2020-12-28 06:12
というわけで、執筆中から本のタイトルばかり考えている「あの本」ですが、再びタイトルを変更します。新しいタイトルは
みんなで楽しく「デザイン思考」
結果をだすなら「アート思考」
です。
表紙の上半分にはみんなでワイワイ楽しくゴミを作っている絵。
表紙の下半分には、、見てからのお楽しみ。
とはいっても、私にイラストを描く才能がないのでした。大丈夫。アート思考について学んだ人間ならば、きっとそれを克服するアイディアを出すことができるはず。
誰も興味を持たない執筆状況ですが、ようやく0.1版が完成しました。私の「アート思考」の定義によればここからが長いのです。容赦ない批判がとびかう「スパーリング」をしなければ。とはいえ途中で読んでコメントをくれる人などいるはずもなく。
自分で時間をおいて読み返し、磨いていくしかありません。しかしこの「磨く」過程は、最初の「自分の主張を作る」過程と同じくらい大切なのです。
自分が意味のあることを書いていると信じてはいますが、それはただの勘違いかも知れず。でもいいのです。とにかくがりがり書く。そして世の中に出す。とても狭い世の中であってもとにかく出す。
実は最近「ものすごくがんばって書いたけど、誰も読んでくれない」と嘆いていた「「人工知能ってなんだか怖い!」から始める人工知能概論 」に初めて星がついたことを知ったのです。だから目標はそこ。この本に一つでも星がつけば(それがどんな評価であっても)祝杯をあげることにしましょう。
2020-12-21 07:38
米国大統領選挙の結果が「メディアで報道された」日から何日たったのだろうか。未だトランプは「自分が勝った」とTwitter上で主張し、一時は完全に電波と遠ざけたシドニー・パウエルにすがるようである。
パウエル氏はこれまで、投票システムが不正に操作されていたとの陰謀説を主張し、特別顧問を立てて捜査するべきだと主張してきた。会合では、パウエル氏が特別顧問などとして捜査を主導する案に対し、メドウズ氏らが強く反対した。
フリン氏は、再選挙に向けてトランプ氏が戒厳令を出す案を改めて主張したとみられる。トランプ氏が賛成したかどうかは不明だが、これも出席者らの強い反対で却下された。
関係者の1人によると、会合ではパウエル氏とフリン氏がほかの出席者にトランプ氏を見捨てるのかと迫り、激しい言い争いになったという。
引用元:CNN.co.jp : ホワイトハウスで「選挙不正」めぐる議論が過熱、怒号飛び交う
日本に住む私からみると、彼らは完全に気が狂っているとしか表現のしようがない。しかしこの集団を米国の有権者7000万人が支持したのも事実である。
この事実は認めざるを得ない。つまり何を意味しているかと言うと、完全に気が狂っていても、有権者を扇動することにさえ成功すれば民主的に政権を掌握し、かつ出鱈目な政策を実行できる、ということだ。
「今」からナチス政権が行ったことを振り返り、その非人道性、非道特性を非難することは容易だ。そして
「なぜあの男の見えすいた嘘にドイツ人は騙されたのか。」
と考えることもできる。しかしそれは20世紀前半のドイツだから起こったことではない。21世紀の米国で同じくらい馬鹿げたことが実際に発生しているのだ。
「民主党員及び民主党の支持者はは不正によって米国の自由を奪おうとしている。彼らは参政権を奪われるべきだ」
とトランプが号令をかければおそらく数千万人は同意するのではなかろうか。私にはこの架空のシナリオと現実に行われていることの間の境界線がよくわからない。
私は今回の米国大統選挙が明らかにしたものに恐怖を感じている。教育が行き届いた国でも、このようなことが起こる。民主主義というものはそりゃ欠点もあるけど、大きな間違いはやらないだろう、となんとなく私などは思っている。しかしそれは誤りだ。
2020-12-14 06:42
皆様お待ちかねの
「経過を楽しむなら「デザイン思考」 結果を求めるなら「アート思考」」について。現在鋭意執筆中ですが残念ながら年内リリースには間に合いそうにありません。
とはいえ執筆意欲が失せたわけではなく「これ書いても誰も読まないだろうなあ」と半ば確信しながらも、書く意味が存在しているとの確信も深まっています。
1995年に録画されたスティーブジョブスのインタビューがあります。土曜日にその内容を見返し、書いている内容と重なる部分が多いことに驚きました。私が今回「アート思考」について書いていることは、いろいろな人が言ったり書いたりしたことを寄せ集めたものですが、それとジョブスのインタビュー結果が驚くほど符合している。つまり多分これは多くの人が共通して考えていることでありながら、今まであまりまとめて文字にされてこなったことだ、と。
いや、多分私が知らないだけでそこかしこに書いてあるとは思うのですけどね。そういうことは気にしないでがんばって書くのです。
2020-12-10 07:12
三十年前私はアメリカにいた。そしてアメリカの会社が家電を作っていないことに驚いた。日本の家電は圧倒的世界一だった。その地位がゆらぐことなどありえず、いつ世界を制服するのだろう、と思っていた。
スマートウォッチの世界シェアの図である。日本メーカーは影も形もない。「そのほか(有象無象)」の中にうもれてしまっている。こんな日が来るとは。
對馬氏:はい。やっぱり時計は垂直統合よりも水平分業のほうが相性がいいと思っています。服や靴など、身に着けるものって人によって全部違いますよね。でもパソコンやスマートフォンは同じじゃないですか。身に着けるものとそうじゃないものには、そこに違いがあるんじゃないかと思うんですよね。全員が同じもの身に着けるっていう世界には、なかなかなりにくいかなと思ってます。
引用元:【事業開発の達人たち】目指すは時計界のGoogle?--ソニー最年少統括課長がしかけるエコシステム戦略 - CNET Japan
ちなみに親愛なるソニーも何か作っているらしい。ビジョンを語り理念を語るのも結構だが、少し遠くからみれば見えなくなるほど微小な存在。
こんな日が来るとはなあ。
そういえばパソコンも水平分業だ!垂直統合しかしないAppleはダメだ!とか言われていたなあ。三十年前は。そして今私はこの文章をCPU、ハードウェア、OS,アプリと見事なまでに垂直統合されたMacBook Airで書いている。その速度は、生み出す体験は圧倒的。まだApple CPUの第1世代だというのに。
長い歴史の中でMacがWindows(とかDOS)に対してこれほどまでの基礎体力-性能、バッテリの持続時間-のアドバンテージを持ったことはなかった。(いっときPower PCがその夢を語っていたが)遠からずWindows Machineは「冗談パソコン」としてしか認識されなくなるんじゃないだろうか。
こんな日がくるとはなあ。
2020-12-09 08:44
一時はそのビジョンを具現化した会社Zapposで有名になったトニー・シェイが事故で死んだ。まだ46歳だった。
彼を悼む言葉は多い。しかしZapposという会社に感嘆しながらもどこか危うさを感じていたのも事実だ。2012年、当時勤めていた会社にの海外研修に「荷物持ち兼通訳」として参加した。とにかく二週間どこかに行ってこいというオーダに従い、選んだ行き先の一つがZapposだった。
そこでは本に書いてあったとおりの光景が展開していた。
ある部門に顔を出した時は、笛やクラッカーが派手に出迎えてくれた。別の部門では大きな鈴の音が響き、ポンポンが舞った。ファッションチームの部屋では、ダンス音楽が流れる中でスナップ写真の撮影。ツアー最後の訪問先、通称「王様部屋」では、ザッポスの専属コーチを務めるドクター・ヴィクのお膳立てにより、王冠をかぶって玉座に収まる私の記念写真ができ上がった。
引用元:ザッポス前CEOトニー・シェイのリーダーシップと芸術家肌の横顔 偉大なアーティストは何を遺してくれたのか | HBR.org翻訳リーダーシップ記事|DIAMOND ハーバード・ビジネス・レビュー
しかしこうした「普通の報告」にはない光景も確かに存在していた。確かチャットのセクションだったと思う。見学者がきたことに気がつきマネージャー(とおぼしき女性)が率先して何か音がでるものを振り回し「チャットの会話は絶対変な風にはならないのよー」とスローガンを叫ぶ。社員はそれに合わせて声をあげ何か音を立てる。しかし端のほうにいた男性が「あーはいはい」という感じで何かくるくる回していたことが妙に印象に残っている。
トニーシェイと役員の机が一般社員と同じ大きさで、ただ頭上にプラスティックの蔦が茂っているところだけが違うのをみて「これはすごい」と帰ってから強調した。その時勤めていた会社では創業者社長がGODとしてふるまい、社員にスペースを与えない一方で自分だけは特大の社長室にふんぞりかえっていたから。
ZapposのベイエリアからLas Vegasへの移転は悪いことではないと思う。実際ベイエリアは異常だ。しかしこれはどうだっただろう。
トニーは情熱に駆られて、2014年には「ホラクラシー」という大胆な仕組みも取り入れた。組織の分権化を極限まで推し進め、肩書、マネジャー、階層を撤廃したのである。
このイノベーションが抵抗に遭うと、同僚たちに、受容するか、さもなければ退社するか、二者択一を迫った。従業員の約18%が退社を選んだ。トニーはホラクラシーにこだわったが、2020年に入ってからは、ザッポスがついに「ホラクラシーから静かに脱却しはじめている」とする報道がなされた。
引用元:ザッポス前CEOトニー・シェイのリーダーシップと芸術家肌の横顔 偉大なアーティストは何を遺してくれたのか | HBR.org翻訳リーダーシップ記事|DIAMOND ハーバード・ビジネス・レビュー
Googleでもこうした試みがあったと聞く。しかしそれが機能しないことを悟るとマネージャーを復活させた。そうした実験は意義あることと思うが「受容するか退社するか」を迫るのはどうなのだろう。
そうした「危うさ」を感じたのは私の頭が悲観的にできているせいばかりではなかったようだ。
But within a day, Jewel abruptly left. Shortly after, the singer sent Hsieh a letter via FedEx, since he had forsworn email and texts as part of a digital cleanse.
“I am going to be blunt,” she wrote in the letter, the content of which was shared with Forbes. “I need to tell you that I don’t think you are well and in your right mind. I think you are taking too many drugs that cause you to disassociate.”
She continued: “The people you are surrounding yourself with are either ignorant or willing to be complicit in you killing yourself.”
引用元:Tony Hsieh’s American Tragedy: The Self-Destructive Last Months Of The Zappos Visionary
今年の8月にシェイを訪れた歌手のJewelは、彼の元を立ち去った後「あなたは健康でなく、精神は異常。あなたの周りの人はあなたが自殺する危険性を無視しているか、助長している」という手紙を送ったとのこと。
幸福を追求していた男は、やはり幸福ではなかった。考えてみれば当たり前ではないか。
石塚:
1を最低、10を最高とすると、今、あなたはどれくらい幸せですか。
(注:「幸せ」の研究の一環として、トニーはこの質問をよく人にするそうです。ですから、今日は私が彼にこの質問を投げかけてみました。)
トニー・シェイ:
最近は、平均して8.5点くらいかな・・・。
石塚:
8.5点・・・。それを10点満点にするには、何が必要だと思いますか。
トニー・シェイ:
う~ん、どう答えたらよいかな・・・。それは、ある意味では「微妙な質問」だと僕は思うんですよね。なぜかといえば、「幸せ」というのは、「目的地」ではないので・・・。
引用元:ザッポスCEOトニー・シェイの定義する「幸せのフレームワーク」とは「ザッポスの奇跡」石塚しのぶ書籍連動サイト
かくしてシェイは探し求めた幸福からほど遠いところで人生を終えた。あのZapposはこれからどうなっていくのだろう。
私が勤めていた会社の社長はビジョンを語り、自分がそれを実践していると主張していた。しかし実際には売り上げと利益と自分のエゴにしか興味がなかった。そして彼はまだ元気に働いている。
歳を重ねた今ならば「そういうことなんだろうな」という感想しか持つことができない。
2020-12-04 07:14
ただいま鋭意執筆中の本ですが、タイトルを変更することにしました。
「デザイン思考ではなくアート思考を推す理由」(仮題)
から
プロセスを楽しむなら「デザイン思考」結果を求めるなら「アート思考」 (仮題)
に変更します。あと年内リリースを目標にしていましたが、ちょっと怪しくなってきました。でも進んでいることは間違いないので、いつかは出ます。
とはいっても
去年結構気合をいれて書いた「
「人工知能ってなんだか怖い!」から始める人工知能概論」は全く売れず、この本も同じ運命を辿るのではなかろうか。
最近考えるのですよ。あの狂人のトランプに7000万人のアメリカ人が票を投じる。つまるところ人の支持を得るために必要なのは正しさでも思慮の深さでもない。感情を揺り動かす力だと。
いや、そんなこと昔から賢人は知っていたわけですが、私は頭が悪いので最近ようやくその事実に思い至ったわけです。
仏教にしても、一生懸命あれこれ考えて理論を精緻化したわけですがじゃあ日本の大衆にそれが広まったかといえばそんなことはなくて
「とにかく南無阿弥陀仏」
「とにかくナンミョウホーレンゲーキョー」
が幅を利かせている状況です。そもそもあんた阿弥陀仏って何か知っているの?と問うたところで誰も聞いてくれない。
ーー
「デザイン思考」を商売で売る人は意図的か無知ゆえかわからないのですが「デザイン思考さえ使えば、イノベーションがバンバン生まれます!」という調子で宣伝する。少し現実をみればそんなことがないことがわかる。しかしそうした感情を揺り動かすデマは広まりやすい。
私の本は、「すばらしい成果をあげた人、組織」のやり方から学べば、それは偉大なアート作品を生み出した人たちのやり方に通じるところがある。それを体系化できないか?という問いからスタートしています。でもそんなこと書いても誰も読んでくれないんだろうなあ。
よし。では表紙に萌え絵を描いてもらい、そして漫画家とタイアップして、、となるのが昨今の出版事情ではあるのでしょう。まあいいや。とにかく書こう。
2020-12-01 06:48
ブログの更新が滞っていたのにはいろいろなわけがある。決して私の怠惰だけが理由ではない。
米国大統領選でとてもすばらしいネタが出たのと同時に使っていたMac Book(12inch)がお亡くなりになった。完全に内臓のSSDを認識しなくなったので手の施しようがない。とはいっても今から数万円払って週流するのもなんである。なぜならARM Macがすぐ発表される予定だから。
と経緯を書き出すと長くなるので省略するが、とにかくこの文章はM1 Airで打っている。いや、素敵に早い。それだけではなく、外で使ってもバッテリーが全然減らない。なんだこれは。
--
最初のApple ARM Macが何になるかについてはさまざまな噂があった。私は多分ローエンドからスタートするだろうと思っていたのでMac Book Proが最初のリリースに含まれたのは意外だった。
蓋を開けてみればローエンドという予想は正しかった。Mac miniとMac Book Air、それに一番拡張性が制限されたMac Book Proである。さまざまな情報が出回っているが
・3機種でCPUはほぼ同一
・違いはファンの有無。とはいってもファンを回すほど熱くするためにはかなり連続的に高負荷をかけなければならない
ということらしい。
これはさまざまなプロジェクトに関連することだが、
「新しいものに付き合うときは一つづつ」
というのは原則である。だから初代のARM Macは今までと同じ形をしている。まずCPUだけ新しくしたわけだ。しかし今後でてくる製品はおそらくARMの低消費電力を反映した形状に変化していくだろう。それがどんなものか想像はできない。
もちろん当初の予定では初代のARM Macは見送り、そうした「真の新ARM Mac」に乗り換える予定だったのだが、動かないものはしょうがない。そしてこの初代であっても十分すぎるほど快適だ。
おそらく多くの人が興味を持っているのは、出荷台数が極端にすくないであろうMac Proをどうするかだと思う。いくらAppleが金を持っているからといって、それ専用にM1xxみたいなCPUを作るとは思えない、、、がするのかな?あるいは16inch Mac Book Pro, iMacに搭載されるであろうM1Xを複数台搭載するとかかな?
いずれにせよAppleはARM Macへの移行にcommit しているのだからMac Proが今のままIntelで残ると言うことはありえない。私は今後最低五年はこのM1 Airを使うだろうから、その間そんなMacがでるかを楽しみに見物していよう。
しかし
1990年台、Appleが売却の瀬戸際にあったころ、かつてAppleが自前でCPUを作ろうとしたことが「傲慢さと愚かさの象徴」として語られていた。
しかし今やAppleは本当に自前でCPUを作り、しかも性能、コストともにIntelを十分に上回っている。こんな日がくるとはなあ。。