2010-06-18 07:33
最近薄々気がつき始めたのだが、一見公平な情報サイトが、金をもらって宣伝記事を書くことがあるらしい。これもたぶんその一つだろう。だから内容に突っ込んだりするのは野暮かもしれないが私が言いたいことの枕として使わせていただく。
さて、そこまでギズモードが推奨するGoogle TVだが、果たして彼らはこのビデオを見て"わくわく"するんだろうか?
あれほどWeb serviceで強力なGoogleがなぜ碌でも無いAndroid phoneしか作れないのかは深い 値すると思うのだが、ここでは書かない。
ここで言いたいことはGoogle TVにみるGoogle脳の貧弱さである。
彼らはTV番組を"検索"すると考えている。
これはどうしようもなく間違っている。TVは明確な目的意識をもって見るものではないのだ。スキマ時間、ちょっと退屈な時何も考えずに電源を入れる。映ったものが気に入れば見続けるし、気に入らなければ変える。変えるといっても使用者は
"これがみたい"
という要望を持っているわけではない。単に"何か別の"と考えているだけなのだ。
↑のビデオの冒頭でそのことについて明示的に述べながら、いざ実現されたGoogle TVが全く従来の"Google検索"の延長なのには失笑を禁じ得ない。いや、才能が結集しているGoogleのことだ、私が指摘するような意見は必ず社内で出たに違いない。
それが従来の成功体験に基づいた多数意見によってボツになったとすれば、それは大企業病の症状である。。というのは考えすぎだな。
簡単にいえば、Googleが提供する物にはこの"わあっ"がないのだ。Android phoneしかりGoogle phoneしかり。
"わあっ"の塊だったらMacintoshが売れず、"まあこれで仕事になるか"のWindowsが世の中を制した実例もある。あるいはGoogle TV,Androidが結局世界を制するのかも知れない。
しかしそんな世の中にはなってほしくない-と一消費者としては思う。
2010-06-11 09:22
NHKで放映しているハーバード白熱教室が面白い。とはいえ気楽に見られる内容ではないので、すこしずつ観ている。
日本の大学関係者(特に自ら講義を行う人)はどのように思うのかな、とここ数日考えている。
私が日本の大学の講義なるものにでたのは25年も前のことだ。それから携帯電話という生活を一変させる発明があった。今はすっかり様変わりしているのだろうな。
というわけで先生方の反応は想像するしかないのだが
・学生があんなにたくさん集まっている
・携帯電話をいじくっている学生がほとんどいないし、私語もない(ように見える)
・学生が発する意見がまともだ
・そもそもあれだけ興味深い講義ができるかな
とか考えたりするのだろうか。
2010-06-07 07:47
自慢じゃないが、私はRecording Dietの権威である。期間だけなら多分誰にも負けない。もう10年以上も体重を記録し続け、そして公開している。
もっと正確にいえば"Recording Diet失敗者"としての権威である。体重は12年半前から4kg増えているのだ。
先日NHKの"ためしてガッテン"で糸井重里氏が測るだけダイエットの成功例を語っていた。まだ最初の部分しか見ていないのだが、なぜ私がダイエットに失敗しているか、いや、それよりももっと根本的な問題をいくつも見せられたような気になった。
・ダイエットを始めるにあたり、よい体重計を注文し、そこから始めた
何かを始めるときには、よい道具を手に入れなさい、とはワインバーグの文章入門にも書いてあったことだ。それだけの金を費やす意味もないと思っているなら失敗は最初から決まっている、と。
そうだよなあ。もうちょっとよい体重計買おう。そうしよう。
次はもっと衝撃的なお言葉。
・自分の体重を量りその変化について"どうしてだろう"と考えると楽しくてしょうがない
私はただ体重を記録しているだけだ。最近のように体重が不気味な増加を見せるとがくっとなるがそれだけ。
それではいけない。自分の体重の増減がどうしてか、と興味を持たなくてはならんのだ。いや、これはきっと体重だけに限った話ではない。
これはどうしてだろう。自分の体重であってもそんな疑問を持ち、調べ、実験するところから日々をもう少し楽しくできるのではなかろうか。
こうやって文字にしてみるとあまりにも当たり前のこと。しかし何かとどん詰まり感のある身にはこの言葉がこたえる。
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日本のジンバブエ化はどうも避けられないようだ。などと嘆いているより、まずは自分の体重について考えよう。これについては責任があるのは私だけで結果は容赦なく表れるものだから。
2010-06-04 09:04
買ったけど使い方がわからん、という声をぼちぼち聞くことだ。
先日親戚の葬式にでた。そこに姉がiPadを持ってきていた。驚嘆である。しかも
"アプリをいれると楽しい?よくわかんないのよねえ"
と言っていた。
ああ、そんな勿体ない。俺にくれ、と言おうかと思った。多分殺されるのでやめておいた。
うちの母もiPadのことは知っていた。なんだか行列して買うんでしょ、あれ。
さて、ここで考えなくてはならないのは
iPhone,iPadの行列にはある程度企業の宣伝的なしかけがあることはもちろんだ。しかし並んだ人の大半は
"勝手に徹夜した"
人であることを忘れてはならない。PS3発売の時の怒号に満ちた大騒ぎとはまた何かが違う。
見せてくれた編集者氏は、ほとんどアップルのセールスマンだった。それほど全力で私にiPadの魅力をアピールした。
「で、ここをこうするとほらフォトフレームになるわけです」
「......うう......」
「動画も見られますよ」
「......うう......あ......」
「ね。なかなかの画質でしょ?」
「............」
それにしても、こういうブツをいち早く手に入れた人間は、なにゆえに必ずや布教活動を展開することになるのであろうか。あまた生まれいずる市井のペテロたち。その無償の情熱と行動力。
via: 私がiPadを買うべきでない理由:日経ビジネスオンライン
iPhone,iPadはなぜ人をセールスマンにするのか、というのは面白い問いだ。理屈っぽくない人はこういう答えを出せる。
NBO ははあ、だから「頭で考えてしまう」タイプのインテリは必ずしも反応しなかった。
糸井 「わあっ」は、なんというか、ボディで、全身で、その対象物に出会ったときに、思わず出てきてしまうんです。言葉とか理屈を超えて、凄い、うれしい、欲しい、と思ってしまう感覚。でも、本当に欲しいもの、本当に好きなものに出会った瞬間というのは、そういうものじゃないですか。
NBO たしかに、わあっ、なんなんだこの商品は! 俺に買われるためにできたのかっ、というモノに出会っちゃうこと、あります。
糸井 マーケティングなどが発達しすぎると、どうしてもお客さんのニーズや好き嫌いだけを徹底的に分析して、モノを作ろうとしがちです。でも、それをやりすぎると、もしかすると一番肝心な「わあっ」がどこかにいってしまったりするのかもしれません。
NBO たしかにそういう商品、少なくないような。
via: iPad、「アバター」から前川清まで――イトイ式「売れるモノ」の法則:日経ビジネスオンライン
さすがにiPadの時は減ったが、最初にiPhoneが発表された時は、"頭のいい人"からの批判をたくさん聞いた。
もちろん頭のいい人はその強みを発揮できるところでご飯を食べていくわけなのだが、この"わあっ"にはいつまでも届くことがない。この"わあっ"こそが私の姉にiPadを買わせたものなのだと思う。
私は頭が鈍い人なので、"わあっ"と騒いでご機嫌になるのだが、頭のいい人たちの会話にはいつも悩まされる。それにどう対処するかは未だ解がない。
2010-06-01 08:56
つまり、自分がiPadのような機器に対して求めることがはっきりすれば、もう少し具体的に言うと、Webブラウザが使えて、Gmailができて、地図を閲覧できて、ブログ程度のテキストを入力できれば、必ずしもiPadである必要はないわけだ。書いていて、自分がiPadを使う理由がどんどんなくなってくるのを感じる。
使う目的を明確にしていくと、iPadという製品がなぜ人を魅了するのかがさらに分からなくなってくる。私は新しいコンセプトの製品に対して、何か重要なことを見落としているのかもしれない。
実際にiPadを見る機会があったのだが、iPhoneアプリが大きな画面で動いているくらいにしか見えなかった。私の想像力が欠如しているだけなのかもしれないが。
via: iPadは先進的な製品なのだろうか: ネット雑記 ~3年後のネットが見えるかも~
あなたがiPadに見る限界は、あなた自身の限界だ
via: あなたがiPadに見る限界は、あなた自身の限界だ:CloseBox and OpenPod:ITmedia オルタナティブ・ブログ
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というわけで、Goromi-t-padを作らなくてはならない。2台のディスプレイをどうやって連動させるかについてはまだ道筋が見えないが、とにかく作るのだ。