがかつて存在したことを知る。リンクを辿り、説明を読みしばしの時間をつぶしてしまった。つまりなかなかできない「意図せざるキーワードの発見」ができたわけだ。これは面白い。


そもそもこのシステムは私が経験したような「意図せざるキーワードの発見」を目標として作られたものだと説明があった。ならば何故興ざめの「普通の検索画面」を最初から提示するのか。


しかしこの「違和感」は単なる画面デザインの問題に起因しているのではない。


gooの方の説明には、先ほどの「主催者」氏のコメントがそのまま当てはまる。視点が全て企業からのものなのだ。説明からは「企業としての願望」は感じられたが「ユーザとしてのパッション」が感じられなかった。


これはすばらしいシステムだ。


これを使いたい。


この素晴らしいシステムをみんなに使ってほしい。


そうしたパッションが全く感じられなかったのだ。


ネットを徘徊しているといくつかの記事が心に留まる。その全てがとはいわない。しかしその多くに私は「作り手のパッション」を感じる。何のことだ、といわれればいまはこれを挙げる。




<script type="text/javascript" src="http://ext.nicovideo.jp/thumb_watch/sm2397344" charset="utf-8"></script>


D


この動画には二つの意味でパッションが込められている。作成者のコメントを引用しよう。



それが実らない恋だとして、しかしどれだけ好きか、ということでしかない。そんなテーマ です。



この動画に現れるミクの姿は強烈だ。元はアニメ絵(というのでしょうか)でしかないミクがメガホンをもって叫びまくる。自分の愛を叫びまくる。


そしてもう一つのパッションは(これはニコニコ動画の多くの作品に共通することだが)この動画を作った人間のパッション。動画が再生されたからといって金がはいるわけでもなければ、名前が上がるわけでもない。それでもいいものを作りたい。作ったいいものを人に見てもらいたい。ただそれだけの気持ちが爆発している。


脳内検索メーカーとその説明は実に合理的だとは思う。「作ること」に対する努力もわかる。リリース日の朝の5時まで作っている、というのは裏話としては面白い。


しかしそんなことはどうでもいいことなんだよ。


これは本当に素晴らしいシステムだ。自分が作ったからではなく、自分がおもしろいと思うから自分のブログにも乗せるし、人にも使ってもらいたい。本当にそう思っているのか?その結果gooの検索が使われる頻度が上がるだのはユーザにとってどうでもいいことなんだよ。


---


もう一つ感じていた違和感はもっと「どうでもいい」ことだ。説明の中で「検索は従来能動的なものと思われていたが、そうではない検索もあるのではないか。気付きをうながしたい」というものがあった。


そんな話は4年も前から俺がいってることだーーーーー(誰も聞いてません)


2004年に作ったのがこれ


<object width="425" height="336"><param name="movie" value="http://www.youtube.com/v/mgsVNaWD2WQ"></param><param name="wmode" value="transparent"></param><embed src="http://www.youtube.com/v/mgsVNaWD2WQ" type="application/x-shockwave-flash" wmode="transparent" width="425" height="336" FlashVars="movie_url=http://d.hatena.ne.jp/video/youtube/mgsVNaWD2WQ"></embed></object>


D


2007年に作ったのだがこれ


<object width="425" height="336"><param name="movie" value="http://www.youtube.com/v/U45yImPdeYY"></param><param name="wmode" value="transparent"></param><embed src="http://www.youtube.com/v/U45yImPdeYY" type="application/x-shockwave-flash" wmode="transparent" width="425" height="336" FlashVars="movie_url=http://d.hatena.ne.jp/video/youtube/U45yImPdeYY"></embed></object>


D


こうした「気付きをうながすシステム」で肝心なことは(と偉そうに)「あまり説明しすぎないこと」だと思っている。人間の頭は物事に関連性を持たせることに血道をあげる。*4自分が予想しない要素が連続してだされると「おや、これの関係はなんだろう?」と疑問を持ち、妄想が広がる効果がある(と何の実証もせずに主張する)


こうした点からも今の脳内検索メーカーの画面はごちゃごちゃしすぎていると思う。逆に脳内の部分だけ取り出してみると抽出されているキーワードおよびその配置のランダムさと何か理由がありそうな加減はすばらしいと思う。






私がブログを書いたりサイトを作ったりする理由

2008-02-22 00:00





ワインバーグの文章読本



ワインバーグの文章読本






を買って読んだ。


本との付き合い方にはさまざまなものがある。新幹線に乗るとき買って、降りるとき捨てる本。あるいは「つん読」とか。


ごくまれにだが長い期間、折に触れ読み返し、そのたびに新しい発見がある本もある。ワインバーグ氏の本とはそうした付き合い方をしている。


この本ともおそらくは長い付き合いになるのだろう。今は冒頭の部分で私に衝撃を与えた二つのフレーズを挙げておく。



頭のいい人が幸せになる方法のひとつは、自己を表現することである。頭の中の広大な空間に雑然と渦巻いている思考や感情を世界に向かって吐き出すことである。P008




興味のないことについて書こうと思うな


このルールを守っていれば、いつも上司に気に入られたり昇進したりするとは限らないが、大量の血を失わずにすむ。P011



この二つのフレーズから考えるに、サイトやブログに好き勝手、自分の興味が向いたことを意味もなく書き散らすことは、自分にとって、とても大切なことなのだと思える。(私が「頭のいい人」とすると文句をつけたくなる人は多いだろうが、まあここは話の都合上そうしておく)


以前サイトのほうに「サイトに文章を書くことは、相手の見えない暗闇に向かってボールを投げるようなものだ」と書いたことがある。今でも基本的にはそう思っている。しかし時たまではあるが、メール、コメント、ブックマークを経由してフィードバックがもらえることがある。つまり暗闇の中からボールが投げ返されてくるのだ。


これはとても興味深い事柄であり、もし私があと70年ほど早く生まれていれば、こうしたことを体験できずに生涯を閉じたかもしれない。そうなっていたとしたら、自費出版でもして、回りの人間に自分が書いたものを配り歩いていたのかな。


もう一つ考えることがある。後者のフレーズの最後の部分。会社で働く限り、自分が興味を持てず、賛同もできない事柄について多くの文章をでっちあげるという作業から逃れることはできない。


その昔防衛関係の提案書を作っていたころ私の額は血だらけだった。最終的には米軍製品のライセンス生産になるに決まっているのに、立場上「自主開発」の提案書を山のように作らなくてはならなかったのだ。これが仕事だと何度自分にいいきかせても、額から流れ出る血は止まらない。


そんな私の様子を見て当時の上役は


「こいつはやる気がない。自分から提案することなどできない役立たずだ」


といって彼が考える「いわれたことだけやっていればいい部署」に私を移動させた。


確かに額から血を流すと上司から嫌われることの方が多いだろう。会社が与えた仕事に対して血を流すなどサラリーマンの風上にも置けない。


しかし仮に、あそこにいてFakeな提案書の山を作り続けていたらどうなったことだろう。過去に対するifはあくまでもヨタ話でしかない。しかし今直面している困難を考えにいれたとしても、今よりあそこにいたほうが幸せだったとは自分には思えない。多分今頃大量の血を失いミイラになっていたのではなかろうか。


ミイラになるか泥の中を尻尾を引きずりはいまわる亀になるかどちらかを選べ、といわれれば判断に迷うことはないと思う。




Webアプリケーションの停滞感

2008-02-21 00:00



ソーシャルブックマークは第2のRSSリーダー確かに便利なんだけど、フツーの人は興味示さないですよそこまで情報に餓えてないしYahooのトピックスで十分っぽい

RSSリーダーがフツーの人に普及しなかった訳 - CoreRSSリーダーがフツーの人に普及しなかった訳 - Core




「ネットサービスはもしかしたら、『そんなところまで求めていない』という段階まで入り込んでしまっているのかもしれない」――ネットの進化の停滞のようなものを、最近感じている。ブログ、SNSに次ぐキラーなテキストサービスは、まだ登場していない。

米国から京都へ はてな近藤社長の真意は (2/2) - ITmedia News米国から京都へ はてな近藤社長の真意は (2/2) - ITmedia News




期せずして同じ日に同じような主張している二つの文章を読んだ訳だが。




私はRSSリーダーもソーシャルブックマークも使っている人間だが、これらの主張にはうなずかざるを得ない。「フツーの人」の反応を知る私なりの方法はうちの奥様、あるいは両親が何を使っているかだ。ブラウザは使う。海外旅行の情報やら手配やらそれで自分でやっている。メールも使う。父親は2chの専用ブラウザを使っている。しかしそこで止まっているのだ。




過去10年、Webは次々に新しいサービスが登場するExcitingな場所だった。しかしそのExcitingが鈍化している気配はある。こう書いているうちに新しい物が登場し自分で「ざまあ」と言いたくなる気持ちは頭の中にあるのだが、今は懸念のほうが多い。


一方


DoCoMoのiチャネルみたく、ユーザーのできることを制限し、1点にフォーカスしてマーケティング,プロモーションすれば響く人達は結構いるとおもうのだ。例えば...

RSSリーダーが一般人に使われないのは「自由度」と「用語」と「見せ方(宣伝文句)」だけの問題 - キャズムを超えろ!RSSリーダーが一般人に使われないのは「自由度」と「用語」と「見せ方(宣伝文句)」だけの問題 - キャズムを超えろ!


この意見にも賛成だ。ここであげられている二つの例を読んでいると「確かにそれなら使われるかもしれんな」と思う。うちの母でも自動的に表示されるYahoo Newsは結構よんでいるしね(余談だが、今やYahoo Newsって普通の新聞よりはるかに影響力あるのではなかろうか。いや元ネタが新聞だってことは十分承知してますが)


なぜ後者の例は「はやりそう」に思えるか、と言えば機器と一体になっていて「電源いれてチャンネルまわせば(あるいはそれに類することをすれば)情報でてくる」というのが大きいような気がする。


となるとだよ。


やっぱり専用ハードがいる、ということになるのかな。それが携帯電話かTVかは知らないけど。今なんとなく思ったのだが、TVの初期画面はRSSフィード(もちろんそんな言葉は使わず、「お楽しみ情報」でいいのだけど)でいいのではなかろうか。漫然と流れる情報を見ていたいことって多いだろうし、そもそもTVって流れる情報に適していて、、とかいいだすと結局Goromi-TVの宣伝になってしまうのだが。


<object width="425" height="336"><param name="movie" value="http://www.youtube.com/v/6yWZ9cjiJLA"></param><param name="wmode" value="transparent"></param><embed src="http://www.youtube.com/v/6yWZ9cjiJLA" type="application/x-shockwave-flash" wmode="transparent" width="425" height="336" FlashVars="movie_url=http://d.hatena.ne.jp/video/youtube/6yWZ9cjiJLA"></embed></object>


D




Web3.0について

2008-02-19 00:00



ウェブ3.0はレコメンデーションと個人化になるはずだ

ウェブ3.0の姿をつかめ:何がキモになるのか?:コラム - CNET Japanウェブ3.0の姿をつかめ:何がキモになるのか?:コラム - CNET Japan


チンピラサラリーマンとして「失う物はなにもないもんね」とあちこちで「あまりに安易な」レコメンデーションとか個人化について暴言を吐いている私としては、この言葉に反応せざるを得ない。


さてここで根本的な問題です。


「個人化ってなに?」


その人が和食を多く選択する傾向があれば和食を推薦するのが「個人化」なの?それで人間幸せになれるの?和食が好きな人間は一生和食だけ食べていけばいいの?


「和食とイタリアン両方好きな人が多い」というデータがあれば「イタリアン」を推薦するのが個人化されたリコメンデーションなの?人間ってそういうもの?


50代の男性は演歌が好きな人が多い、という統計データがあれば「あなたは50代の男性だから演歌を推薦します」というのが個人化されたリコメンデーションなの?50代のクラシック好きな男性はそれを聞いてどう思うかな。


昨日の晩布団の中で考えた。こんなシミュレーションができないかなあ、と。


初期状態ではいろいろな「情報に対する嗜好」をもったユーザを配置しておく。それに対して、「パーソナライズされた、個人の嗜好にあった」情報を提供する。また同じような意見を持った人の意見を紹介するSNS機能も提供する。


すると世の中の人はいくつか断絶されたクラスターに分裂していく。そのうち皆


「M-1ではキングコングがグランプリとるべきだった。みんなの意見も同じだ」


「M-1ではハウステンボスがグランプリとるべきだった。みんなの意見も同じだ」


「M-1でサンドイッチマンがグランプリとったのは正しい。みんなの意見も同じだ」


と言い出す。ここで「みんな」が指している人間はそれぞれのクラスターの構成メンバーに限定されているのだが、情報推薦を受けている人間にはそれが理解できない。


冗談抜きに今の「安易な個人化とか情報推薦」ってのはこういう傾向をもたらすと思ってるんだよ。




ユビキタスコンテンツシンポジウム2008にいってきた

2008-02-13 00:00



最後の講演をのぞいて聞いたのだが。。


冒頭の講演で「これからは誰もが創造する」という言葉はよかったと思う。下手だろうがなんだろうがたいていの人はなんらかの手段で自分を表現したいと思っているのだ。


問題はそのあと紹介された「事例」が「SIGGRAPH向け一発芸の集合体」にしか見えなかったこと。


これはどうしたことか、と少し考えた。


一発芸的メディアアートというかそういうたぐいのものにたいする批判は根強い。そしてそれらがここ数年なんら「進歩」していないこともその批判に根拠があることを考えさせる。


当日考えていたのはこういうことだ。


作り手が、「使うべきシナリオ」を設定していて、ユーザがそれを発見したらおしまい、的なものではユーザの創造性を刺激するとはとても言えぬのではなかろうか。


子供におもちゃを与えるさいに、「ハイパーレスキュー緊急司令基地」の類いは絶対に買わないようにしている。自分が子供の頃を思い出せば、そうしたものにあこがれる気持ちは痛いほどわかるが与えない。それは作り手の「使うべきシナリオ」が設定されたものでしかない。


代わりに与えるのは画用紙であり、クレヨンであり、紙コップ、紙皿、段ボール箱だ。子供はそれでいろいろなものを作る。つまり使い手が自分のシナリオ、それも作り手が想像しなかったようなものを作って初めてユーザの創造性を喚起するといえるのではなかろうか。


その比較をもってくれば、シンポジウムで発表されたものはまさに「ハイパーレスキュー緊急指令基地」だった。ユーザの創造性を喚起する、という点では、より単純にしてよく考えられた「ニコニコ動画」のコメント機能にはるかに及ばない。弾幕、各種職人、コメントをつけることにより全く別の内容に生まれ変わる動画、など作り手が最初からすべてシナリオを描いていたとはとても思えない。


電子デバイスを使った紙コップ、紙皿はどうしたらできるのだろう?このシンポジウムでもそうしたH/W,Scripting言語が紹介されていたけど、それが紙コップ、紙皿とはとても思えない。いや、こういうもの作ると「プロジェクトの成果」として誇れるのはよくわかりますけどね。




Steve Jobsのプレゼンを模倣はできても複製できない理由

2008-02-12 00:00



『Deliver a Presentation like Steve Jobs』(Steve Jobs氏のようにプレゼンテーションをする)という記事は、「Steve Jobs氏のようになる」ための究極の手引きを示している。

Jobs氏の「魔法のようなプレゼン」を支える秘訣10ヵ条 | WIRED VISIONJobs氏の「魔法のようなプレゼン」を支える秘訣10ヵ条 | WIRED VISION


Steve Jobsのプレゼンは印象的だ。従って彼のプレゼンテーションを分析し、そこから学ぼう、という記事がたくさん書かれている。


しかし私が考えるに、私が目にした記事は一つの要素を書き落としている。


こう考えてみよう。現実にはあり得ない話だが、JobsがWindows Vistaのプレゼンをしたら、それは我々の印象に残る名プレゼンテーションと呼ばれただろうか?JobsがDocomo2.0のプレゼンをしたらどうだっただろうか?


仮にJobsの「プレゼンテーションスキル」と呼ばれるものすべてを動員したとしても、VistaはVistaだし、Docomo2.0はDocomo2.0だ。


次にこう考える。なぜこの想定が「あり得ない話」なのか?答えは明瞭。今のAppleがVistaやDocomo2.0のようなものをリリースするはずがないからだ。


かくして私が考える「Steve Jobs氏のようになる」ための「秘密」一番は以下の通り。




・自分が効果的なプレゼンテーションをすることができる製品、サービスを作り上げる。




冗談ともトートロジーとも思われるかもしれないが、私はまじめにそう考えている。Jobsのプレゼンがすばらしいのは、第一に(そして90%くらいの比重において)彼が自分がプレゼンしたときにすばらしく生える製品、サービスを作り上げているからなのだ。心から自分がその良さを信じている製品、サービスだからこそプレゼンのリハーサルに多くの時間を割く。言葉に力がある。etc..


これがやれ「秘訣10ヵ条 」だやれ分析結果だなどと並べ立てたところで、彼のプレゼンを複製できない理由である。自分がここからそのすばらしさを信じ、納得しているものでない限り、It's breathtakingなんていったところでむなしいだけだ。


同じロジックを適用すると、クタラギ氏のプレゼンにも同じような力はあったとは思う。少なくとも彼は自分が紹介しているものの力を信じていた。だから言葉に力はあった。問題はその「信仰」を誰も共有できなかったことだ。


任天堂の社長、岩田氏に関していえば、もう少し「技術」の点で改良する余地はあると思う。しかし効果的であることは疑いようがない。


かくして私のようなヒラのサラリーマンにはつらい結論が導かれる。自分が信じることを説明する。その機会が得られないかぎり、いつまでたっても二流以下のプレゼンしかできない、ということだ。