8月の邂逅

日付:2001/8/8

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天下の険

朝食は8時と言われていた。目覚めて時計を見ると6時。いつも5時に目覚める私としては寝坊なのだが、これが多くの人の起床時間から逸脱しているであろうこと位は私も知っている。また寝ようと思うのだが、不思議な事に眠気は訪れない。

しょうがないから一人で部屋をでてうろうろする。ロビーとおぼしき場所には旅館のおじさんがいる。挨拶して新聞を読む。とても涼しい。箱根に避暑にくるというのもなかなか良いことではないかと思える。壁に皇太子が学習院にいたころ、ここにとまった写真が何枚も飾ってある。みんな顔が古い。「会議室に太平洋戦争中の知られざる歴史の展示があります」などと書いてあるから見に行った。パンフレットによればこの旅館には

「ダンスホール」

があるそうで、確かに天井に小さなミラーボールがあるのだが今は踊る人もいないのだろう、会議室として使われているようだ。壁には大戦中に船が沈没し帰れなくなったドイツ人達がこの旅館にとまっていたことが記されている。仕事もなく戦争もなく故国に帰れず。彼らはどのような月日をここで送ったのだろう。

7時を何分かすぎたので部屋に戻る。もうすでにして布団は揚げられ朝食の準備がなされていた。AB氏もちゃんと復活している。

朝ご飯を食べると出発である。本日最初の目的地は駒ヶ岳。そもそも箱根に行こう、ということになったとき私は

「会社に箱根おたくがいるかもしれませんから聞いてみます」

とかなんとか掲示板に書いた。まず以前

「箱根にいったんすよー」

と話していた男に聞いてみる。すると彼の家族ではいつも大沸谷とかいうところにいって温泉卵を食べるのが習わしになっているのだそうである。なんでもその温泉卵たるや以前は一個食べれば3年寿命が延びるといっていたのが最近はインフレを起こして一個で7年となっているのだそうな。

さて、そんなことを話していると別の男が目を光らせながら「大坪さん、箱根に行くんですか」と話しかけてくる。彼はいつもコンピューターシステムとHな店及び秋葉原について熱く語るのだがその時よりも目が光っている。彼が言うには駒ヶ岳というところに行くと(天気が良ければ)なんとか湾となんとか湾と富士山と何とか半島がぐるりと見えるのだそうだ。私は多少おびえながらも

「行ってみます。ありがとう」

と答えた。その男はその後山登りガイドブックまで見せてくれた。

さて、ナビ子ちゃんに目的地を入力するとさっそく出発。くねくねと道を登っていくと到着である。ケーブルカーの駅が見える。駐車場にとまっているのは我々の車ともう一台だけ。そして周りは霧に包まれている。視程は平均して数m〜数十m。これで何を観ろというのか。

とはいっても来たからには登るしかない。我々は車から降りる。ST氏はデイパックをすっかりひっくり返して荷物を作っている。車から降りるとき彼のデイパックをもち

「一体この中に何がはいっているのか」

と思うような重さに驚いた。普段は私が持っているデイパックを他の人が持つと同じ言葉を発するというのに。彼がそこから取り出した物はMD付きのポータブルラジカセである。この霧の中それをどうするのであろうかと思うと彼はMDをかけ始めた。流れてくるのは彼曰く

「物理的にダビングした」

という笑点である。霧の中我々は黙ってケーブルカーの駅に向かう。MDから流れる笑い声が周りに響き渡る。

しばらくの後ケーブルカーは山頂とおぼしき所に着く。自分がどちらに歩いているか確信はないのだが、とにかく神社と書いてある方に進む。せっかく来たのだからおみくじでも引こうかと思うとまだ戸は閉まったままだ。中を見ると神主とおぼしき男がなにやらやっている。思うにあれは朝のお勤めとかそういう類の物であろう。ここに神さまであるところのお客が待っているのに君はそちらの神さまを優先するというのか。

しょうがないからその周りをぶらぶら歩いてみる。つまるところ何も見えない。からからからという音が聞こえるからロープウェーの駅があるのだろう。そちらから人が何人か歩いてくる。笑点は佳境に入ったらしく笑い声がけたたましく響く。周りは何も見えない。廃墟と化した社らしきものがあるが、そこへの道は既にして草に埋もれている。

帰りにもう一度神主を覗いてみるが太鼓をたたいたりもったいぶった足取りで歩き回るだけで非常に現実的な御利益をもたらすであろうお客のほうは全く気にした様子がない。おみくじを買うという野望を捨て、登ってきたのと同じケーブルカーで降りる。次には、せっかく箱根に来たのだから、いつもCMとかで見る箱根の森美術館に行こうではないかということになる。

ナビ子チャンのおつげに従って運転することしばらく。我々は目的地についた。ゲートというか入り口近くにあるトンネルをくぐるといきなり買い物かごをもったおばさまをモデルにしたとおぼしき巨大な像が立ちふさがる。ううむ。いきなりこれか。

そこから場内を見て回る。普段彫刻など観たこともないが、思いの外ここが気にいったのは確かだ。しかし本当の事を言えば私はガソリン切れになっていたのである。途中迷路があり、その中を人間が通れるようになっている。AB氏、ST氏はさっそく挑戦したが私は

「私すわってますわ」

といって座り込む。だって疲れたんだもん。そこから奥に歩いていったところでふと場内アナウンスに気がつく。秋田ナンバーのステップワゴン。お伝えしたいことがございますので入り口まで云々。

数度聞き返すがやはりAB氏の車である。我々は入り口にとってかえす。一体なんであろうか。車上荒らしにあったとかヘッドライトがつけっぱなしとか、とにかくあまり良い知らせというのは思い当たらない。しかし結果から言えば入り口近くでAB氏が思いついた事が正解であったのだ。彼が落とした鍵を誰かが拾ってくれたのである。ありがたやありがたや。

さて、またとって返すと再び美術館巡り。一番奥には見慣れた字体でPICASSOの展示をしている建物がある。おお、これはすごいと思い中を見るのだが

「ふーん」

という感じがする。2階には彼が作った皿だのなんだのが飾ってあるのだが、正直言って別の場所で行われていた

「君もピカソに。ちびっこ絵付け教室」

の作品がいくつか混ざっているのではないかと思う。少なくともそうなっていても誰もそれを指摘できないはずだ。

完全にガス欠になった私はよたよたと入り口近くに戻る。そこでは手塚治虫展をやっている。そこにのらくろと並び展示された彼の初期の漫画を見るとその新奇性は確かに驚くほどだ。それよりも何よりも私は幼少の頃、祖父の家に行くと一人でひたすら鉄腕アトムを読みふける少年であった。その記憶の奥底にあるキャラクターがアニメでよみがえっている。足はよれよれなのだが、しばしそれを忘れ展示に見入る。

見終わるとご飯を食べながら次の行き先について協議をする。せっかく箱根に来たのだから「これぞ箱根」という所に行きたいとAB氏が発言する。私が「箱根の関所は」というが今ひとつ支持は得られない。旅館にあった案内図にあった

「3D宇宙恐竜展」

とかいう果てしなく脱力をさそいそうな場所も候補に挙がる。これは3次元の「宇宙&恐竜展」なのか「宇宙恐竜の展示」なのであろうか。そもそも宇宙恐竜とは何だ。そんなことを話したあげく、温泉卵の大湧谷に行くこととなる。

当初ロープウェイだかなんだかに乗らなければならないかと思ったのだが上まで車で行ける。降りると相変わらず霧は立ちこめているが時々それが晴れるといかにも硫黄がぐつぐつといった感じの風景である。観光用の道をてくてくと歩く。その入り口に手を洗い何か願をかけるような場所がある。AB氏は神妙に手を洗うと二つお願いをした。私は手だけあらった。こういう場所だけあり、水というよりお湯である。

本来であればここの風景なり、自然の驚異なりについて何か書くべきなのだろうが私に書けることと言えば

「痛む足をひきずりながら、道を一周しました」

ということくらいである。とはいってもお約束の温泉卵はきっちり食べました。真っ黒な卵を二つ食べたから、仮に私がその翌日死ぬ運命にあったとしてもあと14年は生きる事になる。それより早く死に、文句を言おうとしてもその時五郎ちゃんは卵の殻をもって空の上である。

そこからナビ子チャンのお告げに従いひたすら帰り道。理論的には神奈川在住の私とST氏を途中で放り出す手もあったのだろうが、ST氏とAB氏が雑文談義を咲かせている間に浅草についてしまった。

AB氏がホテルにチェックインすると最後にご飯を食べようということになる。浅草の方面に向かうがなかなか食べ物屋は見つからない。少し通りを入ったところに「ヤキカツ」という文字が見える。なんだか解らない物を見ると首を突っ込んでみるのが私の性分である。近くに行ってみると「元祖」だか「本家」だか忘れたがそういう形容詞がついている。ということは模倣をうむほどうまいのであろう。そうだそうだそうに違いない、ということでそこにはいる。

ヤキカツとは所謂豚カツなのだが、脂に浸すのではなくて焼くのだそうな。私以外の二人はカツとビール。私はカツの定食を注文し乾杯をする。色々な話しに花が咲く。雑文のこと、サイトのこと。そうしているうちにAB氏がなにやらカメラに手をやる。ウェイトレスと呼ばれるであろう女性は3人いるのだが、そのうちの若い一人がなかなか感じがよい。美人というわけでも、とびきり可愛いというわけでもないのだが、合コンにでて反省会をやれば

「あの娘がよかった」

と人気を集めそうなタイプである。まだ出てきていない物があるから、きっと彼女が持ってきてくれるぞと期待していると推定年齢が55才を下るとは思えない女性がにこやかに現れ私たちの希望をうち砕くのもまあお約束と言えばお約束なのだが。

ヤキカツはうまい。話は楽しい。カウンターがいくつになったとか、雑文の数がいくつになったとか、サイトにとっての節目には何か企画をやるべきなのではなかろうかという話題が語られるが、内容についてここで書くつもりはない。

私はと言えば、このときの会話も含め、この数日、AB氏、ST氏、そして他の人たちと話をし、「面白い雑文を書く」という情熱に驚嘆していたのである。例えばAB氏と話していると普通の会話ですら随所にボケとツッコミがはいる事に気がつく。彼の書く文章に現れる笑いはこれらを洗練させたものであろうか。さらに雑文の長さはどれくらいにすべきか、落ちをどこらへんに持ってくれば、スクロール操作とうまくマッチするか、ということまで配慮されているのだ。また彼らが読んでいるサイトの幅広さにも驚く。他人である私が読んでいて楽しい文章はそうした日々の積み重ねから生まれる物であろう。

振り返って私が書いている文章は何であろう。世の中で「雑文」と定義もなくなんとなく呼ばれている文章群とは何かが違うのだろう。人が違えば書く文章も異なる。学ぶ事は学び、そして少しでも自分が目指す文章に近づければ、と思ったりもするのだが、さて、私が目指す文章とは何だろう。

そんな楽しい時間も過ぎ、いつしか私は明日の出勤が気にかかる時間帯となる。この楽しい3日間は過去の物となり明日はまたあの会社に行くのだ。外に出るとAB氏に別れの挨拶をする。地下鉄でST氏と別れると一人家路につく。

 

翌朝会社で

「大坪さん疲れてませんか」

と言われた。確かに体は疲れていたかもしれない。しかし数カ月ぶりに頭がすっきりしていることにも気がつき、内心かなり驚いていたのも確かである。会社と一人暮らしのアパートを往復する毎日。その中にあってこの3日間はまったく別の時間を過ごしたのだ。そうしてみればこの日常もまた別の目で見ることができそうで。

とはいってもすぐ元に戻ってしまうのもこの世の真実と言う奴。また機会があれば参加をお願いすることにしようか。

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注釈