腰痛の歌

日付:1999/8/4

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Good Old Friend

その日

次の日

Brief History about Back Pain

1997年の冬

Ruby Tuesday


Good Old Friend

1999年7の月も平穏無事に終わろうとしていたある日、私は布団の上にひっくりかえっていた。その日はめずらしく買い物なぞして歩き回ったので疲れていたのである。

その前の週、私の腰の調子はあまりよくなかった。理由はなんとなくわかっている。ある日しばらくへんな体勢でねっころがってTVをみていたのである。「なーんだか腰痛になりそうな姿勢だよなー」と思いながらそのままの姿勢で2時間。そのときはなんともなかったのだが翌朝目覚めてみるとなんとなく腰が重い。この「腰が重い」というのは変な言葉だが、自分がなってみると言い得て妙だと思ったりもする。そして一週間その「腰が重い」感覚は続いた。

 

などと考えている間に寝入ってしまったようだ。ふと目覚めれば夕方の5時である。平日の私の昼食はコンビニで買ったオニギリ一個と決まっている。その基準からすれば今日食べた牛丼は超特大のボリュームだ。だから夕飯は軽い物にしよう。歩いて40m程のところにあるそば屋にいってそばを食べよう。そうしよう。

そう思って私は起き出した。でかける前にメールをチェックする。大したメールは来ていないようだ。さてでかけるか。

 

昼寝から起きた寝ぼけ眼のままでドアをあけた。外は思ったより暑くはない。もちろん涼しくもないが。。それから階段をどどどどどとかけおりた(私の部屋は二階にあるのだ)

そこから表通りに出ようとした。そこらへんからどうも調子がおかしいことに気がついた。表通り(とはいっても車が二台すれ違うこともできないような細い道だが)にでたところでとりあえず電柱に捕まって一息ついた。何かがおかしい。腰が異様に痛い。足を前に出すのが困難だ。これはどうしたことか?

道ばたでは近所の主婦らしき一団が談笑している。電柱に捕まって脂汗をながしている三〇男は彼女たちから見ればさぞ異様に思えただろう。かといってこちらとしてはそんなことにかまっている場合ではない。この腰の痛さと歩行の困難さはただごとではない。さてどうしたものだろう。

たぶん一番妥当な案は(今から考えて言えることだが)そのまま回れ右をして家に帰ることだっただろう。しかし私は自分がやたらと空腹であることに気がついていた。がんばってそば屋まで行って、それから帰って寝ても遅くはなかろう。そんな「楽観的な」考えをもった私は再び前進を試みた。

ようやくの思いで橋の欄干にたどりつく。アルミ製の欄干は日に焼けて暑くなっているが、そんなことにはかまっていられない。とにかく今の私には何かに捕まることが必要なのである。欄干をつたって横歩きをし、3m歩いては川面を眺めるフリをして五分間休み、また前進を試み。。といった繰り返しでどうにか橋を渡り終えた。しかしそこで動けなくなった。

橋が終わってしまえばもうつかまるものはない。私はしかたなく道ばたに座り込んだ。この際格好などにはかまっていられない。そうしてしばらくのんびりしているかのように空を眺めていた。実はその姿勢にあってでさえ腰から頭につきぬける激痛と戦っていたのだが。

 

さて、これからどうしよう?しばらく座って考えた。私には夕飯の他にも前進する必要があったのである。冷蔵庫のなかにダイエットコーク500ml瓶が二本あることは知っていた。逆に言うとそれだけしかないのである。これから仮に家に帰って寝たところで、今までの経験からしてしばらく動けないのは間違いない。そしてその二本のダイエットコークを飲み干してしまえば大坪家には飲み物も食べ物もいっさい存在しなくなる。そうした有機物が存在しない家であってもごきぶりが存在しているのが頭にくるところだが、とにかく我が家の食糧事情はそうしたものだ。であれば、なんとかコンビニまで行って買い物をしたい衝動に駆られる。

たがどうやら前進する、というオプションは放棄せねばならんようだ。こうして座っていても状況は改善するどころか帰って腰痛は増している気がする。先のことなど考えずにとにかく家まで戻らなければ路上で行き倒れになりかねない気がする。

 

しばらくして私は立ち上がった。こうした腰痛状態で、腰を前にかがめずに立ち上がる、というのはちょっと技量を要する事柄である。(嘘だと思うならやってみてください)だてに過去10年あまり何度かの腰痛とつきあったわけではない。なんとか私は立ち上がった。

しかしどうにも足は前に出ない。こうなったら恥も外聞もない。とにかく捕まれるものには何でも捕まってまず橋を目指す。理論的には橋まで10m程であるが、その途中何度挫折しそうになったことか。しかしこの状況では「挫折」というものは存在しないのだ。道ばたで行き倒れになってもたぶんここら辺では誰も助けてくれないだろう。いかに親切心を持った人間であっても道ばたにひっくりかえっているあやしげな男に助けの手をさしのべようと思うだろうか。となればいくばくかの時間がたったあとに(何分か何時間か知らないが)職務質問に警官が来るまで私は路上でひっくり返っていなければならないかもしれない。そんなのはできれば避けたい。

やっとの思いで橋の欄干にたどりついた。そこでしばらく私は息をついて休憩した。これでなんとか橋の向こう側まではたどり着けそうだ。

それからやったことは行きのちょうど逆である。欄干につかまり激痛と戦いながらとにかく足を前に出す。途中で川面を眺めるフリをしながら休む。川の中には大きな鯉が何匹も泳いでいる。鯉は体をくねくねさせて泳いでいく。ああ。鯉の腰ってのはどこにあるのだろう。何故あんなに体をくねくねさせても痛くないんだろう、などと妙なことばかり考える。

さてあまり休んでもいられない。また前進だ。橋を渡り終えればあとは20mばかり、しかしここから足はまたもや動かなくなった。右足はとても痛く、全体重を載せている左足から体重を載せ換えることなど思いも寄らない。しかしこれはちょっと考えてもらうとわかるのだが、左足に全体重をかけたままでは全くその場から動くことはできないのである(唯一可能性があるのは片足で飛び跳ねることだが、今そんなことができないのは明白である)

そのとき、いきなり或本のページが目に浮かんだ。今を去ること約20年前、私が高校生のころSaturday Night Feverなる映画が大ヒットした。その映画の主演のトラボルタは今や体重がどう少な目にみても二倍くらいになり、ある映画では、ちょい役の将軍として登場している。いや、そんなことはどうでもいい。その映画はとにかく大当たりし、本まで出版された。そしてその本の最初の数ページは映画からとったスチル写真と、デスコダンスのステップで構成されていたのである。

そのステップの図解がいままざまざと頭によみがえった。なぜか?「シザース」とかいう、足を前のすぼまったハの字にし、次には前が広がったハの字にし、それぞれのときにつま先とかかとを交互にピボットとすることで、横に移動していく技がぱっとよみがえったのである。あれだあれだ。あれが使えれば足を持ち上げずに横に移動ができるかもしれない。とにかく家まで移動しないことには私は行き倒れになるのだ。

それから次に捕まれる構造物がある場所まではおよそ10mであっただろうか、、とにかく私はそのシザースのステップを使って移動していった。道ばたにはまた主婦が楽しそうに話している。もし彼女たちがこちらに視線を向ければその先には「はあはあ」と荒い息を吐き、顔から脂汗を流しながらあやしげな足つきで横に移動していく中年男が存在していたはずである。

そして、たぶん彼女たちは私に気がついていたのだろう。しかしこんな怪しげな男が歩いていれば(というか移動していれば)とりあえずそいつが視界に入っている間は見て見ぬ振りをし、視界から消えた瞬間「あれはなんなのよ」と騒ぎ出すってのが正しい対処方法だ。私が彼女たちに危害を与えないと思われる距離になってから彼女たちが何をしゃべったかは神のみぞ知るところである。しかし当時の私はとにかく自分の体が移動していくのにとても大きな喜びを感じていた。すばらしい。この手がつかえれば時間はかかるがとにかく自分の家にはたどり着けそうではないか。

そのうちあやしげな垣根にたどり着いた。これでまたちょっとだけ見通しは明るくなった。こえで手の力が使える。垣根に捕まってかにのように歩きながら、ふと前を見ればいままでさんざん朝夕通勤の時に通ったはずなのに、今まで気がつかなかった光景が広がっている。朝も夕方もうつむき加減に歩いているから、路の脇に何があるか気がつかなかったのだ。腰痛も悪いことばかりではない、こんなことでもなければ永久にこの光景に気づかなかったかもしれないではないか、などという脳天気なことをちらっとだけ考えた。しかしすぐに冷徹な現実は私の目の前に迫ってくる。その垣根がつきたころには次の難関が現れた。アパートの階段入り口の上に茂っている梅の木である。

何故梅の木が難関か。別にこの木が道をさえぎっているわけではない。しかしながらこれにはちゃんとしたわけがある。あれこれ人に聞いてみると「苦手な動物」というのはそれこそ人によって千差万別なようだ。ごきぶりあり、へびあり、むかであり。私はそれらの小動物はとりあえず平気だが(目の前に100匹も出現されたらどうか知らないが)たった一匹でも私を恐慌状態に陥れる動物がある。毛虫である。

春の訪れというのにはちょっと寒すぎるくらいの時にその梅は咲いた。それまで「何の木であろうか」と思っていた私はその謎が解けるとともに、ちょっとだけ幸せな気分になった。灰色の風景の中でその梅の花の色はとても鮮やかに目に映ったからだ。しかし取り越し苦労が趣味の私は、次の瞬間「葉が出れば毛虫がでるかもしれない」という恐怖にとらわれたのである。

何が恐ろしいといって木の下を歩いていて上から毛虫が頭の上にぽとりと落ちてくるほど恐ろしいことはない。しかしながら実は生まれてこの方覚えている限りにおいて私はそう言う目にあったことはないのである。-そういう風に言われてからかわれたことは何度もあるが。

この階段入り口の上を葉で覆っている梅の木もよく見れば葉に虫が食べた後はほとんどないことがわかる。またその木の下を毛虫がはいまわっている光景も(いつもおそるおそる横目で見ているのだが)見たことがない。しかし私はありとあらゆる合理的な根拠を抜きにしてその木に存在するかもしれない毛虫をおそれている。だからいつもその木の下は足早に通り過ぎるのが常であった。

ところが今日ばかりはその手は使えない。今の私には前進することが精一杯であり、足早に通り過ぎるなんておいう贅沢はとても許されないのである。となれば毛虫がいようななんだろうがとにかくじりじりと蟹歩きをつづけるしか道はないのだ。おまけに仮に進路上に毛虫を発見したとしても迂回路をとるなんてことはできそうもないのである。

マーフィーの法則に従えば、こういうときに限って毛虫が前に存在しているか頭上からふってくるはずである。しかしこのときばかりは神の加護が、あるいはマーフィーが入院していたか、はてまた冷静に考えればもう毛虫の季節はすぎていたせいかしらないが、とにかく私は無事にその木の下をくぐり抜けることができたのである。これでとにかく建物の入り口までたどりついた。さてここからは階段だ。

普通に考えると平地を移動するのも命がけなのに、階段を上るのは不可能ではないかと思う。しかし階段というものにはたいてい手すりがついており、腕の力を利用して前に進むことができる。腕力に物を言わせ、思ったより順調に階段を上ることができた。もっとも汗は顔から滝のように流れ落ちているのであるが。

さらに手すりをつたうこと数m。ようやく扉の前にたどり着いた。後一息、と思ったがここで私はまたもや困難に直面していることに気がついた。これまで手すりにつかまり、扉と反対の方を向いた形で歩いてきたのだが、ここで扉を開けようと思えばなんとか体の向きを変えなくてはならない。それから丸一日私にとってこの「体の向きを変える」というのはとてもとてもつらい仕事になるのだが、四の五の言っている暇はない。思い切って体をひねると激痛が腰から頭に走った。しかしとにかく体は扉に正対している。こうなればしめたもの。とにかく鍵をあければ待ちに待った家の中だ。

床にはありとあらゆるものが転がっている。しかしこの際かまってはいられない。どうやって靴をぬいだか覚えていないが、とにかく部屋の中にはいった。そこからほとんど腕の力だけではいずっていって布団の上にひっくり返ることに成功した。つらい時間だったがとにかくこれで路上で行き倒れはなくなったようだ。

しばらくの間私は布団の上で身動きひとつせず、荒い息をつき汗を流していた。それから考え始めた。まず何をせねばならんか。

 

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注釈

ある映画:私が-1800円の評価をつけた数少ない映画"The Thin Red Line"(参考文献一覧)である。本文に戻る