8月の邂逅

日付:2001/9/1

五郎の入り口に戻る

事の起こり | 寄生虫の歌 | 赤くてでっかい | その日の終わり | 横浜から車にのって | 天下の険


事の起こり

この話がどこから始まったかを正確に書こうと思えばかなり前にまでさかのぼらなくてはならない。おまえの長く意味のない前フリにはつきあいきれない、という方は次の章まで飛んでくださいな。

1999年の7月から2000年にかけて、ほんの一時期を除いては私は企業内失業者状態にあった。することがないから、日長ネットサーフィンをして過ごす。それでもさすがに就業時間内は仕事に関係すると思われるサイトを巡ろうとするのだが、それにも飽きるといろいろなサイトを見出す。

そのサイト-今は赤ずきんちゃんオーバードライブという名前だがそのときは「おきかげ&けい」という名前だった-にどうやってたどり着いたかは覚えていない。しかしそれは私にとって大変な幸運であった。それまで「個人のサイトってあんまり面白いのはないなあ」と思っていたのだが。

そのサイト、及びそこからリンクをたどった先のサイトをあれこれ読んでみる。当時から私はIT革命という言葉、およびそれを振り回す人に嫌悪感を覚えていたのだが、それらインターネット上に炸裂している才能-それを単に文才と呼ぶのは大くくりすぎると思うのだが-との出会いはその言葉に値したかもしれない。文章を書くことで生計を立てている人ではないと思われるのだが、このおもしろさはいかなることか。

そのうちそうしたサイトで「雑文祭」なるものが開催されていることを知った。文章の初めと終わりが指定され、さらに三つの句を入れる事を条件とした上で自由参加で文章を発表できるらしい。私は考える。私は基本的に現実に起こったことだけを書くことを信条としている。しかしそこから少しふくらましたもの、あるいはフィクションを書くことはできないのか。なんとかこれに参加してみることはできないか。しかし果たしてどのような人たちが参加するのだろう。勢い込んで参加したはいいが他の人との差異に愕然とすることになりはしまいか。そもそも私にこの条件をクリアした文章がはたしてかけるものだろうか。

しかしインターネット上の匿名性というか顔を合わせなくてすむ性質というのは時として犯罪を誘発したりもするが、私のような小心者がちょっと妙な事をするのにはなかなか好都合だったとする。参加を表明するページが用意されており、私はそこに自分の名前を登録したのである。

しかし私は大変な小心者であることには変わりがない。参加を宣言しながら文章が書けない、という事態はさけたい。というわけで実は登録したときにはあらかた文章を書き上げていたのである。しかしそこまで準備しても尚私の不安は消えない。確かになにがしか書くことは出来たが、他の人がどのような文章を発表するか全く予想がつかないのである。しかしそのうちその私の不安を払拭してくれる「アクシデント」が起こった。本来「参加表明」であるべきページにフライングして文章を登録した人がでてきたのである。それは確かに縛りを消化していた。そして簡潔ではあったが、私の文章とあごがはずれるほどの差異があるようには見えない。これならばなんとかなるかもしれない。

さて、指定された日になるとさっそく文章を、「作品発表用のページ」に登録だ。またまだ残っている不安とともに他の人を文書を読んでみる。最終的には100を超える文章が発表されることになるのだが、一通り読み終わった10月26日の書庫日記にはこう書いてある。

「第5回雑文祭の参加作品をだいたい読み終わりました。参加84作品+1作品のうち思わずうなったのは4作品。ほうと思ったのはあと数作品。この数は多いのか少ないのか。いやここで考えるべきは確率ではなく、すばらしい作品、サイトに出会える。その事実なのです。

それらの作品に驚嘆した後、ふりかえって私の作品を読み返す。すると気がつくのです。道は遠くそして遙か先を歩いている人間の背中は見えてもそこに至る道は見えない。」

そうこうしているうちに、「おきかげ&けい」は「赤ずきんちゃんオーバードライブ」と名前を変え、そして表紙のカウンターが10000に達した記念企画として「ここだけ雑文祭」を開催したのである。そこではこのサイトのユニークなキャラクターを反映し、書き出しの文章に加え実に5品詞、10語に渡る縛りが設定された。

また参加してみようかとも思う。しかし自分の文章力については、前の雑文祭の時に「身の程」という物をしったのも確かである。それにこのたくさんのしばりは一体どうしたことか。(そうこう言いながら私はそのうちの形容動詞「つややかな」を提案していたのだが)例によって小心者の私は参加を言明する前に書きだしてみるのだ。すると書き上がった文章はどことなく憂鬱というか狂気を含んだものになってしまった。当時の私はかなり精神的に鬱の状態であったことが影響していたのかもしれない。

縦にしたりよこにしたり、何度も直したりまた読み返してみても内容は妙だしどうにも気に入らない。ええい、と思い全く別の文章を書こうとしたのだが、含んでいる狂気は前作以上でおまけに途中で発散してしまった。しかし結果から見ればこの作品を書いたのはそれほど無駄ではなかったのである。最初に書いた作品を読み返すと

「あれよりはマシではないか」

と思えたからだ。依然としてろくなもんじゃないが一応最後まで行ったことだし。

そう思い切ると例によって参加である。他にも何人かの人が参加したが、このときは主催者の文章に「なるほど、この手があったか」と感心はしたが、前回の雑文祭の時のように驚愕まではしなかったのだが。

さて、「赤ずきんちゃんオーバードライブ」の表紙カウンターは順調に回り続けいつしか20000を迎えることとなった。そして再び「雑文企画」が催されることとなったのだが、それは前回よりさらにユニークなものとなった。肝心の「どんな縛りを入れるか」ということ自体を掲示板で募集したのである。

「語尾を”だっちゃ”にすること」とかいう文章の成立を危ぶませるような提案がいくつかあった中残ったのは以下の縛りである。

・句点(。)で区切られた一文でしりとり。

・主人公不在。

・舞台固定。

・テーマは夏

ちなみに「主人公が不在」は私の提案。縛りを提案したからには参加せねばなるまいという意気込みは結構として、はたしてこれは書くことができるのだろうか。3番目4番目はまあなんとでもなる。自分で言い出した主人公不在だが、これも多数の人々が考えた様なことをへれへれと綴っていけば特定の主人公を出さずにすむであろう。問題は最初の縛りだ。書きだして初めて気がついたのだが、日本語の語尾というのは実に貧困なのである。大雑把に言って「ですます調」と「だである調」のたった二種類しかない、というのは私が愛する「それだけは聞かんとってくれ」の第171回からの受け売りだが、実際「だ」とか「る」ばかりが文末に来る。苦心惨憺しながらなんとか文章を書き上げたのだが内容の方は支離滅裂なものとなってしまた。私は嘆く。ああ、なんと日本語の語尾は貧困なのだ。それはまさしく「語尾砂漠」と呼ぶのにふさわしい物ではないか。こんなしばりでどうやって文章を書けというのか。しくしく。

しかしながら世の中私のように少し困難に遭遇するとしくしく泣く人間ばかりではないのである。主催者が書いた雑文はしりとりになっていることを少しも感じさせない流れるような文章である。私は思わずうなる。そしてその「困難」をさらに高めた上で見事な文章を書く人まで現れたのだ。「ず」で終わる文章が続く物、さらには「ルンルンしながら過ごした春も過ぎ、いつの間にか夏である」から始まり、全ての文章が「る」で始まり「る」で終わる文章。それを読み私は己の狭量さを思い知らされた。大げさに聞こえるかもしれないが本当にそう思ったのだ。私は少し面倒な事がでてくると

「ああ、これはできない。なぜならば。。。」

と「明快な」理屈を付け、自分で納得し放り出すのが大好きである。しかし想像力というものを働かせれば、そのハードルをさらに高くした上で飛び越える人までいるではないか。こうしたことは文章だけにとどまらないかもしれないよ、大坪君。

さて、この雑文企画が縁で私は新たにいくつかの興味深いサイトを発見することとなった。そのうちの一つが「デジタルライフ」である。このサイトの作者、AB氏(この後登場人物は全て私が勝手に選んだアルファベット2文字+”氏”で表記する)が8月にオフライン合宿を行うというアナウンスを行った。私は何も考えずに参加を表明した。掲示板であれこれのやりとりがあった後、日程が決まった。4日の晩に別のサイトの呼びかけで行われるお月見飲み会とあわせ8月4日から6日まで東京、横浜、箱根を巡るツアーである。

次の章 


注釈