8月の邂逅

日付:2001/9/1

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赤くてでっかい

中にはいるとまずは高い所に登ろう、ということになる。第一段階である展望台でエレベーターを降りるとき、AB氏が動揺の色を見せる。なんでもエレベータの扉と展望台の床の間から下が見えたとか見えないとか。私は「はははは、恐いですね」とか何とか言うと、そのまま先に進んでいく。AB氏は

「上に行きますか?」

と聞く。私は妙に調子にのって

「もう一発行きましょう」

と券売所に進む。しかし後から思えば私はここでAB氏が質問を発した意図についてもう少し思いを巡らせるべきだったのだ。

階段を上ると250mの位置にある「特別展望台」に登るエレベーターの前で待つ。しかしここで一つの事実が発覚する。AB氏は高いところが苦手な人であったのだ。

Oh my と後悔しても後の祭り。もう既に購入してしまったチケットを無駄にするわけにもいかない。彼は気丈ににも「いや大丈夫ですよ」と言ってくれる。しかしそのうち他人の心配をしている場合ではないことに気がつきだした。

この場所は妙に狭いのである。端から端まで数mしかなく、あ、そこにこちらの壁、あらもうそこにあちらの壁、といった様子だ。となると妙に高くて狭い空間に閉じこめられているという恐怖感に襲われる。そして実は私も高い所はとても苦手な人であった。床がしっかりある間は大丈夫、などという自己暗示をかけてはいたのだが、この狭さはどうしたことか。そう思うとどうも床が揺れているような気がする。これは夢か現か、などと考えていると思わず鉄骨にしがみついている自分に気がつく。

恐怖と戦いながらじっとり汗をかいているうちにエレベーターが到着する。これが妙に小さな箱だ。その中に人間をしこたま詰め込むと上昇する。周りに見える鉄骨は頼りないほど少なくなっていく。途中で

「がたんと音がしますが、これはなにやらで問題ありません」

というアナウンスが流れると本当に箱が「がたん」と揺れた。事前に聞いていても動揺するくらいだから、聞かずにこの衝撃に遭遇したら私はどうなっていたのだろうか。

さて、ようやく扉が開き地上250mの特別展望台にたどり着く。窓から1m以内に近づくと私は自動的に及び腰になる。窓に手をかけることは出来るがそこから下を見下ろすことなど思いもよらない。AB氏の様子やいかん、と思ってみると多少青ざめているようだが、ちゃんと見回っている。そして

「何かネタはないか」

と言っている。嗚呼、これが雑文書きの魂というものであろうか。

一方SJ氏はと言えば、窓の方をじっと見ている。彼の観察するところによると、窓は外側に開く形式となっているとのこと。そこを開け、外に出るときっとあのひさしに頭をぶつけますよ、などと言っている。私はそうした言葉を聞いただけで腰砕けになりそうだ。さらには

「下から火災が起こったとして、窓から飛び降りるか下から焼かれるかを選択するとすれば、絶対飛び降りるのはご免だなあ」

とか言っている。私の年ぐらいの人は覚えているかもしれないが、その昔タワーリングインフェルノという映画がはやった。超高層ビルの途中から火災がおこり、人間がめらめらと燃やされる奴だ。あれを瞬間的に思い出した私は一瞬の苦しみですむ「窓から飛び降り」のほうがいいのかなとも思う。しかしそう決断したとしても窓辺によったところで1cmも前に進めなくなり、結局飛び降りることができない。己の行動の不徹底さを悔いながら焼かれるというのが一番起こりそうな事だ。思えばいやな人生であったっなあ、などと妙な想像にとらわれている場合ではないのだが。

この日は曇っており、局所的には今にも雨が降りそうな気配である。晩のお月見ビアガーデンも気にかかるが、その前に視程が悪くあまり遠くが見えない。皇居とおぼしき方面を見て、天皇陛下を見下ろすという国民としてあるまじき不遜なことをやろうかと思ったが、どれが皇居やらわからない。AB氏が

「東京にはお寺が多い」

と半ばちゃかして言う。確かにここからの風景だけをとってみればやたらとお寺が目に付く。以前客先に向かう途中、某新興宗教の壮大な寺院(とおぼしきもの)の屋根を何度も目にした。その大きさはべらぼうで、私は

「ああ。このような街の真ん中にあんな巨大なものをあんな高価な材料を使って作るとは、新興宗教とは才覚さえあればとてつもないお金を集められるものであるなあ」

と感慨にふけっていたのである。ところが今日初めて上から見ると、その壮大な屋根は私が下からみて想像していたように正方形ではなかった。やたらと細長い長方形で、一辺だけがべろんと長くなっているのであり、つまるところは水増しである。別の方向に視線を移すと「東京タワーボール」なるボーリング場らしきものがある。かなり大きな建物だが今やわざわざここにきてボーリングをする人もいるまい。今は何に使われているのだろうか。

さて、高所からの風景を堪能すると今度は数ある東京タワー内の展示品に向かう。階段を下りると踊り場のところに蝋人形館の宣伝らしいポスターがはってある。一枚はアインシュタイン。もう一枚にはだれやらしらないがAttractiveな女性が座っている。一度はその前を通りすりぎたのだが、AB氏は戻ると写真を撮っている。私はと言えば別の壁に貼ってある「酒井和歌子」なる女性のポスターが気になる。なかな美しい人なのだが全体の雰囲気はどうにも古そうだ。たまたま古いポスターが貼られたままになっているのか、意図的なネタなのかは今ひとつ解らないのだが。

では目的の蝋人形館へ、となる前に政府公報の森とかいうところによる。ここで思わず時間をくってしまった。防災意識高揚の為のゲームとビデオのようなものが並んで設置されている。政府主催だからどちらも延々と説明が続き実にだるいのだが、片方に飽きると片方で出題がなされたり、そちらに飽きると反対の側で事件が起こる。結局最後まで見てしまった。

それが終わると今度こそ心おだやかに蝋人形館である。はいるといきなり出てくるのは映画俳優シリーズだ。猿の惑星の猿など立っているが、もちろん今年の夏リバイバルされたものではなく、初代のお猿さんである。新作公開にあわせて倉庫から持ってきたのだろうかなどと話し合う。私の愛するJulia RobertsはPretty Womanの例の恰好をしている。ふと後ろを見れば、これまた私の愛するJodie Fosterがガラスの向こうに居る。こちらにいる私がレクターの位置となるわけだ。思わず

I ate his liver with beans..... sheeeee

と言おうとするがおとなしく写真を撮る。ジョンウェインの前には「写真をとってホームページに載せないでください」という看板がある。彼のところだけに。何故ホームページがいけないのだ。何故ジョンウェインなのだ。謎は深まる。

そこから進むといろいろな人がでてくる。王と長島がいるのだが全く似ていない。ユニフォームを着ていなければそれとわからないくらいだ。誰かが

「昔の王長島に似せているからではないか」

と言うが、さらに進んだところに蝋人形館を紹介した古の雑誌広告などがおいてあり、それを見ると彼らが現役であったころから既に似ていなかった事がわかる。ちなみにこの古い広告の中には

「セーター980円」

などと蝋人形館とはなんの関係もないものも混じっており、思えばこの先遭遇する異常な展示にこの時点で気がついておくべきだったのかもしれない。

しばらく政治家が続くエリアがある。ホーチミンTシャツのSJ氏をホーチミンの隣にたたせてはい一枚。そのうちオオカミ男やらドラキュラやらがでてくるのだが、そもそもこれは誰に似せているのだ。等と考えていると行く手から荘厳な音楽とやたら低音で大声の放送が聞こえてくる。なんだろうと思い角を曲がるといきなり最後の晩餐の再現だ。ダビンチの絵ではユダの顔は影となりほとんど見えなかったはずなのだが、蝋人形のユダはどうどうと顔を出している。絵だとそれほどでもないが、顔やら頭部にたくさん毛をはやした男がこれだけ集まるとなんとなく見ていて体がむずかゆくなってくる気がする。

その先になにやら怪しげな扉があるから開けてみれば今度は中世の拷問、処刑の展示である。これまた一体誰に似せてあるのだ、という疑問が浮かぶ暇もなく人間が裂かれたり口から水を流し込まれていたりする。後者には

「膨らんだ下腹部に注目してください。これは大変苦しい物です」

という説明が付いているのだが、なんとなくその文面からは間抜けさがただよってくる。そりゃここは拷問コーナーなんだから苦しいだろうさ。もっとも

「これはとっても楽しいのです」

等と書いてあったらもっと恐ろしい気分になると思うのだが。

そこを出ると目の前にThe Beatlesがいる。そして右前方を見れば出口とおぼしきエリア。ちょっとまて、これでおしまいかと思えば、左奥手にちゃんとそれはあった。今回の東京タワー訪問の目的、フランクザッパとの対面である。

思えば「それだけは聞かんとってくれ」の第91回を初めて読んだのはいつであったか。それによれば彼はどうやらステージ上で人間の排泄物を食するらしいのである。何故そんな人間の蝋人形が東京タワーにあるのだ、という疑問はさておき、あの文章を読んだ時からザッパの頭に○○○をのせて写真を撮るのは我々の夢(我々って誰だ)になったのである。しかし現実はそう甘くない。その一角の入り口にはこう書いてある。

「これより先写真撮影禁止」

さらにはこんな事も書いてある

「防犯カメラ作動中」

とどめのように中にはこの一角専門とおぼしき係りの女性までが歩き回っている。

さて私は常日頃ロック魂がどうのこうのと書いているが、そんなにロックの人の名前を知っているわけではない。しかしここに展示された方々は一体だれなのだろうか。ドイツのなんとかロックというコーナーに至っては名前のアルファベットをどう発音したらいいものやら見当もつかない。

さて、歩を進めていくとザッパという文字が出てくる。となるとここに立っているのがザッパであろう。なるほど、これがザッパか。ザッパザッパと夏が来るなどと妙な事を考えているとAB氏がそっと耳打ちする。

「やりますか?私があの人にあっちで話しかけますからその間に一発ぱしゃりと」

しかし私は順法精神旺盛な小心者である。もっと正確に言えば良心は持っていないが神経は不必要に雑でそして細い。私は3重構えの禁止構造にすっかりびびっていたのである。

「あそこに防犯カメラもこちらを見てますよ」ということでその計画をあっさり没にした。

しょうがない、まあおもしろかったからいいや、と思い我々がその場所を後にするまさにその時、好機が訪れた。鋭い視線を我々に向けていた係りの女性が何の理由かは知らないのだがその部屋を離れたのである。後は防犯カメラだけ。今から考えれば仮に私が防犯カメラにとらえられたからといってなんだというのであろう。私が再びこの地を訪れる限り問題にはならないし、訪れたからといってなんだというんだ。しかし神経過敏の私はすっかりしっぽを又の間にはさんで逃げ腰モード。遠くから写真を撮るだけで満足したのである。

さて、これですべからく東京タワーは堪能した。次の目的地だ、とはならなかった。ちょうどその出口を出た辺り、土産物屋とおぼしき一角がある。しかし簡単に通り過ぎるべきではない。少し近づいて見ればそこが異様な空間であることに気がつく。

箱のような物にはあれこれの文章がはりつけてある。たとえばそのうちの一つは

「16歳高校生が通りすがりの人に髪の毛を切られた、と訴えてきたが実はその女性は44歳だった」

という記事である。そりゃそんな怪物のような女性がいれば、髪の毛くらい切りたくなるだろう、と犯人に同情する向きもあろうが、それはここの主題ではない。他にも脈絡もなく何枚もの紙が貼り付けられているのだ。そのうちの一枚にはこう書いてある。

「良いこともだけど、悪いことも長くは続かないの。これを「無情」ともうします。」

また別の紙にはこう書いてある。

「平壌で祝賀行事 金総書記 16日に59歳」

これは一体なんなのか。しばらく3人で頭をひねったがどうにも解釈がつかない。とうとうAB氏であったかSJ氏であったかがそこにいた係りの女性に聞いてみる。しかし返ってきたのは曖昧な笑顔と言葉だけだ。我々は

「きっとあの奇妙なコーナーを作成したのは彼女なのだ」

と勝手な妄想を広げる。その少し奥の壁には一見物置として使われているような棚がある。しかし白い網をかぶせられたそこに展示されているのはジーパンをぬがんとしている宮崎美子人形とか、超人バロムワンの怪人図鑑とか、とにかく尋常な物ではない。一体この場所はどうなっているのか。あの係りの女性は何を求めてあそこに異様な空間を作り上げたのか、ってまたまたすっかり決めつけてますけど。

 

さて、一階に降りると今度は土産物探しである。ここまで見てきた驚愕の展示からすれば、おそらくはこの土産物エリアにも我々の想像の限界をうち砕く何かがあるはずなのだ。

しばしの探索の後、AB氏とSJ氏は「日本の心」と銘打たれた「東京タワーの横に根性」置物を見つけた。ああ、これは一体何だ。これをどうしろというのだ。根性だ。東京タワーだ。これが何の役に立つと言うのだ。此を相手に差し出しこう言うのだ

「つまらないものですが」

そして相手はその贈り物を開けこう言うのだ

「本当につまらないです」

これこそ日本流の心と裏腹なやりとりを憎んで止まない私に恰好のアイテムではなかろうか。しかし私は買わなかった。

しかし我々はそれだけで満足してしまったわけではない。私は

「東京見物」

と書かれた爪切りを購入したし、AB氏は何故か日章旗、アメリカ国旗と一緒に売られているユニオンジャックに目を取られている。そしてSJ氏は

「タワー」

とカタカナで縦書きされた饅頭を見つけてきた。今日の飲み会でHB氏に食わせるんだと息巻いている。各自がそれぞれにおみやげを購入すると、我々は奇妙な満足感のうちにその場を後にしたのである。

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注釈

 東京タワーの横に根性:「それだけは聞かんとってくれ第245回参照 本文に戻る